読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

大晦日の夕方に人類が現れる

自然・動植物・宇宙

 

“驚くこと”を表現する慣用句がある。
たとえば、“やぶから棒”、“寝耳に水”、“ひょうたんから駒”。

“やぶから棒”と“寝耳に水”が使われる場面では、対応にあたふたする姿が浮かぶ。
“ひょうたんから駒”は、普通で起こりえないような意外性が加味される。

“青天の霹靂”もある。
組織などの人事で何人も飛び越え抜擢されたり、噂や批評もないうちに受賞したりするケースに使われる。私にとって、ボブ・ディランさんのノーベル文学賞が、まさしくこれであった。

“青天の霹靂”の語源がおもしろい。
中国南宋陸游の詩が出典なのだという。

病んで床に就いたまま秋を過ごした詩人が、突然起きて書き出す様子から生まれた。
それは、土中に潜んでいた竜が雷鳴を轟かして現れるのに喩えられ、その詩人“筆の勢い”が“青天の霹靂”に結びついた。

 

1739

 

木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力を発見したニュートン
その瞬間は、“青天の霹靂”の気持ちになったのだろうか。

リンゴの話の真意は別にして、ニュートンの功績にはまちがいないだろう。
<壮大な天体の運行も、リンゴが地面に落ちるのも、同じ法則に支配されていると発見した>。別の世界と思われていた地上と天界は、これでつながったという。

<引力の やさしき日なり 黒土に 輪をひろげゆく 銀杏の落ち葉>。
昭和期の日本の歌人・大西民子さんが、日常の風景をあらわした短歌である。
見慣れた景色と宇宙が融合するような、のどかでふしぎな世界だ。

地球の誕生から46億年。その時間を1年に凝縮してみれば、1月1日午前0時に生まれた地球に人類が姿を現すのは、12月31日の晩だという。この師走もアッという間に大晦日を迎えることだろう。今の時期から、あと少しで人類誕生の瞬間だ。

 

1740

 

今年も“新たな生命”が多く誕生している。
「今年生まれた赤ちゃんの名前ランキング」(明治安田生命保険より)というのがある。

男児の1位は“大翔くん”と書いて、“ひろと”、“はると”“やまと”などと読むそうだ。
女児は“葵さん”がトップで、“あおい”、“ひまり”、“あお”と読む。

新生児に限らず、今の幼児の名前は難しい漢字や読み方がわからず、思わず訊き返すことがよくある。

昭和のおじさんから見て、名前ランキングで気になるものもあった。
女児の名前で、「子」のつく名は100位までに、莉子さん、桃子さんしか見つからなかった。(私の孫娘にも「子」はついていないのであるが)。

かつて、ガリ版刷りのクラス名簿には、「子」がずらりと並んでいたものだ。
「子」のつく女の子がこれほどまでに、希少化することは想像もできなかった。
まさに、“青天の霹靂”の思いである。

しかし、どの名前も親心がこもったすてきな贈り物であり、どの子も気に入ってくれたらうれしい。

名前は人生そのもので、<人は名前を生きる>といってもいいように思う。
人類の歴史を絶やさぬためにも・・・。

 

鬼太郎とねずみ男を従えつつ

創作・作家

 

昨年、亡くなられた水木しげるさん。そのお墓に鬼太郎ねずみ男の石像があるとか。

悪事を働くもうまくいかず、時には反省ものぞかせるねずみ男を水木さんは好んだ。
私も、ねずみ男と目玉の親父の大ファンである。

「俺は人気者だ」。ねずみ男鬼太郎に告げる。
「これから“ビビビのねずみ男”として売り出すからな」、と。

“ビビビ”とはビンタの音だと、水木さんは語っていた。
やたらにビンタを張るねずみ男のキャラには、いまいましい古兵の記憶がイメージされている。

軍隊時代、上官のご機嫌取りを一切しない水木さんは、誰よりもたくさん殴られた。

同様な話は岡本太郎さんにもあった。
ご本人も語られていたが、私の父親の知り合いに、太郎さんの上官だった人がいた。
太郎さんはどれだけ殴られても、何度も何度も起き上がる。その姿を見て上官は怖くなったという。

水木しげるさんと岡本太郎さんには、共通の気概があるようだ。

 

1737

 

21歳で応召した水木さんは、南方の激戦地ニューブリテン島へ。
理由なく殴られ、敵襲から生きのびて戻れば、「なぜ死ななかったのか」と上官に責められた。

マラリアの高熱に苦しみ、飢えと渇き、爆撃で左腕を失った。
部隊は全滅し、多くの戦友を失った。

昨今のニュースでも、いじめやパワハラは後を絶たない。

江戸の俗曲に<旅は心、世は情け、捨て子は村の育(はぐく)みよ>とある。
捨て子があれば村の皆で育てるのだ、と。

水木さんいわく、「私の描く漫画にメッセージがあるとすれば<少年よ、頑張るなかれ>ですかね」。

水木語録をプリントしたTシャツにも<人のうしろをあるきなさい>との言葉が。

 

1738

 

日本人には外国語を4字に縮めて使う得意技があるそうだ。
パソコンやリモコンなど、実に多彩だ。

「ハラ」のつく(言葉の)原点のような“セクハラ”という言葉。
最近かと思いきや、意外と古いようだ。1989年(平成元年)から使われているという。

セクハラという言葉が長く使われるだろう、と予言したのは作家・井上ひさしさんである。セクとハラの2拍が重なる語は、安定した構造を持っているから、との持論であった。

以来、「ハラ」のつく他の言葉がいくつも登場した。
上司からのパワハラ。酒をめぐるアルハラ

生まれては消える。泡沫のような新語・流行語だが、根付いて生きのびていくものは、社会と切り結び響き合う(それぞれの)理由がありそうだ。

水木さんの残した仕事の量と質をみれば、ご自身が勤勉だったことは一目瞭然。
ところが、水木さんの言葉には、ホッとできるものが多い。

「なまけ者になりなさい」、「けんかはよせ 腹がへるぞ」などと。
そういえば、吉田拓郎さんの楽曲にも、『ガンバラナイけどいいでしょう』というのがある。

効率や成果ばかりへと神経をとがらせる日常に、自由な空気を吹き込み、人のこころの奥底に訴えて争いをいさめる。異界を知る先達の言葉は、現代への警句でもありそうだ。

 

元気の獲得は生活との調和?

生活・娯楽

 

「24時間戦えますか!?」
懐かしいフレーズである。バブル全盛時、この合言葉で栄養ドリンクのCMが流行った。

仕事が入れ食い状態で人手不足になる。欠員でも出たらもうたいへん。毎週、募集広告を出しても効果なし。売り手市場のため、若者たちは条件のいいところへ集中。
ひどいときは、2人分や3人分の仕事があたりまえ。休日出勤をしても代休はなし。

好景気を背景にしたサラリーマンのかけ声だったにしても、今の時代には受け入れ難いフレーズなのかもしれない。あの時代より、給料の基準はだいぶ落ちていても、仕事以外に大切なものが増えたからだろう。

“24時間戦えますか”の商品は「リゲイン」であったと思う。
Re(再生)+gain(獲得)。

バブル時代、おそろかになった“生活との調和”を再生してこそ、元気が獲得できる。
そんな解釈も悪くはないだろう。

 

1735


身近な言葉の意味を紐解いてみるのもおもしろい。

知ったかぶりの隠居がお茶を飲んでいるところへ八五郎がやってくる。
落語の『薬缶(やかん)』である。

「知らないものはない」と広言する隠居が気に入らぬ八五郎は、言い負かそうと立て続けに問いかける。

魚の名にも話が及ぶ。
「じゃあ、『平目』は?」
「平たいところに目が付いてるからヒラメだ」
「ホウボウは落ち着きなくほうぼう泳ぎ回るから」。

口から出まかせである。

マグロはと問われれば、「真っ黒だから」と説く。
「だって、まぐろの切り身は赤(あけ)えじゃあありませんか」と、納得しない八五郎。
「だからおまえは愚者(ぐしゃ)だ……切り身で泳ぐ魚がどこにいるか」。

昨年、遺伝子組み換え技術で、通常の2倍ほど速く成長するサケが米国で開発。
食品として販売していいとの、米当局のお墨付きも出たという。

いつかは、そのピンク色の身が店頭に並ぶ。
遺伝子を組み換えた魚と表示する義務もない。

穀物遺伝子組み換えは普及し、牛の成長をホルモン剤で速めている国もあるらしい。

 

1736

 

SAKEが世界で新展開だという。
それも、欧州の王室が催す晩餐会から街のレストランまで・・と。
世界中、日本酒(SAKE)が様々な場面で飲まれるようになっている。

日本酒の海外輸出(数量)は、2003年の8270キロ・リットルから、13年の1万6202キロ・リットルへと10年で倍増。輸出額では、同じ期間に39億円から105億円と3倍近く増えているのだ。

国内の人口減少が見込まれる中、日本酒業界の活路は、高級品の需要も期待できる海外市場にあるそうだ。日本各地の蔵元による、あの手この手の情報発信がその原動力になっている。

まだ観る機会はないが、日本酒を題材にした映画も生まれ、東京とハワイの映画祭で上映されたようだ。SAKEの海外市場への展開も新たな段階に入り始めた。

この数日、気温がだいぶ落ちてきた。サケの話をしていたら今夜あたり久しぶりに熱燗で一本いきたくなってきた。とくれば、鍋料理がよさそうだ。

 

 

矛盾含みの今秋も過ぎ去った

自然・動植物・宇宙

 

いつのまにか、四季のうちで“秋の長さ"を気にするようになっている。
たしか5、6年前に長い秋の年があり、その体感から(長い秋を堪能できると)得した気分になれることを知った。

秋の期間の断定は、「最後の真夏日(30度以上)から気温が一桁になった間」が基準らしい。テレビのお天気情報で言っていた。ちなみに私の住む地域では、たったの23日間で(この数年でも)“最短の秋"だったらしい。

その短い秋の間、テレビではさかんに「小春日和」という言葉が使われていた。
その度に違和感をおぼえたが、調べてみると判明した。

小春日和という言葉。俳句では冬の季語になるという。
言葉の使い方に制限はないだろうが、(自分の中に擦り込まれていた)過去の知識からの“ちぐはぐさ"だったのだと思う。

 

1733

 

2016年10月26日、甲府地方気象台は富士山の初冠雪を観測したと発表。
昨年より15日、平年よりは26日遅いという。観測開始以来、1956年と並び最も遅い記録となった。

11月9日、気象庁は(冬の訪れを告げる)「木枯らし1号」が、東京都心で吹いたと発表。昨年よりも16日遅いという。

11月24日、気象庁は、関東各地で初雪を観測。
東京都心では、気象観測を始めた1875年以来初めて、11月に積雪が確認された。
都心のほか横浜と甲府両市では、(1962年以来)54年ぶりの11月の降雪らしい。

 

1734

 

余白ならぬ「要白(ようはく)」という言葉があるとのこと。
以前に読んだコラムで知った。

要白とは意味のある空間のことで、絵画やデザイン、写真の世界ではよく用いられるらしい。それは、“空間"だけでなく、「時間」においても必要なものかもしれない。

短いときの秋は、四季の中でも影が薄く感じそうだが、その時間も決して余白ではなく要白なのだと感ずる。

米大統領選もこの秋の珍事であった。
ヒラリー・クリントン氏がドナルド・トランプ氏の得票数を、上回ったにもかかわらず落選。ヒラリー氏の得票数は、トランプ氏より200万票以上も多かったというのだ。

私には馴染みのない選挙方式のためか、頭でわかっても矛盾を感じてしかたがない。
いずれにしても、トランプ氏の勝利も要白ということなのだろうか。余白にならぬことを切に願いたい。

さて、あわただしい師走も目前に迫っている。
(普段より短く感じる)“年末という時間"を大切に過ごせるよう、心の片隅に要白を忘れずにギアチェンジしていきたい。

 

事実とは落語よりも奇怪なり

事件・報道

 

この秋スタートのテレビ番組はなかなかおもしろい。

その中で異彩を放つのが『超入門!落語 THE MOVIE』(NHK)である。
プロ落語家の口演に合わせ、俳優が当てぶりと口パクで物語の世界観を映像化するものだ。

その発端は、BSプレミアムで昨年10月に放送された『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』の落語特集のコーナーだという。落語家が口演した『茶の湯』を俳優が当てぶりで演じたところ、出演者たちが絶賛した。そして、今秋から25分番組としてレギュラー化になった。

寄席などで落語を収録し、その音源をロケ現場で実際に流しながら、映像を撮る。

番組プロデューサーいわく、「人形芝居の人形のようなもので、自分の間までは演じられない。ベテラン俳優ほど苦しんでいますね」と。

初回放送で花魁を演じた前田敦子さんなどは、口パクがピタリと嵌まり、まるで操り人形みたいで、観ていて笑い転げた。

 

1731

 

落語の登場人物といえば、善良でお人好しの庶民か。にくめないダメ人間もいれば、人の頼みを断りきれない者もいる。あとさきを考えず、すぐ行動するそそっかしい人間も。
打算が介入した悪知恵を働かせる者もいるが、だいたいがまぬけだったりする。

一年半前、落語かと思われる事件が起きた。
悪事を茶化す気持ちはないが、あまりにも落語的で忘れられない。

ことの発端は、無職男(65)が兵庫県尼崎市の交番に訪れたことだ。
その男は(パッケージ入りの包丁を見せて)「包丁を万引きした」と、交番勤務の男性警部補(48)へ告げた。

そこには、部下の男性巡査部長(34)と女性巡査(25)もいた。

男性警部補は(部下に)県警本部へ身元照会させ、男が指名手配されていないことなどを確認。そして、無職男を説得した。「なにごともなかったことにしよう」、と。

警部補は、自首の事件を扱ったことがなく、処理が面倒との気持ちだった。
納得できないのは、「万引きした」と説明したのに、無罪放免にされる無職男である。。

 

1732

 

結局、警部補に命じられたふたりの部下が男を車に乗せ、窃盗現場のホームセンター(尼崎市)に立ち寄り、巡査部長が「拾った」ことにして包丁を返した。
そしてご丁寧に、男の住まいがある大阪市内まで送り、男を降ろしたという。
諦めきれない男は、車の中で自分が万引きしたことを訴えていたそうだ。

その男は翌日、同市内から和歌山市までタクシーに無賃乗車して、和歌山県警に詐欺容疑で現行犯逮捕された。そこで、事のあらましが明らかになった。

調べで「自首したのに追い返された」との男の説明で、3人は容疑を認めたという。
その際、警部補は「面倒だった上、男の目的が留置場の食事のようだったので、事件として処理したくなかった」などと供述。部下2人は「上司には逆らえなかった」と話した。

兵庫県警幹部は「職務怠慢でしかない恥ずかしい事案だ。誰もやめようと声を上げなかったのも情けない」と話した。

窃盗事件の容疑者を逃がした疑いと警察車両で大阪市まで送り返したとして、県警は、警部補を停職6か月の懲戒処分とした。警部補とともに書類送検された部下2人は、巡査部長についても戒告の懲戒処分が下された。

にくみきれない登場人物ばかりではあるが、落語のように粋なオチにならぬのが「現実」のようである。

 

幸せホルモンは心の持ちよう

人間

 

<亭主元気で留守がいい>。
このフレーズがテレビのCMで世間に広まったのが1986年(昭和61年)のことである。“格差社会”や“自分で自分をほめたい”などと並び、当時の流行語になっていた。

今よりはるかに景気のいい時代にマッチした、新鮮なフレーズだったと記憶しているが、この言葉はすでに、その24年前に使われていたようだ。

<「亭主は達者で留守がよい」という生活を心から楽しんでいるような、呑気そうな細君だった>。河盛好蔵さんの著書『夫婦十二カ月』にある文章だ。

昔からあった言い回しなのかもしれない。
しかし、河盛さんが書かれた頃は、主婦方に“亭主の留守”を楽しむ生活の余裕はなく、現代でも、共働きの世帯が増えてあまり馴染みのないフレーズともいえる。

世のありさまや風潮の隙間であった、あの(CMが流行った)時代ならではの流行語だろう。
はやり言葉は、その時代の空気が言葉と響き合い生まれる。
今思えば、とても幸せな「時の一コマ」であった。

 

1729

 

日本人にとって蕎麦は寿司と並び、“江戸の粋”という文化コードが根本にある食べ物らしい。

蕎麦については、「長居するのは野暮」や「汁をちょこっと付け、音を立ててすすり込むのが粋」といった作法もあるとか。

江戸の一般庶民は、「寿司や蕎麦などは短時間で食べられる」という当時のファストフードに通い、客同士による“粋の競争”から、独特のマナーが生まれたとのこと。

江戸の若者たちが、あのすする音は「俺の方が粋」、と競い合う姿を想像すると、楽しくなってくる。

しかし、「ズズッと音を出してすすってこそ粋で美味しい」マナーは、外国の食文化と大きな隔たりがあるとよくいわれる。

中国文化圏では、レンゲを使い、音をあまり立てないように食べる。
欧米もスープはもちろん、パスタなどの麺類をフォークで巻き取り、口に入れるので音は出ないのだ。

我が国の作法は日本以外で御法度とはいえ、日本で食べるには問題がない。粋に感じて「ズズッ」と音を立てて食べればいい。それだけで、幸せな気分を味わえることがある。

 

1730

 

日本で飼われる犬と猫の数は計2000万匹を超え、15歳未満の子供(1623万人)を上回る。

欧米の調査では、犬や猫などペットを飼う人の病院に通う回数が、飼っていない人に比べて約2割少ないそうだ。

ペットと触れ合うことで、脳から“オキシトシン”の分泌が増え、心を落ち着かせるそうだ。
それは「幸せホルモン」と呼ばれ、豪州で年3000億円、ドイツでは7500億円もの医療費を削減する経済効果があったとのこと。

幸せホルモンの分泌は、ペットに限らず恋人や親子が手をつないでも増えるという。
それでも、ペットに効用を期待してしまうのは、人と人の触れ合いが減少しているせいなのだろうか。

私の場合、ペットや人との触れ合いが少なくとも、数杯で幸せホルモンを感じられるふしぎな飲料があるが、本日も少々二日酔い気味なのが情けない。(ふむ)

 

テレビ離れなのに良い視聴率

 

1946年、ラジオ番組『のど自慢素人音楽会』としてスタートした『NHKのど自慢』。
すでに70年超えの長寿番組である。審査結果を鐘で知らせることが売り物だが、最初からそうではなかったらしい。

“のど自慢”の審査は、開催地のNHK・放送部長や、東京の芸能番組のプロデューサー・ディレクターが、会館の別室に審査室を設け、テレビ画面を通して審査するとのこと。

歌のうまさが大きな基準になる。また、朗らかに笑顔で歌っていると合格しやすいともいわれる。

出場者が歌っている最中に審査が行われる。その結果は鐘を鳴らす担当の方に伝わり、鐘を鳴らしてもらうというしくみだ。

番組開始当時にはディレクターが、歌をやめてほしい時に「結構です」と伝えていたという。
しかし、歌の途中で「結構です」と言われる出場者たちは、「良いです。上手です」などと勘違いしてしまうケースが多く、誤解を生まないために鐘を鳴らし始めたそうだ。

 

1727

 

この数年、テレビ視聴に関する話題も(良いのか悪いのかわからぬ)「結構です」調のお話が多すぎる。以前、私は「視聴率の曖昧さ」を記事にしたことがある。その後も、インターネット視聴番組の影響等、不透明な部分が増しているような気がしてならない。

“テレビ離れ”、“深刻な危機感”などの言葉を連ねて、スマホ向け番組無料配信を紹介するネット記事があった。

<若い世代のテレビ離れに歯止めがかからない中、テレビ各局がスマートフォン向けに番組を無料配信する新規事業に本腰を入れ始めている>のだと。

そして、テレビ朝日とインターネット企業が共同で始めた「Abema(アベマ)TV」の記述では、テレ朝報道局と連動したニュースやバラエティー、ドラマ、アニメなど二十数チャンネルをストリーミング形式で無料配信、とある。

今月2日に、スマホタブレット端末向けの番組視聴アプリが1000万ダウンロードを達成。1週間の視聴者数も約300万人まで増えているのだという。

話だけ訊いて(読んで)いると、若者すべてがテレビを観なくなるような勢いだ。

 

1728

 

かたや、同日の記事ではドラマ録画率はやはり高い、という内容のものがあった。
ビデオリサーチ社が行っている関東地区の視聴率調査の方法が、10月3日から変わったというのだ。

それまでは、リアルタイムの視聴率が600世帯。録画が対象のタイムシフトの視聴率は300世帯で測定してきた。その合計900世帯で二つの調査を実施し、重複分を抜いた「総合視聴率」を出す方式にしたとのこと。

録画率の高いといわれるドラマ。この秋の初回分の「総合視聴率」がいくつか紹介されていた。

『地味にスゴイ!校閲・・・』(日テレ) 通常12.9%、録画9.7%、総合21.1%。
『ドクターX・・・』(朝日) 通常20.4%、録画9.5%、総合28.3%。
『逃げるは恥だが・・・』(TBS) 通常10.2%、録画10.6%、総合19.5%。

ドラマでは、ほとんどの番組の総合視聴率が2ケタ台を記録し、録画して見る人の多いことが改めて裏付けられた。

「テレビ離れを強調し、スマホ向け番組無料配信を紹介する記事」と「総合視聴率2ケタ台のテレビドラマが堂々と並ぶ記事」で、どちらの情報が正しいのだろう。

“のど自慢”の“鐘の数”のように、白黒ハッキリつけてもらいたい気分である。

 

いつまでもあると思うな金と髪

生活・娯楽

 

<一生に一度のお買い物です。十二分にご吟味ください・・・>。

広告コピーだ。その商品は、車でも家でもなく白黒テレビだった。

1955年(昭和30年)、販売価格は12万5000円である。
サラリーマンの初任給が9000円の時代だ。まさに、“一生に一度”の覚悟で購入する品物だったようだ。

フラフープ。ダッコちゃん。氷で冷やす冷蔵庫。路面電車。駄菓子屋・・・。
懐かしい風景がいくつも脳裏に浮かぶ。

身元不明の他殺体が見つかったのは東京・国鉄蒲田駅の操車場。
殺害されたのは誰か。松本清張さんの名作『砂の器』のオープニングだ。

被害者はやがて、51歳の元巡査と判明した。そして、<すでに50を過ぎた老人>と書かれていた。

その歳でもう老人? と信じがたいつもりでも、鏡に映るわが身を見て納得しかけることも度々だ。昭和の時代の自分はこんなではなかった。あったのだ! 髪の毛が!!
もっと、フサフサと“ジャマになるほど”に、である。

 

1725

 

新聞の連載が始まったのは1960年(昭和35年)だった。今より平均寿命が15歳ほど短かった頃の小説なのだ。その頃、人は50代で晩年に差しかかるというのが、多くの日本人に共通する感覚だったそうだ。

家の雨漏りには幼い頃の思い出があるという。洗面器を置いて受けるのだが、ピチャピチャと騒々しい。雑巾を、洗面器の中に敷いて雨垂れの音を弱める。

野育ちの人には、その知恵を会得した昔の楽しからざる記憶だが、温室育ちの花には縁のない“生活の知恵”かもしれない。

<家のうち鍋などさげてゆきかへるゆふぐれにきく秋雨の音>。
歌人・三ヶ島葭子(よしこ)さんによる雨漏りの歌である。

葭子さんの異母弟にあたるのが俳優・左卜全さんだという。
平成の世に漂う“いやな感じ”を憂えるには、弟の歌った『老人と子供のポルカ』の方が適切なのか。

<♪ やめてケレ・・・やめてケ~レ ◯◯◯◯>。
今は国内よりも、大統領選挙後のアメリカ国民の心情と合致するのではないだろうか。

 

1726

 

女性にサインを求められた作家・幸田文さんは、署名にひと言、「御多幸を」と書き添えた。そう書いたつもりだったのが、「御多福を」と書き間違えていたそうだ。

大いに気がとがめたとエッセイ『福』にある。
よく気のつく幸田さんにしてそうなのだから、人生に誤字はつき物だろう。

国文学者・池田弥三郎さんは、見知らぬ学生から手紙をもらった。
<見識のない先生に、突然、手紙を差し上げます>との書き出しだった。
もちろん「見識」は、「面識」の間違いである。

<もし人生に第二版があるならば、私は校正をしたい>。
英国の詩人、ジョン・クレアさんは友人へ手紙に書いたという。
残念ながら、“人生とは初版がすべて”のようだ。

人生の部分を昭和に置き換えたらどうだろう。
お金と便利な品々を手に入れながら、繁栄の坂道を登り続けたつもりだったのに、あの時代は遥か高みに輝いて映る。いったいなぜだろう。

 

「見ぬもの清し」と「ごり押し」

生活・娯楽

 

母は、床に落ちた豆を素早く拾い、「見ぬもの清しだからね」と言った。
それが後に、“3秒ルール”という名で知ることになった処世の知恵だった・・・と。
エッセイスト・玉村豊男さんのコラムにあった。

落ちても見たことにしなければ、誰も清潔を疑わない。とても説得力のある言葉だ。

過剰な潔癖さの若者もいるらしい。昔ながらの清潔感に鍛えられた身にとって、無菌抗菌志向には、いささか違和感を覚えないでもない。

今の日本は、世界でいちばん清潔な社会かもしれない。そのため外国に行くのは嫌だという若者が増えている、とも記されていた。

 

1723

 

「見ぬもの清し」を「知らぬが仏」や「見ぬうちが花」などの意味合いで使う人もいるらしいが、玉村さんにとってその言葉は母親に教わった「3秒ルール」なのだという。

昔は、父親に代わり小言をいうのは、おじ(伯父・叔父)の役目だったらしい。
<叔父や叔母もいない社会というものは人類の歴史に類例がない>。

一人っ子政策」の中国を、世界中の心理学者や社会学者が貴重な研究対象にしようとしていたとか。ほぼ半世紀後の未来を描く、アーサー・クラークのSF小説『2061年宇宙の旅』の題材にも共通するという。

中国政府が1979年から続けてきた一人っ子政策を廃止ということで、どうやらそれも、作家の想定したようには、ならなくてすむようだ。

 

1724

 

昨年、政府と経済界と「官民対話」の議論を受けた安倍首相は、「世界に先駆けた第4次産業革命を実現します。スピード勝負です」と言った。

それは、石炭と蒸気機関の第1次、石油や電気の第2次、情報技術による第3次に続く大変化らしい。

人工知能ビッグデータを活用し、東京五輪ではドライバーのいらない無人自動走行のタクシーを“日常の足”として使えるようにしたい。

数年内には、小型無人飛行機ドローンを使った宅配も実現する、とか。
数年後の構想がイメージ図とともに描かれているらしい。

“女性が輝く”に続き、「1億総活躍」。耳に心地よくても抽象的な言葉を連ねるのがお得意のようだが、“絵に描いた餅”にならぬことを願う。

かつて、京都や石川に“鮴(ごり)押し”という漁法があったそうだ。
2人でむしろを持ち、川底の石をこするように小魚を浅瀬へと追い込む。

汗をかいたぶんだけ、帰りの魚籠は重くなったはず。
額に汗しない強引な未来図には、“無菌抗菌志向”と共通するなにかを感じてならない。

そこからは、“3秒ルール”の「見ぬもの清し」のような、具体的な潔さがまったく見いだせないからだ。

 

魚種交代は謎の中だろうか

自然・動植物・宇宙

 

地球の氷の9割は南極にあるという。

大陸を覆う氷床は厚さが平均2450メートルにもなるらしい。
それは、富士山の6合目までが氷に埋まった状態なのだ。

極地研究家でもある神沼克伊さんの著書『地球環境を映す鏡 南極の科学』にあった。

もし全て解けたら、<海面は60~90メートル程度上昇するのではないか>と。
世界の沿岸部が水没してしまう。

しかし、南極の氷は増えているそうだ。
米航空宇宙局(NASA)の研究では、氷床が一部で厚くなっているようだ。

温暖化で南極の水蒸気が増え、降雪量も多くなる。海面の上昇は、むしろ海水の膨張によりもたらされる、との説もある。

降雪量が増えたため、氷床の増加量は毎年1000億トンになるそうだ。
100年前に比べ海面は、平均20センチ上昇しているとも。

 

1721

 

全国的にスルメイカの不漁が続き、八戸港では2年連続だという。販売価格も天井知らずの上昇である。数日前のデーリー東北新聞の記事にあった。

「こんなに取れないのは初めて」と、ベテラン漁師は嘆く。
全国一の水揚げで、加工会社も集積する八戸にとっては死活問題だ。

秋の味覚、サンマも深刻な不漁に陥っている、との別記事もあった。
昨年の水揚げ量は約40年間で最低水準だったが、今年はさらに減少する見通しらしい。

日本の近海ではいったい何が起きているのか。
地球規模の変動なのか、それとも海水温の影響なのだろうか。

 

1722

 

気象庁発表の指数「PDO」は、日本周辺を含む北太平洋の十数年規模の水温変化をデータ化したものだという。そこに、地球規模の気候変動が捉えられている。

2000年から海水温は温かい時期だったのが、2014年から(海水温が)冷たくなる時期へ転じている。それでもこの先、冷たい時期がこのまま続くかどうか分からないという。海水温とイカ資源の因果関係も明確ではないようだ。

その反面、マイワシ、サバは謎の大漁で冬季群の変調が起きているのだと。
かつて“大衆魚”と呼ばれたのに、一時は全く取れなくなったマイワシの豊漁。

イカ以外の“不気味な変調”ともいわれる。
そして<魚種交代>。八戸の水産関係者の間でささやかれ始めた言葉だという。

 

何か大きな忘れ物をしたのか

生活・娯楽

 

一般家庭にテレビが普及する前は、映画の黄金期であった。
その立役者である黒澤明監督には、数多くのエピソードがある

泥まみれでゴミが散乱する汚い場所の演出。これでいいかと思っても映画に映るときれいに見えてしまう。少なくともその3倍は汚くする必要があったという。

『用心棒』を撮影中に、5人のアメリカ人女性が見学に訪れた。
血まみれの宿場町が舞台のシーンであった。見学の女性たち全員が真っ青になり、1人は気絶しかけたそうだ。体調不良の原因は“におい”であった。

黒澤監督の後日談で、<セットが血だらけで、それににおいつけたんですよ。赤い塗料に重油かなんかまぜてね、いやなにおいがするように。奥方たちが青くなってひっくり返りそうになるわけです>と。

臭いは見えない部分でありカメラには写らない。それでもそこまで神経を使う。
名作はそうして生まれるものなのだろう。

 

1719

 

映画の黄金時代はプロ野球の歴史にも重なる。
昭和20年代から30年代にかけては、松竹ロビンス大映スターズ東映フライヤーズと、映画会社の保有する球団が勝敗を競った。

球団とは、その時代時代に“旬”の業態を映しだす鏡でもある。
地域経済の王者の鉄道会社が次々と姿を消し、遠洋漁業の水産会社も球場を去った。
価格破壊の申し子であったダイエーも、消費不況のなかで退場した。

インターネット商取引の大手企業「楽天」が、パ・リーグへ新規参入したのは今から12年前のこと。当時、参入を競ったのは「ライブドア」であった。

そして、ダイエーホークスの買収に名乗りを上げたのが「ソフトバンク」であった。
上述の水産会社だった球団も今では「DeNA」の名に変わっている。
ともにIT関連の企業であり、旬のありかを示している。

 

1720

 

今の建設現場では、大音量で杭打ち機の音を響かせたりはしないそうだ。
高度成長期の象徴でもあるような“建設の槌音”も、周辺には迷惑以外の何ものでもなかった。

1968年施行の騒音規制法が転機になったという。対策を迫られたのが土木業者たちであった。その結果、現在ではドリル式の杭など、打撃音を伴わない100種以上の工法があるらしい。

杭打ち機がうるさかった時代には、建設現場の技術者は固い地盤に杭が行き着いたかどうか、その音の微妙な変化で判断したという。コンピューターを用いたデータ計測の登場以前の話だ。

横浜の傾いたマンションの問題も、まだ1年前のことである。
複数の担当者による“杭の安定を装うデータ”の使い回しが明るみに出た。

人の耳や足元に伝わる感触までも、この半世紀でデジタルに置き換えられている。
何か大きな忘れ物をしたままで、それが置き去りにされているような気がしてならないのである。

 

忘れっぽいと逆に入りやすい

創作・作家

 

ペンギンはフレンドリーな生き物らしい。
観測隊員が南極で作業をしていると、とことこ歩いて近づいてくるという。

人間は同じ二足歩行の動物であり、遠目からは「仲間」に見えるのだとか。
そのペンギンも地球温暖化により種の存続が懸念されている。海水温の上昇が深刻なダメージを与える。

研究チームの調査で、キングペンギンという種を追跡した。海水温の上昇で餌場が移動して、通常300キロの遠泳が600キロに及ぶ年があったそうだ。その直後には生息数が3割以上も減った。過労死が続出したらしい。」

昆虫たちは冬が暖かいと、大変困るようだ。寒さは昆虫の体内で健康な春を迎えるために何らかの変化を起こす。寒さを十分に経験できなかったサナギは卵もあまり産めず、ひ弱なチョウになる。

健全な寒気が来ていることを教える空がある。その筋雲の列を断ち切るかのような飛行機雲をたまに見る。あたかも、(油を燃やし、地球を暖め続ける)身勝手な人間のスケッチのように。

  

1717

 

ペンギンが観測隊員を怖がらないのは長く隔絶された大陸に住み、人から迫害を受けた経験に乏しいためとか。

生息場所を人により狭められた熊やイノシシが餌を追い求める姿はペンギンと変わらない。人里を襲うのも、(世代交代で)狩猟の迫害を受けた経験に乏しいためなのは一目瞭然。

<忘れっぽいと逆に警戒心が解け、新しいものが入りやすい。どんどん忘れる方がいい>と書いたのは赤瀬川原平さんである。自然に逆らわず飄々と生きた人のようだ。

東京・四谷をふらっと歩いていて、見つけたのが「四谷階段」だという。
あの『四谷怪談』のしゃれである。

ある建物の側面に、ただ昇って降りるだけの用途不明の階段があった。
<ある意味、何の役に立つのか分からない純粋芸術に似ているではないか>と。

超芸術トマソン」と称する不思議な建造物発見が、一時期ブームになった。
その輪の中心にいたのが赤瀬川さんだ。

トマソンとは、元大リーガーで巨人の四番打者であった。全くの不発であるにもかかわらず、美しく保存された無用の長物に思えたとか。

  

1718

 

路上観察学会で仲間の建築家が、赤瀬川さんの自宅の屋根一面にニラを植えた。
無断で設計したという。

<作り手をしばっては面白くない。しかたないですねえ>。
赤瀬川さんは、頭のなかの自由を心から愛し、楽しんだ人である。
芥川賞作家という肩書さえ、かすんで見えるすばらしい人なのだ。

赤瀬川さんは、個性的な記述で知られる『新明解国語辞典』を親しみを込めて「新解さん」と呼んだ。

その中の【読書】は、赤瀬川さんのエッセイで“すごい”と評された項だ。

人生観を確固不動のものとするため時間の束縛を受けることなく本を読むこと。
寝転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは含まれない。

これだけは譲れない、という読書人の情熱がひしひしと迫る。

人生を決める一冊を真剣に探してみるのもいいかもしれない。
もちろん、<ベッドや電車で簡単に見つかるものではないぞ>と、赤瀬川さんはそうおっしゃるに決まっているが。

 

拓郎節で若者と化す熟年たち

音楽・アーティスト

 

一昨日、吉田拓郎さんの首都圏ツアーがパシフィコ横浜・国立大ホールで行われた。

今回は、市川市、東京、大宮、東京、横浜。2ヶ月リハーサルして数少ない公演だと、ご本人が笑いながら言っていた。「北は埼玉から南は横浜まで」が今の活動範囲だという。
ライブが終わって家に帰り、奥さんのご飯が食べられるからなのだそうだ。内にこもったおじいさんになりつつあったが、燃えたぎる70歳でやってみたいと思い始めた。そんじょそこらの70歳より元気でやっている、との自負もあるようだ。

既成の作曲家、作詞家による歌謡曲全盛の時代、自分の楽曲を引っさげ新風を吹き込んだ立役者が拓郎さんだ。

<テレビで歌われている歌はインチキ>と若者たちが思い始めるようにもなった。
テレビに出ない拓郎さんと会うには、コンサートに行くしかない。そして、そこでファンとのキャッチボールが行われた。

千秋楽のその日も、リアルタイムの目撃者である団塊世代以上のオニイさん、オネエさんたちが約4700人も大集結。大歓声の中、拓郎さんは23曲を熱唱してくれた。
ディランさんの『風に吹かれて』までご披露いただいた。

 

1715

 

70歳を体験して燃えるものが足りないと感じた拓郎さんは、自分を試すように“歌わなくちゃいけない”と思い始めた。

拓郎さんは繊細で神経もすごく使うため、疲労度が高い。それでもそこまで詰めないと良いステージはできないという。リハーサルでも一曲一曲誠心誠意こめて歌う。
命がけでライブをやってみたいと思い始めた。「燃えてみたい 燃えたい」からなのだと。

50歳代から生き方が変わったという。テレビ出演の話があった。が、局からは「あなたひとりでは視聴率がとれない」と言われた。それがキンキキッズとの共演のきっかけになった。

(どこの小僧なんだおまえたち)と思い、付き合い始めて、その若者に賭けてみようと思ったそうだ。

17、8歳とは疎遠になっていたが、彼らからいろんな話題が出てくる。全部勉強になり、毎週会うのが楽しみになる。東京に出てきて以来、2度目のカルチャーショックであり、すばらしい財産になった。

「今でもあのふたりには感謝している」と、最近出演されたテレビ番組で言っていた。

 

1716

 

ボブ・ディランが居たから今日がある。多くの事がそこから始まった」
ボブ・ディランさんにあこがれ、多大な影響を受けた拓郎さん。
一昨日の開演前にも、単独インタビューでディランさんのことに触れていた。

ノーベル文学賞で沈黙を続けている世界のカリスマ歌手に「授賞式はえんび服ではなく、ボブ・ディラン的ファッションで出たら格好いい」とコメントしているのだ。

本日の記事で、ディランさんが受賞を受け入れることを明らかにした、とあったが、一昨日の時点で私はずっと沈黙を続けていくことと思い込んでいた。意外であったが、授賞式出席が実現すれば、拓郎さんの言うように“ボブ・ディラン的ファッション”が見られるかもしれない。うれしい誤算であった。

また、「彼(ディランさん)は心の奥に何かを強く持ってるんだけど、それを生涯、人には明かさないんじゃないか」とも言っていた。さすがに拓郎さんである。

さて、あのコンサートの模様であるが、12月23日午後10時からNHKで放送されるらしい。観る方のためにくわしいことは書かないが、ホンのさわりだけ。

オープニングの『春だったね』から『落陽』を含む連続4曲で、客席は総立ちになり一気にヒートアップ。私たちは席の後ろがちょうど通路だったので、椅子の上に立ちノリノリだった。その後も知っている曲がほとんどで、後半に向かい(広島弁の)『唇をかみしめて』と『流星』が圧巻で、大感激であった。

 

飄々とした一面に心惹かれ

人間

 

長年、居酒屋とは縁があり、人並み以上に呑みすぎるわが身としては、店のトイレにもお世話になっている。

年を経て店のスタイルも変貌しているが、いつのまにかトイレの貼り紙が礼を言うようになってきた。

昔の常套句は、“一歩前へ”や“○○こぼすな”であった。どこか命令の響きがあったのが今は「いつもきれいにご利用いただき、ありがとうございます」とお礼口調なのである。

<衝撃を受けた。私に云っているのか。私が「いつもきれいに」おしっこしているところを誰かがみていた?>。

エッセイに記したのは、歌人穂村弘さんである。その貼り紙との初対面の感想らしい。こういう人が好きである。

たしかに自分以外に知らない秘めたる作法で、事に及ぶ前に礼をいただくのはおかしい。見事に代弁して下さっている。

 

1713

 

この方も飄々として楽しい人だった。放送作家をスタートにマルチな活躍をされた青島幸男さんだ。

1974年の参院選全国区に立候補した際、「参議院良識の府なんだから、声はり上げて頑張ってというスタイルの選挙は違うよね」と言い残し、選挙期間中はヨーロッパ旅行へ出かけた。

“すっぽかし戦術”と言われれたが、全国区3位で当選を果たした。

フランス人画家のポール・ゴーガンは株式の仲買人として勤めながら、趣味で絵筆をとる日曜画家だった。楽園を求め、“月”を追い、南太平洋タヒチ島に移り住んだのは画業に専心して9年目で42歳のときだった。

英国作家サマセット・モームは、その生涯に想を得て『月と六ペンス』を書いた。
“月”は夢と理想、“六ペンス”は現実のイメージだという。

画家という職業を知らなかった島の人々から、ゴーガンは<人間を作る人間>と称された。絵筆を用いて“人間”をつくりだす風変わりな人間と映ったようだ。

生前、名声と無縁であったゴーガンの作品に心惹かれるのは、絵の中で緩やかに流れる時間を眺め、文明社会の忘れ物を思い出すからなのだろうか。

 

1714

 

山本周五郎さんの『青べか物語』で、主人公がつぶやく。
「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」。
劇作家・ストリンドベリの著述にある一節だという。

周五郎さん自身も、その言葉を心の支えにしたのかもしれない。
味わい深い周五郎さんの作品に、励まされた経験をもつ読者は多いはずだ。

時空を超えた対話を可能にする書物はタイムマシンに似ている。

米国の作家レイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』は、情報統制で読書が禁じられた近未来が描かれている。

本の印刷も所有も禁止。隠し持っていることがわかれば、家もろとも焼かれ、逮捕される。そのことを、人々は疑問に思わない。

耳に装着する超小型ラジオや、部屋の壁面を覆う巨大テレビから流れる音や画像に没頭し、ものを考えることをやめてしまったからだ・・・と。

ネットの時代、本なんて面倒なものを読まなくても困りはしない。
今の自分もそうなりかけているような気がする。

何とも危なげで心もとないことに気づいていないのかも知れない。
タイムマシンに乗らなければ聞くことのできない言葉もある。
もちろん、飄々とした人間との出会いや対話もできるはずなのだから。

 

無礼傲慢な××賞の選考委員

音楽・アーティスト

 

今月の初めは若手プレイヤーによるイカしたジャズセッションを聴き、今週は吉田拓郎さんのコンサートへ行く。そして、12月には岡林信康さんの弾き語りライブのチケットもゲットした。拓郎さんは初めてだが、岡林さんとは数十年ぶりの再会になる。

思えばシンガー・ソングライターの歴史で、岡林さんから拓郎さん、そして井上陽水さんへとの流れはおもしろかった。岡林さんと拓郎さんの演奏スタイルはボブ・ディランさんの流れを感じた。それでいてふたりはまったく異質でもある。

陽水さんもハーモニカを肩から下げギター1本で歌っていたが、切ないメロディーとすばらしい歌唱力がひとつになり際立っていた。
その世代の若者たちもそうであるように、ギターを抱え彼らの歌を真似してよく歌った。

 

1711

 

感情移入が強かったのは岡林さんだ。
『チューリップのアップリケ』、『手紙』、『流れ者』、『山谷ブルース』・・・。
どれもが懐かしい曲ばかり。

拓郎さんが嫉妬したバンド「はっぴいえんど」を従え、ロックにアレンジした『私たちの望むものは』、『それで自由になったのかい』、『自由への長い旅』、『今日をこえて』もすばらしかった。

はっぴいえんど」のメンバーは、大瀧詠一さん、松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんである。彼らの、その後の活躍をみれば、とても貴重な音源である。

岡林さんに影響を受けたアーティストには、山下達郎さん、松山千春さん、泉谷しげるさんがいる。

音楽評論家・中村とうようさんが“ディランズ・チルドレン”に掛け「岡林チルドレン」という言葉を使用した。そのことに反論した高田渡さんと激しい論争に発展したのを思い出す。飄々とした高田さんからは想像もできなかった。

日本の“フォークの神様”と祀り上げられ、岡林さんはそのキャッチフレーズに耐えかねて、4年間の農耕生活に入ることになった。そして、拓郎さんが台頭し、陽水さんが大ヒットを飛ばす。

 

1712

 

本家本元の“フォークの神様”といえばボブ・ディランさん。
その歌は単なるメッセージソングではなく、さまざまな読み取り方ができ、そこが人をひきつける。政治的に利用されることを嫌い、ディランさん自身は説明をしない。

ディランさんは「ノーベル文学賞」授賞発表後、賞について一切言及していない。
本日の新聞記事によると、沈黙を守るディランさんに対し、選考委員の一人がテレビで「無礼で傲慢だ。こんなことは前例がない」と不快感を示したそうだ。

三ツ星レストランの選考でも、上から目線のようなものを感じて、良い気分ではない。
こちらの賞でも「やっぱりな」という感じである。

ディランさんにとって、そんな賞が必要なのか。そちらの方が問題である。
ディランさんが望んでもいないのに勝手に决め、返事がないと怒る。よほどその言動の方が「無礼で傲慢」そのものである。

ディランさんもそうであるが、岡林さんにも<国家権力や政治家を徹底的に風刺した歌詞>の曲がある。『くそくらえ節』は放送禁止になった曲である。

歌詞の概要は...
ある日学校の先生が生徒の前で説教した。テストで百点取らないと立派な人にはなれまへん。くそくらえったら死んじまえ、くそくらえったら死んじまえ、この世で一番偉いのは電子計算機。