ウソの裏にある大胆な大雑把
<さまざまの事おもひ出す桜かな>。松尾芭蕉の句である。人が桜に惹かれるのは、眺める度にうれしかったり悲しかったりする。そして、共に刻んだ記憶がよみがえるから・・・と。
3分咲きや5分咲きと、桜の開花を数値化するのは、本来 無理な話らしい。木は1本ごとに異なり、見る人の感じ方も様々なのである。自分も、それ咲いた、と鵜呑みにして右往左往した経験がある。
以前、日本年金機構が委託した業者のデータ入力で約95万2000人分にミスがあり、入力漏れの約8万4000人分で過少支給が判明。この問題はもう解決したのだろうか。
まさかスキャナーで読み取っているとは知らず、見逃してきた機構のチェックの甘さとずさんな業務管理に、厚生労働省幹部もあきれた・・・と言っていた。
2人1組で手入力をする本来の入力方法のはずが、スキャナーで紙のデータを読み取っていた。主なミスの原因は業者の契約に反した入力にあり、機械が誤認識した漢字などと、配偶者の所得区分を示す丸印も誤って認識された。
実にずさんな話である。委託先に問題があるといえども、処理現場の視察が全くされていなかったことが露呈。責任逃れなどできぬはず。
昨年は、ある地方の信用組合で、支店勤務の女性職員が、計4743万6000円を着服していた。同信組は元職員を懲戒解雇したというが、支店名や元職員の年齢を明らかにせず、警察への被害届も出していなかった。まさに「くさいモノにはなんとか」だ。
その職員は窓口業務などを担当し、金庫からの現金出し入れの責任者だった。2004年10月~17年12月の間、月に1回程度で金庫内の1万円の札束の中を千円札に入れ替え、500円硬貨の袋の中身を10円硬貨に入れ替えて着服をした。
金庫内の現金は他の職員が定期的に検査するはずだが、札束や硬貨の袋をきちんと確認していなかったという。
ウソをつくと鼻の周囲の体温が上がるという研究論文もある。それは“ピノキオ効果”と呼ばれ、ウソの説明をするほど“言葉数が増える”との調査結果であった。
疑われまいと必死で、過剰に乱暴な言葉づかいになることもある。余裕がないと表現にまで気が回らず、“それ”とか“その人物”などの三人称代名詞が多用されたりもする。なんとか自分との距離をあけて、関係の薄さを強調したくてたまらないからだ。
歌人・穂村弘さんは桜の花が咲きそうになると、“変に焦る”らしい。焦る理由として、<いつ、桜を見たらいいのか分からない>、<どうせ見るのなら「最高の桜」を見たい>。
そんな気持ちが強くなり、いつがいいだろう、などと迷っているうちに、時間がどんどん過ぎてしまう。そしてその結果、<ちゃんと桜を見ないままに春が終わってしまう>のである。
三分でも五分でも、散り際でもそれぞれの良さがある。桜はウソをつかないので、見に行けばきっとその時が最高の“今”になるだろう。