日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

型のある人こそが破る表現術

 

<常識って? 凡人が仲良く生きるためのルールのことさ>。アップルのスティーブ・ジョブズさんは生前に語った。十八代目中村勘三郎さんいわく<型がある人が破るから、『型破り』。型がないのに破れば『かたなし』>とも。

<地球の裏側にはベースボールに似たゲームがあった>。昭和の終わりに、ヤクルトでプレーしたホーナー選手がファンをしらけさせた言葉だ。ベースボールと野球とは似て非なるものなり。平成に入って、イチロー選手がオリックスに入団したときもそんな時代だった。

オープン戦では流し打ちしかしない。「君は引っ張る方法を知らないのか?」と、いら立った監督が尋ねた。<いつだってできます。簡単です>。次の試合ではライト方向に鋭いライナーを3本放ち周囲の雑音を封じた。

多くの一振りが、脳裏に浮かぶ。<中前打ならいつでも打ちます>。決して大口でも冗談でもなかった。

 

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バットの一振りで表現してきた人でもある。大リーグ移籍では(日米で)“あの体格で通用するわけがない”とも言われた。アメリカでは小柄でやせっぽちの日本人野手が成功するとは、誰も信じていなかったのだ。

もう一年...いや、まだ一年なのか。メジャー19年目のシーズンは45歳であった。衰えぬレーザービームを見せてくれたが24打席連続ノーヒット。日本での試合を花道に引退した。こんな選手はもう、一生見ることができないだろう。長嶋茂雄選手もそうだった。あの長嶋流を継ぐ選手は未だに現れていない。

<小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行く唯一の道だということ>。イチロー語録のひとつである。日本を世界一に導いたあの意地の適時打。メジャーのシーズン最多安打や3000安打。伝説的なピート・ローズ氏の通算安打記録を抜いたころの打席。

 

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<今の僕は日本の野球なしには作れなかったと思ってます>と、かつて語った。子どもの頃から地元のバッティングセンターなどで磨いた技術が、驚異的な打撃術に昇華した。

走・攻・守のクロスプレーが織りなす野球の醍醐味も目が離せなかった。日本では7年連続の首位打者アメリカに渡り10年連続200安打を達成。2004年にはシーズン最多の262安打を放った。外野から内野への矢のごとき返球の「レーザービーム」。足の速さや身の軽やかさも光り、本場のスタンドも大いにわかせた。

それでも、イチローさんが野球を楽しんだのは、1994年に日本プロ野球初の200安打を達成した頃までだったとか。

<どの雲にも銀の裏地が付いている>。イチローさんの引退時、新聞のコラムに載った英語のことわざである。

暗雲に見えても、反対側は太陽で輝いている。雲を貫き、光の中で舞った人。美しい線を描く打球以上に、選手生活のかくれた場所にある裏地だろう・・・と。

 

叱らないでつながるやさしさ

 

春夏秋冬の順なのか、一年の計は元旦というより春4月のイメージが強い。春の田植えで実るのは秋。春から秋へのリレーも楽しみだ。

稲穂と水、穴の周囲には歯車。それぞれ農業と水産業、工業のシンボルなのらしい。 5円玉に描かれたデザインである。“ご縁”に掛けてさい銭などで人気だった5円玉は、戦後日本を支える産業としての期待が込められ1949年に作られたという。

増税5%の時代にも5円玉が重宝がられた。今は10%というキリの良さなのか小銭の存在感が薄いらしい。最近、1円玉も流通用に製造されていないとか。

クレジットカードや電子マネーの登場で出番も減ったことだろう。かつてのように貨幣を通じて生活や産業をがどのように模様替えをしたのか、そのデザインで知ることが減っていくような気もする。

 

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文字もある意味でデザインなのか。たとえば「叱る」という字のつくりで、“七”は鋭い刃で切ることを意味するという。口舌の刃で相手に傷をつけること・・とか。

一太刀でたたき切ればお相手の面目をつぶす。多言を駆使して切り刻めば恨みだけが残される。まさに、口は災いの元となる。

漢字だけでなく数字の組み合わせも興味深い。たまに目にする3つの数字<1・29・300>。「ハインリッヒの法則」だという。

1つの重大事故の中には29の軽微な事故があり、300件の異常も隠れる。この29と300を捉えて分析することで、事故を未然に防ぐ「予防安全」につながるのだという。

100年近く前、アメリカの保険会社のハインリッヒさんが提唱した経験則である。

 

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作家・姫野カオルコさんにはすてきなエピソードがある。ノートへ小学生の時から物語を書いていたカオルコさん。国語の授業で抜き打ちテストがあった。

12歳の時だった。カオルコさんは動揺したのか、うっかりと国語のノートではなく物語用のノートに解答を書いてしまったそうな。

試験後すぐに先生は、採点チェックのためにノートを回収して職員室へ持っていってしまった。自分の小説が読まれてしまう。カオルコさんはあせった。それも、物語のジャンルは“恋愛もの”だった。

やがて、戻ってきたノートを見てカオルコさんはもっとおどろいた。先生がその小説に校正を入れてくれていたからである。なんの冷やかしもなく、直しがきちんと入っていた。

きっと一つの作品として見てくれた、ということだろう。そこには“口舌の刃”などまったく介在しない。なんてすてきな先生なのか。

 

流れの先に待つのは何なのか

 

何気ない新聞記事を思い出すことがある。2019年3月、佐賀県警武雄署は住所不定、無職の男(当時44)を窃盗容疑で逮捕。男は8日午後10時45分頃、町内の女性方敷地にて無施錠の軽乗用車から約760円を盗んだ疑いだという。

女性が車に乗ろうとしたところ、男は逃走。車上荒らしの疑いを持たれたが、車内には男のものとみられる運転免許証や2000円の入った財布が残されて、あえなく逮捕となった。窃盗はよくないことだが、この犯人をなぜか憎めない。

また、大きな箱に隠れて2019年12月に日本から密出国によりレバノンに逃亡した保釈中のカルロス・ゴーン被告も、子供っぽさを感じて思わず笑ってしまった。

“日産の救世主”ともてはやされたゴーン被告の功績は、業績のV字回復のみならずファンが待望していた名車の復活もあった。スポーツカーの「フェアレディZ」である。

  

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1970年にアメリカで「ダットサン240Z」の名で発売されたフェアレディZは、米国日産の社長だった片山豊さんが開発を指揮して大ヒットを飛ばした。ブームの先駆者である片山さんは、「Zの父」と自動車ファンからも慕われた。

経営不振に陥った日産は、1995年にZの製造中止を発表。ゴーン被告がルノーから送り込まれると、すでに会社を離れていた片山さんが直談判をした。そして、名車の復活と相成った。ゴーン被告もZのファンだったのである。

さて、ゴーン被告の如く箱に隠れることなく、覆面をかぶったまま空港の入国審査を堂々と通ったことがあるという人がいた。アメリカの覆面レスラー・デストロイヤーである。母国のアメリカでは事件になってもおかしくないが、この人ならば日本で許されたとか。

力道山が空手チョップで、外国の猛者たちをなで切りにしていた時代、外国人プロレスラーは悪役だった。

 

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力道山 VS ザ・デストロイヤー」では伝説の熱戦がある。1963年5月の対決は視聴率64%にも達した。戦後の日本人の心持ちを、このヒールは見事に受け止めていたのだ。私もリアルタイムのテレビで視聴していた。この試合でデストロイヤーは空手チョップにより歯を四本折られていたとか。

<激痛手当を出せ、数日後は父親参観なんだ!>。かつての人気番組『金曜10時 うわさのチャンネル』の名シーンである。日本テレビのアナウンサーだった徳光和夫さんはデストロイヤーに4の字固めをかけられて、あおむけに倒れたまま痛くともマイクを離さなかった。

覆面からのぞく つぶらな目と団子っ鼻、愛嬌のある笑顔。あの悪役のデストロイヤーは日本のお茶の間の人気者へと変身していた。

<人生は後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない>。デンマークの哲学者・キルケゴールの言葉である。時間は、ただ一つの方角へと流れている。あの時・・・と振り返ることはできても、流れの先に何が待つのかは、誰にも分からない。

 

閉じるようにできていない耳

 

人とは<眼前の獲物に夢中で、頭上から狙われていることに気づかない小鳥のようなもの>なのかもしれない。江ノ島や鎌倉のトンビを連想してしまう。いともかんたんに人の食物を盗み去り、人は空を飛んで取り返せない。

先日、住宅街を歩いていたら、帽子をかぶる私の後頭部を誰かがコツンとした。知り合いのイタズラかと思いきやカラスであった。私の住む市では昨秋からゴミ廃棄の有料化が始まり、戸建て住宅では生ゴミも各玄関前に置くようにされた。

そのゴミを漁るカラスが増え、方々で汚い状態になっている。カラスにしても狙う家の縄張りがあって、人への威嚇もあるのだろう。

カラスは賢く、人間の顔を識別したり、ボール遊びもする。道路にクルミを置いて車に割らせ、中身を食べることも・・・。以前テレビで見たが、カラスは公園で水道の栓をくちばし回し、蛇口から水を飲んだり、水を噴き上げさせて水浴びもする。

 

 

アフリカに生息する(カラスみたいな)クロオウチュウは信用を逆手に取るという。他の鳥や動物が獲物に群がるのを見張り、敵が近づくと高声で鳴いて危険を知らせてあげるのだ。

そこで得た信用を利用して何回かに一度は嘘の警告で鳥たちを追い払い、自分だけでゆっくりと獲物を失敬するのがお得意らしい。

ヨシキリの巣などで育ててもらうカッコウは、鳴き声で親を欺くのが上手だとか。“シッ”と一声出すヨシキリのひなを意識してか、カッコウのひなは“シシシシ”と(親鳥に)ねだり続けて給餌を優先させる。

なかなかの知能犯だと思えるが、生物たちもそれぞれのだましのテクニックを駆使して生きぬけているらしい。耳に訴えるその技術は「音響擬態」といわれる。

さて、私たちには耳が二つあるのに、口はたった一つしかないのはなぜか。古代ギリシャの哲学者キプロスのゼノンは説いたそうな。<それは、より多く聞き、話すのはより少なくするためだ>と。

 

 

物理学者・寺田寅彦さんは問い掛けた。<眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。なぜだろう>。

私たちの耳の進化の歩みとは、なかなか味わい深いものらしい。耳は元々、体の平衡を保つための感覚器として生まれたという。生物の進化の歴史の中で、重力を感じ、体の傾きを感知する平衡覚器であったのだ。

そこに水の流れや振動を感じる感覚細胞が加わり、やがて陸に上がった脊椎動物には、空気の振動を伝えるための“中耳”が生まれた。その中耳をつくるために使われたのがエラだという。

考えてみると、最古の感覚器の一つでもある私たちの耳の中では“エラのかけら”が今も働き続けているということなのか。

さて、閉じて見て見ぬ振りをする眼に対抗するには、(閉じられなくとも)都合の悪いことは聞こえないフリをする「体現技術」の習得が必要になってきそうである。(ふむ)

 

あまのじゃくは脳のどこから

 

あの二葉亭四迷さんは坪内逍遥さんを訪ねて教えを請うたという。<初めての小説をどう書くか>。坪内さんいわく“円朝の落語通りに書いて見たらどうか”・・・と。

四迷さんは言われたとおりに、三遊亭円朝さんの口演を参考にして、話し言葉に近い口語体を用いた文章で書いた。当時、文語の社会にあって型破りともみえた作品『浮雲』が生まれた。そして、現代につながる言文一致体が近代小説の始まりを告げた。

口語体といえば夏目漱石さんも思い浮かぶ。漱石さんが文芸誌に発表した『坊っちゃん』の原稿料は148円だったそうな。現在の価値にすると約50万円。

大正末からは1冊1円をうたう全集“円本ブーム”が起きた。1927年に永井荷風さんは、『現代日本文学全集』の自分の巻で契約手付金1万5000円(約2250万円)を受け取り、江戸川乱歩さんは『現代大衆文学全集』で1万6000円以上の印税を得たらしい。

 

 

それにしても、近代小説のルーツが伝統芸の落語だったというのは微笑ましい。<歌舞伎は98%が伝統で、97%になると歌舞伎ではなくなる>。かつて、十二代目市川団十郎さんは文芸誌の対談で語っていた。

われわれが様々に模索しているのも、先祖たちがつくった98%の残り、2%の中なのです・・・とも。ほんのわずかな数値の意味に重みを感じる。

5年ほど前の統計だが、日本のニワトリは毎秒1056個の卵を産んでいる。そして、日本の国民が廃棄する食品は、おにぎり換算で毎秒1441個だった。1秒などと小さい数値に目をつける逆発想で大きなものが見えてくる。

わざと人に逆らう言動をする人は、つむじまがりやひねくれ者ともいわれる。こういう人たちを「あまのじゃく(天の邪鬼)」という。その語源は民間説話に出てくる悪い鬼で、「物まねがうまく他人の心を探るのに長じるあまんじゃく」なのだとか。

 

 

相手の期待を裏切る際には多少の「罪悪感」も感じそうだ。そのときは“脳のどの部位が働いているのか特定した”という記事を読んだことがある。

情報通信研究機構の研究チームが41人を対象に実験したという。相手と自分でお金を分配するゲームをやり脳活動を計測する。その結果、自分の取り分を多くして相手の取り分を少なくして「罪悪感」を感じる場合に、右脳の前頭前野がよく働いていたとか。

つまり、脳の前頭前野と呼ばれる部位で罪悪感をキャッチするようだ。この部位を電流で刺激すると、罪悪感が高まり、相手に協力的な行動を起こすことも確かめられた。

また、相手の取り分を多くして自分は少ない「不平等感」を感じる場合には、扁桃体と呼ばれる脳の奥にある部位がよく働いていたとのこと。

あまのじゃくは、人が右に行くといえば左に行く。孤独ではあるが、人とは違った目でものを見て、異なる判断を下すことができる。ある意味、社会にとってなくてはならない貴重な存在でもあるようだ。

 

世界の見え方が異なる名人達

 

本塁打王王貞治さんは、打席で“ボールの縫い目まで見える"といった。打撃の神様川上哲治さんも好調のときには“ボールが止まって見える"と発言している。

「動物的」と称された長嶋茂雄3塁手は打撃のみならず、華麗な守備で多くのファンを魅了した。長嶋さんが打球に反応してショートゴロまでキャッチをする姿をテレビで見た記憶がある。

かつて、テレビでご本人は“セカンドゴロも(3塁から突進して)捕ったことがある"とも言っていた。

また、人間離れした技を空中で繰り出す体操の内村航平選手は、体育館の天井や壁の景色を絵に描いて、記憶に刻みつけたとのこと。体がどんなに回っても、今どの位置に自分の体があるのかわかるのだ、という。

その道の名人たちは、世界の見え方がふつうの者とはまるで異なるらしい。

 

 

日本の映画界にも、ハラハラ・ドキドキと観客を興奮させ、サスペンスで息をするのも忘れさせるような監督がいた。

日米合作の真珠湾攻撃を描いた超大作映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年公開)で、当初の日本側監督は、黒澤明さんだった。しかし、黒澤監督の撮影は進まず、米映画会社が黒澤さんを降板させることになった。

別の日本人監督に打診するが、<こんなもので世界的な監督になんかなりたくない>と断った人がいる。映画監督・佐藤純彌さんである。<世界的な監督になる機会を棒に振るのか>という米側の説得にそう言い返したらしい。

惜しくも2019年2月9日に86歳で亡くなられた佐藤さんは、斜陽期の1970年代の映画界にて『新幹線大爆破』、『君よ憤怒の河を渉れ』、『人間の証明』などと多くのヒット作を残した。

 

 

佐藤純彌監督は映画本来の娯楽性を大切にした監督である。とくに『新幹線大爆破』では小説を先に読み、これほどの作品がうまく映像化できるのか・・と心配であった。

撮影に関しても、当時の国鉄が題名に驚いて一切の協力を拒否したという。どうしても運転指令室の内部を知りたい佐藤監督は、視察と称して(雇った)外国人を潜入させた。

新幹線の速度が80km/hを下回ると爆発するというサスペンスの内容は、アメリカ映画『スピード』にも使われている。

高倉健さん演じる犯人は、北海道の貨物列車にも爆弾を仕掛けて、時速15キロ以下に減速して爆発をさせてみせた。その伏線がリアル感を増し、減速ができず延々と走り続ける新幹線のシーンだけで、観客を飽きさせることなく緊迫感がどんどん深まる。

作品を盛り上げる“枷(かせ)”の使い方も上手で、佐藤純彌監督の目には“驚愕する観客の顔が見えているのではないか”と思えてしまうほどの作品だといえよう。

 

衰えぬ向上心こそが可能性へ

 

全世界のうち日本の国土面積は0.28%だという。それで、全世界で起きたマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起きている。日本の活火山も全世界の7.0%になるそうな。

明治時代の『東京風俗志』という書物には<都下の建築は常に火災を慮(おもんばか)りて、及ぶだけ粗略に作れり>と記された。

どうせ火事にあうのなら家を粗末に作るという(江戸時代の)考えが、まだ一般的の頃だったらしい。

庶民の貸家も<3年火災を免れ得べくば、その資金を復することを得べし>で、3年間の家賃で建築費を回収できる粗末な造りにした・・とも。

さて、生涯で93回も引っ越して、住む家を次々にゴミ屋敷化したというのが江戸時代の絵師・葛飾北斎である。

 

 

役者絵からスタートした北斎は、美人画、風景、物語の挿絵、動植物などと自在なタッチで多彩なジャンルをこなした。

その才能は、フランスの画家モネやオランダの画家ゴッホにも影響を与えたらしい。その反面、絵のこと以外はまるでだめな変人だったともいわれる。

「あと5年生きたら自分は真の絵師になれるのに」。89歳での死の床で北斎はつぶやいた。向上心はまったく衰えていなかったのだ。

今の70代は「老年期の青春」とか。作家・黒井千次さんの説らしい。<80代になると体が動かなくなる。でも、70代には色々な可能性があったと思う>と。

<老年の悲劇は、彼が老いたからでなく、彼がまだ若いところにある>。こちらは19世紀イギリスの劇作家・小説家のオスカー・ワイルドの言葉である。

再び巡り来る青春をいかにして悲劇にせず“可能性”を見つけるか。人生100年時代に多くが向き合う問いになりそうである。

 

 

映画監督・小津安二郎さんといえば名脚本家の野田高悟さんが思い浮かぶ。

小津さんと野田さんは私生活でも親交が深く、公私にわたり良きパートナーとなった。小市民の生活を味わい深く描いた「大船調」の代表的存在である。

ふたりの脚本はいつも、一升瓶で100本の酒を飲み尽くす頃に仕上がったというから豪快で、おふたりのイメージが覆ってしまうほどだ。

無頼派の作家といえば太宰治さんというイメージが強い。しかし太宰さんはとても几帳面な人だったとか。

2017年に原稿発見された「直治の遺書」と書かれた連載最終回の冒頭は、乱れのない几帳面な字で書かれていたという。

後に太宰さんは、この部分を執筆した心境を<ペン先に、自分が引込まれるような気がした>と振り返ったらしい。

その原稿用紙の左上の欄外には印刷所に一番早く送られたことを示す印もあったというから、締め切りを厳守し、執筆時の緊張感も伝わるようだ。

 

2位のイタリアを大幅上回り

 

売ろうとする製品の、悪い面にも言及することは、セールスの極意らしい。売りたい製品の良い面ばかりを強調するのではなく、あえて“少し操作をしにくいですが”や“若干お高くなっています”などのトークを混じえる。すると、顧客はセールスの正直さを感じ心を開く。

20世紀最高の劇の一つである戯曲『セールスマンの死』(アーサー・ミラー)で、主人公のセールスマンは63歳。若い頃はやり手で家族からも尊敬されていたが、歳をとり落ち目になっていく。

30代の息子たちは自立できずいがみ合い、築いた家庭は崩壊。行き場を失った主人公は悲劇的な死へと向かう。

現在の日本では65歳以上の人口が最高28.4%で、75歳以上は7人に1人だという。世界201の国のうち65歳以上の割合が最も高く、2位のイタリア(23.0%)を大幅に上回っているそうな。2025年に30.0%、40年には35.3%に上る見込みだという。

 

 

平均寿命は80歳を超え、60歳で定年退職すると20年以上の余命。第2の人生をいかに送るか。収入面でも不安があるだろう。親子関係の「8050問題」も深刻だという。長期間ひきこもる50代の子を80代になる親が支えるという現実だ。

高齢ドライバーの事故が増え、免許返納を促すケースも増えている。そのせいか、アシスト自転車に乗る高齢者をよく見かける。

<人生は自転車に乗るようなものだ。バランスを保つには、常に動き続けなければならない>。息子に宛てた手紙にアインシュタインは書いたという。

やがては高齢で自転車に乗ることも難しくなるのか。自転車に代わり、簡単に操れる乗り物が登場するかもしれないが・・・。

自動運転が現実になりつつあり、自動運転バスの実証実験も進む。実現すれば、運転手が不足した地域で高齢者の利便性は増す。そう思えるほど技術の進歩は目覚ましいが、自分が生きているうちに実現するのか不明である。

 

 

過疎地域などで、人だけでなく荷物も運ぶ「貨客混載」の事業がスタートしているという。運転手による買い物代行も可能であり、買い物弱者や高齢者への支援にもつながるのだ。

貨客混載とは、国土交通省が2017年に運送業界の担い手の確保や、過疎地域で車両や運転手を有効活用して、輸送サービスを維持するための規制緩和の一環である。

タクシーやバスの運転手が客に代わり、町で買い物をし商品を届ける“買い物代行”や客から玄米を預かり、自社で精米して届ける事業も始まっている。タクシー・バス事業とコイン精米事業に、貨物運送事業を組み合わせるというアイデアがおもしろい。

過疎地域ではタクシー稼働率が低く、手の空いている運転手が活用できる。買い物に不便を強いられている人たちも気軽に利用できるだろう。

とはいえ、国交省が発表しているタクシー運転手の平均年齢は58.7歳で、すべての産業の平均年齢(42.9歳)に比べて15歳以上も上回っているそうな。

 

はっきりしない空模様は続く

 

<空に三つ廊下>。空模様がはっきりしないときの言い回しだという。降ろうか、照ろうか、曇ろうか。この3つの“ろうか”を廊下に置き換えているらしい。

景気の“気”は気分の「気」といわれるが、今まで通っていなかった場所へいい気分の気が行き渡るといいが、逆のパターンもありそうだ。。

アメリカがくしゃみをすると日本は風邪をひく>。子どもの頃から聞いていて、なにかのギャグかと思っていたが投資の格言だという。アメリカ経済がコケると、日本経済は大コケする。

さて、中国などで旧正月を祝う春節の大型連休では、中国の訪日客が急増することから、国内の小売業界や観光地で売り上げ増への期待が高まっていたはずだ。今年の収支決算はどうなっていくのだろうか。

 

 

新型コロナウイルスの騒ぎ以前からも、一部では中国経済の減速を懸念する声が出ていたが・・・。

日本の観光庁の調査では、(春節期間を含む1~3月の)中国人観光客の1人当たりの消費額が「爆買い」で伸びた2015年の約30万円に対し、18年は約23万6000円に減ったという。

家電など高額商品の消費は落ち着き、日用品のまとめ買いが主流になっている。とくに近年は都市部でモノを大量に買うだけでなく、地方に出向き自然や文化を体験する「コト消費」へと人気が移行している。

「モノ」より「コト」への切り替わりで、各観光地の期待も当然膨らんだはずだ。どういう形でも中国経済が冷え込めば、日本の小売業や観光業にマイナスとなる。

 

 

いよいよ日本の店頭でもマスクが品薄になってきた。その前に中国人が日本で爆買いしているシーンがテレビに流れていた。けしからんと思いきや、ほとんどのマスクは中国製なのらしい。

たしかに、日本の100円ショップも中国に頼らないと成り立たない。昨年末、自転車を購入。それも中国製。他にも家電など身の回りには中国製が多い。

私はインターネットのサイトで安くておもしろそうな商品をよく買う。品物が届くのに時間がかかるのは難点だが、楽しみに待っている。それらも中国製のモノのようだ。

数年前、箱根の乗り物乗り放題のフリーパスで遊んだことがあった。春節の時期と少しずれていたから平日にゆっくりと楽しめる、と思っていた。そうしたら、春節の時期をわざとずらした中国人の団体客であふれ大混乱であった。どうやら、春節をずらして楽しむツアーだったらしい。

反日で韓国からの観光客も減り、中国もあの騒ぎ。日本の観光客はゆっくり過ごせそうだが、経済も含めて<中国がくしゃみをすると日本は風邪をひく>どころでは済まされないような気配になっている。

 

興味が尽きない作家達の逸話

 

ウィキペディアによれば、作家とは芸術や趣味の分野で作品を創作する者のうち作品創作を職業とする者、または職業としていない者でも専門家として認められた者をいう・・・らしい。

<私は自分の小学生の娘や息子と、少年週刊誌を奪ひ合つて読むやうになつた>。作家・三島由紀夫さんは漫画好きだったそうな。ちばてつやさんの『あしたのジョー』の続きが読みたくて、週刊少年マガジン編集部を夜中に訪ねたこともあったという。

手塚治虫さんといえば漫画の神様だ。<ぼくの描くマンガの人物というのは全部ぼく自身で、ぼくのいろんな面がそれぞれ分身みたいになっている>と自著に記した。

作家・水上勉さんは9歳で京都の寺に預けられた。その寺も飛び出し、42歳で直木賞を受賞して流行作家になるまでは職を転々とした。中国での苦力(クーリー)監督、薬の行商、代用教員、役所勤めなどと職種は30を超えたとのこと。

 

 

水上さんにとっては作家も“天職”とはいえなかったようである。<天職はもっと・・・人によろこばれ、自分もよろこびを見出すことも出来、そうして、そのなすところのことが人のためになっている>ものとの信念があったからである。

作詞家・なかにし礼さんといえば、昭和歌謡曲の大ヒットメーカーである。とはいえ、約3千曲の作詞をして、その中でヒットしたといえる曲は約3百。今もカラオケで歌われる曲は約百曲だという。

<残る2千7百曲はむなしく埋もれてしまった>と、なかにしさんは自著に書いた。いかにヒット曲をつくるのは難しいのか。人気作詞家のなかにしさんでさえこの確率なのだ。

なかにしさんいわく「大ヒットした曲というものはどこかで時代を映している。そうでなければ人の心に届かない」とのことだ。

 

 

今はどうかわからないが、かつて日本製品は海外で“クール(かっこいい)”と評判であった。そういう製品を産み出すメーカーもある意味で作家なのだろう。

人気のあったSF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のシリーズ第3作に、おもしろいシーンがある。親友の科学者ドクが発明した自動車型のタイムマシン“デロリアン”で冒険を繰り広げるのは、カリフォルニアの高校生マーティである。

1985年から30年前にタイムトラベルしたマーティ。55年のドクにデロリアンの修理を頼む。「故障するわけさ。メード・イン・ジャパンだ」。小さな電子部品を見てドクは言う。

「何を言ってんだドク? 日本製が最高なんだぜ」とマーティ。初回作ではマーティが、あこがれのトヨタ車を85年の街で見かけ「ザッツ・ホット(いかしてる)」とつぶやくシーンがあった。

1955年には粗悪品の代名詞だった日本製の評価が、85年までの30年間で劇的に変わったのは確かであった。あれから35年、クールでホットな日本製品は何なのだろう?