日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

独断と偏見そして天邪鬼な人

 

<なにかいいことない?>。そんな気持ちで人と話したり、本を読んだり、メディアを通じて情報を得ている。かつて、どういう形からも得られることは多かったが、今はわかりきった会話が空回りしているようだ。

どれもこれも、“Yahoo!やGunosyのトップ記事”で仕入れたような内容ばかりなのである。それもそのはず、スマホなどのインターネット端末やデバイスが氾濫しているのだから。そして、そこに書かれた記事を鵜呑みにして“したり顔”。これでは世間話がつまらない。

同じ記事の内容でも、斜に構えて人と違った視線を持つ人の話はおもしろい。そこへ独断と偏見が介入したらもっとおもしろくなる。もちろん、自分の意見を人に押し付けるのではなく、「こういう見かたや考え方もありますよ」という感覚でかまわない。
そして、そこへ説得力を持たせたら、創作においてもすごいテーマに化けるかもしれない。

 

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人の腸内にいる善玉菌と悪玉菌。ほかに“日和見菌”もいるという。
健康な腸では、善玉菌20%、悪玉菌が10%で、残りの70%は日和見菌なのだそうだ。日和見菌というヤツは、善玉菌が優勢だと良い働きをし、悪玉菌が優勢になると、そちらへ加担する。なんだか他人のような気がしなくなってくる。

独断と偏見があるといえば、やはり善玉菌と悪玉菌なのであろう。自分にとっての“おもしろい情報”も、<清濁併せ呑む>このような30%に着目していきたいものである。

年をとると人間は丸くなれるらしい。裏を返せば、<若さの特権は頑固である>ということなのかもしれない。元来人間は若い時に頑固だった、と解釈すれば、物わかりのいい若者にならないための訓練も必要だろう。独断力、偏見力を養うには絶好の時期なのだから。

 

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なにかで訊いたことがある。頑固な若者が歳をとり、柔らか頭になるのが理想なのだと。経験脳の左脳は、若いうちに選択余地が少ないため、猪突猛進も可能である。そこを利用しない手はない。年をとると若い時の独断と偏見がすごく活きてくる。それがない若者が年をとるとワシも族、お前も族にもなりかねない。

人類学者・香原志勢(ゆきなり)さんは、地球上に生まれては死んでいった人類の総数は、
1120億人と『人類生物学入門』に記した。過去200万年の“累積人口”の試算だという。
1120億分の1の自分が、1120億分の1の誰かに出会う。まるで、奇跡のような確率である。若きも老いも、同時代に生きていることさえ、気の遠くなるような思いである。

少子化といわれる現在、子どもができにくい時代の流れみたいなものがあるのかもしれない。戦後まもなくの団塊世代は“戦後のベビーブーム”とよく言われるが、物資の乏しい時代で、子どもを産んで育てることは今よりはるかに過酷だったはず。

<男女とも激しく愛し合った結果であれだけ産まれた>という判断のほうが正しいのかもしれぬが。

 

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人間が平均寿命を延ばしたのは100年前のことだそうだ。そのときまで平均寿命は50を超えられなかったという。長寿になっても、創造的人生の持ち時間は10年だという説もあるらしい。

不安は人生を彩るちょっとしたスパイスで、<短所とは魅力の別名>なのだという。
白熱電球、蓄音機などを実用化した米国の発明王トーマス・エジソンは、かなりの「楽観主義者」だったという。

1879年、白熱電球を発明する際、試作は1万回にも及んだが、<失敗したのではない。うまく行かない方法を1万通り見つけたんだ>と語った。

政治の世界での楽観主義者は、英国の宰相チャーチルである。第2次世界大戦でナチス・ドイツに攻め込まれながらも、国民を鼓舞しつづけ最後は英国を勝利に導いた。

「悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす」との名言も残っている。

 

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吉田茂さんが東久邇内閣・外相の頃、陳情のためGHQ(連合国軍総司令部)へ出向いた。政府の統計数字をもとに、数百万トンの食料を緊急に輸入してもらわないと、この冬に餓死者が続出する、と必死に訴えた。

春になったが、餓死者などは出ない。
マッカーサーは吉田さんに、数字がデタラメだ、と怒った。

吉田さんはアッケラカンと、<わが国の統計がそんなに正確なら、あんな戦争は始めてませんし、始めたとしても負けていませんよ>と応えたという。

気むずかし屋で有名な作家・舟橋聖一さんは編集者にも恐れられたという。
講談社『群像』の当時編集長・大久保房男さんに、ある日 舟橋さんから電話が入った。

「用事があるので、大久保君、あした午後うちへ来てくれたまえ」。
大久保編集長は憮然として、
「私のほうには別段用事なんかありませんが」との返事。

作家・佐多稲子さんは大久保さんと街でばったり出くわすや、“すみません”と謝った。
謝る理由は何もなく、顔を見ての条件反射であったという。
てにをは一つにも厳しく注文をつけ、「鬼の大久保」と呼ばれた伝説の編集者なのだという。(阿川弘之さん著『エレガントな象』より)

 

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