いつまでもあると思うな金と髪
<一生に一度のお買い物です。十二分にご吟味ください・・・>。
広告コピーだ。その商品は、車でも家でもなく白黒テレビだった。
1955年(昭和30年)、販売価格は12万5000円である。
サラリーマンの初任給が9000円の時代だ。まさに、“一生に一度”の覚悟で購入する品物だったようだ。
フラフープ。ダッコちゃん。氷で冷やす冷蔵庫。路面電車。駄菓子屋・・・。
懐かしい風景がいくつも脳裏に浮かぶ。
身元不明の他殺体が見つかったのは東京・国鉄蒲田駅の操車場。
殺害されたのは誰か。松本清張さんの名作『砂の器』のオープニングだ。
被害者はやがて、51歳の元巡査と判明した。そして、<すでに50を過ぎた老人>と書かれていた。
その歳でもう老人? と信じがたいつもりでも、鏡に映るわが身を見て納得しかけることも度々だ。昭和の時代の自分はこんなではなかった。あったのだ! 髪の毛が!!
もっと、フサフサと“ジャマになるほど”に、である。
新聞の連載が始まったのは1960年(昭和35年)だった。今より平均寿命が15歳ほど短かった頃の小説なのだ。その頃、人は50代で晩年に差しかかるというのが、多くの日本人に共通する感覚だったそうだ。
家の雨漏りには幼い頃の思い出があるという。洗面器を置いて受けるのだが、ピチャピチャと騒々しい。雑巾を、洗面器の中に敷いて雨垂れの音を弱める。
野育ちの人には、その知恵を会得した昔の楽しからざる記憶だが、温室育ちの花には縁のない“生活の知恵”かもしれない。
<家のうち鍋などさげてゆきかへるゆふぐれにきく秋雨の音>。
歌人・三ヶ島葭子(よしこ)さんによる雨漏りの歌である。
葭子さんの異母弟にあたるのが俳優・左卜全さんだという。
平成の世に漂う“いやな感じ”を憂えるには、弟の歌った『老人と子供のポルカ』の方が適切なのか。
<♪ やめてケレ・・・やめてケ~レ ◯◯◯◯>。
今は国内よりも、大統領選挙後のアメリカ国民の心情と合致するのではないだろうか。
女性にサインを求められた作家・幸田文さんは、署名にひと言、「御多幸を」と書き添えた。そう書いたつもりだったのが、「御多福を」と書き間違えていたそうだ。
大いに気がとがめたとエッセイ『福』にある。
よく気のつく幸田さんにしてそうなのだから、人生に誤字はつき物だろう。
国文学者・池田弥三郎さんは、見知らぬ学生から手紙をもらった。
<見識のない先生に、突然、手紙を差し上げます>との書き出しだった。
もちろん「見識」は、「面識」の間違いである。
<もし人生に第二版があるならば、私は校正をしたい>。
英国の詩人、ジョン・クレアさんは友人へ手紙に書いたという。
残念ながら、“人生とは初版がすべて”のようだ。
人生の部分を昭和に置き換えたらどうだろう。
お金と便利な品々を手に入れながら、繁栄の坂道を登り続けたつもりだったのに、あの時代は遥か高みに輝いて映る。いったいなぜだろう。
「見ぬもの清し」と「ごり押し」
母は、床に落ちた豆を素早く拾い、「見ぬもの清しだからね」と言った。
それが後に、“3秒ルール”という名で知ることになった処世の知恵だった・・・と。
エッセイスト・玉村豊男さんのコラムにあった。
落ちても見たことにしなければ、誰も清潔を疑わない。とても説得力のある言葉だ。
過剰な潔癖さの若者もいるらしい。昔ながらの清潔感に鍛えられた身にとって、無菌抗菌志向には、いささか違和感を覚えないでもない。
今の日本は、世界でいちばん清潔な社会かもしれない。そのため外国に行くのは嫌だという若者が増えている、とも記されていた。
「見ぬもの清し」を「知らぬが仏」や「見ぬうちが花」などの意味合いで使う人もいるらしいが、玉村さんにとってその言葉は母親に教わった「3秒ルール」なのだという。
昔は、父親に代わり小言をいうのは、おじ(伯父・叔父)の役目だったらしい。
<叔父や叔母もいない社会というものは人類の歴史に類例がない>。
「一人っ子政策」の中国を、世界中の心理学者や社会学者が貴重な研究対象にしようとしていたとか。ほぼ半世紀後の未来を描く、アーサー・クラークのSF小説『2061年宇宙の旅』の題材にも共通するという。
中国政府が1979年から続けてきた一人っ子政策を廃止ということで、どうやらそれも、作家の想定したようには、ならなくてすむようだ。
昨年、政府と経済界と「官民対話」の議論を受けた安倍首相は、「世界に先駆けた第4次産業革命を実現します。スピード勝負です」と言った。
それは、石炭と蒸気機関の第1次、石油や電気の第2次、情報技術による第3次に続く大変化らしい。
人工知能やビッグデータを活用し、東京五輪ではドライバーのいらない無人自動走行のタクシーを“日常の足”として使えるようにしたい。
数年内には、小型無人飛行機ドローンを使った宅配も実現する、とか。
数年後の構想がイメージ図とともに描かれているらしい。
“女性が輝く”に続き、「1億総活躍」。耳に心地よくても抽象的な言葉を連ねるのがお得意のようだが、“絵に描いた餅”にならぬことを願う。
かつて、京都や石川に“鮴(ごり)押し”という漁法があったそうだ。
2人でむしろを持ち、川底の石をこするように小魚を浅瀬へと追い込む。
汗をかいたぶんだけ、帰りの魚籠は重くなったはず。
額に汗しない強引な未来図には、“無菌抗菌志向”と共通するなにかを感じてならない。
そこからは、“3秒ルール”の「見ぬもの清し」のような、具体的な潔さがまったく見いだせないからだ。
魚種交代は謎の中だろうか
地球の氷の9割は南極にあるという。
大陸を覆う氷床は厚さが平均2450メートルにもなるらしい。
それは、富士山の6合目までが氷に埋まった状態なのだ。
極地研究家でもある神沼克伊さんの著書『地球環境を映す鏡 南極の科学』にあった。
もし全て解けたら、<海面は60~90メートル程度上昇するのではないか>と。
世界の沿岸部が水没してしまう。
しかし、南極の氷は増えているそうだ。
米航空宇宙局(NASA)の研究では、氷床が一部で厚くなっているようだ。
温暖化で南極の水蒸気が増え、降雪量も多くなる。海面の上昇は、むしろ海水の膨張によりもたらされる、との説もある。
降雪量が増えたため、氷床の増加量は毎年1000億トンになるそうだ。
100年前に比べ海面は、平均20センチ上昇しているとも。
全国的にスルメイカの不漁が続き、八戸港では2年連続だという。販売価格も天井知らずの上昇である。数日前のデーリー東北新聞の記事にあった。
「こんなに取れないのは初めて」と、ベテラン漁師は嘆く。
全国一の水揚げで、加工会社も集積する八戸にとっては死活問題だ。
秋の味覚、サンマも深刻な不漁に陥っている、との別記事もあった。
昨年の水揚げ量は約40年間で最低水準だったが、今年はさらに減少する見通しらしい。
日本の近海ではいったい何が起きているのか。
地球規模の変動なのか、それとも海水温の影響なのだろうか。
気象庁発表の指数「PDO」は、日本周辺を含む北太平洋の十数年規模の水温変化をデータ化したものだという。そこに、地球規模の気候変動が捉えられている。
2000年から海水温は温かい時期だったのが、2014年から(海水温が)冷たくなる時期へ転じている。それでもこの先、冷たい時期がこのまま続くかどうか分からないという。海水温とイカ資源の因果関係も明確ではないようだ。
その反面、マイワシ、サバは謎の大漁で冬季群の変調が起きているのだと。
かつて“大衆魚”と呼ばれたのに、一時は全く取れなくなったマイワシの豊漁。
イカ以外の“不気味な変調”ともいわれる。
そして<魚種交代>。八戸の水産関係者の間でささやかれ始めた言葉だという。
何か大きな忘れ物をしたのか
一般家庭にテレビが普及する前は、映画の黄金期であった。
その立役者である黒澤明監督には、数多くのエピソードがある
泥まみれでゴミが散乱する汚い場所の演出。これでいいかと思っても映画に映るときれいに見えてしまう。少なくともその3倍は汚くする必要があったという。
『用心棒』を撮影中に、5人のアメリカ人女性が見学に訪れた。
血まみれの宿場町が舞台のシーンであった。見学の女性たち全員が真っ青になり、1人は気絶しかけたそうだ。体調不良の原因は“におい”であった。
黒澤監督の後日談で、<セットが血だらけで、それににおいつけたんですよ。赤い塗料に重油かなんかまぜてね、いやなにおいがするように。奥方たちが青くなってひっくり返りそうになるわけです>と。
臭いは見えない部分でありカメラには写らない。それでもそこまで神経を使う。
名作はそうして生まれるものなのだろう。
映画の黄金時代はプロ野球の歴史にも重なる。
昭和20年代から30年代にかけては、松竹ロビンス、大映スターズ、東映フライヤーズと、映画会社の保有する球団が勝敗を競った。
球団とは、その時代時代に“旬”の業態を映しだす鏡でもある。
地域経済の王者の鉄道会社が次々と姿を消し、遠洋漁業の水産会社も球場を去った。
価格破壊の申し子であったダイエーも、消費不況のなかで退場した。
インターネット商取引の大手企業「楽天」が、パ・リーグへ新規参入したのは今から12年前のこと。当時、参入を競ったのは「ライブドア」であった。
そして、ダイエーホークスの買収に名乗りを上げたのが「ソフトバンク」であった。
上述の水産会社だった球団も今では「DeNA」の名に変わっている。
ともにIT関連の企業であり、旬のありかを示している。
今の建設現場では、大音量で杭打ち機の音を響かせたりはしないそうだ。
高度成長期の象徴でもあるような“建設の槌音”も、周辺には迷惑以外の何ものでもなかった。
1968年施行の騒音規制法が転機になったという。対策を迫られたのが土木業者たちであった。その結果、現在ではドリル式の杭など、打撃音を伴わない100種以上の工法があるらしい。
杭打ち機がうるさかった時代には、建設現場の技術者は固い地盤に杭が行き着いたかどうか、その音の微妙な変化で判断したという。コンピューターを用いたデータ計測の登場以前の話だ。
横浜の傾いたマンションの問題も、まだ1年前のことである。
複数の担当者による“杭の安定を装うデータ”の使い回しが明るみに出た。
人の耳や足元に伝わる感触までも、この半世紀でデジタルに置き換えられている。
何か大きな忘れ物をしたままで、それが置き去りにされているような気がしてならないのである。
忘れっぽいと逆に入りやすい
ペンギンはフレンドリーな生き物らしい。
観測隊員が南極で作業をしていると、とことこ歩いて近づいてくるという。
人間は同じ二足歩行の動物であり、遠目からは「仲間」に見えるのだとか。
そのペンギンも地球温暖化により種の存続が懸念されている。海水温の上昇が深刻なダメージを与える。
研究チームの調査で、キングペンギンという種を追跡した。海水温の上昇で餌場が移動して、通常300キロの遠泳が600キロに及ぶ年があったそうだ。その直後には生息数が3割以上も減った。過労死が続出したらしい。」
昆虫たちは冬が暖かいと、大変困るようだ。寒さは昆虫の体内で健康な春を迎えるために何らかの変化を起こす。寒さを十分に経験できなかったサナギは卵もあまり産めず、ひ弱なチョウになる。
健全な寒気が来ていることを教える空がある。その筋雲の列を断ち切るかのような飛行機雲をたまに見る。あたかも、(油を燃やし、地球を暖め続ける)身勝手な人間のスケッチのように。
ペンギンが観測隊員を怖がらないのは長く隔絶された大陸に住み、人から迫害を受けた経験に乏しいためとか。
生息場所を人により狭められた熊やイノシシが餌を追い求める姿はペンギンと変わらない。人里を襲うのも、(世代交代で)狩猟の迫害を受けた経験に乏しいためなのは一目瞭然。
<忘れっぽいと逆に警戒心が解け、新しいものが入りやすい。どんどん忘れる方がいい>と書いたのは赤瀬川原平さんである。自然に逆らわず飄々と生きた人のようだ。
東京・四谷をふらっと歩いていて、見つけたのが「四谷階段」だという。
あの『四谷怪談』のしゃれである。
ある建物の側面に、ただ昇って降りるだけの用途不明の階段があった。
<ある意味、何の役に立つのか分からない純粋芸術に似ているではないか>と。
「超芸術トマソン」と称する不思議な建造物発見が、一時期ブームになった。
その輪の中心にいたのが赤瀬川さんだ。
トマソンとは、元大リーガーで巨人の四番打者であった。全くの不発であるにもかかわらず、美しく保存された無用の長物に思えたとか。
路上観察学会で仲間の建築家が、赤瀬川さんの自宅の屋根一面にニラを植えた。
無断で設計したという。
<作り手をしばっては面白くない。しかたないですねえ>。
赤瀬川さんは、頭のなかの自由を心から愛し、楽しんだ人である。
芥川賞作家という肩書さえ、かすんで見えるすばらしい人なのだ。
赤瀬川さんは、個性的な記述で知られる『新明解国語辞典』を親しみを込めて「新解さん」と呼んだ。
その中の【読書】は、赤瀬川さんのエッセイで“すごい”と評された項だ。
人生観を確固不動のものとするため時間の束縛を受けることなく本を読むこと。
寝転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは含まれない。
これだけは譲れない、という読書人の情熱がひしひしと迫る。
人生を決める一冊を真剣に探してみるのもいいかもしれない。
もちろん、<ベッドや電車で簡単に見つかるものではないぞ>と、赤瀬川さんはそうおっしゃるに決まっているが。
拓郎節で若者と化す熟年たち
一昨日、吉田拓郎さんの首都圏ツアーがパシフィコ横浜・国立大ホールで行われた。
今回は、市川市、東京、大宮、東京、横浜。2ヶ月リハーサルして数少ない公演だと、ご本人が笑いながら言っていた。「北は埼玉から南は横浜まで」が今の活動範囲だという。
ライブが終わって家に帰り、奥さんのご飯が食べられるからなのだそうだ。内にこもったおじいさんになりつつあったが、燃えたぎる70歳でやってみたいと思い始めた。そんじょそこらの70歳より元気でやっている、との自負もあるようだ。
既成の作曲家、作詞家による歌謡曲全盛の時代、自分の楽曲を引っさげ新風を吹き込んだ立役者が拓郎さんだ。
<テレビで歌われている歌はインチキ>と若者たちが思い始めるようにもなった。
テレビに出ない拓郎さんと会うには、コンサートに行くしかない。そして、そこでファンとのキャッチボールが行われた。
千秋楽のその日も、リアルタイムの目撃者である団塊世代以上のオニイさん、オネエさんたちが約4700人も大集結。大歓声の中、拓郎さんは23曲を熱唱してくれた。
ディランさんの『風に吹かれて』までご披露いただいた。
70歳を体験して燃えるものが足りないと感じた拓郎さんは、自分を試すように“歌わなくちゃいけない”と思い始めた。
拓郎さんは繊細で神経もすごく使うため、疲労度が高い。それでもそこまで詰めないと良いステージはできないという。リハーサルでも一曲一曲誠心誠意こめて歌う。
命がけでライブをやってみたいと思い始めた。「燃えてみたい 燃えたい」からなのだと。
50歳代から生き方が変わったという。テレビ出演の話があった。が、局からは「あなたひとりでは視聴率がとれない」と言われた。それがキンキキッズとの共演のきっかけになった。
(どこの小僧なんだおまえたち)と思い、付き合い始めて、その若者に賭けてみようと思ったそうだ。
17、8歳とは疎遠になっていたが、彼らからいろんな話題が出てくる。全部勉強になり、毎週会うのが楽しみになる。東京に出てきて以来、2度目のカルチャーショックであり、すばらしい財産になった。
「今でもあのふたりには感謝している」と、最近出演されたテレビ番組で言っていた。
「ボブ・ディランが居たから今日がある。多くの事がそこから始まった」
ボブ・ディランさんにあこがれ、多大な影響を受けた拓郎さん。
一昨日の開演前にも、単独インタビューでディランさんのことに触れていた。
ノーベル文学賞で沈黙を続けている世界のカリスマ歌手に「授賞式はえんび服ではなく、ボブ・ディラン的ファッションで出たら格好いい」とコメントしているのだ。
本日の記事で、ディランさんが受賞を受け入れることを明らかにした、とあったが、一昨日の時点で私はずっと沈黙を続けていくことと思い込んでいた。意外であったが、授賞式出席が実現すれば、拓郎さんの言うように“ボブ・ディラン的ファッション”が見られるかもしれない。うれしい誤算であった。
また、「彼(ディランさん)は心の奥に何かを強く持ってるんだけど、それを生涯、人には明かさないんじゃないか」とも言っていた。さすがに拓郎さんである。
さて、あのコンサートの模様であるが、12月23日午後10時からNHKで放送されるらしい。観る方のためにくわしいことは書かないが、ホンのさわりだけ。
オープニングの『春だったね』から『落陽』を含む連続4曲で、客席は総立ちになり一気にヒートアップ。私たちは席の後ろがちょうど通路だったので、椅子の上に立ちノリノリだった。その後も知っている曲がほとんどで、後半に向かい(広島弁の)『唇をかみしめて』と『流星』が圧巻で、大感激であった。
飄々とした一面に心惹かれ
長年、居酒屋とは縁があり、人並み以上に呑みすぎるわが身としては、店のトイレにもお世話になっている。
年を経て店のスタイルも変貌しているが、いつのまにかトイレの貼り紙が礼を言うようになってきた。
昔の常套句は、“一歩前へ”や“○○こぼすな”であった。どこか命令の響きがあったのが今は「いつもきれいにご利用いただき、ありがとうございます」とお礼口調なのである。
<衝撃を受けた。私に云っているのか。私が「いつもきれいに」おしっこしているところを誰かがみていた?>。
エッセイに記したのは、歌人・穂村弘さんである。その貼り紙との初対面の感想らしい。こういう人が好きである。
たしかに自分以外に知らない秘めたる作法で、事に及ぶ前に礼をいただくのはおかしい。見事に代弁して下さっている。
この方も飄々として楽しい人だった。放送作家をスタートにマルチな活躍をされた青島幸男さんだ。
1974年の参院選全国区に立候補した際、「参議院は良識の府なんだから、声はり上げて頑張ってというスタイルの選挙は違うよね」と言い残し、選挙期間中はヨーロッパ旅行へ出かけた。
“すっぽかし戦術”と言われれたが、全国区3位で当選を果たした。
フランス人画家のポール・ゴーガンは株式の仲買人として勤めながら、趣味で絵筆をとる日曜画家だった。楽園を求め、“月”を追い、南太平洋タヒチ島に移り住んだのは画業に専心して9年目で42歳のときだった。
英国作家サマセット・モームは、その生涯に想を得て『月と六ペンス』を書いた。
“月”は夢と理想、“六ペンス”は現実のイメージだという。
画家という職業を知らなかった島の人々から、ゴーガンは<人間を作る人間>と称された。絵筆を用いて“人間”をつくりだす風変わりな人間と映ったようだ。
生前、名声と無縁であったゴーガンの作品に心惹かれるのは、絵の中で緩やかに流れる時間を眺め、文明社会の忘れ物を思い出すからなのだろうか。
山本周五郎さんの『青べか物語』で、主人公がつぶやく。
「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」。
劇作家・ストリンドベリの著述にある一節だという。
周五郎さん自身も、その言葉を心の支えにしたのかもしれない。
味わい深い周五郎さんの作品に、励まされた経験をもつ読者は多いはずだ。
時空を超えた対話を可能にする書物はタイムマシンに似ている。
米国の作家レイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』は、情報統制で読書が禁じられた近未来が描かれている。
本の印刷も所有も禁止。隠し持っていることがわかれば、家もろとも焼かれ、逮捕される。そのことを、人々は疑問に思わない。
耳に装着する超小型ラジオや、部屋の壁面を覆う巨大テレビから流れる音や画像に没頭し、ものを考えることをやめてしまったからだ・・・と。
ネットの時代、本なんて面倒なものを読まなくても困りはしない。
今の自分もそうなりかけているような気がする。
何とも危なげで心もとないことに気づいていないのかも知れない。
タイムマシンに乗らなければ聞くことのできない言葉もある。
もちろん、飄々とした人間との出会いや対話もできるはずなのだから。
無礼傲慢な××賞の選考委員
今月の初めは若手プレイヤーによるイカしたジャズセッションを聴き、今週は吉田拓郎さんのコンサートへ行く。そして、12月には岡林信康さんの弾き語りライブのチケットもゲットした。拓郎さんは初めてだが、岡林さんとは数十年ぶりの再会になる。
思えばシンガー・ソングライターの歴史で、岡林さんから拓郎さん、そして井上陽水さんへとの流れはおもしろかった。岡林さんと拓郎さんの演奏スタイルはボブ・ディランさんの流れを感じた。それでいてふたりはまったく異質でもある。
陽水さんもハーモニカを肩から下げギター1本で歌っていたが、切ないメロディーとすばらしい歌唱力がひとつになり際立っていた。
その世代の若者たちもそうであるように、ギターを抱え彼らの歌を真似してよく歌った。
感情移入が強かったのは岡林さんだ。
『チューリップのアップリケ』、『手紙』、『流れ者』、『山谷ブルース』・・・。
どれもが懐かしい曲ばかり。
拓郎さんが嫉妬したバンド「はっぴいえんど」を従え、ロックにアレンジした『私たちの望むものは』、『それで自由になったのかい』、『自由への長い旅』、『今日をこえて』もすばらしかった。
「はっぴいえんど」のメンバーは、大瀧詠一さん、松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんである。彼らの、その後の活躍をみれば、とても貴重な音源である。
岡林さんに影響を受けたアーティストには、山下達郎さん、松山千春さん、泉谷しげるさんがいる。
音楽評論家・中村とうようさんが“ディランズ・チルドレン”に掛け「岡林チルドレン」という言葉を使用した。そのことに反論した高田渡さんと激しい論争に発展したのを思い出す。飄々とした高田さんからは想像もできなかった。
日本の“フォークの神様”と祀り上げられ、岡林さんはそのキャッチフレーズに耐えかねて、4年間の農耕生活に入ることになった。そして、拓郎さんが台頭し、陽水さんが大ヒットを飛ばす。
本家本元の“フォークの神様”といえばボブ・ディランさん。
その歌は単なるメッセージソングではなく、さまざまな読み取り方ができ、そこが人をひきつける。政治的に利用されることを嫌い、ディランさん自身は説明をしない。
ディランさんは「ノーベル文学賞」授賞発表後、賞について一切言及していない。
本日の新聞記事によると、沈黙を守るディランさんに対し、選考委員の一人がテレビで「無礼で傲慢だ。こんなことは前例がない」と不快感を示したそうだ。
三ツ星レストランの選考でも、上から目線のようなものを感じて、良い気分ではない。
こちらの賞でも「やっぱりな」という感じである。
ディランさんにとって、そんな賞が必要なのか。そちらの方が問題である。
ディランさんが望んでもいないのに勝手に决め、返事がないと怒る。よほどその言動の方が「無礼で傲慢」そのものである。
ディランさんもそうであるが、岡林さんにも<国家権力や政治家を徹底的に風刺した歌詞>の曲がある。『くそくらえ節』は放送禁止になった曲である。
歌詞の概要は...
ある日学校の先生が生徒の前で説教した。テストで百点取らないと立派な人にはなれまへん。くそくらえったら死んじまえ、くそくらえったら死んじまえ、この世で一番偉いのは電子計算機。
四字熟語が逆さに替わり納得
作家・水上勉さんの小説『飢餓海峡』にあった。
<木蔭で陽当りがわるいから、茸(きのこ)が生えている>。
(本州最北部の貧しい村にある)粗末な家の屋根の描写である。
松茸などがありがたがられる一方で、じめじめした場所に育つ陰の生き物という印象がキノコにはあった。今はもっぱら健康食品のイメージだろうか。
その消費量が経済成長の指標になる、との説もあるらしい。
国民所得が増え、たんぱく質や油脂の多いものに食事が変わる。
そのため生活習慣病が出始め、健康への関心が高まりキノコがよく売れる。
こちらも生活習慣病なのだろうか。今年も政治とカネでしくじる政治家たちが目立った。
国民所得は停滞気味なのに、税金を我が懐へどうやって入れようか、との算段で。
“一罰百戒”とは、一人の罪や過失を罰することで、他の多くの人々が同じような過失や罪を犯さないよう戒めとすること、との意味だという。
四字熟語の言い間違えでは、妙な意味につながることがある。
大蔵省の事務次官だった谷村裕さんの随筆にあった。
省内の会議で、ある幹部が政策を説明して意義を語ったという。
「これこそ“百罰一戒”というものであります」、と。
たしかに、懲りない“百罰一戒”がまかり通るのは政治の世界かもしれない。
「小渕優子経済産業相(当時)に政治資金の疑惑」も、たった2年前のこと。
(ことの成り行きが)尻切れトンボのままなので、もっと昔のような気がしてならない。
2014年10月20日午前、政治資金をめぐる疑惑の件で、安倍首相と会談後、経済産業大臣の辞表を提出。その後、経産省で辞任記者会見を行った。
政治資金の疑惑が浮上していた。観劇。ベビー用品。親類の経営する服飾店への品代。後(のち)の調べでその額は3億円を超えていた、とも。
疑惑の品ぞろえを眺めた印象だけでも、“軽率”や“ずさん”の域を超えて“やりたい放題”に近い。
元総理を父に持ち、これまで政治とカネでしくじる政治家たちの受けた百罰をさんざん見てきただろうに、戒めひとつ汲み取れなかったのだろうか。
自身の事務所の政治資金報告書に「疑念を持った」として、専門家を入れた第三者に調査を依頼する方針を示した。誰もが得心のいくよう、丁寧に説明もすると。
あのときは言っていたが・・・。
江戸川乱歩さんは執筆に行き詰まると、極度の人間嫌いに陥ったという。
世の人間嫌いには、<気配りを絶やさぬ篤実な人物>が実は少なくない。
ある日、尊敬する先輩作家・宇野浩二さんが自宅に訪ねてきた。
乱歩さんは「旅行中」と居留守を使ったが、嘘をついた罪の意識で家に居たたまれず、温泉に出かけて宿から宇野さんに手紙を書いた。
「あなたにお詫びするために、ほんとうに旅をしています」と。
不正発覚後の議員さんたちも、急に“極度の人間嫌い”になるようであるが、乱歩さんのような誠意をみせることはできないものであろうか。
チャンネルをまだ回してた頃
“消える魔球”は本当にあるという。
遠近両用の眼鏡をかけてキャッチボールをすると、機能の異なる二つのレンズの境に球がさしかかったとき、消えて見えるらしい。高齢者野球を取材した新聞記者が書いていた。
『巨人の星』の伴宙太は魔球を捕るのに特訓を要したが、古希を過ぎた人たちが難なく捕球するというのである。長年培ったカンなのか。それも、脳の指令が運動神経に正しく伝わってなせる技だといえる。
『巨人の星』を知らない世代がほとんどかもしれない。
それでもマンガを超えた現実が今起きている。大谷翔平選手である。
日本ハムの4年ぶり7度目の日本シリーズ進出。最後を締めたのは3番・DHでスタメン出場していた大谷翔平投手だ。打者3人に対して15球を投じ、自身が持つ日本プロ野球記録を更新する165キロも3球投げ込んだ。
作家・村上春樹さんが、小説を書く仕事は実に効率が悪い、とエッセイ『職業としての小説家』に記している。
また、<非効率な中にこそ真実・真理が潜んでいる。効率の良いもの、悪いもののどちらが欠けても、世界はいびつになる>とも述べている。
未来の住民たちは“ニュー・スピーク”という、極めて短い言語をあやつる・・・のだと。
ジョージ・オーウェルのSF小説『1984年』にある。
この67年前の作家の予言は、少なくとも日本では的中したようだ。
ヤバッ、ムカッ、むし…。そんな“ニュー・スピーク”が蔓延り、スマホのLINEやパソコンなどを使ったいじめが後を絶たない。
本当に“ムカッ”と感じているのか、本当に“むし”でいいのか。人生がまだ短すぎて、言葉とその使い方を知らないだけだと思いたいが。
テレビでは秋の連続ドラマが続々始まっているが、ヒットの基準は、視聴率が10%を超えるかどうかにまで下がっている。低迷の理由として、ドラマがつまらなくなったのかどうか。テレビに代わる効率の良いものがスマホなどのメディアということか。
<チャンネルをまだ回してたころだつた家族は丸く小さく座つた>(目黒哲朗さん)。
昨年亡くなった八代目橘家円蔵(月の家円鏡)さんの絶頂期の売れっ子ぶりは伝説になっている。
「円鏡です。飛ぶ鳥を落としています」。永六輔さんはそう挨拶されたことがあると書いていた。寄席の高座に上がるや、第一声で笑わせたこともある。「ああ、テレビ局からテレビ局へ忙しくてしょうがない。ここで休ませてもらお」。ギャグのようでいて半分は本音であった。
大相撲のテレビ中継は終戦の8年後、1953年に始まった。
「それからですね、土曜日曜が必ず『満員御礼』になったのは」。昭和の名横綱、初代若乃花の花田勝治さんが述懐していた。それ以前は「よく入ったときで半分そこそこ」だったと。
戦前のラジオ放送開始のときも観客が急増したという。
観戦の疑似体験が実体験への渇望を呼び覚ましたのだろう。
書物や映画でふれた風物を求めて旅に出る人もいる。
そうかと思えばパソコンやスマホを眺めるばかりの者もいる。昔ながらの媒体に比べ、インターネットは実体験に誘(いざな)う働きが強くないのかもしれない。