日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

原人の登場は最後の2センチ

 

冬の噺(はなし)に、古典落語の名作が多いという。
その代表格としては、『芝浜』や『富久』か。

財布を拾ったり、富くじに当たる。
ほんの偶然から大金を手に入れるなど、ツイている人物が落語には登場する。

立川談春さんによると、「改心して、努力して、必死に懸命に生きた結果、つかんだささやかな幸せ、なんていう話は、ただの一つもない」ようだ。

現実では、なかなか財布も拾わず、宝くじの大当たりとはいかない。
絵空事だと分かっていても、つらい真実よりも優しい嘘が慰めになるのかもしれない。

 

1745

 

脚本家・倉本聡さんは「ナスの呪い揚げ」を食べるとか。随筆『愚者の旅』に書かれていた。それは、自作のドラマを批評家から(理にかなわず)酷評されたときの儀式のようだ。

ヘタを取り、刻み目を入れる。そして、批評家の名前を唱えながら、(先のとがった)割り箸でくし刺しにする。油の煮立つ鍋で揚げ、ショウガ醤油で食べる。
その食物は、心によく効くらしい。

誰の心にも相性の悪い相手がいる。やけ酒、このような特異な料理も、感情の清算をつけるために人が作り上げた知恵だろう。

大人になるということは、この“知恵の引き出し”をいくつも用意することなのだろうか。

 

1746

 

先週末、時間調整で横浜の港を散歩した。
気温も下がっていたので真冬の格好をしていたら、大汗をかいた。
電車の中も暖房が効きすぎて、上着を脱いだが暑かった。

<暖冬よ ちらちらちらちら蝶(ちょう)とんだ>。
コピーライター・土屋耕一さんによる回文だ。
上から読んでも下から読んでも同じ綴りになる文句である。

温室効果で悪玉のようにいわれる二酸化炭素
しかし、二酸化炭素がもし無ければたいへんなことになるようだ。
地球の平均気温が15度くらいの場合、零下18度ほどになってしまうという。

微妙な自然のバランスの中で、多くの生命と人間の文明も栄えてきた。
バランスが狂いだしたのは産業革命からという。化石燃料の消費が急激に増えた。

先進国はこれまで二酸化炭素を出して繁栄してきた。
途上国はその責任を指摘しつつも、これからの発展を前に歯止めをかけられては困る、と消極的だった。

1億年を1メートルとして、地球の歴史46メートルの中では、原人の登場が最後の2センチ。近代の歴史はミリにも満たないそうだ。

人生、現実は良いことばかりではないし、“知恵の引き出し”を駆使しなければ渡り歩けないこともある。その中で、いくつもの感情や喜怒哀楽を授受している。
それも地球があればこそだ。

文明が引き起こした気候変動は、人間が解決するほかに術はない。
ミリにも満たない存在で、(地球や他の生きものにとっての)疫病神でありたくはない。