日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

自分の人生最後の日を想定

 

美食家で知られたフランスの法律家ブリア・サバランさんは、有名な言葉を残している。<どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるか言い当ててみせよう>。

その妹のジョゼフトさんもなかなかの人だったようだ。98歳の時、食事を終えようとして異変に襲われた。

<死にそうだわ…早くデザートを>。
ふつう医者を呼ぶのが先のはず。美食家という舌の持ち主には頭が下がる。

人生最後の日を想定して生きたのはスティーブ・ジョブズさんである。
33年間、鏡に映る自分に(毎朝)問いかけた。

<もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを、私は本当にやりたいだろうか>と。

何日も“違う”との答えが続くと、そろそろ何かを変える必要があるな、と悟る。
新しいことに挑む気概が、独創的な商品を生み出したのだろう。

 

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2007年に発売したスマートフォン、iPhoneの世界販売台数が10億台突破した。
もし、ジョブズさんが自分との問いかけで、“違う”との答えが浮かんでこなければ、大ヒット商品の誕生はなかったはずだ。

2015年、世界のパソコン出荷台数が前年比10.4%減の2億7621万台となり、過去最大の落ち込み幅になった。

3億台を下回ったのは2008年以来だという。タブレット端末や大きな画面のスマートフォンに消費者が移行していることが主な要因なのは、だれの目にも明らかである。

ジョブズさんはウォークマンに感動しiPodを考案した。そのiPodに電話機能をもたせたらどうだろう、と誕生したのがiPhoneである。

 

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パソコンの基本ソフトであるWindows10は、1年間無料のアップグレードを実施した。マイクロソフト社としては異例なことだ。

スマホタブレットとの互換性が売りだったが、“2018年までに10億台”という目標も思うように進んでいない。1万7600円の有償となれば、ますます敬遠するユーザーが増えそうだ。

近年はパソコンの品質が向上し、買い替えの期間が長くなったことも落ち込みの理由だろう。しかし、“予定調和を破るほどの製品”の現れないことこそが大きな問題点であろう。

アップル社にしてもジョブズさんの没後、ワクワクするような製品は見当たらない。
かつてジョブズさんは、米スタンフォード大卒業式のスピーチをこの言葉で締めた。
<ハングリーであれ、愚か者であれ>。

 

深まる夏には「よもやま話」を

 

電車通勤の頃は本を読んだ。本に飽きると、無意識に乗客を眺め、人間観察を楽しんだ。最近はそれも楽しめない。大部分の人たちがスマホとにらめっこをしているからだ。

そばに知らない人たちがいると、その人たちに対して友好的か、もしくは敵対的に振る舞うべきかどうかを知るため、その一人一人を調べにかかるらしい。それは、人間の本能なのだという。

“沽券(こけん)にかかわる”という言葉は、名誉や評判が傷つけられるような場合に使われる。“沽”は売り買いをすること、“券”は証文で、沽券とは土地の売り渡し証文を意味した。

券面には物件の価額が記載されていたことで、人の値打ちや体面にも用いられるようになった。混み合う車内で、他人をじろじろと観察するのは、やはりマナー違反ということなのか。

 

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寄席にお金を持って来てくれる客のことを“きんちゃん”というらしい。噺家の仲間うちにある隠語だという。つまらないことにも大笑いする客は“あまきん”で、反応がにぶいと“せこきん”と呼ぶとか。

どの客にも感謝の気持ちを込めるのだろうが、その道のプロには誇りもある。高座にいながらにしてお客を選別するようだ。

人の腸内に善玉菌と悪玉菌がいるというのはよく知られている。ほかには日和見菌というのもいる。健康な腸では、善玉菌が20%、悪玉菌が10%で、残りの70%は日和見菌なのだ。

善玉菌が優勢だと良い働きをし、悪玉菌が優勢になると、そっちに加担する。人間の社会によく似ている。

 

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戦後の闇市に全国一斉の取り締まりが行われたのは、1946年(昭和21年)の8月1日。70年前のことである。

映画やドラマのセットで最も高くつくのは何か。
演出家・鴨下信一さんによれば、明治の鹿鳴館や江戸の大奥でもないらしい。

<今や闇市ぐらい撮影に金がかかるものはない>のだという。(著書『誰も「戦後」を覚えていない』より)。

魚の皮の革靴や、鉄兜(かぶと)をつぶした鍋。たばこ巻き器などを撮影用に少数つくれば高価だろうと。都内などでは(焼け跡の小さなバーなど)今も名残りはありそうだが、現在の技術と物量でも再現のむずかしい不思議な場所が闇市だという。

語り継がれるウイスキーの名作コピーがあるそうだ。
<恋は、遠い日の花火ではない>である。
1994年に発表されたこの作品には、どこか哀愁も漂う。

購買層として狙う団塊世代への応援歌のつもりだったが、当初スポンサーは、このコピーを強く反対したという。明るさや元気さに欠ける印象を与えたとか。

作者・小野田隆雄さんが、少年時代の思い出として残る夏の風景なのだという。
“魅力的な寂しさ”があったと回想している。

遠い日の花火も、瞬間の芸術であることに変わりはない。時よ止まれ、の願いは叶わない。興奮の余韻にはかなさが混じり合い、帰路につく。夏の花火は今が佳境である。

 

言葉のニュアンスいろいろと

 

「この魚、先週に私が買ったのと比べると活きが悪いわよ」
「そんなことありませんよ。同じですよ。だって同時に仕入れたんですから」。

こういう話が大好きである。魚屋と客の会話である。(相原茂さん著『笑う中国人』より)

本屋さんでの立ち読みは合法かそれとも?
中身を選び買う権利は客にはあるため、書店が禁止しないかぎり違法ではないらしい。

書店が禁止すれば、訴えることはできるのだろうが、今どきそれをやったら客離れを覚悟しないといけない。体験上、本屋さんに行くと、買うつもりのない本をつい買ってしまう。それが素晴らしい出会いであれば、感謝感激である。

デジタルの限界は<欲しいものしか探せない>ということで、とても便利で助けられるが、検索キーワードの達人でないかぎり、本探しの楽しみや遊び心が失われそうだ。

 

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<交費給社保完昇賞有>。かつての求人広告で見られた漢字の羅列であるが、お見事である。“交通費を支給し、社会保険が完備、昇給や賞与もありますよ”と、たった9文字で伝えられるのだから漢字というのはすごい。

もう何年も使っていない言葉に「おみおつけ」がある。説明するまでもないが“味噌汁”のことだ。さて、おみおつけを漢字にするとどうなるのか。ふと疑問に思った。
耳なじみの言葉にどういう字をあてるべきか悩むのも、また漢字の国ならではなのだろう。

どうやら“おみおつけ”は「御味御付」となるらしい。
おみおつけに関する話で、昔の女房ことばで味噌のことを“おみい”と言い、おみいの“おつけ(汁)”なので、おみおつけになった、とのことだ。

 

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“にぎり”と“おにぎり”は別物であるし、“ひや”を頼めば酒がきて“おひや”を頼めば水がくる。「お」の有無でこれだけ変わるのだから日本語は奥が深い。

<『おビール』と言うのが気に入らない。外来語に『お』をつけるな>。
ケチをつけたのは作家・阿川弘之さんである。

文化庁による「国語に関する世論調査」というのがある
4人に3人が“お菓子”と言い、2人に1人が“お酒”と呼ぶらしい。

少数派として登場する“おビール”は1.6%で、“おくつした”(0.9%)などというのもある。さんざん飲み歩いたわが身として、“おビール”は頻繁に耳にしていたが、“おくつした”は訊いた記憶がない。

同調査では“怒り心頭に達する”(正しくは、発する)と使う人が7割超のようだ。
言葉は時代とともに変化していくもののため、「お」のつけすぎ、慣用句の誤用に限らず
ケチをつけることも大事なのだろう。

それにしても、怒り心頭に発する事件が後を絶たない。

 

ヒート・ストロークにはご注意

 

関東地方の梅雨明けが例年より遅いという。
おかげで30度未満の日が続き、とても過ごしやすい。

しかし、この先に炎天下が続くようになると、しっぺ返しの暑さを感じてしまう予感である。
くれぐれも気をつけたいのは“熱中症”である。

なにかで知ったが、熱中症の英訳は“ヒート・ストローク”になるそうだ。
ストロークは発作などを意味するとか。たしかに熱中症で、発作のような症状になるのを見たことがある。

熱中症は<熱に中(あた)る>から来ているともいう。中るが“当たる”といわれるからだ。

<夏バテ防止三大食べ物の日>と呼ばれる記念日もあるらしい。
ウナギを食べる土用の丑(7月29日)は有名だが、残りの2つは天ぷらの日(7月23日)と焼き肉の日(8月29日)だという。

二十四節気大暑の入りに合わせ、魚介のたんぱく質を脂肪と一緒にたくさん摂取し、
猛暑の続く日々を乗り切ろうとの趣旨らしい。

 

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寿司などは季節を問わないのだろうが、暑い夏でも食欲がわく。
イラストレーター・べつやくれいさん著『ばかごはん』では、握り寿司一人前に旗を立てたらの遊び心が紹介されていた。お子様ランチからの発想らしい。

通常、お子様ランチは山の形を模したケチャップご飯の頂上に旗が立っている。
他の色々な食べ物にも旗を立ててみたらどうなるかと思い立ったとか。
居酒屋の枝豆や焼き鳥に旗では見栄えが地味すぎて、お子様ランチにならないが、寿司なら楽しさと華やかさでちょうどよいとのことだ。

以前、消費者物価指数の調査品目から、お子様ランチが外れる見通しとの記事を見たことがある。各家庭が毎月一定程度支出する品目を調査するらしく、少子化の影響で以前ほど食べられなくなったのか。

 

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5年ごとの品目見直しで、親子どんぶりも外れるとあった。逆に、日本そばとしょうが焼き定食が新たな対象に加わるとか。

全体として外食への支出が伸びる中、何を選ぶか。全国にはいろいろなお店があり、お客さんの嗜好の移り変わりが調査しやすいそうだ。

それでも、大人向けのお子様ランチを出す店もあるらしい。
かつて私も、数名の仲間と飲んだ後みんなでお子様ランチを注文して食べたことがある。
郷愁なのか、酔って急に食べたくなり、意見の一致で洋食屋さんに飛び込んだ。

子供向けのメニューであったが、お願いしたら快く作ってくれた。
子どもが少なければ、大人のリクエスト効果で調査品目に再登場する日がぜひ来てもらいたい気持ちである。

また最近も、絶滅が危惧されるニホンウナギのことを書いた記事を見た。
かつては、<一晩の稼ぎが数十万円以上にも。漁師たちは目の色を変えた>と。
鰻のかわりにナマズへと矛先を変える動きもあるらしい。

ふっくらしたかば焼きに目の色を変え、自然を顧みなかった乱獲という罪。
それは“いつまでもあるだろう”と食べ続けてきた私たちの胃袋にもあるだろう。

 

恐るべき効果のポケモンGO

 

ゲーム音痴の私がポケモンGOにトライしてみた。
職場の前にいたポケモンを発見。通勤の往復で、2匹捕えることができた。
良くできたゲームで、多くの人があれほどハマるのがよくわかる。

ポケットモンスターは、ゲームソフトシリーズの名称で、登場する架空の生物の総称だ。モンスターボールに入るとポケットに入るから、ポケモンというらしい。

かつてテレビにつないで遊んだファミコン。今はあれよりもっと高度なゲームがスマホでかんたんにできてしまうとか。

2年前、近所にある公共施設内の娯楽室でおどろいた。そこはバドミントン1コート、卓球台が3台置けるスペースなのだ。競技に興じる若者や子どもたちが集う場所である。

そのとき、部屋の両壁際や隙間に大勢の子どもが、数名ずつで輪になり座り込んでいるのを見た。施設建設の際、児童公園の敷地を半分使用したため、遊びに来る子どもも受け入れる、というルールになっているそうだ。

 

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円座の子どもたちは、みんな無言で携帯ゲーム機に熱中していた。あとで知ったことだが、通信で同じゲームをしていたのである。それを見て、怪しげな宗教集団を連想してしまった。集まる子どもたちは一様に生気がなく、魂が吸い取られているようにも感じた。

子どもや若者に特有な活気があってもいいのに、元気なのはお年寄りばかりだ。
外が晴天でも、わざわざ屋内に集まり無言の電子ゲーム漬けなのである。

“泥だらけ”で遊んだり、夏には真っ黒に日焼けする子どもたちが、そこにはまったく見当たらない。色白で洋服もきれいなままだ。

ここ数ヶ月では、ゲーム機からカードゲームに好みが様変わりしている。
子どもは優先順位がハッキリしているから、遊びも均一化しているのだろうか。
それでも、屋内にたむろする姿は以前のままだ。

 

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モノのない時代に生まれた子どもが戦後のタイミングで大勢できた。
だから、モノを作れば作るほど流通したし、洋食も食されるようになった。
さんざんありがたがられたモノや食品も、いつしか手の届く所に置かれている。

少子化で生まれてきた子どもたちは、モノにも食べ物にも不感症で、バーチャルな空間へ自らのこころを置き始める。

活字世代からの移行で、ゲームやコンピュータなどデジタル育ちの子どもは、青春時代なしで大人になる、という説もある。子どもと大人の境い目がかなり曖昧なのらしい。

ポケモンGO配信後1日目の昨日のことであった。

例の娯楽室に毎日60~70人もが集まり、カードゲームに熱中していた子どもたちが、ひとりもいなかったのだ。

外で、スマホを見ながらウロウロしている学生や大人を、何人か見かけた。
法事でお世話になる住職さんのお寺の境内では、子どもたちでごった返していたという。

良いのか悪いのかはわからぬが、絶対に外へ出なかった(近所の)子どもたちまで、外で遊び始めたらしいのである。

 

おカネにまつわるエトセトラ

 

妻の“へそくり”はなんと、夫の2倍強になるのだという。

夫婦合わせたへそくりの平均額は92万9601円。妻が126万8446円で、夫は58万9058円。昨秋、生命保険会社が行ったアンケート結果なので、今はその差がもっと開いているかも知れない。

また、身に着けないまま(家庭の宝石箱などにしまわれている)貴金属の宝飾品が約2億6700万個もあり、総額3兆円弱にも上るとの推計がある。こちらは、本年2月のインターネットによるアンケート調査結果だ。

20~60歳代の女性500人を対象に行い、300人が「使っていない金や銀、プラチナの宝飾品がある」と回答。

ある貴金属工業での見解では、換金しやすい金の宝飾品を売却すれば、外食や旅行などで約3500億円分の消費を生み出せるとしている。

 

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“価格.com”による、2016年の「夏のボーナス」に関するアンケート調査では、支給額の平均が60.9万円で、使い途のトップは“貯金”だという。昨年から0.7万円減少で、ほぼ横ばいながら20代を除き全体で支給額が減少傾向のようだ。

(少し前に観た)テレビのニュース番組でのアンケート結果では、最高のボーナス額が支給されると強調していた記憶がある。しかし、ボーナスの支給されない企業が42%であり集計の対象外であった。

“価格.com”の調査結果でも、支給されない人が4割を超える。
調査対象を正社員に限定せず、アルバイト、パート、無職などの人も含まれるため、との推測であるようだ。

数ヶ月前の参院予算委員会では、「子供の未来応援基金」をめぐり蓮舫議員が、費用対効果の悪さを指摘していた。

2億円以上の税金を遣い呼びかけているのに、集まった寄付は2千万円弱だった。
<2億円を基金に入れれば良かった>のでは、との訴えだ。

政府はポスターの制作やフォーラム開催、インターネット広報関連などで約2億円遣ったとの弁明であったが。

 

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号泣議員の記者会見から2年。全国で政活費乱用の実態が明らかになっている。

日本最大の地方議会・東京都議会は現在、都知事選の真っ最中で、連日の報道も熱さを増している。

都議の報酬は月額102万円、ボーナスを含めた年収は1706万3462円(27年度)だという。議会に出席すると、1日1万~1万2千円の“日当”も支給される。政活費も全国一の1人当たり月60万円だそうだ。

前都知事のみならず、使途にも疑問符が付く。
意見交換名目の“会費”の大半を新年会費に回し、1日に6件ハシゴしたり、“会議費”名目で高級すきやき店の弁当代を支払ったりと。

26年度決算では、報酬や政活費など127人の都議の“人件費”や、支える議会局職員約150人分の給与も含め、都議会維持の費用総額は計56億円になるとか。

世界最高レベルの報酬を受け取り、それでもおカネの足りないような行動があとを絶たない。いったいこの国、都市には、どれだけおカネが必要なのだろうか。

 

見も知らぬ恩人と運の貯金

 

フーテンの寅こと車寅次郎は実に惚れっぽい。そして最後はフラれるのだ。映画『男はつらいよ』の目玉は、毎回登場のマドンナである。

数々の恋愛の中では、何度か受けいられるも自ら身を引く始末。
もっとも寅さんの恋が成就したら、名作が48本も続くことはなかった。

マドンナにフッてもらい、シリーズのロングヒットが成り立った。
寅さんをフッてくれたマドンナたちが、あの映画にとっての恩人なのかもしれない。

人には誰しも、顔や名前を知らない“恩人”がいて、今を生きられているらしい。

<今までに、私をフッてくれた人たち、ありがとう。おかげでこの息子に会えました>。
以前、日本一短い手紙のコンクール“一筆啓上賞”の優秀作に選ばれた一編だ。その作者は愛知県の女性であった。

息子さんからみれば、この世に自分の命があるのは、独身時代のお母さんをフッてくれた男性たちのおかげともいえそうだ。

 

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作家・色川武大さんによると、“運”の貯金なるものがあるらしい。
人は営々と運を貯金しているのかも知れないと、随筆に書いていた。

賭け事の大家とも評された色川さんだからこそ、運と不運をみつめるまなざしには独特なものがある。

<不運な人とは実は運を貯金している人>であり、生涯ためるばかりで貯金をおろせない場合が多いらしい。親から子、子から孫へと、運の口座が引き継がれていくうちに、貯金をおろす幸運な末裔が現れるのだそうだ。

わりに合わないけれども、我々は3代か5代後の子孫のために、こつこつと運を貯めこむことになる。不運も貯金と聞けば、いくらかの救いがあるかもしれない。

 

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名前も顔も知らぬ恩人となれば、遠い祖先もそうだろう。父母、祖父母がいて、そのまた父母がいて・・・と、何百年、何千年をさかのぼるなかの一人が欠けても、自分はこの世に存在しない。

また、“フッてくれた”誰かみたいに、(血縁のない)外野席の恩人もいる。そう考えると、今を生きているそれぞれの命が、奇蹟の産物なのである。

かけがえのない大切な命が、あまりにもむごたらしく失われている現実。被害者の方々には、“運”の貯金のチャンスさえ与えられていないのだろうか。言葉もなく、ただただ、こころが痛む。

 

 

粋でモダンな池波正太郎さん

 

池波正太郎さんが亡くなり四半世紀が過ぎた。
生まれ育ったのは、江戸の風情豊かな下町であった。
職人だった祖父は孫をかわいがり、浅草や歌舞伎見物などによく連れ出した。

小学校を卒業した池波さんは、家の事情で奉公に出た。
奉公先を移り変わり、株式の仲買店に入った。

同店でのチップや小遣い銭で相場に手を出し、月給を上回る収入を得た。池波さんは映画、観劇、読書、食べ歩きを楽しみ、吉原で遊蕩にふけることもあった。

1946年には、東京都職員となりDDTを撒布してまわることもした。
その3年後には、長谷川伸さんに劇作を師事し、『名寄岩』(1955年)が上演され、自ら演出も行った。

都職員を退職後には、作品を次々と上演する一方、『大衆文芸』誌に小説を寄せ続けた。そして、『恩田木工(真田騒動)』により、時代小説を執筆活動の中心に据えるようになる。1960年に、『錯乱』で直木賞を受賞した。

 

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池波さんがブレークするきっかけは、1968年に連載開始の『鬼平犯科帳』である。無頼の青春を経て、“鬼”と呼ばれる怖さと優しさをあわせ持つ平蔵の魅力。それまでの捕物帳と異なり、盗賊側のドラマもしっかり描かれた。

ストーリーテリングと人物造形の上手さに加え、食べ物の描写が際立つ。作中の生活が人物に血を通わせ、江戸に命を吹き込んだ。

池波さんは、『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『仕掛人藤枝梅安』、『真田太平記』など、戦国と江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表するが、美食家や映画評論家としても著名になった。

また、フランス映画を愛し、お気に入りの映画俳優は、ジャン・ギャバンだった。深夜の執筆中では、シャンソン、(ルイ・アームストロングなどの)ジャズを、ウォークマンで聴いていた。

江戸から続く下町庶民の生活感覚と戦前のモダニズムが、池波さんの中でうまく混ざり合い、その感性は作品にも生きていたようだ。

 

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江戸の闇社会を描く『仕掛人藤枝梅安』には、池波さんご愛好のフィルム・ノワールの香りがあるという。作品が古びない要因は、そういうところにもありそうだ。

亡くなる3年前の小説『原っぱ』は、当時の東京が舞台となる。
池波さんとおぼしき老劇作家の旧友が、地上げに耐えかねて生まれ育った下町を去る。<東京なんて、もう無いのも同然だよ>と。

時代小説3大シリーズが始まった1960~70年代には、高速道路やビルが次々と建ち並び、東京を全く違う都市に変貌しつつあった。

子どもの頃に残っていた<習慣や風俗、風景を“自分の江戸”と信じ>書いていると池波さんは語った。現在と過去がなめらかに結ばれた江戸は、記憶と思い出が作り上げた街なのだ。

池波さんの随筆『男の作法』で教わったことがある。「粋」を大げさに構えず、タクシーに乗った時、お釣りをもらわないだけでも自分が変わるから・・と。
ずっと実践して、ホンの小銭でも大声でお礼を言われ恐縮している。

 

粋にもてなす日本人のお家芸

 

歳を重ねる度に知らないことが増えていく。

「少し刺し身を切りますか?」、「握りがいい。つけてくれ」。
すると職人はおもむろに鮨を握り始める。

作家・早川光さんのコラムにあった。
30数年前、早川さんが入った東京下町の鮨(すし)屋での会話である。

職人と常連客との会話で早川さんは悟った。
鮨屋では“握る”ことを“つける”というのか。

若き日の早川さんには、その言葉の響きが“粋”に感じられた。

“つける”という言葉は、江戸前鮨の原形である“なれずし”が魚と飯を桶に“漬けて”作ることに由来している。本来、鮨は握るものではなく、つけるものだったのだ。

<紙クズはもう一泊します>。
こちらは、ある月刊誌での帝国ホテルの広告だという。

チェックアウトの宿泊客が、部屋のごみ箱に大事なメモを捨ててしまった場合の対応で、一昼夜、ごみを別室で預かるという。客の身になった実に粋なサービスである。

  

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1970年、大阪万博に出展した企業は最初、万博を見本市程度に考えていたようだ。
その3年前のカナダの万博では、国産車が日本館に並び<宣伝臭が強い>とのひんしゅくを買ったらしい。

昨年のイタリア・ミラノ万博では、その昔がうそのように日本館が好評だった。
日本館のスタッフ談では、ふだんから1時間待ちの列ができ、目を引くパビリオンの来場者投票で1位になった。

万博を見て訪ねたくなった国の順位も、日本はトップだったそうだ。
テーマが“食”ということもあり、日本各地の名物が続々と館内でふるまわれた。
草加煎餅、山口県のフグ、松阪牛などである。

まるで物産展のようだが、現地紙は、日本館の魅力に手厚いもてなしを挙げたという。
相手を(自分より)大切にする精神は他国にまさる・・・ものだとも。

  

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日本をPRするという目的は同じでも、今は売ることだけを前面に出した時代とは違う。日本人は成熟したが、それを誇りに思いつつ、脇目もふらず突き進んだあの活力が懐かしくもある。

職人が鮨を握るカウンターの内側を“つけ場”と呼ぶのは、鮨を“つける”場所がそこだからである。しかし、若い鮨職人の多くはそれを知らないようだ。

流行りの鮨屋で<つけてくれ>と言っても、勘定のことだと誤解されるのがオチかもしれない。鮨屋のレストラン化が進み、コースのように提供する店も増えているが、そうしたところではカウンターの内側がつけ場ではなく厨房なのだろう。

漢字の本家といえば中国だが、和製の文字もある。それを国字という。
よく使う国字の中に<粋>があるそうだ。本家にも同じ意味をもつ別の字はあろうが、やはり日本の“粋”には心惹かれるなにかがあると思う。

 

名前に宿るふしぎな魂と心

 

江戸から明治に移ると、人々は以前ほど泣かなくなった。
柳田国男さんの説である。

教育の普及で、人々は感情を言葉で伝える技術を磨き、涙という“身体言語”の出番が減ったそうだ。とはいえ、“身体言語”のDNAはかんたんに消せず、なにかの拍子に現れることもある。

前評判の高いクラシックコンサートが外れた。
ある巨匠が来日し、高額の出演料なのに演奏の出来は悪かったという。
それでも客席からは、ブラボーの声が鳴り響く。

ひとりだけ<ベラボー、ドロボー>と叫んだ人がいた。
作家・三浦朱門さんの知人であった。
そのことを三浦さんがエッセイに書いていた。

<仏(ほとけ)作って魂入れず>。
すばらしい仏像を作っても、作った者が魂を入れなければ、単なる木や石と同じである。それが欠けたら、作った努力もむだになる。

 

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古代では、女性に名前を問うことは求婚を意味したらしい。

名前にはその人の魂がこもり、名乗ることは魂を相手に渡すことになり、結婚を受け入れることになるからだという。

また、名前には不思議な力が宿る。
作家・三島由紀夫さんの本名は平岡公威(きみたけ)さんである。

若々しいペンネームに比べ、本名はとても荘重である。
もし、本名で作品を書いていたら、あの若さで亡くなることがなかったのでは、との見解もあるようだ。

人生を、名前で大きく左右されたり、あるいは呪縛される。そこまでいかなくとも、なんらかの影響は受けるかも知れない。

 

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昭和の時代は“子”のつく名の女子が多かった。
名前の方も、時代の影響を被らざるをえない。

名づけには、子どもの幸せを願う親の愛が映るといわれる。
女の子の場合には、耳に心地よい“音”を大切にする傾向があるそうだ。

若い世代の女性の名前によく使われている音は「ゆみなまりあ」の六つ。
それを複数組み合わせ、“りな”、“まゆ”などと読む名前が多いらしい。
(飯田朝子さん著『ネーミングがモノを言う』より)

批評家・小林秀雄さんいわく、<他人と間違えられないために、が命名の根本条件>なのだ。世の中にたった一つという個性の追求は今も変わらない。。

試しに自分の名前をFacebookで検索してみたところ、私と同姓同名で漢字もまったく同じ人が8人も出てきた。姓名ともポピュラーではないはずなのに、たった一つという個性は、もろくも崩れ去ったのである。