日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

無意識を意識してみるともうひとりの自分が見えてくる

 

最近は行かないが、かつて古書店・ブック○フへよく通っていた。そして、そこの百円コーナーでセレブ買いをしていた。まったく意識していなかったが、たくさん買い込んだ中から、大リーガーの「イチロー選手」と「脳」の本がどんどんたまっていた。イチロー選手ご本人よりも、私の方が「イチロー語録」を熟知しているのではないか、と思えるほどに。同じ本がダブることはほとんどなかったが、無意識のうちにイチロー選手と脳に関する本が集まっているのである。

 

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さて、人間の本能の多くは、進化の過程で形成された(人間という「種」の持つ)共通した習慣といえる。意思で克服しようと思っても、その基盤的特徴を簡単には動かせない。動くものを見てしまう、という無意識の行為もそういった本能のひとつである。

はるか昔、人間が狩りをしながら生きている時代に、動くものに対して全く無頓着な人間がいたとしたらどうなるか。その動くものが猛獣だとしたら、襲われて殺されてしまう。獲物だとしたら、食料を得るチャンスを見逃すことになる。「動くものを見てしまう」という特徴をもたない人間の多くは、長い時間をかけて絶滅するのみである。

生き残りの子孫である私たちの祖先は、幸い「動くものを見てしまう」という特徴のおかげで、今でもその本能が私たちに受け継がれているのである。人間が今のような社会生活を営むようになったのは、ここ千年ほどのことらしい。私たちの持つ本能的な習慣や心理作用は、こうして長い進化の過程を経て作られたものなのである。

 

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人間の思考や行動は、脳幹とこれを取り巻く大脳皮質のうちの旧皮質と、さらに周囲を覆う新皮質によって司られる。旧皮質は本能行動や情動に関係して、愛情、感情、美意識を働かせる。新皮質は大脳皮質の大半を占める人間に特有な脳といわれ、言語、理性、知性、記憶など知の機能が働く。

脳幹、旧皮質には、生まれながらにして、ハードウエアとそれを動かすソフトウエアが備わっている。しかし、新皮質には、初めからソフトウエアが備わっていないためハードしかない。機能を働かせるソフトウエアは、学習によって身につけなければならないのである。脳幹、旧皮質が「完全な脳」に比べ、新皮質は本来、情報ゼロの「不完全な脳」となるため、教育を施さなければならない。

 

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女性は、左右の脳をつなぐ脳梁が徹底的に発達している。女性の脳梁の方が男性より太いのである。右脳で考えたり左脳で考えたりが自由で、論理的に判断したと思えば、急に感覚的になったりする。両方をバランスよく発達させているようだ。女性はパソコンで、男性は電卓やワープロと例える学者もいる。

男性では、右脳に特化した人は右脳の専門家、左脳に特化した人は左脳の専門家という感覚であろうか。ピカソモーツァルトは右脳の専門家で、アインシュタインやホーキングは左脳の専門家といえそうだ。

プロデューサーという職業があるが、さまざまな専門家を集めてトータルで大きな仕事をするというプロデュース能力の高い人間の価値がますます高まっている。 もっと大きなものへとプロデュースするのは、感性豊かでしかも論理的構成力を必要とする大切な役目。

女性の脳が向いているような気がする。余談であるが、おもしろいと思うテレビドラマは原作や脚本が女性というものが多い。ブログでも女性の書かれたものはおもしろい。

飲みながらのお話でも、女性は共感型で男性は結論型であろうか。男女で会話の形式がまったくちがうから楽しい。

 

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右脳はイメージ脳といわれる。無意識にてのイメージであろうか。左脳は言語脳ともいわれ、意識的な言語によって思考したりする。

この無意識というものを意識してみると、そこにはまったくちがうもうひとりの自分がいるかもしれない。無意識を耕すとアイデアが湧きやすくなる。ひとつのアイデアを形にするとき、たくさんのアイデアからひとつを選ぶというより、ひとつのアイデアを生き物のように捉えてそれを育てていく、という方法がある。

意識が処理できることは、逐次処理といって一度にひとつ。そこには限界がある。無意識は並列処理になり、もっと並列的にいろいろなことが起こりうる。創造性は基本的に、並列的な無意識の中から起こるようだ。

人が意識できているものというのは氷山の一角。意識は水面下にある大きな無意識によって支えられているのである。