日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

4Kデジタル・リマスター版

 

<哲学が束になってかかろうとも、タバコにまさるものはあるまい>。
モリエールの戯曲『ドン・ジュアン』の一節だという。

1904年(明治37年)の7月に、タバコの専売法が施行された。
本居宣長の歌にある「敷島の大和ごころを人問わば朝日ににおう山ざくら花・・・」。
から「敷島」「大和」「朝日」の官製たばこが登場したらしい。

専売制度が廃止された現在も価格は財務相の認可事項で、嫌煙傾向をいいことに種別ごとの値上げは続く。

人さまの顔色をうかがいながら煙の行方に神経を遣う愛煙家たちも、健康に悪いと言われ肩身が狭い。そのうえ懐にも響くばかりである。

(愛煙家たちにとって)古き良き時代の映画やテレビドラマには、喫煙シーンがふんだんに盛り込まれていた。

 

1871

 

くわえタバコがよく似合い、カッコよかった役者といえば石原裕次郎さんである。
当時の若者たちも、裕次郎さんになりきって くわえタバコを真似したはずだ。

映画『陽のあたる坂道』では、カレーライスをかき混ぜて頬張るシーンがあった。
その食べ方も若者たちに大流行した、と訊いた。

今年で没後30年。早いものだ。
先日、裕次郎さんの代表作が数本、テレビで放映されていた。
それらのタイトルに「4Kデジタル・リマスター版」と銘打たれていたが、録画したまま観ていないのでとても楽しみである。

昨年、松竹映像センターで小津映画のデジタル修復に取り組む五十嵐真さんの記事を読んだ。小津安二郎監督作品をはじめ、松竹の名作をデジタル技術で修復するプロジェクトを担当されているという。

昨年2月のベルリン国際映画祭では、小津監督の『麦秋』を高精細な4K技術で修復して出品した。そして、「60年も昔の映画とは思えないほど美しく新鮮」と高い評価を得たそうだ。

 

1872

 

五十嵐さんは、2005年からデジタル技術による修復に本格的に取り組んだ。
今の技術は古い映画の画面のざらつきやノイズも全て排除できるが、やり過ぎると当時の映画の情緒を壊してしまうとのこと。

<見やすさか、作品の歴史的価値か>。技術の進歩ゆえの葛藤は世界共通の悩みらしい。

米ハリウッドのスタジオで『インディ・ジョーンズ』を修復した際は、ジョージ・ルーカスさん、スティーブン・スピルバーグさんも監修のために訪れたという。

ルーカスさんは革新的な技術を好むが、スピルバーグさんは古い質感を重視するため、
2人が一緒だと仕事はなかなか進まないようだ。

修復する時も、監督の意図を知る当時のスタッフに監修を依頼する。
映画にはワンカットずつ狙いがあり、五十嵐さんは当時の製作者と現代の技術者の橋渡し役になりたい、と語っておられた。

かつての名作が新技術できれいに蘇るのはうれしいが、技術の発達した今は後世に残る名作がどれだけ生まれているのか。アナログ時代の名ドラマの再放送を観るたびいつも思うことだが、今では見られない配役やおもしろい話が満載なのである。アナログ画質は今より劣るはずだが、それもまったく気にならず作品に没頭してしまう。

 

パソコン・電話 いたしません


濁ると澄むでは意味の変わる言葉がある。
その代表はやはりこれだろう。<ハケ(刷毛)に毛がありハゲに毛がなし>。

また、濁音の表現は不快感を誘うこともあるという。

“かに(蟹)”を濁らせた「がにまた」や、“さま”を濁らせ「ざまあ見ろ」などと。
それは濁音による心理を応用した悪口になる。

少し前に流行?した「ゲス」や「下策(げさく)」にも濁音が絡む。

春の日と掛けて金持ちの親類と解く。<くれそうでくれない>。
「日が暮れない」と「お金をくれない」の掛け合わせらしい。

“くれない”のピークである夏至である。
こちらはあいにくの雨でその実感は薄かったのだが。

夏至冬至に比べて人気に欠けるような気もするが、それは濁音の前後差によるものなのであろうか。

 

1870

 

スマホとパソコンのどちらにも濁音の表現はないはずが、濁音以外の温度差が出てきているらしい。

パソコンを使えるばかりに仕事が殺到するのだという。

『PTA界にこだまする「パソコンが辛い」問題』を、ライター・大塚 玲子さんが書いていた。

PTA活動において、パソコンを使えない人は何もしないで済むのに、パソコンを使いこなせる人が少ないとのこと。

多くの母親たちが日常的に使うのは携帯やスマートフォンであるが、パソコンは苦手なのらしい。

PTA・広報委員会では、パソコンで打った原稿データを印刷所に渡して、年に数回、広報紙(PTA新聞)を発行する。

一昔前まで、手書きの原稿でもよかったが、最近は印刷所の人が文字を打ち込み直す手間を省き、パソコンで原稿を入力して、印刷所にデータを渡すやり方が主流だという。

 

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広報委員の仕事は原稿書きだけではない。原稿チェックや、完成した広報紙を折る作業など、パソコンを使えない人でもやれることはある。

しかしパソコンができないことを理由に、だんだん(委員会の)集まりにすら来なくなる。
結局、ほとんどの作業をパソコンが使える人だけでやることになってしまうのである。

やっと、自分たちの仕事を終えたと安堵していると、今度はパソコンをできない人の手書き原稿を打ち込む仕事がまわってきたりする。

今いる私の職場も同様で、なにかあるとパソコンに詳しい(と思われている)私に泣きついてきて、パソコン以外の余分な作業がついてまわる。

<電話口「何様(なにさま)ですか?」と聞く新人>。
サラリーマン川柳の旧作である。

電話に出るのが苦手な若手社員の話題は数年前からあるが、電話がいやで退職する新人社員も出ているそうな。

スマホは見事に使いこなしているが、通話の割合が激減しているのか。それとも、固定電話に違和感があるのだろうか。

家にいて固定電話にかかってくる内容は、なんらかの営業ばかりで、鳴ると不快な気分で身構える。電話を使う仕事をさんざんこなしてきたわが身であるが、いまや電話アレルギーである。

アガサ・クリスティさんの『ABC殺人事件』のなかで、名探偵ポアロは述べている。
<会話とは人が胸に隠していることを発見する確かな方法である>と。

さて、スマホタブレットでネットをしても、パソコンや電話を使わない人の胸の内には、いったいなにが秘められているのであろうか。

 

なんのために鳴くホトトギス

 

炊飯器で炊いたご飯の、抜きん出ておいしい部分は表面だという。表面をすくい取って口に運べば、甘みがとても深いらしい。

うまい米は上へ上へと集まる。しゃもじで混ぜるのは“おいしさを均等にするためだ。

人間の社会でも、おいしい部分は上に集中する。しゃもじで混ぜる役目は政治家か、と思いきや、彼らは“上から目線”で(味をしめた)おいしいモノを抱え込んで離さない。

深い味わいのある言葉がわからなければ、伝統文化を理解することができない。
相手に語りかける言葉の品位によっては、人間関係が豊かになることもあれば、傷つくこともある。数学や論理的思考の能力も国語力と結びついているはず。

 

1867

 

古今和歌集にある夏の歌34首のうちで、28首にホトトギスが詠まれている。
昭和の初め、随筆家・寺田寅彦さんは信州・星野温泉でホトトギスの声を浴びるほど聞いたという。

物理学者でもあった寺田さんは、随想『疑問と空想』にて<なんのために鳴くのか?>と問いかけた。

科学者らしい考察で...
多くは鳴きながら飛ぶ。雌を呼ぶつもりならば、鳴き終わった時にはもう別の場所に移っているので用をなさない。

<おそらくは自分の発する音波が地表面に反響するのを利用して、飛行に必要な測量をしているのだろう>、との結論に達した。

言葉を発し、その反響に耳をすませ、自分が現在いる位置と進むべき方角を確かめる。
思えば人の世も、ホトトギスと同じに音波測量で成り立っているのかもしれない。

 

1868

 

「感性」を調べてみると、心に深く感じること、知性や意志と区別された感覚、などと出てくる。それは、欲求、感情、情緒などに関わる心の能力であると。

巷では成熟社会を迎え、商品開発のカギは価格の安さや高品質だけではなく、感性価値が決め手になるようだ。

その昔、俳優の小沢昭一さんが東京・四谷の街を歩いていたら、お稲荷さんの前あたりから妙な話し声が聞こえてきたそうだ。

何かと見ると、先代の林家正蔵さんが誰もいない所で落語を演じていた。
たずねると、正蔵師匠は「神様に聞いてもらっている」と答えた。

つまり、“今日(こんにち)さま”に捧げる、ということだったらしい。

<その日一日を守ってくれる神様、おてんとうさま、今日さまという昔懐かしい言葉に久しぶりで出会った>との言葉を、小沢さんはその回想に添えた。

一斉に世の中が夜行性の魔法をかけられたかのように、おてんとうさまや今日さまを忘れた出来事が続いている。嘆かわしいことである。

とはいえ、日が沈みアルコールが入ると活き活きしてくる昼行灯(あんどん)の私が、言えた義理でもないのだが。

 

面白い話は やはりおもしろい

 

<勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし>。
野村克也さんが監督時代から口癖のように語っていた言葉である。

映画界では、巨匠・黒澤明監督が言っていた。
<良いシナリオから駄作が生まれることもあるが、悪いシナリオから傑作が生まれることはない>と。

こういう話が大好きなので、なにかの拍子に思い出している。

<死の場面になると、俳優たちは急にリアリズムに切り替わるのだ>。
喜劇王チャップリンさんは、東京で見物した歌舞伎の印象を自伝に記した。
直前までバレエのように舞っていたのに・・・と。

たしかに、一世を風靡した東映のチャンバラ映画より、歌舞伎にはスローな動きも多い。
<忍者がもう存在しないというのは嘘だ。シアトルにいるではないか>。
かつてアメリカで、こんなジョークが野球ファンの口にのぼったとか。
もちろん忍者は、(以前)シアトル・マリナーズに在籍したイチロー選手のことだ。

 

1865

 

株式取引の重要指標である“時価総額”は、発行済み株式数に株価をかけ、企業価値を示す数字として使われる。何千億、何十兆などの数字が並ぶと、縁遠い身にはピンとこない。
5年後に時価総額をいまの倍の1兆円に高める、との目標を掲げた日清食品ホールディングス経営陣は、社員に自社株の動きを意識してもらうのが難しいと感じた。

そこで生まれたのが「カブテリア」という名の社員食堂であった。
自社株の動きを掲示し、株価次第では翌月の昼食メニューが変わるシステムなのだ。

月末の株価が前月の平均を上回ると、“ご褒美デー”を設け、豪華な料理を振る舞う。
逆に下回れば、寂しい料理に取って代わる。その“お目玉デー”のメニューは、昭和30年代の学校給食に習い、揚げパン、牛乳、おでん・・・などらしい。

経営陣も反省の気持ちから、執行役員がエプロンを着けて配膳にあたるという。
そこがおもしろいと、社員には大受けで利用者も増えたという。

 

1866

 

人間の腸内に棲息する細菌の数は1000兆にもなるという。
人間は大量かつ多種多様の細菌と共存して、多くの仕事を細菌に“外注”しているらしい。
胃がんの原因にもなるピロリ菌だが、胃酸を薄めて胃の粘膜を守る作用を人間に代わって何万年も行っている。

ピロリ菌を除菌すると、胃潰瘍の薬を飲まなくてはならなくなることもあるそうな。
大腸の“腸内細菌”は、住んでいる場所や人種、食べ物といった地球での人間の文化や生活と深く関わっている。腸内細菌は肥満やがんに関係することがわかってきたとのこと。
昨年、横浜で開催された日本抗加齢医学会の学術総会では、腸内細菌が認知機能を高める、という報告が出たようだ。

健康な成人の腸では“善玉菌”が20%、“悪玉菌”が10%である。そして、その他の70%が“日和見(ひよりみ)菌”と呼ばれるものである。善玉や悪玉にコロコロ寝返るタイプだという。おそらく私は、この日和見菌にかなり感化されているようだ。

 

不変ではなかった一日の時間


約45億年前、誕生したばかりの地球は自転のスピードが速く、1日は5時間ほどしかなかったそうだ。以前、新聞のコラム記事で知りおどろいた。

その回転にブレーキをかけているのが月の引力で、潮の満ち引きが起きて、大量の水と海底の間に摩擦が生まれ、自転と逆方向の力が徐々に加わり、いまの回転速度に落ち着いたという。もし今も5時間の1日であったら、われわれの生活はどうなっているのか。

女子フィギュアスケートの金メダリスト・荒川静香選手は、演技の秒数を計るとき、口のなかで「ワン・アイスクリーム、ツー・アイスクリーム・・・」と唱えたらしい。

「ワン、ツー、スリー」では3秒に短く、引き伸ばして唱えるのも加減がむずかしい。演技の技術力だけではなく、(銀盤を舞う)第一人者にとって不可欠な知恵なのだろう。

 

1864

 

ドイツの作家ユンガーさんは『砂時計の書』に記した。
<部屋には時計でなく、砂時計を置きたい。静かで安らかな気持ちになるから>と。

それは、時計が生活に入り込んでいなかった遠い昔へのあこがれであり、機械時計にしばられない贅沢・・・とも。

今のように時間に沿って仕事を始めて終えるのではなく、そこに現れることが仕事の始まりで、時間に遅れるという概念も希薄だったはず。

急いで物事をこなし、“決められた時間に間に合わせること”で達成感を持つ現代人は、時間に追われて失っているものがあるようだ。

職場で時間に追われる父親だけでなく、保育園や幼稚園、学校でのママ友グループもかなりお忙しそうだ。

PTAや趣味のグループで連絡をとりあう際、メールではわずらわしい。
全員のメールアドレスと電話番号を集めプリントして配り、お知らせがあるたびに一斉メールで出欠や意見を募る。そして、返信の集計に手間がかかるのだ。

LINEの グループ機能などである程度の改善はできると思うが、スケジュール調整も簡単な“連絡網アプリ”なるものがスマホなどで活用できるらしい。そのアプリで情報を共有することにより、時間短縮になるらしい。

 

1863

 

“連絡網アプリ”の機能として、一斉連絡はもちろん、意見交換や賛否の集約、イベントの日程調整も簡単にできてしまう。カレンダーなどをメンバーで共有できる、高機能サービスもあるという。

父母会、PTAへのかかわりは人数が多く、連絡は煩雑で役員の負担も大きい。
連絡網などの無料サービスを活用することで、大きな負担減になるという。

親睦会を開く際などは、日程調整の機能を使い候補日の一覧を送る。メンバーは“参加”、“不参加”、“未定”などの項目をクリックするだけ。その結果は自動集計され、参加者の多い日が一目でわかるようになる。

アンケート機能では、意見の集約も簡単にできる。既読と未読がわかり未回答の人には催促メールを送れるのだ。

少数のお知らせと返答の集計だけならメールですむが、仕事や議論が多いなら連絡網アプリでこなす。うまく使い分ければ時間も短縮できるだろう。

私はママ友ではないので“連絡網アプリ”を必要としないが、“砂時計アプリ”があればぜひ使いたい心境である。

 

他人事と自分事は入れ替わる

 

傘が活躍する時期になっている。しかし、雨の日はまだ少ない。

雨の予報で外出時に傘を持ち歩いても、使わないで済むことがある。そういうときは、なんだか損をした気分になる。電車の忘れ物ランキングでも、傘が1位をキープし続けているようだ。

暮らしのあらゆるところにコンピューターが入り込む時代になっても、人の頭上で物理的に雨を遮る仕組みである傘は昔のままである。その原理は江戸期の浮世絵にも描かれている。

傘は風にも弱いし、横から雨が吹きつけたり、下から跳ね返ってきたりもする。
そのような完璧ではない道具に頼らざるをえないところで、気象に対する人類の無力を知るのかもしれない。

IT技術の駆使で格段の進化をとげたのは天気の予測であるが、(今のところ)雨の防御策は傘頼みのままである。

 

1861

 

「他人事」を何と読むのか。6年前の「国語に関する世論調査」(文化庁)では、「ひとごと」を選んだ人が30.4%、「たにんごと」は54.2%だったそうだ。

そもそも他人に関わることを「ひとごと」といい、漢字での表記は「人事」だった。
それでは読みにくいため「他人事」になったという。

文字通り読んで「たにんごと」となり、「他人事」に対応する言葉として「自分事」という言い方も生まれているようだ。

職場、学校、生活のあらゆる場で、「当事者・関係者・傍観者」の関係が入れ替わる。
対岸の火事”だったのが、いつの間にかわが身に火の粉が飛んできたり・・・と。

急な雨で自分だけ傘を持っていたので助かった。当事者の自分は濡れている人の中に知人を見つけた。関係者であった知人を傘の中に入れてあげた。傘の中のふたりは当事者になり、濡れて慌てる人たちを眺める。そのときは傍観者になっている。つまり他人事なのだから。

逆の場面もあるだろう。雨に降られて傘を持っていないのは自分だけ。濡れながら、関係者の知人に出会えればラッキーなのであるが・・・。

 

1862

 

<あくびがでるわ/いやけがさすわ/しにたいくらい/てんでたいくつ/まぬけなあなた/すべってころべ>。自分事でつながり合えたはずの彼か彼女から、こんなLINEやメールをもらったらどうだろう。自分事で熱く怒り、さっさと他人事にしたくなるかもしれない。

横書き6行の左端を縦に読んでみると「あ・い・し・て・ま・す」。
それを知ったとたん、今まで以上の自分事でホットな気分に切り替わることだろう。
(和田誠さんのエッセイ『ことばの波止場』より)

さて、話を雨に戻そう。
日常のありふれた風景が人を哲学者にすることもあるという。

話術家・徳川夢声さんは、自宅の庭に降る雨を見ながら<池には雨が落ちて、無数の輪が発生し消滅する>と、1942年(昭和17年)3月の日記に書いたそうだ。

<人間が生れて死ぬ世の中を高速度に見ることが出来たら、こんな風だろうと思つた。
カミ(神)の目から見る人間の生死がこの通りだろう>と。

たしかに。自分事として捉えるとそのことがすごく理解できてしまうのである。

 

右脳寄りの人工知能が進出か

 

人が話をして認知するときは、9割の人で大脳左半球に偏在されることが、多くの臨床研究で確認されている。右半球は言語表出の理解と抑揚の機能を受け持っているそうだ。

ただ、他の部位が活動していないという意味ではなく、脳の左右は相対的な差であり、片半球だけが特定の機能を受け持つということはない。

左半球は分析的・論理的・科学的、右半球が総合的・感情的・芸術的ともいわれるが、それも相対的だとのこと。

視神経が交差して左右大脳半球に入ることは、レオナルド・ダ・ヴィンチの発見との説がある。ダ・ヴィンチ関連の本では、どのような脳を持っていたのかを推測したものがあるようだ。

現代の脳科学の知見での、レオナルドの業績を理解した場合、彼は脳梁がひときわ太かったのではないか・・・などと。

彼の絵画には、光学や数学の直感的な理解が反映されているのがその証拠らしい。

 

1860

 

元ヘビー級世界王者モハメド・アリさんは、ボクサーを引退したのち、複数の大学から教授職に誘われたという。その弁舌の巧みさで“詩的才能”に着眼されたようだ。

有名な<蝶のように舞い、蜂のように刺す>はまさに詩の一編のようである。
22歳で無敵の王者を倒す試合前の発言だった。

周りからは“ホラ吹き”と嘲笑されたが、その後に比類なき強さを見せつけたことで、言葉の美にまで高めたのである。

<おれにはベトコンと戦う理由がない>。
黒人差別への怒りから、ベトナム戦争への徴兵を拒否したのだが、この言葉も後に軽蔑から敬意へと流れが変わった。

 

1859

 

人工知能”という言葉は古くからある。
今から30年前に、中学生レベルの数学の文章題を解く人工知能が開発されたと伝えられた。当時は、「まだこの程度か」と思う人も多かったらしい。

今は大学入試突破を目指す人工知能を、国の研究機関が開発中だという。
人間にとっては数年間の学習能力の発達のような気もするが、加速度的な計算技術の進歩は人間をアッという間に抜き去るかもしれない。

スマホの検索は音声でできるし、商品やサービスのおすすめはより的確である。
人工知能と自然に会話ができるサービスも増えている。
今や人工知能は生活に深く入り込んでいるのはまちがいない。

<右脳的なアップル社のパソコンに対し左脳的なマイクロソフト社>。
パソコン創生期にいわれたことであるが、これから右脳寄りの人工知能がどんどん進出してくるような気がしてならない。

マイクロソフト社のパソコンと相対的に「感情的・芸術的なマック」を開発したスティーブ・ジョブズさんは、まるで現在を予見していたかのように思えてくる。

 

細切れしない1日の醍醐味は

 

2017年卒採用の選考解禁はこの6月なのか。就活に忙しい方もおられるにちがいない。

昭和40年代は日本の高度成長期。今とちがい、さまざまな業種で企業が躍進し、採用も活発だった時代であった。

人気企業の多くに、真偽不明の小話があった。高度成長期ならではの逸話や都市伝説だ。

もっとも有名なのはサッポロビールで、面接に出席した学生がかたくなに沈黙を守り続け、面接官から「君はなぜ黙っているのかね?」と訊かれた。質問に対し学生は、「男は黙ってサッポロビール」と言い放った。

その後その学生は面接に合格して、同社で勤務したといわれる。

 

1857

 

森永製菓の面接では、「♪チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは」と歌い始めた学生が、その先の歌詞は“明治”だと気づいた。引っ込みがつかず、「チョコレートは森永」と締めくくったら合格したという。

また、日産自動車の面接で、GNPとは何かと聞かれた学生が、答えられず咄嗟に考えたあげく、「がんばれニッサンパルサー」と答え合格した・・とも。

それらの話では、体育会系のあっけらかんとした学生を連想してしまう。

一般に広まり職場などでも使われる言葉には、スポーツからのものがいくつかある。
サッカーなら“レッドカード”や“オウンゴール”。オウンゴールは自陣ゴールへ蹴り込んでしまう自業自得のことである。

ラグビーの試合終了をいう“ノーサイド”は、対立を収めるときの常套句であり、急場をしのぐ代役はリリーフ。また、“続投”の場合もあり得る。

 

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深い味わいを“醍醐味”という。こちらはスポーツではなく、食品からの言葉らしい。

醍醐とは、乳を精製して作った乳製品のことだという。古代日本では、牛乳やチーズのような乳製品が、貴族らの間で薬として重宝された。もっとも、広く普及するのは明治期以降のことだったようだが。

映画監督・澤井信一郎さんはシナリオを読み込むとき、赤い色で“日替わり線”を書き入れるという。いくつかの場面で構成される1日を、次の1日、さらにその次へと区分けしていく作業なのである。

それをすることにより、始まりから結末へ至る時間の流れがつかめ、作品への洞察が深まるのである。

完成度を高めるには場面を細切れにしないで、<1日分をじっくりやるのがいい>と語っている。

老いも若きも就活中の学生さんも、与えられた1日分の時間は同じである。
区切りを意識して、醍醐味のある1日を過ごせれば幸いだ。

 

こうすればうまくいかない事

 

逆発想をできる人の話や記事がおもしろい。

糸井重里さんのウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』は、1日の総ページビューが約140万の有名サイトだという。手帳やタオル、カレーのスパイスなどのオリジナル商品を、幅広く扱い、(数十万部が売れている)『ほぼ日手帳』は、利用者の声を集め、毎年改良を重ねている。

<使う人に喜んでもらえるか、考え抜く。喜ぶ姿が光景として浮かびあがらない商品はダメ>だとも。「売る名人ではなくて、売れるに決まっているものをつくっている」と、(売れるものを探し)売れるかどうか、常に自分に問いかけている。

エルメスにキャッチコピーはないですよね。よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい>とのこと。

1980年代から「おいしい生活」など数々の有名コピーを世に送り出した糸井さんの言葉だけに説得力がある。

 

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<お客さんは、何が欲しいのか、わかっていないことも多い。だから、つくり手から提示する>。アップリ社のスティーブ・ジョブズさんも糸井さんとまったく同じことを言っていた。

また糸井さんは、「お客さんを意識しても、ヒット商品を出すのは簡単ではありません。100万個売ろうと考えたらたいへんなこと。でも、オリコンのランキングなら、1位じゃなくって80位だっていい。それでけっこう食える」とも語っていた。

羽生善治さんいわく、「棋士にとって実戦の中から得るものはやはり大きい」とのこと。新しいアイデアや発想のヒントは実戦から得て、それを日常の練習で掘り下げ、全体的な理解を深め着手を考える際も、(40代半ばの今、20代、30代の頃とは)変わってきたと言った。

 

1856

 

最初から細かいところにこだわり、理詰めで追っていくのは効率が悪いらしい。
的外れな部分にとらわれて考え込むことより、初めからある程度「こういう方向性でいこう」とか、「とりあえずはこの手で」というのを決め、ポイントを絞りそこに集中するのがいいと考えた。

その“見切り”のつけ方は経験の積み重ねがあったからこそできるようになった。

「経験知を活かす」こととは、(経験から得た)さまざまな選択肢の中から目の前にある問題やテーマに対し、何が一番いいアプローチの方法なのかを選んでいくことになる。

ベストだと思う手法が通じるかどうかは、勝負の世界では皆目わからないもの、なのだ。

しかし、「この場面でこのやり方は通じない」とか、「この手はあまりよくないだろう」などの“当たり”はつく、と断言する。

「こうすればうまくいく」ということより「これをやったらうまくいかない」ということを、いかにたくさん知っているかが大切であり、多くの選択肢の中から何を捨てていくかが問題になる、とのこと。取捨選択の捨てるほうを見極める目こそが、経験知で磨かれるものなのであろう。

 

山田洋次監督に学ぶ温故知新

 

若かりしき頃、松竹映画の喜劇監督・前田陽一監督と一度だけ、酒を飲みながら話をしたことがある。

当時、寅さんシリーズで活躍中だった山田洋次監督の話になり、前田監督は「ボクの方があの人より上なんですよ」と言った。

<山田さんは“ヨウジ(次)”でボクは“ヨウイチ(一)”だから>と。
前田監督の茶目っ気ある笑顔が忘れられない。

映画の話や撮影の裏話も聞いたが、その会話だけがハッキリと記憶に残っている。

 

1853

 

惜しくも前田監督は1998年に亡くなられたが、今も山田監督は活躍されている。

いくつものヒット作を発表。この映画が公開されたときも大きな話題になった。
幸福の黄色いハンカチ』である。

任侠映画からのイメージ脱却時期であった高倉健さんを主役にすえて、映画初出演の武田鉄矢さんと、若手売り出し中の桃井かおりさんが見事な絡みを見せた。

第1回日本アカデミー賞では、最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演男優賞(高倉健さん)・最優秀助演男優賞(武田鉄矢さん)・最優秀助演女優賞(桃井かおりさん)・優秀主演女優賞(倍賞千恵子さん)・・・など、ほとんどを受賞している。

1971年にニューヨーク・ポスト紙へ掲載された、ピート・ハミルさんのコラム『Going Home』が原作のようだが、私にはその20年前に日本公開された映画がモチーフになっているような気がしてならない。

監督がジョン・フォードさんでジョン・ウェインさん主演による、往年の西部劇『黄色いリボン』である。退役間近の騎兵隊指揮官が、若い士官たちの恋心を見守るシーンなどが、『幸福の黄色いハンカチ』と重なる。

 

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山田監督は、小津安二郎監督の『東京物語』も(『東京家族』というタイトルで)、時代背景を変えて忠実に焼き直している。

主演の老夫婦の配役は菅原文太さんと市原悦子さんの予定であったが、東日本大震災により公開が延期となったことなどで、橋爪功さんと吉行和子さんに変更された。

菅原文太さんで実現されていたら、映画のイメージも変わっていたかもしれない。

とはいえ、橋爪功さんと吉行和子さんも名優である。小津安二郎監督の『東京物語』のトーンを彷彿とさせてくれた。

昨年、山田監督は、『東京家族』での老夫妻とその子供夫婦役で演じた8人を、そのときのキャストとシチュエーションのままストーリーを組み替え、まったく別な作品を製作した。『家族はつらいよ』である。

山田監督にとって、『男はつらいよ』シリーズ終了から約20年ぶりの喜劇映画になるそうだ。

男はつらいよ』シリーズでは、寅さん、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、御前さまなどを演じた名優たちがすでに亡くなっているが、『東京家族』からの8人とは形を変えて再会できた。

東京家族』で吉行和子さん演じる老夫人は亡くなったが、『家族はつらいよ』では元気に笑わせてくれる。映画『家族はつらいよ2』は昨日から公開されているようなので、機会があればぜひ観てみたい。

 

「笑う門に長寿来たる」なのか

 

高級食材として古くから珍重されている伊勢海老は、江戸で鎌倉エビ、尾張にて志摩エビと呼ばれたそうだ。そして呼び名が伊勢に定まり、その名が世界に広まった。

孵化させてから稚エビに育て上げるのが難事業であり、人工的に育てる技術はまだ確立していないという。幼生期が300日と長く、その間に大半が死んでしまうからである。

孵化したばかりの幼生群は透き通った体に、葉脈を思わせる長い足が10本ある。水中を漂う姿は妖精のような美しさらしい。

研究の先端である三重県水産研究所は、世界に先駆けて1988年に幼生を人工的に稚エビへ育てることに成功した。とはいえ当時は千匹中わずかに1匹という率だった。

その後、水槽と改良とエサの工夫を重ねて0.1%だった生残率が60%を超えたとのこと。

 

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伊勢海老は、登場するだけで会食の雰囲気を一変させる。
旅館の和食ではありがたみが増し、洋食なら座がたちまち晩餐風にもなる。会食者は思わず笑顔になることだろう。

さて、食事会やパーティーで撮られた記念写真から、写真の笑顔率についてのおもしろいお話が、作家・藤原智美さんのコラムにあった。

中高年と若者の顔に落差があることに、藤原さんは気付いたという。
年が若いほど笑顔で写っている人が多く、中高年は笑顔率が低いとのこと、

70歳くらいから上の年配者になると、その傾向は極端になり、本人はそのつもりではなくても、しかめっ面や不機嫌な表情になるらしい。ことに男性の場合が多いという。

 

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米国ウェイン州立大学の研究チームは、メジャーリーグ選手名鑑(1952年版)の顔写真について調べた。そして、彼らの平均寿命をみると、笑顔がない無表情な選手は約73歳だが、満面の笑みを浮かべていた選手は約80歳と7年も長生きしている、との結果が出たようだ。

とはいえ、年配者より笑顔の多い若者たちも、笑ってばかりいられない現実があるだろう。

一昨年の婚姻件数は、63万5096組と戦後で最少となった。昨年もその最小記録は更新されているらしいが。

<目から火の出る所帯を持てど/火事さえ出さなきゃ水入らず>。
結婚賛歌の都々逸である。

ところが、血走った目から火の出そうな「火の車」の所帯を、好きこのんで持とうとする若者はいないはず。待ち遠しきは、家計の潤う経済成長という結論になるのではないだろうか。

無駄口ばかり叩く政治家たちに無駄な税金を貢ぐくらいなら、<その分を若者たちの収入に結びつけたくなる>今の世である。

 

未来の機器たちは頼れるのか

 

昨日、友人たちとの飲み会に出かけようとして気がついた。スマホの電池が空っぽになっていた。最近、こういうことがよくある。

休日で家にいるときは、スマホをまったく使わないのに、肝心なときの電池切れ。
スマホとは電池を浪費するためだけの機器なのだろうか。

モバイルSuicaで電車に乗るときや、突然の変更などがある場合も、スマホがないと困る。
仕方がなくモバイルバッテリーをつないで、手持ちのバッグに詰め込んだ。
飲みに行くときは手ぶらで、荷物を持ちたくなかったのにくやしい。

そういえば、一年前に<人の体温やパソコンなど小さな熱源を利用して発電し、ねじったり折り曲げたりできるシートを開発>という記事を読んだ記憶がある。

耐久性もあり日本や欧米で特許を申請、とのことだったが、その後はどうなっているのだろう。

 

1849

 

そのしくみは、カーボンナノチューブと有機化合物の相互作用で、太陽電池と似た性質を持つ有機半導体ができ、光の代わりに熱(温度差)に反応して発電するものらしい。

開発されたのは、筒状になった炭素分子の“カーボンナノチューブ”で作った布に、“クラウンエーテル”という液体の有機化合物と塩化ナトリウムなどを染み込ませ、樹脂でパッキングした厚さ約1ミリのシートだ。

実験結果では、150度の高温に1か月間さらしても、ほとんど劣化せず発電できた。
発電効率は、まだ太陽電池の10分の1程度らしいが、センサーなど弱い電力で動く機器は稼働し、さらに改良できるとのこと。

実用化すれば車のエンジンや工場の配管など、様々な熱を有効利用できるようになる。

人間の体温でも稼働し、心拍数や血圧の変化などを連続測定できる小型の医療機器、そしてパソコンの熱を再利用して動く周辺機器などで、活用ができるそうだ。

カーボンナノチューブは安価で量産可能なので、生活用品や医療機器、工業用プラントなど、幅広い分野で応用できる可能性があるという。

 

1850

 

2035年頃に人々の暮らしはどう変わるのだろうか。
2016年版の科学技術白書は3世代家族をモデルに描いていた。

生活や産業など社会の隅々まで高機能のコンピューターが入り込み、誰もが快適に生活できる社会が来るようだ。

自分好みの自家用車をネット経由で買えて、ドライブは完全自動運転なのだ。家事を仕切るロボットが夕食の献立を決め、家族の体調などを考慮して材料も手配してくれる。

高齢者用に健康状態を監視してくれるベッドも登場する。異変をを起こすとベッドが感知し自動で救急車を呼び出す。介護施設でリハビリを助けるのもロボットである。

さぞかし便利な世の中になるのだろうが、肝心なときに私のスマホみたいな電池切れにならないだろうか。急な停電ではいったいどうなることやら。

3.11の大震災では、一番便利なはずの携帯電話がまったくの役立たず。
それと同じことが方々で起こったら、電気製品と化した自動車や頼りのロボットも暴走するかもしれない。

夢のような未来を描くのはかまわないが、“電気だけに頼りすぎ”が仇とならないことを祈る。

 

「創造する心」を支えるツール


<顧客は自分で、何が欲しいか分からない>。
スティーブ・ジョブズさんの言葉である。

ジョブズさんは、<消費者が欲しがる新製品は、開発者が生み出すしかない>と感じた。
アップルは、20代のスティーブ・ジョブズさんと、(友人の)スティーブ・ウォズニアックさんが、1976年に創業した会社である。

1984年にマック(マッキントッシュ)が誕生した。
パソコン画面のアイコンや、マウスを使った操作などを、マックが初めて普及させた。
そしてマックは、多くのファンをつかんだ。

しかしその後のパソコン製品の大半は、MS(マイクロソフト)の「ウィンドウズ」というOS(基本ソフト)を搭載することになる。

 

1848

 

マックは、画像や出版、音楽といった方面に強く、優れたソフトも多い。
MSは、(ウィンドウズの前身の)MS-DOSを(パソコンに)搭載時代から、ビジネス面のソフトに力を入れて、ウィンドウズ向けのエクセルやワードが企業などに定着するようになった。

マックは営業戦略の弱さなどから、ウィンドウズに市場を奪われた。
ジョブズさんは会社を追われ、アップルも苦難の時代が続いた。

ジョブズさんはアップルの外で、ネクストという革新的なコンピューターを開発した。
アップルがこのネクスト技術を採用することを決め、ジョブズさんも復帰した。
マックは根本からつくり直され、丈夫で安定した「OS X」というシステムに生まれ変わる。

しかし、世の中はインターネットの普及により、パソコンを取り巻く環境が激変することになる。データの共通化や、ネットでのやりとりが主流になり、携帯電話などにも拡大した。“ウィンドウズ対マック”といった競争以上に、ネット社会への対応が重要になってきたのである。

 

1847

 

近年、アップルは携帯端末のiPhoneやiPadで成功を収め、ファンの心をガッチリとつかんだ。パソコンを使わなくても多くの人がスマホタブレットでかんたんにインターネットへアクセスできる時代に変わってきている。

アメリカの多国籍テクノロジー企業といわれるグーグル社もこの分野で大躍進している。
もし、スティーブ・ジョブズさんがいてくれたなら、この先どのような新製品が生み出されるのだろうか。いつも空想の世界で考えてしまう。

1919年(大正8年)生まれの作家・水上勉さんは、1997年頃から、パソコンやインターネットに強い関心を示したそうだ。

42歳で直木賞作家となるまでに、30種類以上の職業を経験。
実在感のある人間描写も、様々な職業体験で苦労を重ねたことが基になり、リアリティー豊かな文章力が身についた

<自分の道を歩き続けなさい。その道で見つけた友が“道友”であり、得た幸せが“道楽”だ>という。水上さんの言葉だ。

PowerBookを持ち歩き、ワープロソフトで執筆もした。
ジョブズさんと水上さんとの接点があったことを知って、心温まる気持ちにさせられた。

 

大人の月9主演 やはりあの人


人気の高いBS番組のひとつ『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS月曜夜9時放送)は、酒好きが愛してやまない番組であり、酒飲みの間では「月9」とまで称されているとか。
月9でトレンディドラマを見ていた世代が年齢を重ね、BSの月9を見ているのだ。

番組当初は、ひとつの店を15分で紹介するミニ番組として放送されたが、じわじわと人気を集め、現在は1本の新作に3本の再放送を加え、4本立ての1時間番組として放送されている。各回15分で、紹介されるお店は4店である。

画面上には料理と酒が次々に出てくる。再放送の3本は“3年前から昨年までの同月”に初放送されたものだ。季節を合わせることで、酒場の詩人・吉田類さんの服装や、町の雰囲気、旬の食材も変わらないため違和感がない。なかなかの心憎い計らいである。

 

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楽しみにしている視聴者たちは、月曜の夜9時に自宅が酒場になるそうな。テレビ画面の吉田類さんといっしょに酔い、自宅で“酒場”の雰囲気を味わうのだという。

画面の中の料理もおいしそうで、自分がその場にいて飲んでいるような気分になれる。
私の場合、リアルタイムの視聴はまったくないが、家族が寝静まった夜中に録画を観て類さんと楽しく一杯やっている。

気を遣う宴会をさっさと切り上げて、家に戻り類さんを肴にひとりで飲み直す人もいるようだ。たしかに、そういう人たちをうれしく酔わせてくれる番組なのだろう。

番組はほとんどが、酒場の雰囲気と吉田類さんを映した映像による構成だ。
類さんが、夕方の5時くらいに店を訪れると、まだ明るいうちから常連さんたちはほろ酔いである。昭和の時代を生き抜いた人たちのたくましさも感じる。

 

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吉田類の酒場放浪記』のヒットから、次々と酒場番組が生まれては消えた。
生き残っている番組には共通点があるそうだ。それは、出演者が“おじさんひとり”であり、居酒屋の達人だということ。

吉田類さんらの後を追って制作された酒場番組では、俳優やタレントが出演されていた番組もあったらしいが、話題にはならなかった。

出演者が多くなればトークショーになってしまい、酒場を疑似体験する番組ではなくなってしまう。番組ファンにとって期待したいのは、酒場の疑似体験であり、その場に溶け込んでくれるおじさんが一番なのである。

その点、吉田類さんは途中から“ろれつ”が回らなくなったりしておもしろい。酒場には必ずいるというようなキャラである。それはもしかしたら、自分かもしれないと考えながら見てしまう。そのリアリティがウケる要因のひとつ、ともいえよう。

そして、私の大好きなシーンがある。

各回の最後で、酒場をあとにする類さんの後姿がスローモーションに変わる。
そこに類さんの俳句がテロップとナレーションで重なる。
吉田類さんの詠む“酒場俳句”は、どの句もすばらしいものばかりで惚れ惚れする。

 

話の始まりはエピソードから


読んだり聞いたり、書くのも、私はエピソードが好きだ。

エピソードの意味は、挿話(そうわ)。文章や物語の途中、演劇の幕間などに挟む短い話。などとあるが、心惹かれるものはこちらである。
<ある人物や物事についての興味深い話>。

渡部建さんと児嶋一哉さんのお笑いコンビであるアンジャッシュは、コントグループである。一度観てから釘付けで、出演番組があれば観てしまう。

エンタの神様』という番組では90本近くのコントをこなし、そこで求められたのが“勘違いネタ”であった。私もどっぷりとハマッた。

同じネタを観てもまったく飽きない。結果がわかっていても毎回楽しめるのである。
まるで、名作古典落語のようだ。

最近では別々の活躍が多いが、渡部さんと児嶋さんは今も(原点である)ファミレスで、ネタ作りをされているらしい。数々のすばらしいネタがファミレスから生まれているなんて、ファミレスの前を歩いてもワクワクしてくる。

 

1844

 

「蜷川TENSAI(天才)」。
これは、蜷川幸雄さんが若き日の表札らしい。
自宅に掲げる表札としては異色だが、俳優としてはダイコンと笑われ、演出家としては芽が出ない頃の反骨心からなのだろう。

「蜷川さん、お願い。尊敬できなくなるから俳優やめてちょうだい」。
女優・太地喜和子さんのそのひと言が演出に専念するきっかけだったという。
そこから“世界のニナガワ”が生まれることになった。

劇評で、「休養して充電せよ」と書かれたことがある。
蜷川さんは笑った。
「電気カミソリじゃあるまいし、充電なんてするか!」と。

若者の怒りを表現したアングラ演劇、日本人の美意識と感性で織り上げたシェークスピア劇・・・。<守りに入るな!>。
蜷川さんは、攻めて攻めて攻め通した人である。

 

1843

 

『花の名前』など三つの短編で、向田邦子さんが直木賞に選ばれたのは1980年(昭和55年)の7月。選考会では、授賞を見送り、小説家としての実力を見極めよう、という声も多かったらしい。

山口瞳さんが強硬に異議を唱えた。
向田邦子はもう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ」。
その言葉で風向きが変わり、授賞が決まった。満50歳といえば働き盛りのはずだが。

授賞見送り派を説得する方便で口にしたその年齢は、そのまま向田さんの享年となる。
向田邦子さんは旅先の台湾で航空機事故に遭い、翌年8月に亡くなった。