日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

それぞれの表情

無意識の中でなにかを感じているということがよくある。右脳で反応をしているが、左脳での言語化が追いつかないようなものなのであろうか。なにげなくカメラを向けてシャッターを押す時、それが顕著に現れる。意図的なものはあるとしても、なぜこれを撮りたくなったのか。理屈などはいらないが、自分が感じている「なにか」を知りたくなった。たとえば、このエントリにアップしている写真を見てみると、自分の中で共通するものがあることに気付いた。

 

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ネコ、神社、草、鐘、鴨、鯉、花、寺、石像、木、トンボ。これらのすべてに、自分が表情を感じているということである。考えてみると、ふだんは気が付かないが、空・海・山もそうであるし、身のまわりのすべてに表情があふれているようだ。

 

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「表情」の意味は、感情や情緒を顔つきや身振りに表すこと、ということになるようであるが、情が表れると解釈してみるとおもしろい。それぞれの「表れる情」に自分は惹かれているということになる。

 

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たくさんの表情と出会えるには、舞台(場所)と演出(季節)も必要になってくる。今、ここにいて、この時期だから出会える、ということがよくある。やはり一期一会なのであろう。

 

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ちなみに、「一期一会」 の意味は、一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること、と考えて、そのことに専念する。となるのであろうが、私の解釈では、ふだんの(あたりまえのことの)中にこそ、気が付かない一期一会がたくさん含まれていると感じている。

仕事で多くのお宅を訪問しているが、ご夫婦ふたりきりやおひとりでひっそりと過ごされている方たちが増えている。かつて、たくさんの家族が集まりにぎやかに暮らしていたが、おじいちゃん、おばあちゃんが他界され、お子さんたちが独立されていなくなったりと。

かつてのにぎやかさも、ついこの間のように感じている。これも一期一会であろう。人間も含めて、たくさんの表情との一期一会を、せめても写真に収めていけたらいいなと思っている。