日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

「遊び心」にこそ説得力がある

 

<“恐れないのが詩人”で“恐れるのが哲人”>なのだと、夏目漱石さんは『虞美人草』で述べている。

先が見えないくらい強い感覚にかき立てられる詩作に比べ、哲人は結果を先に考え取り越し苦労ばかりするのだと。なかなか言い得て妙である。

格言やことわざのパロディーも楽しい。

<妻を憎んで人妻を憎まず>(罪を憎んで人を憎まず)、<敵は本能にあり>(敵は本能寺にあり)などと。

今の時代では、<一寸の無心にも五分の騙し>(一寸の虫にも五分の魂)が合いそうだ。
世の機微をとらえて味わい深いものばかりである。

 

1825

 

一昨年、秋元康さんがテレビでおもしろいことを語っておられた。
作詞において秋元さんが心掛けているのは、香具師(やし)の「ヘビは飛ぶよ」という言葉なのだという。

それは、道行く人を一言で足止めして、箱に注目を集める手法とのこと。
それが、楽曲タイトルのインパクトを重視する考えに通じているのだという。

「ヘビは飛ぶよ」と言いながら、箱ごと飛ばして中のヘビが一瞬だけ空中に舞う、というのがそのカラクリだ。

テレビとの関わりが深い秋元さんは、この“香具師の箱”が今のテレビにも求められているのでは? と語った。

昔は超能力もあり円盤も見られた。
そういうものがいつもテレビにはあったのに、いつしか消え失せた。

見せるときの責任を問われるようになり、今は「責任を問われるのなら出さない」という風潮になってきているのだという。

 

1826

 

4K、8Kなど、技術がどんなに進歩しても、<何が映っていて、そこに観たいものがあるのか>というコンテンツの力が重要なのだ、と秋元さんは説く。

アナログテレビの頃のように、<録画よりも早く観たくなるような>番組の再来に期待がもたれるのである。

ところが、テレビそのものの本質は変わりつつあるようだ。
視聴者がテレビで見た番組の履歴が、どんどん外へ送信されていくという。

そのデータは、視聴履歴から予想したオススメ番組を表示する程度らしいが、将来は広告にも利用されそうなのだ。また、ビッグデータとしての利用価値も十分であろう。

テレビ視聴履歴は、テレビメーカーにとって「お金のなる木」であり、ネットにつながるスマートテレビが、番組の視聴履歴を集めるのは、業界で常識ともいわれている。

視聴者を商材としてそれなりの番組作りをされるのであれば、アナログ時代からの遊び心が、大きく削がれる要因にもなりかねない。