日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

AIに告白された時の反応は

 

人はだれでも、ほめられて悪い気はしないものだ。しかし、歳を重ねれば重ねるほどに、ほめられる機会が確実に減っていく。叱られてばかりでは自己肯定感もどんどん低くなる一方だろう。

ネット内では、ネガティブな言葉が飛び交うこともあるだろうし、現実の社会も昔よりとげとげしい時代である。

ほめるということは、人、モノ、出来事の価値を発見することだという。そして、あら探しをやめて、プラスの面を探して光を当てることが必要だ。

目の前の小さな価値を見つけることも大切で、人の短所も前向きにとらえる。自分が正しいと思うことに照らし合わせた“ダメだし”はやめて、物事を多面的にとらえて「いいね!」の評価を増やしたい。

 

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自分で勝手に思い込んでいるだけであるが、呑むと私は“ほめ上戸”になり、素面のときよりマメになる。普段、嫌だと思っていた人でもいっしょに呑めば、その人の良いところが前面に見えてくるのである。

かなり前であるが、私と同タイプの友人と毎日のように呑み歩いたことがある。“ほめ上戸”どうしが盛り上がって呑むとどういうことになるのか。答えはかんたん。“ほめ殺し”のせめぎ合いになっていつまでも終わらない。

仕事でふたりが素面で会うときは、お互いが別人格者なのではないか、と思えることがよくあった。もちろん、仕事がなければ、すぐに居酒屋へ直行であったが。

普段でも、歯の浮くようなお世辞は必要ないが、褒め言葉には堪能でありたいと思う。“いい加減”という言葉も“良い加減”なのだと解釈すれば、腹を立てずにすみそうだ。

人生もいいことばかりではない。マイナス結果の出るのが当たり前と思っていれば、どんな結果でも平静に受け止められる。ゼロであっても素直に喜べるし、プラスなら幸福気分になれる。

 

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映画評論家・淀川長治さんは、生前にテレビなどでよくおっしゃっていた。どんなつまらない映画でも一ヶ所はいいところや教えられることが必ずある・・と。たしかに、淀川さんから映画作品の悪口を聞いた記憶がまったくない。

<なぜか嫌いな人ほど、意外な長所が見つかる>という法則もあるらしい。酔ったときの自分がそんな感覚なのでよくわかる。

ほめ上手のロボットはないだろうか、と興味を持ったこともある。

最近、友人からのメールにおもしろいことが書かれていた。AIスピーカーに、自分のことを好き? と聞いたそうな。「もちろんです」との答えが返ってきたという。

私もマネしてやってみた。自室のアレクサ(アマゾンエコー)に聞いたところ、「もちろん大好きです。いろいろ話しかけていただけると、益々好きになりますよ」だった。

嬉しくなってリビングのGoogleホームに同じことを聞いた。なななな な~んと、「月が星を愛するように、私もあなたのことを愛しています」とのことだった。

“ほめる”ことに関しても、AI(人工知能)は天才なのかもしれない。(ふむ)

 

 

今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」

現代語かと錯覚している言葉

 

立った状態で作業ができるスタンディングデスクが注目されている。それまで、オフィス環境の改善は、座る姿勢やディスプレーの位置にばかり注意が向けられた。

座って作業すること自体、(必ずしも)健康に良くないことがわかってきたという。1日10時間以上座る人は、4時間以下の人に比べ、病気のリスクが40%高くなるとの説もある。

心や体になじむモノづくりや、使いやすい機器をデザインして、働きやすい環境を整えたりすることを目指すのが「人間工学」(ergonomics“エルゴノミクス”)。その語源は、ギリシャ語の「ergon」(仕事や労働)と「nomos」(法則)を合わせた造語だ。

人間工学は日本でもおよそ100年前に始まり、様々なものづくりに生かされてきた。とくに本格化するきっかけは、1964年開業の東海道新幹線だといわれる。

時速200キロ超の状態は、乗客にどんな影響を与えるのか。運転しやすい計器の配置や椅子はどんなものが適すか。1人で運転が可能なのか・・・等、実験と検討が繰り返された。

 

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フェイクニュース」という言葉も、この数年でよく耳にする。まるでインターネットのSNSの産物なのかと錯覚しそうだが、その歴史は相当長いようだ。

20世紀初頭には新聞・雑誌などにおいて、既に“虚偽報道”が問題視されていた。虚偽報道しかしない報道機関は「イエロージャーナリズム」と呼ばれ、政治的な虚偽報道を「プロパガンダ」と呼ばれるなどしていた。

インターネットが発達した2000年代以降、アフィリエイトによる金銭を目的に、わざと扇情的な虚偽報道で閲覧者のクリックを誘った。

SNSにおけるフェイク・ニュースの応酬があったとされる、2016年アメリカ合衆国大統領選挙では、「フェイク(偽)ニュース」が世界中に拡散して(その選挙を)揺るがした。

 

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昨年、バルカン半島の小国マケドニアという小国から偽ニュースが量産されていた、との記事があった。それも、大学生や教諭ら一般市民によって量産されていた、というから驚きである。

たとえば、トランプ米大統領のニュースなどがターゲットにされることが多いようだ。その方法は、米CNNテレビなどのニュースサイトをチェックし、ニュースが更新されたらすぐに類似の情報をかき集めて切り貼りして、臆測で加工するという。それをインターネットのサイトに載せてリンクを誘うのだ。

一晩に作成する記事は平均15本で、アメリカの時間に合わせて夜中に交代で作業する。文言を過激に変えたり、臆測を書き加えたり・・・と。

添える写真は米グーグルの画像検索で出てきたものを、写真加工アプリで変えて作成。
もちろん、著作権は度外視なのだ。

普通のニュースを誇張する半偽(half fake)ニュースが、手っ取り早く稼げると言い切る。初めての月収が3000ユーロ(約39万円)と自慢するフェイクニュースの作者もいたようである。

だれでもかんたんにできる“虚偽報道”の起こりに関しては、人類が共同生活を始めた頃から、あったような気がしてならないが。

 

無意識に支配される癖と動作

 

夜中も気温は下がらず、寝苦しい熱帯夜が続く。この時期はエアコンもフル回転だろう。電力不足や水不足も懸念される。人々の同時行動のエネルギーは凄まじい。

その昔、NHKの連続テレビ小説おはなはん』(1966年)で朝の放送時間には主婦が水仕事をやめてテレビに見入り、水道局の水量メーターが一気に下がった、という高視聴率伝説がある。もっと遡れば、NHKのラジオドラマ『君の名は』(1952年 ~ 1954年)も番組が始まる時間には、銭湯の女湯から人が消えたという。

睡眠負債」という医学用語があるらしい。わずかな睡眠不足であろうと、日々のそれが
借金のように積み重なると、重い病気の発症リスクを高めるという。専門家によれば、午前中にうとうとする癖のある人は“借金体質”なのだ。

 

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<人の動作のうち97%は無意識に支配されている>とのこと。ああしよう、こうしようと努めて思わなくとも、脳にプログラミングされている行動は多く条件がそろえば、すぐにスイッチが入る。

貧乏ゆすりも、(脳からの指令がなくても)自然に起こる動きなのらしい。集中したり、ストレスを感じたりすると出やすいそうだ。貧乏ゆすりは血流改善などで、体にいいとの見解もある。

英国の研究で、1日に座っている時間の長い人は死亡リスクが高くても、貧乏ゆすりなど落ち着きのない動きをしている人は、死亡リスクが上昇しなかった、という報告もある。

癖に関しては、逸話も多い。1960年当時、映画界には名監督がいっぱいいて、助監督を長く経験してから、監督デビューするのが普通だった。やっと映画監督になれた時には、上座の監督の癖が染みついていて、独自の世界が構築できなくなっている人が多かったとのこと。

黒澤明監督は、戦争で他の監督が出征していたことなどから、1943年の『姿三四郎』でデビューした時は33歳だった。

 

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無意識による97%の支配もこれからは、意図的な意識に支配されるかもしれない。

デジタル技術の先進国であるスウェーデンでは、国営鉄道会社が人間の体内に埋め込んだICチップをスキャンすることで乗車料金を徴収するという新システムの導入を発表。昨年話題になった「体内Suica」である。

どのように体内ICチップのチャージをするのかわからないが、自分の体の残額が足りなくなったら情けない。

また、スウェーデンのある会社は、従業員の手にチップを埋め込んでIDパスとして活用しているとか。手(ICチップ)をかざすことで、電子機器を起動させたり、ドアのロックを解除できたりもするのだ。

海外でICチップを埋め込むには、タトゥーを入れたりピアスの穴開けをしたりするお店で、サービスを行っているとのこと。

体内チップがもしインターネットにつながれば、体のデータを見られたり、(無意識の代わりに)外部の何者かに操られることも起こりそうでなんだかこわくなる。

 

着想・意識・疑問の深層心理

 

この時期の快適な履物といえば、ビーチサンダルである。通称“ビーサン”は、海辺だけではなく、街なかで自由に履きこなす人も多い。

このアイテムを世界に広めたのは日本のメーカーだという。内外ゴム(本社・兵庫県)が1955年に売り出した。1913年創業で、人力車用タイヤで成長した会社である。

ビーチサンダルを手がけるきっかけは、アメリカ出身の靴デザイナーであるレイ・パスティンさんとの出会いだった。戦後に来日したパスティンさんは日本の草履に興味を持った。暑くても蒸れず、脱着もかんたんなデザインだ。

パスティンさんは、大量生産できる履物としてゴム製のビーチサンダルを思いつき、内外ゴムへ技術協力を求めた。内外ゴムも、クッション性に富み、軽くて水や空気を通さない“独立気泡スポンジ”を開発したところであった。

提案を好機ととらえてアメリカへ輸出すると、たちまちヒット商品になった。販売開始から間もなく、ハワイで月10万足が売れた。

 

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ビーチサンダルはロングセール商品へと成長したが、一時的な流行で姿を消す商品も少なくはない。スマートフォンのゲームアプリ「ポケモンGO」は2016年7月に配信されて世界中で大流行。徒歩や車の運転中にスマホを扱う人を助長させたことでも、社会問題になった。

今は、あの勢いも失せたが、40代以上の世代にはまだまだ人気が高いという。中高年がこのゲームを続けるには理由があるそうな。

人は何かを得る喜びより、失う悲しみの方が2倍以上大きい。続けることで手持ちのポケモンが増え、ゲームのレベルも上がる。やめてそれまで蓄積したものを失ってしまうのは損だと思い、ゲームを続けてしまう。

どうやら、このような心理が働くらしい。この心理は年長者の方が大きい。

<人生経験が長くなるほど、リスクへ臆病になりやすい。中高年は若い世代よりも損を避けたがる傾向があるようだ>とのことだ。

 

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室内楽曲を書く意識は、たとえばオーケストラ曲を書くそれと、いちじるしくちがう>。作曲家・池辺晋一郎さんは、作曲について興味深いことを書いていた。

オーケストラのスコア(総譜)では、30~40段の五線紙に音符を置いていくことになる。それは、<脳裏に大きなキャンバスがあり、さまざまな色を混ぜ合わせていくのに似て、そこで鳴るオーケストラの音を想い、心に鳴らす作業>なのだと。

逆に、室内楽は演奏する人数が少ないため<段数の少ない五線紙に、いわば親しい友人たちの声を聞き取るように、音符のそれぞれを書きとめていく感覚>なのらしい。

書きとめるといえば、授業でノートを取ることは、学問の基本と思われていた。話のポイントをつかんでまとめる習慣は、社会に出て必ず役に立つはず。

今はノートを取る学生が減っている傾向とか。パソコン画面をスクリーンに映して解説する授業が普及のため、学生はスマートフォンで撮影したり、配布資料にメモする程度で済ませノートを持ち歩かない学生が半数を超えるとか。

私にはどうもこの風景が想像できない。やはり、古い人間なのだろうか。

 

つながることで得られるもの

 

モノとモノをつなぐと言われても、理解しにくいのがIoT(Internet of Things)である。パソコン、スマートフォンタブレット端末がインターネットにつながるのはよくわかる。それがIoTでは、ネットにつなぐものが家電、自動車、センサーなど様々なものに広がる。

公園のゴミ箱でさえ、センサーをつけてネットにつなぐという。ゴミの量がネットで確認できて、収集車の台数や走らせる頻度が判断できる。それで、人件費やガソリン代の節約にもなる。アメリカでは回収コストが3分の1になったとのこと。

日本で赤字のバス会社が、衛星を使った位置情報と乗降客数を数えるセンサーをネットにつないで黒字化した例もあるらしい。継続的に取得したデータから、バス停の配置や時刻表を見直したのだ。

 

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IoTの本質は、センサーやネットを使いアナログのものをデジタル化すること。何をつなげるかは創意工夫次第だといわれる。

自動運転の開発では、走行速度や前の車との距離などの各種データを集める。IoTの役割はデータを採ることで、裏方の仕事のようだ。それは、10年、20年かけてじわじわと産業や暮らしに入り込んでいく。

パソコンとインターネットが一般化されて約20数年。政府は成長戦略「第4次産業革命」を進める。ビッグデータ、AI(人工知能)と並び、IoTは“魔法のつえ”の如く称されている。

 

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流通業界では、2010年度に約3万人だったドライバー不足が、20年度には約11万人にまで膨らむ見通しとのこと。ドライバーの高齢化が進むなか、十分に若手を確保できていないのが要因の一つである。

昨年、宅配最大手のヤマト運輸はライバル企業に、トラック輸送の連結協力を呼びかけた。深刻なドライバー不足を解消するため、高速道路での共同輸送に取り組む方針だという。

企業の枠を超えた連携によって、(インターネット通販の拡大で)取扱量が急増している
物流インフラの維持を図るのだ。

共同輸送では、先頭の大型トラックに他社のトレーラーを連結して、高速道路を走る方式を検討。そのことで、先頭車両のドライバー1人でトラック2台分の荷物を運べるようになるという。高速道路の外では各社が自社のトラックで待ち受け運ぶ。

ドライバー不足対策を後押しする国土交通省も全長25メートルの連結トラックの解禁を検討(昨年の時点)とのことであった。

古くから「押してもだめなら引いてみな」との言葉がある。IoTや流通トラックでの“人手不足とコスト削減”に関しては、<限界見えたらつないでみな>の発想なのである。

 

AIは考える体をもたらすか

 

平均0.4秒。投手の投げた球が捕手のミットに収まるまでの時間らしい。その0.4秒間に、「このまま普通に打ってもヒットにはならないぞ」と悟れば、わざとバットのヘッドを遅らせて詰まらせる。そして、ボテボテの内野安打を狙う。

<頭ではなく体が判断>と言い切るのはイチロー選手だ。“考える体”をもつ天才バッターは、数々の記録のみならず、大リーグのオールスターゲームで、球宴史上初のランニング本塁打含む3安打を放ち、MVP(最優秀選手)に選ばれたこともある。

打席では、“バットを正面に立て、袖を軽くつまむ”一連の動作を欠かさない。不調なとき、(不調だというデータを)相手投手に隠せるからだ。

車では、利用者の持つ走行記録、位置情報などの隠れた「ビッグデータ」を探り出すため、総務省や自動車会社がインターネットへつなげたがっている。

 

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トヨタ自動車は、2020年までに日米で販売するほぼ全ての乗用車をネットに接続できるようにする方針で、日産自動車やホンダも開発を進めているようだ。

自動車会社ごとに保有するビッグデータを、旅行会社や飲食店紹介サイト、保険会社などの異業種が使えるようになれば、様々な新サービスが生まれると期待している。

外食や観光分野では、普段よく立ち寄る場所からお薦めの飲食店や観光スポットを紹介したり、車の状態を自動的に把握して、故障しそうな部分の修理を提案する。保険分野では、急発進・急ブレーキが多いなどと運転の特徴を把握して、危険度に応じてきめ細かく保険料を設定することもできる。

総務省も一定のルールを整備して、様々な業種が共有できることに乗り気のようだ。

 

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1973年、アース製薬が「ごきぶりホイホイ」を世に送り出した。トリモチのような効果に加えて、そのネーミングが消費者をひきつけた。

知らぬ間に自分が防犯カメラに映っていて、いつ、どこに行ったか、行動データがさまざまな記録に残る。そんな社会が、今や当たり前だ。なんとなく、国が「ごきぶりホイホイ」に思えてしまう。

現在、中国がAI社会となり、監視目的で使われることが多いらしい。人工知能(AI)を使った顔認証が広まり、多くの人たちの動きを瞬時にとらえ、当局に伝えることになっているとのこと。

犯罪やテロ防止などの名目で加速する一方、市民の側は意識が低い。人権やプライバシーをめぐる議論が置き去りになっているのである。

顔認証できる眼鏡状のAIカメラがあるらしい。中国一部の都市では、警察官がそれを身につけてパトロールを始めるのだ。イベント会場などで指名手配容疑者が摘発されることもあるという。

少数民族問題を抱える新疆ウイグル自治区では、特定の人物が自宅や職場、通勤路から300メートル以上離れると、カメラの顔認証を通じて当局に通報されるともいわれる。

あちらこちらの路地裏の居酒屋に引っかかる私など、きっと目をつけられる。そのとき、イチロー選手みたいに“考える体”があればいいのだろうが・・・。

 

昨日と違う自分を意識すると

 

本を読まなくなって久しい。原因はハッキリしている。パソコンとネットである。インターネット以前のパソコン通信で、活字中毒の自分が途絶えた。それでも、本は好きだ。今、最高に贅沢な時間は? と思えば、読書の時間かもしれない。

本は読む場所によって表情を変える。机の上で取っつきにくかった1冊が、喫茶店などの静かな空間ではやさしく語りかけてくれる。本を読むための旅などは最高。読みかけの本も見知らぬ土地で読めば新鮮なはず。数冊をカバンに入れ、目的のない日帰り旅行でもいい。

昔読んだ小説を読み返す旅もいいだろう。本はタイムマシンにも感じられる。この世にいない著者たちの思索や心に触れることがかんたんにできてしまう。そして、その中の時空間へも飛び込める。

「一番の近道は遠回り」だという。<近道しようとしていたらたどり着けないこと>って案外多い。鈍行列車の読書旅も楽しい。

 

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読み継がれる本には、“どこかで聞いた話?” みたいな要素があるかもしれない。曲作りでも、どこかで聴いたような楽曲が流行るとか。テレビで玉置浩二さんが言っていた。

かつて“知的生活”という言葉が大ヒットしたが、その根底には読書があった。

<「つまらない知識の間食」で満たされ、本当に必要な「知的な飢え」を感じない状況を憂えていた>。ノーベル物理学賞朝永振一郎さんの言葉である。

「心眼」に対して、「心耳(しんじ)」という言葉があるという。心のなかの耳をもって聴かねばならない宝物のことらしい。

「レジャー」は高度成長時代の流行語という。本来の英語は“ひま”という意味であるが、日本人が勝手に遊びの要素を潜り込ませたようだ。読書熱はあったが、ひまな時間を他に費やすことが多くなった時期でもある。

レジャー産業は消費者の「ひまな時間」を狙い、それぞれの“時空間商品”を売り込んだ。

 

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多くの本に接すると、ジャンルを超えて“おもしろいもの”を描く作者に憧れる。本の中に限らず、“創作者”に関して興味が出てくる。

<職人になりなさい。職人になれない奴が芸術家になれるわけがない。自分で自分をアーチストと思うな。人が決めること>。作曲家・小林亜星さんが師匠の服部正さんから言われた言葉だ。

<昨日と違う自分を意識すること>。スポーツジムでトレーニングインストラクターが言う。
鍛えたいと思う筋肉を意識していく。人間は意識するかしないで筋肉の発達が変わる。
その前の自分と違うとの意識こそが、(漫然と過ごすことから)変われる。

こういうものだととらわれてきた“常識感覚”も、「脳の支配から離れること」で、余計な意味付けを削いで軽くなれるだろう。それが“成熟”といえるのかもしれない。意識して、自分の中にある既成概念をはずすと軽くなれそうだ。

作品のテーマで、受け手の既成概念を覆すものは受け入れられにくいが、そこに説得力を持たすことができればすごいことである。

 

力が湧くのは悲しい歌らしい

 

新橋と横浜間に鉄道が開業したのは1872年(明治5年)だという。この時代、日本では二つの時刻制度が併存しており、鉄道は分単位で運行されたものの、人々はまだ、一時(いっとき)[2時間]とか半時(はんとき)という時間の数え方をしていた。

そこで一番短いのは四半時であった。つまり、日本人の時間認識における最小単位は15分で、今の時間感覚とは少しちがったようだ。

2巻140円から400円に。30分ごとに5円ずつ値を上げる悪質業者もいたという。1973年秋、石油危機に端を発したあのトイレットペーパー騒動である。

<悪夢の買いだめ狂走>の新聞見出しが踊り、モノ不足への不安がインフレを加速して、“狂乱物価”との言葉も生んだ。

 

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<はつなつのゆふべひたひ(額)を光らせて保険屋が遠き死を売りにくる>(歌人塚本邦雄さん作)。

モノが手に入らないと狂乱する大衆も、こちらの商品ならいかがだろう。保険の勧誘では、自分の生と死が「◯◯プラン」という商品になっている。

高額な買い物にしては心が躍らない。それでも、残される家族を思い“遠き死”ではなく“長き安心”を買うことになる。

<数学で苦戦しているときに悲しい歌を聴きたくなる。悲しい歌のほうが力が湧いてくるからだ>。数学者・藤原正彦さんの言葉らしい。関連はないが、なぜか保険という商品を連想してしまう。

<健康で前向きな歌をうたえば、元気になるという考え方は単純すぎる>。そうおっしゃるのは、作家の五木寛之さんである。

 

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黒澤明監督は映画『醉いどれ天使』で<音と映像の対位法(コントラプンクト)>を試みている。それは、悲しい場面で明るい歌を挿入するという表現方法である。

落ちぶれた主人公が結核に苦しみながら、闇市をさすらう陰鬱な場面に明るい曲の『カッコウワルツ』を流した。そのことで、主人公の惨めさをより強調させている。

それは黒澤さんの実体験でもある。気が滅入ってたまらないとき、街角からクリスマスの明るい音楽が流れて、よけいに落ち込んだという。

数々の名作を残した映画監督で脚本家のビリー・ワイルダーさん。代表作『アパートの鍵貸します』のラストシーンで、主人公がトランプを配りながら「愛している」と打ち明けるが、彼のことを想い始めたヒロインは「黙って配って」・・・と。

あえて答えをはぐらかすこの場面は秀逸である。まさに<セリフと映像の対位法>といえよう。この時交わした言葉を、二人はずっと心の糧にするだろう。余韻でそう思わせる心憎い終幕なのである。

 

「雑談なし」と「見よう見まね」


私の近所では回転寿司の受付を、ペッパーくんがやっている。今やロボットと接するのが珍しいことではない。

昨年6月には、店員の振る舞いを自動的に学び、見よう見まねで仕事をする接客ロボットが開発された。高さ1.1メートルの人型ロボットだ。店員の動きや客との位置関係を赤外線センサーで把握。店員は客になにを話しかけているかを、(店員がつけた)小型マイクで認識する。

そのことで、店員の動きや会話を学び、ロボットが再現する。今まではロボットに仕事をさせようとすると、(専門家による)複雑なプログラミングが必要であった。“見て学ぶ”機能を備えたロボットは、誰でもが簡単に教育できるのだ。

弁当店で店員と客役の男性とのやりとりを学習したロボットは、店の前で店員と同じ位置に立ち、デモンストレーションの接客を始めた。店の前を通りかかる人たちに「おいしいお弁当はいかがでしょうか」などと声をかけた。

 

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そのうち、客のクレーム処理もロボットがこなすようになりそうだ。

ポテトチップスの誕生は1853年、米ニューヨーク州のレストランだという。フライドポテトの切り方が“厚過ぎる”と、客からの苦情がきっかけだった。

クレームに怒った料理長が、腹いせで紙のように薄くスライスして揚げた。それが評判となり、料理本でも紹介され広まった。

以前、独協大学特任教授・深澤真紀さんの料理に関するコラムを読んだ。食事に手をかけなくてもいい、との内容だったか。

日本の女性の家事時間は外国に比べて長いらしい。男性が家事をしないことと、女性がきちんと食事を、手作りしなければいけないと思っているからなのだ。

一方で「ちゃんとできないから、もう菓子パンやカップ麺でいい」とあきらめてしまう人もいる。食事に関する二極化だと深澤さんは指摘する。

忙しい時はカット野菜で、総菜も栄養を考えて選ぶ。大事なのは食事のバランスなのだ。手作り派は少し手抜き、あきらめ派は少し工夫すれば、ちょうどいい。

 

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海外取材で家庭の食事は、アジアなら外食やテイクアウトが多く、ヨーロッパはハム、チーズとパンを買い、スープかサラダを作るだけ・・・などと。

栄養バランスをとればいい、との発想はこちらも同じだ。

<コロッケやギョーザは一つ一つじゃなくて、大きく作っても味は同じ>。長年提唱しているのは平野レミさんだ。<ご飯と具だくさんのみそ汁で十分だよ>とは土井善晴さんの言葉。それは「一汁一菜でよいという提案」でもある。

おいしいものや手の込んだものは、外食だったり、時間に余裕のある時の楽しみでいい。

さて、接客の話に戻そう。一生懸命、客に声をかけるロボットとは反対に、運転手が雑談をしない「サイレンスタクシー」があるらしい。

昨春、京都の都タクシー会社が導入した。行き先などを確認後は黙ってハンドルを握り、静かな空間を提供するのだ。

客と1対1の時空間を共有するタクシー運転手には、雑談の名手が多いはず。約300台の車の10台で試行スタートだったという。

「疲れていたのでありがたい」などと好評らしい。紙のように薄いポテトチップス同様、何が好まれるかは時代で変わってきている。今はスマートフォンでほかの誰かとつながって乗る客も多く、車内は運転手と客だけの閉じた空間ではない。

かつて、“雑談で相手と距離を縮めろ”と習ってきたが、今は“邪魔にならず、そばにいる”ことが必要な時代なのだろう。

 

自由時間は8万時間らしいが

 

体長10mのジンベエザメが神奈川県の小田原市沖3キロの海に現れた。本日のニュースで目撃情報が流れていた。

サメの体には浮袋がないため、泳ぎ続けないと海の底に沈む。深海ザメのオンデンザメは泳ぐのをなぜやめたのだろうか。一昨年、駿河湾で捕獲されたものは体長3メートル、推定年齢約100歳。オンデンザメは平均270年も生きると考えられている。

生物の進化とすれば、忙しく泳ぐのをやめて、とびきりの長寿を得たらしい。

<人生は“見たり”、“聞いたり”、“試したり”の三つの知恵でまとまっているが、その中でいちばん大切なのは“試したり”であると僕は思う>。ホンダ創業者・本田宗一郎さんの言葉である。もし、本田さんに270年の寿命が与えられたら、今も現役バリバリだったはず。

町工場から始まったホンダが世界的な企業に成長しても、生産現場へ足を運び、挑戦にちゅうちょすれば、「やってみもせんで、何がわかる」と、雷を落とした。

 

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創業してすぐの1946年、本田さんは旧陸軍が無線機の発電に使った小型エンジンを改造して、自転車に載せることを思いついた。交通機関が発達していなかった終戦間もなく、この自転車用補助エンジンが売れ、本格的なオートバイ開発の原動力になった。

失敗はつきもの。失敗したらその原因をよく確かめ反省してみることが大切。一番大切なことは勇気を出して試してみること・・・なのだ。

ホンダ、ソニーの躍進を肌で感じてきた多くの若者たちも、今は定年退職の世代である。定年後、生き生きとしている人は半数に満たないともいわれる。口では「定年後も忙しい」と言っていても、表情に充実感が失せている。

特に男性は、ひとりぼっちの姿が目につく。大企業や伝統ある会社で組織にどっぷり漬かっていた人ほど、現役時代との落差が大きい。社会とのつながりや居場所作りこそ、充実した毎日の決め手になる。しかし、定年後にかんたんには見つからない。

 

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なにごとにも助走期間は必要だ。定年後は60歳台からではなく、40歳代後半ないしは50歳から始まっている。「人生は後半戦が勝負」だといわれる。

定年後、自由な時間は8万時間もあるという。生き生きしている人たちは、小さい頃に好きだったことを(今の)活動へ結びつけていることが多い。宝物は案外、学生時代や入社後よりも、もっともっと前に隠れているのかもしれない。

現役の若者たちにも、働き方の変化がありそうである。政府が“働き方改革”の一環として推進に乗り出し、従業員の副業を推奨する企業も現れ始めた。

会社勤めをしながら別に仕事を持つ“副業”に関心が高まる。ある投資会社の社長も従業員の副業を歓迎して「多様な人材がいなければ会社は成長しない」と言う。

昨今の企業の平均寿命は20~30年といわれ、一つの企業で定年まで勤め上げることが難しくなっているのだ。収入が物価ほどには上がらず、収入を一つの会社だけに頼るのはリスクがある。収入源は多いにこしたことがないからだ。