日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

“人生の終わり”の後悔とは

 

都会の夜に慣れた目には、山あいの満天の星が明るすぎる。
あまりの密度に驚嘆しつつ、星同士が衝突しないのか心配にもなる。

ところが、星と星の混雑度は「太平洋にスイカが3個程度」なのだという。
宇宙は気が遠くなるほど広い。それだけに謎解きをあきらめない者もいる。

いかにちっぽけだろうと、スイカから宇宙を眺めるのが人類か。
星を眺めると感傷的な気持ちも芽生える。数多い星にもそれぞれの一生がある。

さて、人は人生の終わりにどんなことを思うのだろうか。
1000人以上の患者をみとった緩和医療医・大津秀一さんの著書『死ぬときに後悔すること25』によれば、思い残すことはだいたい決まっているのだという。

 

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<人生はあっという間だった>。
患者の多くがそう言い残していったそうだ。

“後悔”の内容としては、健康を大切にしなかったこと。
がんになって、たばこをやめなかったことを悔いる人も少なくない。

また、自分のやりたいことをやらなかったこと。
望みを抑え込んでいると、やはり後でつらくなるようだ。

人を蹴落として望みをかなえても、結局は満たされない。他人に優しくしなかったことを悔いる人もいる。私など、今から該当することが多くなりそうでこわい。

未婚率が高まる現在は、記憶に残る恋愛をしなかったことや、結婚をしなかったことで後悔する人も現れるかもしれない。

<自分は死ぬはずだったのを助かった。何かが自分を殺さなかった>。
『城の崎にて』の作者、志賀直哉さんは山手線の電車にはねられ九死に一生を得た。

<人はみずからの意思でこの世に生を享(う)けたのではなく、自分が何をするために生まれてきたかを知らない>とも。

 

1704

 

<完全な人工知能が開発されれば、人類の終焉を招くかもしれない>と語ったのは、宇宙物理学者・ホーキング博士である。
知力で勝る人間は多くの生き物を圧倒し、絶滅させた。同じことが起きないとも限らない。

人間の作ったロボットが人間を攻撃し始めるのは、SF映画の定番だ。

人間になぜ刃向かうのか、彼ら自身が語る理由が不気味である。
「あなた方がロボットのようではないからです。ロボットのように有能ではないからです」。
チェコの作家チャペックさんの、戯曲『ロボット』にある。

人間を超えたものに人間はどう映るのか。

「あなたが、ネズミが看守の牢屋で目を覚まし、自分がネズミに作られたと知ったら、どういう感情を抱くだろう。畏(おそ)れ? 敬愛? きっと違うだろう」と。
人工知能にくわしい米国のジェイムズ・バラットさんは書いた。

この先、“人生の終わり”の後悔で、<人工知能が開発されなければよかったのに>などとならぬことを、切に願いたいものである。

 

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