日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

うまくいかない画像サイズに

 

たまの読書も、紙媒体ではなくなったせいなのか。

以前、よくあった製本の際の切り損ね。買った本を開いて、余分な紙を折り畳んだ不体裁なページを見つけたことが懐かしい。

裁断ミスのページは「福紙」または「恵比須紙」と呼ばれたらしい。
それは、陰暦10月の異名「神無月」に関係があるという。

神無月には諸国の神々が出雲大社に集まるが、恵比須さまだけが訪れず地元に残る。
旅立たずに残る神。“立ち残る神=裁ち残る紙”のシャレから生まれた名前だとか。

<秋の日はつるべ落とし>。
秋の日が急に沈むのを、井戸につるべが急降下するさまに喩えられた。
太陽の沈むスピードが速くなるはずもないが、急速に沈んでいく様子を表現している。

太陽の高さが秋になり低くなると、夏と同じ時刻でも時間の経過が早く感じられる。
「もう夜になっちゃった」という印象が強く、速く沈んでいくように思われるのだ。

 

1939

 

顕微鏡の歴史は古く、その原型は16世紀末に、オランダの眼鏡師ヤンセン親子が発明した。望遠鏡を逆からのぞいて偶然発見したというからおもしろい。

昨秋、(かつての顕微鏡少年である)東京工業大の栄誉教授大隅良典さんは、「オートファジー」という生命現象の研究でノーベル医学生理学賞に輝いた。

研究の出発点はすべて顕微鏡観察だったという。
大隅さんはもともと顕微鏡が大好きで、何時間でも眺めていられた。

研究室に入る学生にも最初に顕微鏡を使わせる。
「現象そのものを大切にする。自分の目で確かめる。それこそが、生物学の王道だからです」と。

 

1940


かつて、日本漢字能力検定協会が募った漢字変換ミスで年間賞に選ばれた傑作があった。パソコンで、「うまくいかない画像サイズになった」と入力したつもりが、<馬食い家内が象サイズになった>とモニターに表示された。

思わず「天高く馬肥ゆる秋」のフレーズを連想してしまった。
とてものどかに感ずるが、それは、夏の間にたくさん食べた北方の馬たちが要塞に攻め込んでくるぞ、という警告だったとのこと。

昔の夕暮れ時は、竹の筒で火をおこし風呂を沸かし、飯を炊く。とくに秋はとても絵になる光景だったはずだ。その筒は火吹き竹といわれたらしい。

<火吹き竹の根は藪にあり>は、竹筒の根っこをたどれば、藪の中に行き着く。物事の本当の原因は別の場所にある、との意味で用いられる。

どこかの首相も、この秋に自分の都合の悪いことを藪の中に押し込めようと、約617億円もの大金を惜しげもなく浪費する。北方の馬たちの動向がかなり危なそうだという時期にだ。はたして、その答えは藪の中に紛れ込むのだろうか。