今までの流れが入れ替わる時
そのビールの登場はバブル真っ盛りの1987年だという。スーパードライ(アサヒビール)である。元祖“辛口”といわれ、今も進化を続ける。
それまで、ビールの王者はキリンビールの“ラガー”であった。“夕日ビール”などと茶化されていたアサヒは、起死回生を目指して5000人規模の消費者調査を行った。
市場を牽引する若者世代の辛口志向が見えてきた。数ある酵母の中から、発酵力が強くクリアな味わいを実現する“318号酵母”を厳選して、苦みとコクが特徴だった日本のビールに、切れ味とすっきりしたのどごしの“辛口”を浸透させた。
白地などが一般的だった瓶のラベルや缶に、シャープさを打ち出すため、銀色に変えて視覚効果にもこだわった。
30年を超えた今も、スーパードライはビール国内首位アサヒの看板ブランドである。2016年の年間販売数量は1億ケースで、4割強のシェア(占有率)でトップ。
当初は首都圏のみでの販売だったが、数か月で全国に展開。ビール業界のシェア争いの契機となった。長年、不落城だったキリンのシェアも、この商品の出現で陥落することになり、“ドライ戦争”が始まった。国内の累計販売数量は37億ケースを超え、海外でも現在約70か国で販売している。
キリンの“ラガー”を飲み続けた我が身も、スーパードライの出現でかんたんに寝返った。その瞬間はあっさりと、あっけなかった。
違和感を感じなかったビールの変貌時期とは別に、こちらの方は今も馴染めず落ち着けない。それは、映画館の雰囲気である。
かつての映画館で腰をおろすまえ、後方の映写窓を確認する癖があった。映写機のそばに人影が見えると、なぜかほっとして席に着く。そして、これから始まる映画に期待感が膨らむ。
映画は観客に向けて映写されて、初めて“映画”になる。その最終の送り手が映写技師である。
映写技師はスクリーンに目をこらし、ピントや明るさに気を配りながら映像の物語を届ける技術者だ。円滑に映写が進行するかぎり、その存在は意識されることはない。露呈するのは、フィルムや機械に不具合がおこったときだけである。
物語が途中でストップすると、暗い館内で映写室を振り返りながら、早い復帰を願った。今思えば、うまくいって当たり前。報われない仕事である。上映前に黙々と、フィルムやスクリーンのチェックを繰りかえしても、トラブルは起きる。
今は、ほとんどの映画館でデジタルの上映が主流になっている。DCIという仕様のDCPで上映されていると言われても、さっぱりわからない。
アナログからの切り替わり時期、私は映画館へ行かなくなっていた。長い間、映画は人が作り、人が届けるモノだった。その思いが今もまったく抜けていない。
映画はモノではなく“情報”になり、映写はオペレーションになった。それでも、たまに行くシネコンで、映写技師の存在を確認したくて、私は何度も振り向いている。