日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

“半世紀余り”のそれぞれは


ハッピーマンデーが導入されて17年になる。その前まで、“体育の日”は10月10日と決まっていた。それは、前回(1964年)の東京五輪の開会日にちなむ日であり、昭和を生きた日本人には忘れられない日である。

あの五輪は、招致決定の翌年(1960年)のIOC総会で、5月開会を提案した日本は、欧米に反対された。6、7月案で再検討したという。大会4年前のことである。

その後、10月開催で落ち着いたが、開会日は“11日”、“9日”と揺れ動き、「10日」で决着したのは1962年のことだという。

また、開催が3年先に迫る時期には、メドのついた会場はたった3つしかない状態。今では考えられないほどのスリリングな大会だったようだ。

 

1941

 

ハッピーマンデーで記念日がブレるのは気になるが、言葉の語呂はなかなかいい。
こちらの商品名も半世紀余り、自然に口ずさんでいるが、内容をピタリと言い当てて語呂がいい。それは、「柿ピー」である。

どうやら、「柿ピー」は正式名称ではないようで、「ピーナツ入りの柿の種」が正しいのかもしれない。

ピーナツ入りの柿の種を商品化して全国で販売したのは、亀田製菓が初めて。
今年で51年を迎えたという。

亀田製菓は1950年ごろから、コメの委託加工の一環として柿の種のせんべいを製造。
ピーナツ入りの商品として販売を始めたのは1966年だという。

新潟の直売所でせんべいとピーナツを量り売りしていたところ、「一緒に食べるとおいしい」という話が広まり、混ぜて販売することになった。

そして、小さなせんべいとピーナツのバランスについては試行錯誤を重ねた。

 

1942

 

初めはせんべいとピーナツの(重さの)割合が7対3であった。とくに理由もなく。当時の開発者の直感で決めたそうだ。

ピーナツの値段が高く、高級なものとされていた時代であった。発売後、お客からは「もっとピーナツを食べたい」との要望が集まった。

1970年代前半、5対5に変えてみたが、割合はあまりよくなかったようで、売上高が激減したとのこと。そして、バランスを見直し、(7対3と5対5の間をとって)“6対4”にした。この割合はいまも変わらないとのこと。

味の種類も増やし、2000年にはわさび味を投入。キムチ味なども続けて出した。2012年には梅しそ味を発売し、女性にもヒットした。

1990年代前半に100億円余りだった売上高は、この数年で200億円を超えるまでになったという。

4~5人の製品開発者が日々新たな商品を模索して、中高年層向けには塩分30%カット「減塩柿の種」を発売している。開発に9年かけて塩分を減らしても、味を損なわないように工夫されているようだ。

私もお酒のおつまみで食べることがよくあるが、半世紀以上も地道な開発努力が続いていることは知らなかった。これからも、そっと応援したくなるような商品である。