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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

山田洋次監督に学ぶ温故知新

 

若かりしき頃、松竹映画の喜劇監督・前田陽一監督と一度だけ、酒を飲みながら話をしたことがある。

当時、寅さんシリーズで活躍中だった山田洋次監督の話になり、前田監督は「ボクの方があの人より上なんですよ」と言った。

<山田さんは“ヨウジ(次)”でボクは“ヨウイチ(一)”だから>と。
前田監督の茶目っ気ある笑顔が忘れられない。

映画の話や撮影の裏話も聞いたが、その会話だけがハッキリと記憶に残っている。

 

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惜しくも前田監督は1998年に亡くなられたが、今も山田監督は活躍されている。

いくつものヒット作を発表。この映画が公開されたときも大きな話題になった。
幸福の黄色いハンカチ』である。

任侠映画からのイメージ脱却時期であった高倉健さんを主役にすえて、映画初出演の武田鉄矢さんと、若手売り出し中の桃井かおりさんが見事な絡みを見せた。

第1回日本アカデミー賞では、最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演男優賞(高倉健さん)・最優秀助演男優賞(武田鉄矢さん)・最優秀助演女優賞(桃井かおりさん)・優秀主演女優賞(倍賞千恵子さん)・・・など、ほとんどを受賞している。

1971年にニューヨーク・ポスト紙へ掲載された、ピート・ハミルさんのコラム『Going Home』が原作のようだが、私にはその20年前に日本公開された映画がモチーフになっているような気がしてならない。

監督がジョン・フォードさんでジョン・ウェインさん主演による、往年の西部劇『黄色いリボン』である。退役間近の騎兵隊指揮官が、若い士官たちの恋心を見守るシーンなどが、『幸福の黄色いハンカチ』と重なる。

 

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山田監督は、小津安二郎監督の『東京物語』も(『東京家族』というタイトルで)、時代背景を変えて忠実に焼き直している。

主演の老夫婦の配役は菅原文太さんと市原悦子さんの予定であったが、東日本大震災により公開が延期となったことなどで、橋爪功さんと吉行和子さんに変更された。

菅原文太さんで実現されていたら、映画のイメージも変わっていたかもしれない。

とはいえ、橋爪功さんと吉行和子さんも名優である。小津安二郎監督の『東京物語』のトーンを彷彿とさせてくれた。

昨年、山田監督は、『東京家族』での老夫妻とその子供夫婦役で演じた8人を、そのときのキャストとシチュエーションのままストーリーを組み替え、まったく別な作品を製作した。『家族はつらいよ』である。

山田監督にとって、『男はつらいよ』シリーズ終了から約20年ぶりの喜劇映画になるそうだ。

男はつらいよ』シリーズでは、寅さん、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、御前さまなどを演じた名優たちがすでに亡くなっているが、『東京家族』からの8人とは形を変えて再会できた。

東京家族』で吉行和子さん演じる老夫人は亡くなったが、『家族はつらいよ』では元気に笑わせてくれる。映画『家族はつらいよ2』は昨日から公開されているようなので、機会があればぜひ観てみたい。

 

「笑う門に長寿来たる」なのか

 

高級食材として古くから珍重されている伊勢海老は、江戸で鎌倉エビ、尾張にて志摩エビと呼ばれたそうだ。そして呼び名が伊勢に定まり、その名が世界に広まった。

孵化させてから稚エビに育て上げるのが難事業であり、人工的に育てる技術はまだ確立していないという。幼生期が300日と長く、その間に大半が死んでしまうからである。

孵化したばかりの幼生群は透き通った体に、葉脈を思わせる長い足が10本ある。水中を漂う姿は妖精のような美しさらしい。

研究の先端である三重県水産研究所は、世界に先駆けて1988年に幼生を人工的に稚エビへ育てることに成功した。とはいえ当時は千匹中わずかに1匹という率だった。

その後、水槽と改良とエサの工夫を重ねて0.1%だった生残率が60%を超えたとのこと。

 

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伊勢海老は、登場するだけで会食の雰囲気を一変させる。
旅館の和食ではありがたみが増し、洋食なら座がたちまち晩餐風にもなる。会食者は思わず笑顔になることだろう。

さて、食事会やパーティーで撮られた記念写真から、写真の笑顔率についてのおもしろいお話が、作家・藤原智美さんのコラムにあった。

中高年と若者の顔に落差があることに、藤原さんは気付いたという。
年が若いほど笑顔で写っている人が多く、中高年は笑顔率が低いとのこと、

70歳くらいから上の年配者になると、その傾向は極端になり、本人はそのつもりではなくても、しかめっ面や不機嫌な表情になるらしい。ことに男性の場合が多いという。

 

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米国ウェイン州立大学の研究チームは、メジャーリーグ選手名鑑(1952年版)の顔写真について調べた。そして、彼らの平均寿命をみると、笑顔がない無表情な選手は約73歳だが、満面の笑みを浮かべていた選手は約80歳と7年も長生きしている、との結果が出たようだ。

とはいえ、年配者より笑顔の多い若者たちも、笑ってばかりいられない現実があるだろう。

一昨年の婚姻件数は、63万5096組と戦後で最少となった。昨年もその最小記録は更新されているらしいが。

<目から火の出る所帯を持てど/火事さえ出さなきゃ水入らず>。
結婚賛歌の都々逸である。

ところが、血走った目から火の出そうな「火の車」の所帯を、好きこのんで持とうとする若者はいないはず。待ち遠しきは、家計の潤う経済成長という結論になるのではないだろうか。

無駄口ばかり叩く政治家たちに無駄な税金を貢ぐくらいなら、<その分を若者たちの収入に結びつけたくなる>今の世である。

 

未来の機器たちは頼れるのか

 

昨日、友人たちとの飲み会に出かけようとして気がついた。スマホの電池が空っぽになっていた。最近、こういうことがよくある。

休日で家にいるときは、スマホをまったく使わないのに、肝心なときの電池切れ。
スマホとは電池を浪費するためだけの機器なのだろうか。

モバイルSuicaで電車に乗るときや、突然の変更などがある場合も、スマホがないと困る。
仕方がなくモバイルバッテリーをつないで、手持ちのバッグに詰め込んだ。
飲みに行くときは手ぶらで、荷物を持ちたくなかったのにくやしい。

そういえば、一年前に<人の体温やパソコンなど小さな熱源を利用して発電し、ねじったり折り曲げたりできるシートを開発>という記事を読んだ記憶がある。

耐久性もあり日本や欧米で特許を申請、とのことだったが、その後はどうなっているのだろう。

 

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そのしくみは、カーボンナノチューブと有機化合物の相互作用で、太陽電池と似た性質を持つ有機半導体ができ、光の代わりに熱(温度差)に反応して発電するものらしい。

開発されたのは、筒状になった炭素分子の“カーボンナノチューブ”で作った布に、“クラウンエーテル”という液体の有機化合物と塩化ナトリウムなどを染み込ませ、樹脂でパッキングした厚さ約1ミリのシートだ。

実験結果では、150度の高温に1か月間さらしても、ほとんど劣化せず発電できた。
発電効率は、まだ太陽電池の10分の1程度らしいが、センサーなど弱い電力で動く機器は稼働し、さらに改良できるとのこと。

実用化すれば車のエンジンや工場の配管など、様々な熱を有効利用できるようになる。

人間の体温でも稼働し、心拍数や血圧の変化などを連続測定できる小型の医療機器、そしてパソコンの熱を再利用して動く周辺機器などで、活用ができるそうだ。

カーボンナノチューブは安価で量産可能なので、生活用品や医療機器、工業用プラントなど、幅広い分野で応用できる可能性があるという。

 

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2035年頃に人々の暮らしはどう変わるのだろうか。
2016年版の科学技術白書は3世代家族をモデルに描いていた。

生活や産業など社会の隅々まで高機能のコンピューターが入り込み、誰もが快適に生活できる社会が来るようだ。

自分好みの自家用車をネット経由で買えて、ドライブは完全自動運転なのだ。家事を仕切るロボットが夕食の献立を決め、家族の体調などを考慮して材料も手配してくれる。

高齢者用に健康状態を監視してくれるベッドも登場する。異変をを起こすとベッドが感知し自動で救急車を呼び出す。介護施設でリハビリを助けるのもロボットである。

さぞかし便利な世の中になるのだろうが、肝心なときに私のスマホみたいな電池切れにならないだろうか。急な停電ではいったいどうなることやら。

3.11の大震災では、一番便利なはずの携帯電話がまったくの役立たず。
それと同じことが方々で起こったら、電気製品と化した自動車や頼りのロボットも暴走するかもしれない。

夢のような未来を描くのはかまわないが、“電気だけに頼りすぎ”が仇とならないことを祈る。

 

「創造する心」を支えるツール


<顧客は自分で、何が欲しいか分からない>。
スティーブ・ジョブズさんの言葉である。

ジョブズさんは、<消費者が欲しがる新製品は、開発者が生み出すしかない>と感じた。
アップルは、20代のスティーブ・ジョブズさんと、(友人の)スティーブ・ウォズニアックさんが、1976年に創業した会社である。

1984年にマック(マッキントッシュ)が誕生した。
パソコン画面のアイコンや、マウスを使った操作などを、マックが初めて普及させた。
そしてマックは、多くのファンをつかんだ。

しかしその後のパソコン製品の大半は、MS(マイクロソフト)の「ウィンドウズ」というOS(基本ソフト)を搭載することになる。

 

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マックは、画像や出版、音楽といった方面に強く、優れたソフトも多い。
MSは、(ウィンドウズの前身の)MS-DOSを(パソコンに)搭載時代から、ビジネス面のソフトに力を入れて、ウィンドウズ向けのエクセルやワードが企業などに定着するようになった。

マックは営業戦略の弱さなどから、ウィンドウズに市場を奪われた。
ジョブズさんは会社を追われ、アップルも苦難の時代が続いた。

ジョブズさんはアップルの外で、ネクストという革新的なコンピューターを開発した。
アップルがこのネクスト技術を採用することを決め、ジョブズさんも復帰した。
マックは根本からつくり直され、丈夫で安定した「OS X」というシステムに生まれ変わる。

しかし、世の中はインターネットの普及により、パソコンを取り巻く環境が激変することになる。データの共通化や、ネットでのやりとりが主流になり、携帯電話などにも拡大した。“ウィンドウズ対マック”といった競争以上に、ネット社会への対応が重要になってきたのである。

 

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近年、アップルは携帯端末のiPhoneやiPadで成功を収め、ファンの心をガッチリとつかんだ。パソコンを使わなくても多くの人がスマホタブレットでかんたんにインターネットへアクセスできる時代に変わってきている。

アメリカの多国籍テクノロジー企業といわれるグーグル社もこの分野で大躍進している。
もし、スティーブ・ジョブズさんがいてくれたなら、この先どのような新製品が生み出されるのだろうか。いつも空想の世界で考えてしまう。

1919年(大正8年)生まれの作家・水上勉さんは、1997年頃から、パソコンやインターネットに強い関心を示したそうだ。

42歳で直木賞作家となるまでに、30種類以上の職業を経験。
実在感のある人間描写も、様々な職業体験で苦労を重ねたことが基になり、リアリティー豊かな文章力が身についた

<自分の道を歩き続けなさい。その道で見つけた友が“道友”であり、得た幸せが“道楽”だ>という。水上さんの言葉だ。

PowerBookを持ち歩き、ワープロソフトで執筆もした。
ジョブズさんと水上さんとの接点があったことを知って、心温まる気持ちにさせられた。

 

大人の月9主演 やはりあの人


人気の高いBS番組のひとつ『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS月曜夜9時放送)は、酒好きが愛してやまない番組であり、酒飲みの間では「月9」とまで称されているとか。
月9でトレンディドラマを見ていた世代が年齢を重ね、BSの月9を見ているのだ。

番組当初は、ひとつの店を15分で紹介するミニ番組として放送されたが、じわじわと人気を集め、現在は1本の新作に3本の再放送を加え、4本立ての1時間番組として放送されている。各回15分で、紹介されるお店は4店である。

画面上には料理と酒が次々に出てくる。再放送の3本は“3年前から昨年までの同月”に初放送されたものだ。季節を合わせることで、酒場の詩人・吉田類さんの服装や、町の雰囲気、旬の食材も変わらないため違和感がない。なかなかの心憎い計らいである。

 

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楽しみにしている視聴者たちは、月曜の夜9時に自宅が酒場になるそうな。テレビ画面の吉田類さんといっしょに酔い、自宅で“酒場”の雰囲気を味わうのだという。

画面の中の料理もおいしそうで、自分がその場にいて飲んでいるような気分になれる。
私の場合、リアルタイムの視聴はまったくないが、家族が寝静まった夜中に録画を観て類さんと楽しく一杯やっている。

気を遣う宴会をさっさと切り上げて、家に戻り類さんを肴にひとりで飲み直す人もいるようだ。たしかに、そういう人たちをうれしく酔わせてくれる番組なのだろう。

番組はほとんどが、酒場の雰囲気と吉田類さんを映した映像による構成だ。
類さんが、夕方の5時くらいに店を訪れると、まだ明るいうちから常連さんたちはほろ酔いである。昭和の時代を生き抜いた人たちのたくましさも感じる。

 

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吉田類の酒場放浪記』のヒットから、次々と酒場番組が生まれては消えた。
生き残っている番組には共通点があるそうだ。それは、出演者が“おじさんひとり”であり、居酒屋の達人だということ。

吉田類さんらの後を追って制作された酒場番組では、俳優やタレントが出演されていた番組もあったらしいが、話題にはならなかった。

出演者が多くなればトークショーになってしまい、酒場を疑似体験する番組ではなくなってしまう。番組ファンにとって期待したいのは、酒場の疑似体験であり、その場に溶け込んでくれるおじさんが一番なのである。

その点、吉田類さんは途中から“ろれつ”が回らなくなったりしておもしろい。酒場には必ずいるというようなキャラである。それはもしかしたら、自分かもしれないと考えながら見てしまう。そのリアリティがウケる要因のひとつ、ともいえよう。

そして、私の大好きなシーンがある。

各回の最後で、酒場をあとにする類さんの後姿がスローモーションに変わる。
そこに類さんの俳句がテロップとナレーションで重なる。
吉田類さんの詠む“酒場俳句”は、どの句もすばらしいものばかりで惚れ惚れする。

 

話の始まりはエピソードから


読んだり聞いたり、書くのも、私はエピソードが好きだ。

エピソードの意味は、挿話(そうわ)。文章や物語の途中、演劇の幕間などに挟む短い話。などとあるが、心惹かれるものはこちらである。
<ある人物や物事についての興味深い話>。

渡部建さんと児嶋一哉さんのお笑いコンビであるアンジャッシュは、コントグループである。一度観てから釘付けで、出演番組があれば観てしまう。

エンタの神様』という番組では90本近くのコントをこなし、そこで求められたのが“勘違いネタ”であった。私もどっぷりとハマッた。

同じネタを観てもまったく飽きない。結果がわかっていても毎回楽しめるのである。
まるで、名作古典落語のようだ。

最近では別々の活躍が多いが、渡部さんと児嶋さんは今も(原点である)ファミレスで、ネタ作りをされているらしい。数々のすばらしいネタがファミレスから生まれているなんて、ファミレスの前を歩いてもワクワクしてくる。

 

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「蜷川TENSAI(天才)」。
これは、蜷川幸雄さんが若き日の表札らしい。
自宅に掲げる表札としては異色だが、俳優としてはダイコンと笑われ、演出家としては芽が出ない頃の反骨心からなのだろう。

「蜷川さん、お願い。尊敬できなくなるから俳優やめてちょうだい」。
女優・太地喜和子さんのそのひと言が演出に専念するきっかけだったという。
そこから“世界のニナガワ”が生まれることになった。

劇評で、「休養して充電せよ」と書かれたことがある。
蜷川さんは笑った。
「電気カミソリじゃあるまいし、充電なんてするか!」と。

若者の怒りを表現したアングラ演劇、日本人の美意識と感性で織り上げたシェークスピア劇・・・。<守りに入るな!>。
蜷川さんは、攻めて攻めて攻め通した人である。

 

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『花の名前』など三つの短編で、向田邦子さんが直木賞に選ばれたのは1980年(昭和55年)の7月。選考会では、授賞を見送り、小説家としての実力を見極めよう、という声も多かったらしい。

山口瞳さんが強硬に異議を唱えた。
向田邦子はもう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ」。
その言葉で風向きが変わり、授賞が決まった。満50歳といえば働き盛りのはずだが。

授賞見送り派を説得する方便で口にしたその年齢は、そのまま向田さんの享年となる。
向田邦子さんは旅先の台湾で航空機事故に遭い、翌年8月に亡くなった。

 

中途半端なき「褒め」と「叱り」

 

実力派の漫才コンビ「ナイツ」の塙宣之さんと土屋伸之さんは、2002年に漫才協会に入り、内海桂子師匠の一門になった。そして07年に「寄席にも出たい」と、落語芸術協会にも入った。

その際、お世話になった師匠は(「笑点」でおなじみの)落語家・三遊亭小遊三さんでその一門に入った。まだテレビに出てない若手の頃である。小遊三師匠は、初めての“漫才師の弟子”としてとってくれたのである。

落語のお弟子さんと違い彼らは、芸を直接教えてもらうことはなかったが、「この間、番組見たけど笑っちゃったよ」などと(小遊三師匠に)褒めてもらう。そして師匠は無口で、無駄にはしゃべらない。小遊三師匠は当時から今もずっと優しいという。

「ナイツ」のネタをちゃんと見ていてくれて、要点だけ言うとあとは言わない。
師匠の芸や、協会の副会長として落語家さんたちを人望でまとめるところを見て、学ぶことは多いとのこと。

 

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黒澤明監督は幼少時、よく泣かされていたそうだ。小学校で、「みんなのなぶり者になった」と、自伝『蝦蟇(がま)の油』に記した。そして、学校を「牢獄のように感じた」とも。

その環境を変えたのは、ひとりの教師であった。
同級生に笑われた黒澤少年の絵を褒め、三重丸を与えたのだ。

自信がついた黒澤少年は、図画の時間が楽しくなり画家を志した。
そして、映画界に定住した黒澤さんは、映画の設計図となる絵コンテやシナリオを数々描き、巨匠の原点を築いた。

くもりなき教師の目が、眠れる才能を育んだのは言うまでもないことだ。黒澤さんにとっても、この師との出会いなくして、多くの名作は生まれなかったかもしれない。

 

1842

 

数日前に興味ある新聞記事を見つけた。

子どもの頃、周囲に褒められた経験が多い人ほど、大人になって困難な状況に直面しても、“へこたれない”傾向にある、のだと。

国立青少年教育振興機構」の調査結果で、20~60歳代を対象の全国調査らしい。

「厳しく叱られてもくじけない」や「失敗してもあきらめずにもう一度挑戦する」などの質問結果として、「褒められた」経験が多い人ほど、「へこたれない力」が強いという。

また、「厳しく叱られた」経験の多い人も、「へこたれない」という同様の傾向が見られた。
褒められた経験や厳しく叱られた経験が少ない人の場合は、「へこたれない力」が最も弱かったようだ。

思えば自分自身、人生の先輩たちに多く褒めていただいた。その分、叱られることがあっても“訊く耳”を持って吸収できることばかりであった。

親の立場では、子どもにきちんと向き合い、褒めるべきところは大いに褒め、悪いところはしっかり叱る姿勢が重要なのだという。子どもへの無関心や放任は好ましくない。

一番いけないのは、中途半端に褒めて中途半端に叱ること。

とはいえ自分も、(人生の達人たちに)教わったことの半分も、子どもたちの世代に伝えきれていない。逆に教わることばかり。実に嘆かわしいものだ。

 

マニアックなドラマの観かた

 

深浦加奈子さんという女優は、様々な役柄をこなし名脇役と評された。
惜しくも、2008年8月に48歳で亡くなられた。

舞台を中心に活動を始め、テレビドラマ『家なき子』や『スウィート・ホーム』での演技で広く認められるようになった。今も、人気ドラマシリーズの再放送で、深浦さんのお顔を拝見する。名前を知らない視聴者も、テレビではお馴染みの方だったのである。

私がドラマや映画を観ようと思うときの判断は、主演よりも脇役が重視である。
今も、福浦さんのように名脇役として活躍されている女優がいる。
遊井亮子さんである。

BDレコーダーのキーワード録画機能を利用して、遊井さんの出演されたほとんどの作品を観ている。

遊井さんのこなした役の種類は豊富で、脇役の彼女が主役に思えてくるからおもしろい。出演本数の多さもさることながら、お宝映像の作品とも出会える。

 

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ベテラン俳優の小野武彦さんは、(脇役として)若い頃に平社員役などで多くの作品に出やすかったが、年輩になると役職の役に限られ、競争率が大きくなる、と言っていた。それでも、出演されるときは渋くて楽しめる演技をご披露してくれる。

かつて、主役に対して“脇役”や“端役”と呼ばれていたが、最近では「助演者」というニュアンスが強いようだ。<名ドラマの陰にはいつも名助演者あり>なのである。

ドラマ界は主演俳優がほとんど固定化され、制作者の自由が効きにくいといわれる。
その背景にて、制作者の色が出るのは圧倒的に助演者であり、制作者のセンスや力量も表れやすい。

<役者には、良い役者とそうでない役者の二通りしかない>。助演が大半だった蟹江敬三さんは語っていた。

主役をこなした名優も助演者として、その個性と存在感にあふれる好演を見せている。

 

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主演作もある岸部一徳さんという役者の名助演者ぶりは天下一品である。
したたかで、存在感のある演技。

『相棒』での水谷豊さんとの丁々発止のやりとりが忘れられない。今は『ドクターX』にて米倉涼子さんとのコミカルなやりとりが楽しみで、シリーズ再開が待ち遠しい。

岸部さんの演技にはミュージシャンのエッセンスを感じる。数年前の、(GSで一世を風靡した)タイガースの復活コンサートでは、すばらしいベース演奏を披露してくれていた。

思えば、ベースという楽器そのものも名バイプレヤーなのだろうか。
ドリフターズのリーダー・いかりや長介さんも、岸部一徳さんと同じベーシストであった。
俳優としてシリアスなドラマに出られているのを観て、名バイプレヤーだと感激した。

<脇役を引き立てるのが主役>と言ったのは渡瀬恒彦さんだ。
主役、助演で活躍中の内藤剛志さんが、主役を務めたがシリーズ物が続かないときに、渡瀬さんから教わったという。

<台本で自分のことしか読んでいないか。周りの台詞をしっかりと読め・・・>と。
いかにも渡瀬さんらしい、すばらしい言葉である。

 

旅の楽しげな土産話に人柄が


優れた経営者には共通点があるのだという。
元官僚で工業経済学者・政策研究大学院大学名誉教授である橋本久義さんによる理論がおもしろい。

1. 人徳があること。町工場なので経営者が悪いと、従業員が辞めてしまう。
      暴走族出身者を教育し、一人前の工員に育て上げるぐらいは当然なのだ、と。
2. 謙虚さがあること。そうでなければ、社員の能力をきちんと評価できない。
     そして、埋もれている能力を見つける嗅覚を発達させていく。
3. 社外の人を徹底的に大切にすること。
      発注先の技術者や地域の学者が無給で協力してくれる。
      つまり、「あの人のためならば、とひと肌脱がせてしまう」ことなのだ。

優れた経営者の人柄が浮かんできてわかりやすい。

“カンパニー”の語源は“コンパーニャ”。中世イタリア語で、コンは「共にする」、パーニャは「パン」。同じ釜の飯を食うものという意味になる。

 

1837


国文学者・池田弥三郎さんが、奥様と一緒に東北の旅館に泊まった際の話である。

「じいさん、ばあさん、お出かけ」。散歩に出るとき、番頭さんが大声で言った。
今度は、戻ると「じいさん、ばあさん、お帰り」と。

一度だけならず二度は勘弁ならぬ、と池田さん。
「キミ、僕たちは確かに若くはないが、もっとほかに言い方があるんじゃないか!」

問いただしたところ、“じいさん、ばあさん”は、宿泊の部屋番号「十三番さん」であったのだ。

お国訛りは魔法の言葉なのか、ほんのひと言でその土地に生まれ育った人を懐かしい過去に呼び戻す。そして、ゆきずりの旅人には土産話を残してくれるようだ。

 

1838

 

8歳のころに失明した箏曲家・宮城道雄さんは、光を断たれて、指先の感覚が研ぎ澄まされたのだろう。布地の色は分からなくとも、縞の粗い細かいは見当がついたという。

晩年に至るまで旺盛な好奇心のおもむくまま、触れて、撫でてみることを喜びとしたようだ。

欧州旅行から帰国後、親しい作家の内田百閒さんと対談をした。
「パリのノートルダムは撫でてみましたか」と百閒さん。
「脚のほうを撫でてみました」と笑顔の宮城さん。

「どうです、手ざわりは」
「じつは(英国)女王を撫でてきたかったんです」
「それはだめ」

とても楽しい旅の土産話である。
お二人のこの会話だけで、小さな物事にこだわらない人柄がしのばれる。

さて、今はGWの真っ最中である。旅の途上で土産話を作成中の方も多かろう。
残念ながら私は留守番の組なので、皆様が戻られての楽しい土産話(記事)が、今から待ち遠しい。

 

宵が裏方で生酔いできる季節

 

<小説とは迷っている人間が書き、迷っている人間に読んでもらうもの>と司馬遼太郎さんは語った。

女性初の芥川賞受賞は1938年(昭和13年)下半期に、中里恒子さんの作品『乗合馬車』が受賞した。今では、選ばれる側、選ぶ側で女性作家の活躍が目立つが。

当時、授賞事務にあたった裏方の人たちは時計で大あわてしたようだ。正賞として贈る懐中時計に女性用の用意がなかったのである。

数十文字の記念の言葉を刻むため、小さすぎても具合が悪い。そして、時計の種類が少ない時代のこと、時計店を何軒も回ったという。

 

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香川県琴平町の金丸座(金毘羅大芝居)は天保年間に建てられ、現存する日本最古の劇場らしい。よく響く効果音のように、表の木立からウグイスの声が聴こえてくるという。

江戸期の人々も秋はしぐれ、冬は木枯らし、と四季折々の音を聴きながら芝居を楽しんだことだろう。

回り舞台の仕掛けがある地下室(奈落)には、舞台の床下から力棒(ちからぼう)と呼ばれる4本の丸太が下がり、その足もとには手のひら大の力石(ちからいし)が数十個、一定間隔で円を描く形に埋められている。

裏方さんたちが力石に足を踏ん張り、力棒を肩にあてて舞台を回すのだ。皆が心をひとつにし、呼吸をそろえて満身の力を棒に伝えるそうだ。

優雅な舞台の下で働く、裏方さんたちのご苦労が思い浮かばれる。

 

1836

 

「生酔い」とは両極端を表す不思議な言葉のようだ。
「少し酒に酔うこと」と「ぐでんぐでんに酔っていること」の意味と辞書にある。

寒くも暑くもない穏やかな季節になった。
どちらの意味に転ぶかは知らぬが、生酔い気分で2軒目を探し歩く宵が気持ちいい時期だ。宵は酒飲みにとってなによりの裏方なのである。

日暮れ間もないころを指す「宵」とい言葉も、もっと遅い夜更けの時間帯と勘違いする人も多い。「まだまだ“宵のうち”」と、飲み続けるわが身も意図的に勘違いしている。

かつて、気象庁は、情報が正確に伝わるようにと、予報用語の「宵のうち」(午後6~9時ごろ)を「夜のはじめごろ」に改めた。情緒ある日本語が天気予報から消えたのは少し寂しくも思われる。

過度に飲酒すると、アルコール量が肝臓の処理能力を超え、アルコールやアセトアルデヒドが分解されずに肝臓の外に出るのだという。酔っぱらいのくせにこういうことはよく考えていない。

アルコールは脱水、低血糖などを引き起こし、アセトアルデヒドには毒性があり、翌日の朝、頭痛や吐き気などに悩まされる。これが二日酔いだという。

通常の「酔い」は、アルコールによって脳の機能がまひした状態。これは毎晩体験しているのでよくわかる。

「宵のうち」にならい情報が正確に伝わるように書くと、血中アルコール濃度0.1%が「ほろ酔い」の段階で、これを超えて飲み続けると二日酔いになりやすくなる・・・とのこと。

とはいえ、愛しい宵へ軽装で突入するときには、昨夜のアルコール濃度のことなど、まったく頭にはない状態なのである。実に困ったものだ。

 

“日本でよかった”の味わいは

 

人間の舌が感じる基本味は、「甘味・塩味・酸味・苦味・旨味」の5つといわれる。
“旨味”に関する物質は、1908年に日本人が発見したそうだ。

だし昆布からグルタミン酸を見つけ、その後、かつお節のイノシン酸、しいたけのグアニル酸などと、次々に旨味成分を発見した。

“出汁”の文化が定着していた日本人は、基本味の構成に敏感だったようだ。根付いた先人の知恵は大きい。

葛まんじゅうも、バテやすい夏には「胃に優しく滋養のある葛の根を食べる」、ということから始まった。

和菓子は(明治時代以降にヨーロッパなどから日本に入ってきた)洋菓子に対する言葉であるが、古くから神仏への供え物として、大切に扱われてきた。

日本の伝統的な菓子のことであり、餅菓子、最中、饅頭、羊羹、落雁、煎餅などが含まれる。

 

1834

 

「菓子」という文字からも伺えるが、菓子とはもともと木の実や果物を指していた。
縄文時代に日本人はすでにクッキーのようなものを食べていたことがあるという。
それは、栗などの木の実を砕いて熱を加えたものなのだ。

和菓子は歴史の過程で、海外の影響も強く受けているらしい。
中国で学んだ禅僧は喫茶と点心という習慣を広め、遣唐使は油で揚げるという調理法を伝えた。

大量の砂糖と卵を使う“南蛮菓子”も和菓子の流れを大きく変えた。
洋菓子に比べ和菓子は、油脂や香辛料、乳製品を使うことが少なく、米や麦などの穀類、(小豆・大豆などの)豆類、葛粉などのデンプン、そして砂糖を主原料としたものが多い。豆類を加工して作る餡も重要な要素となる。

一般に緑茶に合わせることを想定して作られ、茶の湯との関係も深い。

和菓子の色彩やデザインは、食べるのがもったいないくらいに美しい。
見て味わうだけでなく、それぞれの菓子の名の由来を知ることで、愛着が増してくる。

 

1833

 

今に通じる和菓子が京都で誕生したのは、江戸時代の元禄期らしい。
従来との大きな違いは、優美な色づかいだった。

その時代、格式を重んじる世界に住む男たちにとって、和菓子はたしなみの一つとなった。公家文化、茶の湯文化、町人文化などと、それぞれが盛り上がりを見せ、男たちは優雅な菓子を楽しんだ。

和菓子の風情として、四季との結びつきが強いことも大きな特徴だと思える。
各種の製法を駆使し、味だけでなく視覚的な美しさがたまらない。そしてそれは、豊かな季節感をもって表現されている。

和菓子は人生の節目ともつながりが深い。ひな祭りには“ひちぎり”という餅など。端午の節句には、ちまきやかしわ餅を食べる。まんじゅうも、めでたいときの紅白から、仏事用までと、日本人の生活に密着している。

そしてそこには「甘味」のみならず、“日本の土壌や人々の生活に馴染んだ”絶妙な「旨味」の存在感があるようなのだ。

 

公衆電話を知らない子供たち


職場の隣の公園にあった公衆電話が見あたらない。だいぶ前からのことだったらしい。
普段からその存在をまったく気に留めなくなったせいなのだろう。

私のマンションの下にある公衆電話の生存確認はできている。
ただ、使用している人は見ていない。たしか、数年前までは年輩の男性が利用していて、珍しさを感じた記憶はある。

作家・藤原智美さんのコラムでは、行きつけの美容室で20歳の新人アシスタントが、「公衆電話を知らない」といったのでびっくりした、とある。藤原さんの説明で、駅などで見かける“ヘンな機械”が電話だとわかり、その彼女は納得したらしい。

私も、ある公共施設の受付前の公衆電話で、途方に暮れていた小学生女子に公衆電話のかけ方を訊かれて教えたことがある。携帯電話を忘れて、家に電話をかけたい、とのことだった。

 

1831

 

日本に設置の公衆電話は、2000年に約74万台あったというが、昨春の時点で約17万台。4分の1以上も減少したことになる。設置箇所の大半は大都市だというから、見つけるのがいかにたいへんかがわかる。

2011年の東日本大地震のとき、携帯電話や固定電話を始め、他の通信インフラが途絶した状態の中で、公衆電話は力を発揮した。大災害などで回線が混み合っても優先的につながり、被災地では無料になる場合もあるという。

その時、電話ボックスに長い列ができ、電話がつながりホッとしたという人がとても多い。

昨年、行方不明になっていた埼玉県内の少女が2年ぶりに保護された。少女は公衆電話で自宅に連絡し、助けを求めたという。緊急時にこそ存在感を示す公衆電話のつなぐ命や心に感銘を受ける。それにしても、少女が公衆電話のかけ方を知っていてくれて本当によかった。

 

1832

 

パソコンが使えない若者、というネット記事などもよく見かける。

パソコン操作を習得してから机でインターネットを楽しむスタイルから、簡単操作のスマートフォンを使い、「手のひらの上でインターネットを楽しむ」スタイルに移行しているからだ。

スマートフォンタブレットは常に携帯できるデバイスなので、屋内での操作が主なパソコンより利用頻度が増え、利用時間も格段に長くなる。操作に特別なスキルを必要としない分、インターネットを使い始める年齢層も低くなっている。

Windows CE搭載のモバイル機でネットにつないだ日が懐かしい。PHSを使うも電波状態に左右された。そのときに重宝したのがグレ電と呼ばれる公衆電話であった。
ISDNを利用したデジタル公衆電話のことで、灰色(グレイ)であるところからこの名で呼ばれた。

家でも固定電話を使うことが減り、たまに子機で電話をかけようとしても、番号を先に押してしまいつながらない。それに、携帯の電話帳機能に頼りがちで、手書きの電話帳がどこにあるのかもわからない始末である。

現在の環境に慣れきっている私たちも同じで、子どもたちのことを笑ってはいられない。

 

花見と人工知能の関係は如何に

 

「寒くないの? 半袖で」と妻。
「平気、若いから」と私。
「感じなくなっているのではないの。暑さ寒さを・・・」と再び妻。
つい先程の会話である。

花見の時期も過ぎた。
風雨に見舞われながらも、健気に残った今年の桜。その散り際は実にお見事であった。
もうだめだろうと諦めたが、土俵際で踏ん張ってくれた桜は、この世のものとは思えぬほどの咲きっぷりであった。その翌日の強風で一気に葉桜へと変身したが。

さて、昨春の大きな話題といえば、米グーグル傘下の人工知能「アルファ碁」が囲碁の世界トップ棋士に圧勝したことである。

人工知能(AI)という言葉が使われ始めて60年を超えたが、これほどまでに人工知能という言葉が飛び交ったことがあっただろうか。

 

1829

 

1回の対戦で考えられる局面の数は、囲碁の場合10の360乗になり、宇宙の原子の数より多いのだという。ちなみに、将棋は10の220乗、チェスが10の120乗である。

アルファ碁の勝因として指摘されたのが、「ディープ・ラーニング(深層学習)」だ。
コンピューターが自ら学ぶ仕組みであり、プロ棋士らの対局の約3000万盤面を読み込み、勝ちにつながるパターンを学習した。また、アルファ碁同士で対戦で、技をさらに向上させた。

コンピューターが、勝率の高い手を自分で見つけ出して選べるためにと、深層学習は、人間の脳の神経細胞のネットワークを参考にしたそうだ。

人はイヌやネコを何度か見た経験で、その目や耳、ひげなどに反応する神経細胞のネットワークが出来上がり、イヌやネコを見たらすぐに認識できるシステムを構築する。

脳科学者・茂木健一郎さんが、<お花見こそ史上最強の「脳トレ」の一つ>とコラムに書かれていた。

毎年、日本人が多大なエネルギーを注いで花見を欠かないのも、お花見が脳に良い、ということを感じ取っているのではないのだろうか・・・と。

 

1830

 

花見を成功させるためには、数多くの条件をクリアしなければならない。そのために使われる脳の回路はハンパではないらしい。

まず“桜”の咲く時期をとらえなければならない。桜前線がどのように北上し、開花はいつなのか。肝心の満開はいつのなるのか。そわそわとさせる情報が細かくチェックしながら、幹事は、お花見の開催日を決定するのである。

うまく満開の時に合えばいいが、少しでも時期がずれるとまだつぼみだったり、すっかり散ってしまったりといことになる。春の気候は変わりやすいため、当日の天気も心配だ。

その日時の計画から当日の運用まで、自然まかせという側面があり、環境のちょっとした変化に、常に目を配っていなければならない。

無事に花見当日を迎えられたとする。
誰が場所取りをして、どのようにしてお酒やおつまみを持ち寄るか。

連絡体制や雨が降ってきた時の対応も必要になる。
また、お開きはいつくらいにして、後片付けはどうするのか。
居酒屋さんで飲み会をする場合の何倍も、頭と気を駆使しなければならない。

いっそのこと、花見に関する指示をすべて人工知能にまかせられたら、楽になることだろう。“人工知能VS人間”という「花見幹事」対決ができるものなら、ぜひ実践してほしいのであるが。

 

娯楽性の中にあるべき芸術性

 

数年前テレビで、漫画家のさいとう・たかを さんが、黒澤明監督の話をしていた。
その黒澤論がおもしろかった。

黒澤明監督作品から学んだものは多いと言う。
その続きで、娯楽作品があんなにすばらしいのに、社会性やメッセージを前面に押し出した芸術作品には興味がまったくわかない、とのこと。

『野良犬』、『七人の侍』、『隠し砦の三悪人』、 『用心棒』、『椿三十郎』、『天国と地獄 』、『赤ひげ』・・・。たしかにおもしろい作品ばかりである。

七人の侍』は、本場であるアメリカ西部劇の『荒野の七人』として生まれ変わり、シリーズ化された。『用心棒』も焼き直され、クリント・イーストウッドさん主演の『荒野の用心棒』が世に出た。

この作品がきっかけで、マカロニ・ウェスタンのブームが起こり、クリント・イーストウッドさんに大スターへの道が拓けて、さらに名監督にもなった。

 

1827

 

七人の侍』製作時のエピソードがある。

撮影の段階で、当初の予定の上映時間がどんどん伸び、予算もはるかにオーバーした。
映画会社の東宝から中止を告知された。

撮影済分だけをとりあえず試写することになり、重役陣たちも集まり渋い顔で観始めた。
その試写は、野武士の一団と戦う七人が寄せ集められ、その対決を一致団結して臨む・・・というシーンで終わっていた。

そこまで観せられ、おもしろくなってしまった重役たちは、次が観たくてたまらない状態になっていたそうだ。

そして、完成させることが決定した。

「上映時間を削らないと中止だ」と言い渡された際の黒澤さんのコメントがふるっていた。
<フィルムを切るなら縦に切れ!!>と。

 

1828

 

クラシック音楽古典落語同様に、元は娯楽目的の芸術だったのではないのか。

バロック時代までの音楽家は、王や貴族といったスポンサーあってのモノだったが、18世紀後半になるとコンサートが盛んになり、市民にも音楽が浸透したそうだ。

出版社から楽譜を発売することで、才能のある音楽家は自分自身でお金を稼ぐことができたという。

話し変わるが、私は“X JAPAN”というバンドの大ファンである。
ヴィジュアル系ロックバンドとしてのデビューだったらしいが、そんな風に見たことは一度もない。

スピード感あふれる楽曲もさることながら、あの美しいメロディーラインがたまらないのだ。
いつもクラシック音楽のつもりで聴いてしまう。

聴いていると娯楽感などなくなり、芸術的にさえ思えてしまう。

クラッシック、民謡、ジャズ、演歌・・・。
思えば、どんなジャンルの名曲も、作者の鼻歌から始まったのであろう。

音楽 のみならず、すばらしい作品は身近にたくさん埋もれているのかもしれない。
それは娯楽的であり、また芸術的でもあるようだ。きっと・・・。

 

「遊び心」にこそ説得力がある

 

<“恐れないのが詩人”で“恐れるのが哲人”>なのだと、夏目漱石さんは『虞美人草』で述べている。

先が見えないくらい強い感覚にかき立てられる詩作に比べ、哲人は結果を先に考え取り越し苦労ばかりするのだと。なかなか言い得て妙である。

格言やことわざのパロディーも楽しい。

<妻を憎んで人妻を憎まず>(罪を憎んで人を憎まず)、<敵は本能にあり>(敵は本能寺にあり)などと。

今の時代では、<一寸の無心にも五分の騙し>(一寸の虫にも五分の魂)が合いそうだ。
世の機微をとらえて味わい深いものばかりである。

 

1825

 

一昨年、秋元康さんがテレビでおもしろいことを語っておられた。
作詞において秋元さんが心掛けているのは、香具師(やし)の「ヘビは飛ぶよ」という言葉なのだという。

それは、道行く人を一言で足止めして、箱に注目を集める手法とのこと。
それが、楽曲タイトルのインパクトを重視する考えに通じているのだという。

「ヘビは飛ぶよ」と言いながら、箱ごと飛ばして中のヘビが一瞬だけ空中に舞う、というのがそのカラクリだ。

テレビとの関わりが深い秋元さんは、この“香具師の箱”が今のテレビにも求められているのでは? と語った。

昔は超能力もあり円盤も見られた。
そういうものがいつもテレビにはあったのに、いつしか消え失せた。

見せるときの責任を問われるようになり、今は「責任を問われるのなら出さない」という風潮になってきているのだという。

 

1826

 

4K、8Kなど、技術がどんなに進歩しても、<何が映っていて、そこに観たいものがあるのか>というコンテンツの力が重要なのだ、と秋元さんは説く。

アナログテレビの頃のように、<録画よりも早く観たくなるような>番組の再来に期待がもたれるのである。

ところが、テレビそのものの本質は変わりつつあるようだ。
視聴者がテレビで見た番組の履歴が、どんどん外へ送信されていくという。

そのデータは、視聴履歴から予想したオススメ番組を表示する程度らしいが、将来は広告にも利用されそうなのだ。また、ビッグデータとしての利用価値も十分であろう。

テレビ視聴履歴は、テレビメーカーにとって「お金のなる木」であり、ネットにつながるスマートテレビが、番組の視聴履歴を集めるのは、業界で常識ともいわれている。

視聴者を商材としてそれなりの番組作りをされるのであれば、アナログ時代からの遊び心が、大きく削がれる要因にもなりかねない。