日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

天から授かる芸の表現者たち

 

水生の無脊椎動物であるクマムシは地球上で最もたくましい動物だという。
非常に強い耐久性を持つことから、チョウメイムシ(長命虫)とも言われたそうだ。

昆虫ではなく、緩歩動物門に分類され、体長は0.1ミリから1ミリ程度。
4対の足で歩く。クマの歩みのようにも見える。その動きや体形で愛嬌が感じられる。

凍結や乾燥といった極限状況では、体内の水分を3%くらいに減らして過酷な環境に耐える。代謝がほぼない状態で生を保つとされる生き物なのだ。

真空でも生き延びられる唯一の動物であり、高圧、放射線にも強い。そして、100度の高温でもマイナス273度でも大丈夫だとのこと。

厳しい条件の下で「乾眠」、「凍眠」などと呼ばれる仮死状態となり、体が縮んで“樽”のような形になるらしい。

昨年、国立極地研究所の発表では、30年以上冷凍保存されていたクマムシが解凍されて復活し、繁殖にも成功した。通常の寿命は数十日間程度というから、「樽」の耐久性は驚異だ。

 

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人間も負けてはいられない。すごい生命力の人がいる。将棋の加藤一二三 九段である。
1954年に最年少14歳でプロデビューし、18歳でA級八段に昇級、「神武以来の天才」と呼ばれた。

加藤九段は今月19日、引退が確実になったばかりであったが、その翌日の対局では、「史上最年長勝利」の記録を77歳0か月で更新した。

<天職(天から授かった職業)を全う>という言葉がある。加藤九段にとって、全うという気持ちがあるのだろうか。この先、もっともっと極めていくような気迫を感じてならない。

だれにも寿命はある。一生をかけて天職に磨きをかける人たちも多いはずだ。
晩年の黒澤明監督は、「一生という時間があまりにも短い。3人分の人生がほしい」と発言していた。

歌舞伎役者・18代 中村勘三郎さんは2012年12月に57歳で亡くなられた。ご本人もファンの方たちも、その先の“芸の磨き”の目撃が楽しみでたまらなかったはずだ。

思えば、3代目 古今亭志ん朝さんの早世も悔やまれる。
2001年10月に63歳で亡くなられた。

勘三郎さんは同世代で、テレビの子役時代からその成長過程をリアルタイムで知ることができたが、志ん朝さんはテレビ創生期の売れっ子タレントとのイメージが強かった。
志ん朝さんの落語のすばらしさを知るようになったのは、亡くなられたあとからだった。

 

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古今亭志ん朝の高座に初めてふれたとき、度肝を抜かれた」という。
(5代目古今亭志ん生さんの次男である)志ん朝さんが朝太(ちょうた)を名乗り、くりくり坊主姿で高座についた19歳の春のことである。

<すでに一丁前の落語家の風情がそなわり、臆するところのない高座態度に目をみはった>。演芸・演劇評論家の矢野誠一さんはコラムにそう記した。

二つ目になってすぐ、上野本牧亭で2か月に一度の勉強会「古今亭朝太の会」を開いた。若手の分際で異例のことだったが、毎回超満員の客を集めたこの会で、次々に大ネタを披露。

62年3月に志ん朝を襲名。入門5年という記録的なスピードで真打に昇進した。
同業者からの評価も非常に高く、8代目桂文楽鶴さんの一声によるものともいわれた。

このときはすでにNHK「若い季節」のほかテレビが5本、ラジオ3本のレギュラー番組を持ち、落語家としては初めて高級外車を乗り回したり、豪邸を建てたりした。

後にはタレント的な活動をセーブして本業の落語家としての活動に注力。独演会のチケットはすぐに完売するほどの人気であり、古典芸能の住吉踊りを復興させた。

7代目立川談志さん、5代目三遊亭円楽さん、5代目春風亭柳朝さんと共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と称された。

古今亭志ん朝さんの晩年に7代目立川談志さんは、「金を払って聞く価値のあるのは志ん朝だけ」と語っている。立川談志さんとの若手時代からのライバル関係は有名であり、志ん朝さんに真打昇進を追い越されたことで、談志さんが奮起するきっかけになった。

もし、志ん朝さんがご存命であれば、桂歌丸さんや林家木久扇さんと同年代だ。
どんな噺を聴かせてもらえるのだろうか。叶わぬ夢を馳せるだけである。