日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

深見神社と金毘羅神社

先週、大和市(神奈川県)での用事の合間に立ち寄ってみたふたつの神社である。ふだんは車でしか通らないところも、歩きながらでは視点がちがってくる。

 

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まずは深見神社から。(私のブログ)2013-08-24『東プロムナードと佛導寺』で紹介した佛導寺のすぐ隣の神社である。三つの鳥居をくぐると、私にとってお馴染みの深見神社が見えてくる。

初詣など川崎大師が定番であったが、所帯を持ってからここに決まった。家から近いのと、元旦でも車で行けてしまうからだ。元旦の昼間にはお神酒をふるまってくれる、というのもうれしい。そういうときは、即、うちの奥さんに車のキーを渡す。ちなみにふたりの息子の七五三もこちらでお願いした。

 

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深見神社は、江戸時代の『新編相模国風土記稿』では「鹿島社」と記されており、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載された相模国延喜式内社十三社のうちの一社(小社)とのこと。境内には御倉稲荷神社と靖國社(厚木空神社)も並んで見える。

 

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御倉稲荷神社。倉稲魂神(ウカノミタマ)が祀られている。平成24年までは、現在本殿の祭神である闇龗神(クラオカミ)も祀られていた。

 

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靖國社(厚木空神社)。厚木海軍飛行場の敷地内で昭和19年11月に「厚木空神社」として創祀され、厚木航空隊(第三〇二海軍航空隊)の戦死者を祀っていたが、終戦後に廃祀(取除き)が命じられると昭和26年4月7日、深見集落の戦没者を合祀して当社地に転社された。

 

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次に訪れたのは、小田急江ノ島線で、大和駅から(江ノ島方面へ)ひとつめの桜ヶ丘駅下車1分、のところにある金毘羅神社である。この近くは車で何度も通っているが、神社があるということにまったく気が付いていなかった。駅を降りて歩いて、狭い通りの並びにそれらしきものを発見しても、まさか神社などあるはずない、と思い込んでいた。何度目かで直接確認してみようと行ってみたら、そこに神社があった。

 

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金毘羅神社は、桜株へ最初に移り住んだ「宮久保三人衆」と呼ばれた人々が明治20年に勧請したと伝えられている神社。現在の社殿は昭和16年に建てられものである。屋根は当初、茅葺であったが、その後、銅板に葺き替えられた。

 

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祭神は金山彦命(かなやまびこのみこと)、神輿は須左之命(すさのおのみこと)をご神体にしている。例大祭は7月14日であったが、近年はこの日に近い土・日曜日に行われているとのこと。

 

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そういえば、先月半ばにこの付近へ車を停車していたら、法被姿の男性がたくさんいるのを見た。まだ、金毘羅神社の存在を知る前だったので、いったいどこのお祭りなのだろう?と不思議に思っていたところであった。