ためになる話よりおもしろい話がためになる
以前のエントリ『言うものは知らず 知るものは言わず』にも書いたが、“かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう”というフレーズが好きである。賢明に見せようとする人より、バカになれる人は魅力がある。
そういう方の体得した話はとてもおもしろい。そして、かんたんな仕事でも兀兀淡淡(こつこつたんたん)と続け、ひと工夫できる人はかっこいい。
好き嫌いの激しい人は損をする。自分の価値基準だけで決めつけたり、100%譲らない人がいる。人間のやることにはすべて正しいことや、すべて間違っていることもない。100%良ければ神様、100%悪ければ悪魔といって、人間とはいわない。
自分がバカになって一歩譲れる人は、まわりの人たちから好感が持たれるであろう。そういう方たちの書かれるブログは、やはりおもしろい。私は、自分で書くことよりも、読む時間のないときがつらい。読者目線でのブログ期待度が大きいようだ。
最近思うのは、購読させていただいている方それぞれの、購読先が見られたらいいな、ということ。自分のブログでも、読者登録して下さっている方は確認できるが、購読先の一覧が確認できない。すでに、そういう機能があるのかもしれないが。
ちなみに、私が購読させていただいている方の、スターマークつながりで知り合い、相互読者のお付き合いをしていただいているケースもある。こういうつながりがとてもおもしろい。ブログの読者はブログを書く人でもある、という楽しさだ。
私自身としては、アクセス数を気にする前に、おもしろい話を書きたい、という気持ちである。アクセス数が増えると、当然のことながらブログを書いている方からのアクセス比率が低くなる。その弊害で記事の方向がぶれたりするのは避けたい。やはり、姿の見える方に語りかけたり、読んだりの感覚の方がうれしい。
無意識の中から出てくる言葉は、新鮮な情報やおもしろい話につながりやすい。そして、人のブログを読んでいる人の書くブログは、やはりおもしろい。おたがいに刺激し合えるし、人の目につかないおもしろい情報の収集も、ゲーム感覚で楽しめる。
ジャンルのこだわりはないが、私にとって「おもしろい読み物」になることが、書くことの最終的なテーマである。