日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

音源の楽しみ方はそれぞれに

 

元祖3人娘といえば美空ひばりさん、江利チエミさん、雪村いづみさん。1974年、雪村いづみさんがデビュー20周年記念として出した『スーパー・ジェネレイション』というレコード・アルバムは今も評価が高い。

和製ポップスの父と呼ばれる作曲家・服部良一さんの楽曲を、元・はっぴいえんど細野晴臣さんらのバンド、キャラメル・ママが演奏し、戦前戦後の名曲をいづみさんが歌った。

すごい組み合わせの実現は、自主流通盤として3000枚限定で作られたが即完売。その後もコロムビアは再発売を重ね、今もCDとして聴くことができる。

さて、一世を風靡したCDもインターネットのダウンロード音源や配信の影響で、1997年~1998年をピークとして生産額が減少した。

反面、アナログレコードを楽しむ人たちが現れた。音質に魅力を感じるファンのほか、ジャケットに見ほれて収集する人もだ。

 

 

レコードはCDと異なり、人の聴覚で聴き取れない超高音域と超低音域が記録されるという特徴がある。その市場は新品が3割、中古7割で、廃盤の商品を探す人もいる。

1960~70年代の渋いロックに浸りたい世代や、1970年代後半~80年代に流行りのシティポップも人気で、すぐに売り切れるレコードもある。本格的なオーディオでレコードを流すカフェバー等も現れ、レコードの音が楽しめるという。古き良き時代のジャズ喫茶を思い出す。

愛好家になった人にはプレーヤーを持たず、まずはレコードを買い進める人も多いとのこと。好きなアーティストのアルバムがレコードで出ると、CDで買った作品でも購入することがあるらしい。

そして、iPod(アイポッド)などのデジタル音源を楽しんできた若い世代が、(好きな音楽を)物として所有したい時、“CDにこだわる必要はない”と考える傾向もあるとのことだ。

 

 

私自身は、“手間・暇と、かなりのお金”のかかったアナログ音楽より、今のシステムが簡単で楽しくてたまらない。

大ヒット製品ウォークマンは、ソニー創業者の井深大さんが、旅客機で音楽を聴く際にテープレコーダーが重過ぎるからと、製作依頼して生まれた。ウォークマンを、人気ミュージシャンらが使い始め、そのファンたちが購入してブームが起きた。

アップル創業者スティーブ・ジョブズさんは、ウォークマンに感動してiPodを考案した。そのiPodに電話機能をもたせたらどうだろう、と誕生したのがiPhoneである。

そのiPodを、『女々しくて』で有名なゴールデンボンバーは、アリーナクラスの会場で(エアバンドの)音源として使っていたとか。鬼龍院翔さんがテレビで言っていた。樽美酒研二さんが曲を流すためにドラムセットの陰でiPodを操作する。時々、操作を間違えてあせることもあるらしいが。

そんなにすごい機器はものすごく小さくて、私のポケットの中にも簡単に収まっている。

 

寅さんの指導方法「おひたし」

 

“ヒットの鍵は口コミ”との文言が飛び交う時代である。かつて“時代を映す鏡”と称された雑誌も今や売り上げ減だという。口コミという言葉の語意も時代とともに変化しているようだ。今ならLINEやツイッターなどSNSを使った情報の拡散なのであろう

虚業家、恐妻、一億総白痴化などと、独特の言語感覚で世相を斬り、多くの造語を遺したのは評論家・大宅壮一さんであった。口コミもその中の一つである。

大宅さんなら、一億総評論家が情報交換や検索に明け暮れる現代を、どのような言葉で喝破するのだろうか。

こちらもSNSで拡散され話題になった言葉らしい。上司への報告、連絡、相談、いわゆる“ほう・れん・そう”に“お・ひ・た・し”で返す「ほうれんそうのおひたし」だ。

部下に怒ったり、説教したりしてはいけない。それを端的に伝える言葉である。

 

 

「お」怒らない・「ひ」否定しない・「た」助ける(困り事があれば)・「し」指示する。なかなか説得力のある言葉だと思う。そして、すぐに連想するのはあの人・・・。

映画『男はつらいよ』の寅さんである。自分のことは棚に上げ、恋に悩む若者に対する寅さんの指導方法はポジティブで、“当たって砕けろ”、“なんとかなる”と強気である。

「燃えるような恋をしろ」、「アイ・ラブ・ユー。できるか青年」などと、セリフもポンポン飛び出す。

映画『男はつらいよ』シリーズ全48作の配給収入は464億3000万円、観客動員数は7957万3000人だという。

車寅次郎の妹さくらと諏訪博をちぐはぐな誤解で結び付けた第一作から、毎度毎度いい女のマドンナが登場する。映画の中だけでなく、田中裕子さんがマドンナのときには沢田研二さんが共演。志穂美悦子さんのマドンナでは長渕剛さんが出演されている。

そして、映画の共演がきっかけかどうかはわからぬが、まさに寅さんの叱咤激励の如く結婚をしている。

 

 

昨年10月1日にスタートしたNHK連続テレビ小説まんぷく』も視聴率が好調のようである。安藤サクラさん演じるヒロイン・福子の夫・萬平役には朝ドラ初出演の俳優・長谷川博己さん。どちらも好きな役者さんである。

長谷川さんは若い頃から「朝ドラが若手俳優の登竜門といわれ、ヒロインの相手役をやるとそこから売れるよと言われていた」という。そして、20代前半に何度もオーディションを受けて落ちてきた。

安藤さんと長谷川さんの役柄や演技からも、「お・ひ・た・し」の要素がふんだんに感じられて、見ていてほんわかな気分になってくる。

最近とくに感じるのだが、安藤さんと長谷川さんが出演する寅さん映画をぜひ観てみたかった。例の調子で寅さんが長谷川さんに恋の極意をけしかける。そんな楽しいシーンを観てみたいものだ。

 

かつては誰もが若者であった

 

<故障するわけさ。メード・イン・ジャパンだ>。SF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のシリーズ第3作にあるセリフだ。

親友の科学者ドクが発明した自動車型のタイムマシン「デロリアン」で、カリフォルニアの高校生マーティは冒険を繰り広げる。

1985年から30年前にタイムトラベルしたマーティは、1955年のドクにデロリアンの修理を頼む。小さな電子部品を見てドクが放った言葉は冒頭のセリフであった。

<何を言ってんだドク? 日本製が最高なんだぜ>。マーティはすぐに切り返す。

1955年には粗悪品の代名詞だった日本製の評価は、1985年までの30年間で劇的に変わった。

 

 

<お客様は神様です>とくれば、着物姿でにっこりする三波春夫さんが浮かぶ。そして、好景気に湧く日本の姿がオーバーラップしてくる。しかし、有名なこのせりふを言い出したのは三波さんではなかったという。

三波さんいわく<妙なものですねェ、私は「お客様は神様です」といったことはありません、あれは(お笑いトリオの)レツゴー三匹の皆さんが、三波のいいそうな言葉だというのでおっしゃったそうで>と。

昭和のひととき、このセリフに明るく弾むような響きがあったことは確かだろう。三波さんの言葉は<(三匹に)感謝しております>と結ばれる。

言葉にはいくつもの表情があるようだ。

<月はまるで青い氷のなかの刃(やいば)のように澄み出ていた>。川端康成さんの『雪国』には月の描写がある。冬は月も星も美しい。ガリレオが自作の望遠鏡で初の天体観測をしてから今年で満410年になるそうな。

 

 

「時空」とひとくくりに言われることが多い。ところが、人間はガリレオ以降にはるか遠くの星群をも見ることができる目を携えたのに、ほんの1分先も、5秒先も見ることができない。親しみを増す“空”と、そ知らぬ顔の“時”が心に交差する。

バック・トゥ・ザ・フューチャー』の初回作ではマーティが、あこがれのトヨタ車を1985年の街で見かけ、<ザッツ・ホット(いかしてる)>とほめた。さらに34年後の今も日本製品は“最高”と言ってもらえるだろうか。

<若い時には避けるような仕事にも、老年になると ぞうさなくとりかかれる>。英国作家のサマセット・モームの言葉だとか。

人は老いると時間ができる。そこで何が変わるのか。老齢は新しい挑戦をするのにふさわしい。昭和時代の若者もまだまだ捨てたものではない・・・かもしれない。

 

便利な機能も使い方次第では

 

習字の練習をするので、家から新聞を持ってくるようにと先生が話したら、新聞を家で購読していない子がいた。最近は、新聞を読んでいない若者が珍しくない。その延長で、結婚して子どもが生まれても、新聞のない生活を続ける人はいるのだろう・・・と。

今から10年以上前の新聞記事にあった。

新聞の使い道は多様で、暮らしの中で便利に用いられてきた。習字の練習もしかり、折り紙で大きな兜(かぶと)を作れるし、室内遊びのバットやボールにもなる。割れやすい物を郵送する時などにも使える。

新聞のない家庭があるというのは、ほんの一例だったのかもしれない。しかし、子どもたちを取り巻く環境の変化は激しいようだ。集団遊びが減り、家の手伝いをする習慣も薄れた。

 

 

机の奥などに追いやられた電卓。今はスマートフォンの電卓機能を使う人も多いだろう。私はパソコンで電卓ソフトを愛用していたが、最近は古い電卓を手元に置いて使うことが多い。画面を変えたりするより、使い勝手がいいからである。

東京五輪の1964年に早川電機(現・シャープ)が発売した電卓は、重さ25キロで価格53万5千円。まさに自動車1台分のお値段であった。

1年前、小型電卓の開発で知られる(元シャープの)佐々木正さんが、102歳で亡くなられた。60年代から70年代にかけての“電卓戦争”で、佐々木さんらは技術、低価格競争に挑んだ。

集積回路(IC)、太陽電池、液晶画面等の新技術導入で、77年に同社が発売した電卓は65グラム、価格8千5百円に下がった。今は100円ショップで買える電卓であるが、電卓戦争で培われた技術がコンピューター、ゲーム機、スマホなどにつながっていく。

ある若者が電子翻訳機を持ってきた。誰も見向きもしなかったが、佐々木さんだけはその技術に大金を出し、銀行に口も利いた。その若者は、ソフトバンク孫正義会長であった。

 

 

便利機能につられて、使う者の無知な部分があからさまになることもある。笑うに笑えない話が昨年に問題となった。

岡山県議13人が2016年に公費で実施した米国視察で、報告書の大半に同じ文章が使われていたという。視察は16年11月1~10日、自民11人、民主・県民クラブ1人、無所属1人が参加し、ワシントンやボストンなどを訪問。公費計約1450万円が充てられた。

その報告書に、州や市の紹介が記載されているが、13人中11人で“感想”以外の記述がほとんど同じだった。同じ箇所の変換ミスが複数見つかり、インターネットの「ウィキペディア」などの説明をそのまま引用したとみられる部分もあった。

キング牧師像」の項目では、11人が「作られたもの」を「作られ珠緒の」と誤記され、ワシントンの現地情報サイトに同じ内容の文章があった。転記での変換ミスである。そして、米国議会図書館の展示物の説明は、10人が「コレクション」を「これ区書」と誤っていた。

 

けたたましきユーチューバー

 

冬景色の野山で早咲きの春の兆しを探すのが「探梅」といい、冬の季語だという。初物好きの江戸っ子は、雪の降るうちからそこら中で梅を探し回り、ほころびたつぼみ一つ見つけようものなら鬼の首でもとったようにほくそ笑む。江戸の書物に探梅風景を記したがあるという。

春の季語で梅を見るのが「観梅」である。数年ぶりに、熱海の梅園に行ってきた。入園してすぐに、“鳥の鳴き声の笛”を売る出店の前で、自称ユーチューバー(YouTuber)なる年輩女性が、「ユーチューブにのせてもよろしいでしょうか」とインタビュー?をしていた。

その後、私が写真を撮っていると、横でヘンなナレーションが聞こえた。「おや、黄色い梅がありますね。これは蝋梅といって・・・」などと例の女性の怪しいウンチクだ。すぐ近くで鑑賞していた老人男性からは「そうじゃないよ」とツッコミが入る。女性は反論するが、梅への知識が乏しいらしくオロオロしていた。

 

 

デジカメの出荷台数は2010年に1億2146万台とピークを迎えた。それから高精細なカメラを搭載したスマートフォンに押され、16年に2419万台と5分の1に激減。

しかし、2017年に出荷したデジタルカメラが前年比3.3%増の約2498万台で7年ぶりの増加となった。

スマートフォンの普及で苦戦していたデジカメも、画像共有サービス「インスタグラム」などを通じて、表現力にこだわる消費者が増え、販売に貢献したのである。

高価なデジカメを求める傾向が強くなり、コンパクトデジカメや、軽量な「ミラーレス一眼カメラ」の出荷台数が好調。まさに“インスタ様様”である。写真と動画のちがいはあるが、あのユーチューバーの女性を思わず連想してしまう。

 

 

さて、俳句では“布団”も冬の季語になるらしい。<蒲団(ふとん)着て寝たる姿や東山>。江戸から京都にやって来た、(松尾芭蕉門下の)俳人服部嵐雪の句である。

毎朝、布団から出るのがつらい時期である。冬の朝に目覚めてから、布団を出るまでの時間について、気象情報会社が数年前にアンケートを行った。

全国平均は、13.3分。都道府県別では、暖かい西日本が短かったようだ。

<梅一輪一輪ほどの暖かさ>。こちらも嵐雪の代表作である。早春の句として解釈されそうだが、“寒梅”の前書きがあり、冬の句なのだという。

 

今も食べ続けられる即席食品

 

幼い頃に聴いたテレビやラジオのCMソングで、今も憶えているものがある。1960年に発売した明星食品株式会社の「明星味付ラーメン」の宣伝だった。

♪ 雨が降ってる日曜日 坊やドロンコなぜ泣くの/あそこの角でころんだの どうしてそんなに急いだの/明星即席ラーメン パパと一緒に食べたいの。

その2年前は、容器に入れてお湯をかけ蓋をするだけ。3分待てば出来上がるチキンラーメン日清食品が販売している。

明星即席ラーメンは鍋で煮る手間があったが、母親に野菜や溶き卵を加えて作ってもらった味が忘れられない。子ども心にも店のラーメンと即席麺との味の違いはわかったが、インスタントなりのおいしさがあった。

そして、1968年2月には世界初の市販用レトルト食品としてボンカレーが誕生。あめ色のタマネギのコクと、いためた小麦粉の香ばしい味わいが特徴だった。

 

 

昨年、コンビニエンスストアで売っている食べ物をかけ合わせて、新しい料理を創作するというレシピ本が出版された。そのアイデアがおもしろかった。

“主食”、“おかず・おつまみ”、“おやつ・デザート”に分けて、イラストの付いたレシピと費用の目安が載っていた。

「焼きおにぎり茶漬け」では、冷凍のおにぎりを解凍してから、フリーズドライのもずくスープをのせてお湯をかければできあがり・・・などとの具合である。1食あたりが安価ですむというのも魅力だ。

今、この国は景気の拡大期間がいざなみ景気を越える74か月(6年2か月)に達し、戦後最長になったそうな。雇用者数もバブル期並みに増加し、企業収益も過去最高。失業率も歴史的な低水準なのらしい。

 

 

フリーランスの語源は中世ヨーロッパにあるという。騎兵が使う槍(やり)がランスで、主君を持たず、契約にもとづいて戦う騎士がフリーランス・・・なのだと。

日本では、特定の会社に属さず自営や契約で働く人たちが、(副業をしている人も含め)1100万人を超えるという推計がある。

インターネットカフェなどで夜を明かす利用者の実態について、都が行った一昨年のアンケートでは、約4人に1人が「住居がない」と回答していた。

ネットカフェや漫画喫茶、サウナなど都内502店を対象に実施。内訳としては寝泊まりしていた946人のうち、「旅行出張の宿泊」との回答が37.1%で「住居がない」は25.8%。そして、「遊びや仕事で遅くなったため」が13.1%だった。

高度成長の過程で生まれた数々のインスタント食品は、この先もなくてはならないものであろう。食生活も昔からの変化はあるだろう。ただ、高度成長以前の食卓に並ぶおかずも懐かしい。それは、粗食...もとい素食であったが、景気のいいはずの今よりも贅沢な食品だったように感じてならない。

 

ひょうひょうとしている説得力

 

女優・タレントが本業なのに、硬いテーマでもコメントはユニーク。TBS系『Nスタ』のホラン千秋さんである。昨年の半ばくらいから、平日の夕方にテレビを見る機会があれば、必ずチャンネルを合わせている。

天気担当の森田正光さんとのやり取りも楽しい。ホランさんは、森田さんに絶妙な突っこみを入れて解説を引き立てる。その飄々(ひょうひょう)としたやりとりが大好きだ。

<作文の秘訣を一言で言えば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね>。井上ひさしさんの言葉である。

<むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く>。一人ひと り少しずつ違う“その違うところ”を平明に書く。

フィールド・オブ・ドリームス』、『マディソン郡の橋』などと、(私の)こころを揺さぶられる映画は淡々としている演出作品が多い。

 

 

テレビというメディアには“不安定さ”が乗せやすく、映画というメディアだと“安定さ”を求められるようだ。

「細かな粒子を電波で送りたくさんの粒子で1枚の画像を構成するテレビ」と「1枚1枚フィルムに完成された画像をコマ送りする映画」では、メディアの質の違いがあるという。

テレビはクールメディアで、型にはまったものよりハプニング性への反応が大きい。ドッキリカメラみたいになにが起こるかわからないハプニングがウケる。ホットメディアである映画は、しっかりした骨組みを必要とする。そのための「段取り」ももちろん大事になるだろう。

テレビに適する映像は、自宅の窓から外をながめる光景のような感覚だ。窓に相当するのがテレビ画面である。その出演者は映画みたいな美男美女である必要はない。

 

 

<俳優とは、迷っている時、悩んでいるときがいい>。山田洋次監督は言った。

『幸せの黄色いハンカチ』の制作では、主演の高倉健さんが東映のヤクザ映画からの転身の時期であった。助演で俳優デビューの武田鉄矢さんは、フォーク活動の行き詰まりで田舎に帰ろうかと思っていた頃だとか。出演者の迷い、悩みのエネルギーが見事に作品へ集結したようだ。

古今東西、勧善懲悪モノの映画やドラマがウケるのも、共通の感情に引き込みやすいからなのだろう。

今は観たいものを待っているのではなく、観たいとき自由に視聴ができる便利な時代になっている。インターネット配信の映画にいたっては、映画館で観られない名作を家庭で好きな時間にゆっくり楽しむことができる。

自分で選ぶよりも、ふつうなら選ばないような名作と出会える機会も多くなっている。そういうときのお得感は大きくて、心の中でカッツポーズをとりなから飄々と視聴してしまう。

 

顔にかざす便利機能の逆利用

 

顔にかざすだけでロックを解除できるスマートフォン。また、データセンターなどの光通信。情報社会を支える最先端技術に欠かせないのが、日本開発の“面発光レーザー”らしい。それは40年も前の技術だという。

半導体を使った面発光レーザーは近年に用途が大きく広がっている。スマホ内部のレーザー素子から、3万点以上の赤外線が顔に照射され、顔面の起伏を反射した光などから精密に計測。それで個人を識別する。

このレーザーが最初に使われたのは、オフィスなどで使われる近距離ネットワークの光通信。大容量のデータのやり取りには、動作が速くて消費電力の小さなレーザー光源が必要だった。

今後、スマホに使われている顔認証機能は、様々なセキュリティーに応用されるだろうとみられる。自動車への利用では、運転席に搭載すると運転手の頭の位置や姿勢を計測し、居眠りなどの非常時に自動でブレーキをかけるというシステムに使える。

 

 

便利機能が充実する一方、日本はAIのみならず、AIがもたらす隣接技術のトレンドをすべて逃してしまう恐れがあるのでは・・・と懸念されている。

AI開発・商業化のロードマップを策定している日本政府の「人工知能技術戦略会議」では、大幅な資金不足だという。日本は人材と市場シェアを中国に奪われるだけでなく、予測的なビッグチャンスも逃すことになりかねない。

中国では、AI(人工知能)やインターネットを駆使した監視システム「天網工程」などでも、世界をリードしているようだ。

14億人もの身分証などを中心としたデータベースと、全国各地の2千万台もの街頭カメラがその根幹をなして個人を識別する。それは、信号無視といった違反の取り締まりや、犯罪者の摘発にも威力を発揮するのだ。

 

 

14億人に迫る膨大な人口の国の政策により、中国の研究者とスタートアップ企業は、世界の一般的なプライバシーとセキュリティーの制約を受けずに、最も貴重な天然資源となるのでは・・・ともいわれる。

「“人間のデータ”を大量に掌握」できることを新たな石油に喩えれば、中国は新たなOPEC(石油輸出国機構)なのだと。

大都市の公園のトイレには顔認証でぺーパーが出る仕組みまで導入され、スマホの位置情報や買い物の履歴からは、市民の日常もつかめるようになる。そしてその先には、政権にたてつく人物や予備軍をマークする目的も垣間見える。

人間を労働から解放し、情報格差をなくすはずのAIやネットも、雑踏に投網を打つような情報収集により、人の自由を縛りつつあるのかもしれない。

これほど政府がAIに集中し、未来へ向けて突進している国としては、中国が突出している。その勢いが増して、中国のAI投資は(この先)数年間で地政学的なパワーバランスが大きく変わる、とまで予想されるのだ。

 

鏡を見なければ正せぬ我が身

 

平成を言い表すキーワードで、良く言えば“成熟”、悪く言えば“停滞”が当てはまりそうである。経済は人の営みといわれる。人口が増えないことで、低迷するのはしかたない。人口構造でも高齢化が進んでいる。

IT(情報技術)が本格的に普及し始めたのが1988~89年。ICT(情報通信技術)ネットワークも急速に広がり、仕事の面で生産性、暮らしの面ではコミュニケーションが大きく進化している。ITが人口減を補い、暮らしは多様化で高度化した。

アマゾンなどのネット通販、ネットバンキングも暮らしを大きく変えている。2010年以降はスマートフォンにより、暮らしはより便利になっている。それまでは地図を持ち歩き目的地にたどり着いたが、今は検索しながら行ける。

 

 

昭和の高度経済成長期には、多くの国民が一生懸命働けば明日は良くなると考え、テレビ、エアコン、マイカーなどとモノの豊かさを追い求めた。“これが幸せ”と納得する規準を軸に、生き方を具体的に決めることができた。時代の流れに沿った生き方で“幸せ”が保証され、仕事も終身雇用が当たり前。

(昭和の基準が揺らぎ)平成は、生きづらい時代になった。終身雇用の慣行は時代の流れではなくなり、定年まで働き続けても幸せは保証されない。“やりがい”を求めて転職する自由度は増したが、望む仕事へと就けるかどうかはあやふやである。

今は用いられることのない季語に「越冬資金」がある。冬のボーナスのことらしい。

<職安で 働かせろよ この盛況>。古いサラリーマン川柳である。派遣契約を打ち切られ、住む家もなくす人々が日々生まれ、“越冬”の文字が生々しい現実として感じられるのも、平成の時代のことである。

 

 

<鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも>。石川啄木さんの歌には、読む人に「そういえば自分も・・・」と思わさせる作品が多い。この一首もそうだろう。能天気に暮らす条件とは、身近に鏡がないことなのかも知れない。

エレベーター奥の鏡や終電の車窓に自分を見つけると、人相の悪さにドキリとすることがある。それなのに普段は、ひとの人相に(心の中で)あれこれ文句をつけている。

朝鮮戦争で日本は特需に沸き、「ガチャ万」という言葉が生まれたらしい。工場の機械をガチャと動かせば1万円が儲かると。思わずバブル景気を連想してしまう。

ドイツ文学者・高橋義孝さんは、親しい作家・内田百閒さんに蔵出しの名酒を一升贈ったという。その後、百閒さんに会ったときひどく怒られた。「迷惑します」と。

その理由として、ああいうおいしいお酒を頂戴したあとでは、ふだん飲んでいるお酒が飲めなくなるから・・・なのだ。考えてみれば、人生を彩るような成功も、いただき物の“おいしいお酒”によく似ているような気がしてくる。

 

紙で読んでいた本と新聞たち

 

「春隣」という語は、俳句で冬の季語になるとのこと。大寒を過ぎ、立春を迎える直前のころらしい。ちょうど今の時期を指すようだ。「夜明け前がいちばん暗く、春の手前がいちばん寒い」と。なにかで読んだ記憶がある。

<ほんとうに字引きを読む人は、字そのもの、語そのものが面白くて、読むのである>。芥川龍之介さんの随筆『辞書を読む』にあった。

それは...いわば、植物学者が温室へはいったような心もちで、字引きの中を散歩すると思えば間違いない・・・のだとも。そうして珍しい語に逢着(ほうちゃく)すると、子どもが見たことのない花を見つけでもしたように嬉しがる、という。

 

 

<ほんはほんとうは しろいかみのままでいたかった もっとほんとのことをいうと みどりのはのしげるきのままでいたかった>。

谷川俊太郎さんの詩集『すき』にある『ほん』という詩である。そのエンディングに、<ほんはほんでいることが ほんのすこしうれしくなった>とある。

もう本にされてしまったのだから過去は忘れようと、わが身に印刷された活字を読んでみたことで、本とは人の気持ちを伝えるもの・・・ということを知った。

 

 

一昨年、ニュースをインターネットで読む人の割合が、新聞の朝刊を初めて上回ったという。ネットは71.4%、朝刊68.5%で、差は3%弱だった。そのときは新聞も善戦しているではないか、との感想であった。でも、今はもっと差が開いていることだろうが。

作家・向田邦子さんの随筆『新聞紙』で、新聞は3つに大別できるとあった。

配達されて、まだ読んでいないもの。ざっと目を通しただけで、すぐ手を伸ばせるところに置いておくもの。これらはシンブンである。それも日付が変わると、新聞は“新聞紙(シ)”になり、1週間も過ぎればば“シンブンガミ”になってしまう。

紙の“シンブンガミ”は案外お世話になっている。折りたたんで野菜を包んだり、換気扇の掃除などで重宝しているのだ。さて、ネットの中の“シンブンガミ”はどうなっているのか。