日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

演出の巨匠たちは素顔がいい

 

<大事なことはたいてい面倒くさい>。
宮﨑駿さんの名言だという。

「創りながらテーマを見つける」、「台本がない」、「少しずつ創っていく」などと、宮崎監督独特の創作法もあるらしい。

そして創作中、宮崎監督から頻繁に出てくる言葉が「面倒くさい」。
途方もなく手間のかかる仕事を見事にこなしている宮﨑駿さんの頭には、常に“面倒くさい”が駆け巡っていたのだ。

雨月物語』、『西鶴一代女』などで国際映画祭の賞を受け、独特の映像美で“世界のミゾグチ”と呼ばれた溝口健二さん。

映画『山椒大夫』で田中絹代さんは“安寿と厨子王”の母親を演じた。
やせ衰えた感じを出したいと、溝口監督から田中さんは減食を命じられた。

出番を撮り終え、せりふを吹き込む仕事を残し、ひと安心した田中さん。
ないしょで昼食にステーキを食べた。

田中さんの語るせりふを聞いて、監督は首を振った。
「肉を食べましたね。声につやがある。ダメです」と。

 

1931

 

ロー・ポジ映画の名手・小津安二郎さんは、カメラをほとんどアオらず、低い位置にすえて、ごくわずかにレンズを上にあげていた。カメラを大人の膝位置より低く固定し、50ミリの標準レンズで撮るのだ。

「俺はねえ、人を見下げることは嫌いなんだよ。俯瞰(ふかん)ていうと見下げるじゃないか」。小津監督は、雑談的にこんなことを語っていたそうだ。

役者さんたちに対する演出は、ハードボイルドというか、人物の感情が(顔の)表情にはほとんど表れない。

そして細かい演出を随所に施す。格調高く本物志向なのである。
ほんの少しだけ映る絵画も東山魁夷さん、橋本明治さんなどの本物を使用した。

 

1932

 

張力ある黒澤明監督の画面を鋭角とすれば、小津監督の画面はゆったりとした鈍角である。

撮影に対する姿勢は、いつも真摯で真剣で、静かな現場には緊張感があふれた。
巨匠といわれた小津監督だが、スタッフを怒鳴るようなことはなく大事にしたそうだ。
相撲好きで、場所が始まると夕方ごろから何となくそわそわしていることもあったという。

前面に演出を押し出す黒澤作品とは真逆であるが、小津監督はあの静穏さを描くための演出を当然されているはず。しかし、それを見せないし感じさせない。

小津作品は、特別な事件が起きたりドラマがあるわけではなく、市井の生活がいつも淡々と描かれるだけ。強烈な印象が残るということは少ない。それなのに、いつのまにかその雰囲気に酔わされてしまうのである。

 

イマジネーションを自由操作

 

人類の祖先が芸術創造の才能を開花させたのは、(約4万~1万4500年前の)後期旧石器時代で、場所は欧州の洞窟らしい。ランプの薄明かりを頼りに、石器や絵の具にて壁面へ動物や人を描いた。

その洞窟壁画が初めて発見されたのは、1879年のスペイン北部・アルタミラ洞窟で、天井にバイソンの群像が多彩に描かれていた。

豊かな色彩や技法を生かした壁画芸術は、徐々に進化したと考えられていたが、1994年のフランス・ショーベ洞窟の発見で定説は覆された。

約3万6千年前で当時最古とみられた壁画には、色の濃淡で立体感までも表現されたマンモスやライオンなど13種類の動物が描かれていた。

壁画を描いたのはクロマニョン人とされ、現代人と同じ脳の神経構造で、イマジネーションを自由に操作し共有できたと考えられる。

 

1929

 

約3万6千年前、立体感のある動物が描かれたように、芸術は突然に創造されるものだという。最初から完成度の高い美術作品が現れても不思議はないし、爆発的に芸術は発生する。

「一番最初に絵を描いた人は誰なんだろう」と考えることがある。アーティスト・日比野克彦さんは記事に記した。思えば、一番最初に歌い、楽器を奏でた人にも興味が湧く。

日比野さんは20年ほど前、仏・ペッシュメルル洞窟にて、1時間ほど壁画の前に1人でいた。“この絵を描いた人の気持ち”を探るためだった。

洞窟の奥は光が全く届かない完全な暗闇で、闇夜みたいに目が慣れることがない。
見えない頭の中の印象(イメージ)が浮かぶことを悟った、という。

暗闇があるからこそイメージを獲得し、そのイメージがあるから絵を描く理由が生まれた・・・のだと。

祖先は、見えていないのに見えてきたイメージを確かなものにするために絵を描いた。
そして、時空間という物理的なものに縛られず、感覚を他者と共有するものとして芸術が誕生した。

 

1930

 

<「物」は「事」になる。所有でなく利用になる。流れになる。資源を配分することが仕事になる>。ケヴィン・ケリーさんの『<インターネット>の次に来るもの』にあった。

映画、物語、音楽など、事であった芸術も、今まではそれらを“記録した物”として販売されていた。現在これらは事に戻りつつある。芸術家の収入源は実演に、創造性は編集と検索に置き換わる、ともいわれる。

人間は思春期までに身につけた技術に縛られる。三つ子の魂のまま生きるのだと。
同じ本も、電子書籍で読むと心に残るものは少なく、書評を書く必要がある場合などは、紙で再読する必要が生じることもある。それがその人の限界だからなのか。

かつて、古今亭志ん朝さんが脂の乗りきった高座をつとめていたころ、作家・小林信彦さんは書いた。「志ん朝と同時代に生きられるぼくらは、まことに幸せではないか」。

音や映像を記録する機械の普及後も、同じ空間で同じ空気を吸い、磨かれた芸に接することのできる喜びは昔と変わらない。

 

からだの仕組みは誰もが同じ

 

交際中の異性がいない日本の男性が7割で、女性は6割なのだという。

国立社会保障・人口問題研究所によると、1987年の調査以来で過去最高とのこと。
調査は5年に1回の実施で、このデータは一昨年6月のものである。

全国の独身者約8700人から回答のうち、結婚の意思がある人は、男女とも8割を超えるそうだが。研究所の見解では、希望と現実のギャップで結婚を先送りするうち、交際自体に消極的になっている傾向があるらしい。

「交際中の異性はいない」と回答したのは男性69.8%(前回比8.4ポイント増)、女性が59.1%(同9.6ポイント増)。男性は25~29歳で増加が特に目立った。

結婚の意思について、「いずれ結婚するつもり」と回答したのは、男性85.7%(同0.6ポイント減)、女性89.3%(同0.1ポイント減)と横ばいだったとのこと。

 

1927

 

毎年“敬老の日”に合わせ、総務省が日本の高齢者人口(65歳以上)の推計を発表している。本年は(前年比で)総人口が21万人減る一方、高齢者は57万人増の3514万人である。その占める割合は0.5ポイント増の27.7%で過去最高を更新。

高齢者の割合は世界で最も高い。65歳以上の男性は1525万人で、男性人口での割合は24.7%、女性は1988万人の30.6%と、2年連続で3割を超えた。

70歳以上でみると91万人増の2519万人、総人口に占める割合は19.9%。国民の5人に1人が70歳以上となるのだ。80歳以上は37万人増の1074万人(同8.5%)。

そして、90歳以上は14万人増の206万人(同1.6%)となり、(90歳以上の人口も)初めて200万人を突破したという。

 

1928

 

100歳以上もがんばっておられる。前年比2132人増の6万7824人に上り、47年連続で過去最多を更新している。

100歳以上の男女比では女性が圧倒的に多く、2102人増の5万9627人で全体の87.9%を占めている。男性は30人増の8197人なのだというから、やはり女性は強い。

<わたしのからだには いっぱいけらいがいます あしや てや くちや めや はなや ゆびが すごいかつやくしてくれます・・・あしはいろいろなところにあるいてくれます    てはいろいろなひととてをつないでくれます・・・ありがとう>

作者は小学1年の女の子らしい。(川崎洋さん編『こどもの詩』より)。
そして、最後の一行がたまらない。<からださん どうもありがとう>と。

60兆個(37兆2000億個という説もある)といわれる人の細胞の数である。
ふたつの細胞(精子卵子)が結びつくと、手や足、脳や胃袋・・・などへと膨大な数に増殖して形成される。そうして私たちはからだを借りて生かされている。

それを思うと、「ありがとう」の気持ちや言葉が、自然に出てきてしまう。

 

 

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

 

脳には脳の選ぶ道があるのか

 

“モノ”をインターネットでつなげるIoT(Internet of Things)。

アシストスーツを着て重い荷物を軽々と運ぶ人。農地では無人の耕作機械が動き、建設現場にドローンが飛び交う。そして、自動運転の車。

この先、人工知能の活用で“仕事や暮らしは大きく変わる”との未来図らしい。

2017年・上半期放送のNHK朝ドラ『ひよっこ』では、出回るモノがまだまだ少なくて素朴な時代だ。東京オリンピック大阪万博の時代が、やけに落ち着ける。

足のしぐさは嘘をつかないなどと、人間の脳や心理に関する喩えに、足の話が出てくる。
足は人の体の部位の中で、本能に直結するらしい。それは、言語など脳の思考系統ではなく、本能をつかさどる部分の命令に、より忠実に動くため・・・だとか。

 

1925

 

言葉の響きで“粋”に感じることがある。人工知能はどう感知するのだろうか。

かつて、下町の鮨(すし)屋ではこういう会話があったとか。
「刺し身を切りますか?」
「握りがいい。つけてくれ」

職人はゆっくりと鮨を握り始める。鮨屋では“握る”ことを「つける」というらしい。
その語源は、江戸前鮨の原形である「なれずし」が魚と飯を桶に“漬けて”作ることに由来しているそうな。

本来、鮨は握るものではなくつけるものであり、職人が鮨を握るカウンターの内側は「つけ場」なのだ。なんだかとても“粋”に思えてくる。

 

1926

 

2014年9月に清酒大手の月桂冠ノンアルコール飲料月桂冠フリー」を発売した。
開発に要した時間は中断期間を含めて約12年という。

初期では、麹と酒かすを原料に使った上でアルコール分を抜く“引き算”を試みたが、甘酒のような味にしかならなかったとのこと。

そこで、水あめや食物繊維などを組み合わせて、本物に近づける“足し算”をしてみたら、7割の人が日本酒らしい味だと評価したとのこと。減点を恐れず新しいことに挑戦する“足し算”の発想を大切にした結果だろう。

とはいえ、その後の奮闘ぶりをネット検索してみたら、「無理やり日本酒の味に似せて作ったただの特殊な水。飲んだ人の脳みそを騙しているだけじゃないの?」などの意見もあった。ノンアルコールのビールにしても、“脳みそを騙す”コンセプトに違いはないような気もするが。

脳にも排泄の機能があるようで、都合の悪いことは記憶にない。私の場合、記憶があっても上書き消去をしてしまうのかもしれないが。

用事や旅の遠出で、帰宅してから「しまった!」と思うことがよくある。空き時間に足を少しのばせば、近くに景勝の地や有名な飲食店があったり・・・と。

とはいえ、「しまった!」はすぐに「それでもいいか」に変わる。もう一度そこへ訪れるチャンスが得られたようで、いつ実現するとも知れない再訪の旅を心待ちにできるからである。

人工知能にできない「しまった!」の脳があればこそ、人間は“粋”で“情緒”を楽しめたりできるのではないのか。なんだか、人工知能を“上から目線”で見られるような気がしてくる。

 

魚屋のネコの如く盗らぬこと

 

正面に北の富士勝昭さん、向正面は舞の海秀平さん。お二人は、NHK大相撲中継で大人気の幕内解説コンビである。とくに北の富士さんのお話は、わかりやすくておもしろい。

2015年夏場所10日目、横綱日馬富士戦で初金星を手にした平幕の臥牙丸は、インタビューで歓喜のあまり「ボク勝ったの? 信じられない。金星は一生残るし、めっちゃうれしい。神様、ありがとう」と神様にお礼を述べた。

「これだけ喜ばれたら(負けた)日馬富士も本望だろうね」とは、北の富士さんの名解説。ちなみに、取り組み後の日馬富士は「こっちが泣きたいよ」とこぼしたとか。

 

1923

 

「モンゴル勢にたらい回しにされてかなわないよ。“俺が!”、と名乗りを上げるやつはいないのか。1場所ぐらい、日本人に勝ってほしいね」。
2016年1月、新年への期待を報道陣に問われ、北の富士さんは嘆いた。

日本勢には遠すぎる賜杯であった。
協会に所属する631人の全力士のうち、外国出身者が占めるのは38人だけだ。
10年も日本人の優勝者が出ないのは異常と言わざるを得ない。無念であった。

その数日後に初場所が始まり、大関琴奨菊(当時)が14勝1敗で、ついに初優勝を決めたのである。

 

1924

 

白鵬35度目の優勝は2015年 名古屋場所で14勝1敗。自身が持つ幕内最多優勝記録を更新する2場所ぶりの優勝で、それまでからペースダウンしたようにもとられた。

千秋楽の優勝インタビューでは、場所中に「力が落ちていますね」と語った解説者の舞の海さんを意識して、「寂しい言葉は言わず。温かい応援をしてほしいと思います」と発言した。

NHKの中継カメラは慌てる舞の海さんを映し出す。

解説を担当している北の富士さんは、「出色の場内インタビューだった」と白鵬の率直なコメントにエールを送った。

さて、一昨日は秋場所(2017年)の初日であった。

休場力士の多い場所にも関わらず、(私は)早い晩酌がてらテレビ観戦をした。
北の富士さんと舞の海さんの快活なやりとりは、益々おもしろくなっている。

大関照ノ富士が平幕の北勝富士に引き落としを食って苦杯をなめた。
その取り組みが始まる前と後の両者の解説は絶妙であった。

先場所の北勝富士は前まわしをとって勝てたが、組み合ったら照ノ富士に分がある。
その話をする北の富士さんの“喩え”には大笑いをした。

<魚屋のネコの如く、盗ってはダメ>。
“魚”と“前まわし”を掛けての発言であった。

土俵上の北勝富士に聞こえるはずはないだろうが、立ち合いすぐに照ノ富士の前まわしに手をかけそうになったが、すぐに離した。そして、組み合うことのないまま北勝富士は快勝した。

勝負後、舞の海さんは北の富士さんの眼力にしきりと感心しながら、「それにしても魚屋のネコですかぁぁぁ・・・」と絶句していた。

 

無駄が粋でも若者言葉は省略

 

毒蝮三太夫さんは、永六輔さんがラジオの魅力を教えてくれた大恩人、と敬う。

1933年(昭和8年)東京生まれの永さんは、タレントや放送作家として活躍する一方、『上を向いて歩こう』などのヒット曲の作詞や、60年代後半からラジオで主に活動した。

音だけのラジオは不自由なようで自由なのだという。現場とスタジオの掛け合いも、隣同士で話すような親近感が特徴である。

永さんが番組出演のときは、毒蝮さんが「関東一直線」などの企画をやった。
東京都立川市をスタートして、(毒蝮さんは)道路や田畑をどこまでもまっすぐ歩くのだ。

重い無線機を背負いながら、4時間くらい歩いてスタジオの永さんの指示に従う。
ゴムボートをふくらませて川を渡り、田んぼも横断。服は泥だらけになった。

 

1921

 

永さんは放送時間の終了間際に、「その近所でシャワーを浴びさせてもらいなさい」と言い出す。毒蝮さんはすかさず、窓から顔を出したおばさんに「シャワーか風呂をお借りしたいんですが」と頼み込む。

おどろくおばさんは、「何のためにやっているの」と問いかけた。
スタジオの永さんが応えた。「やる意味がないですよね。でもこれがラジオのいいところなんですよ。目的のないことをするのがいいのです」と。

役に立つ、得をするとか、だれもが理由や目的を考えて行動する。
それを永さんは否定するのである。

毒蝮さんは、<無駄こそ粋なんだ>と、永さんにたたき込まれたそうだ。
<意味がないものを受け入れてこそ人生に深みが出る>のだと。

 

1922

 

今さらではないが、若者言葉の簡略化が進んでいるらしい。

「とりま」(とりあえず まあ)、「MJK」(マジか)、「あざお」(ありがとうございます)などというようだ。SNS内では、「ま」(まじ?)や「り」(了解)のように一文字の略語が使われるともいう。

会話も「それな!」や「ウケる」との単語がテンポよく飛び交う。

「卍」になると特定の使い方ではなく、“自分に気合を入れる”や“調子に乗っている”ときのタイミングで出てくるらしい。

“あいつ卍じゃね?”や“仲間との絆”にも使われるらしいので、とても感覚的な言葉のようだ。

そういえば、最近観たテレビのバラエテイ番組で、藤田ニコルさんと梅沢富美男さんが、「卍」を適当に入れながら会話をしていた。よくわからなかったが、楽しそうでうらやましかった。

(今も使われている)年季の入った若者言葉もあるという。「ウーロン茶」というワードで、意味は“ウザい茶髪でロン毛の男性”のことを指すらしい。

それにしても、若者言葉の傑作がどんどん現れてきそうである。
もしかして、<意味がないものを受け入れてこそ若さにも深みが出る>のかもしれない。

 

“為す人”達の好奇心と探究心

 

珍しいこと、未知のことなどに興味をもつ心が“好奇心”であるのなら、物事に深い知識を得たり原因を解明しよう、という気持ちのことを“探究心”という。

このふたつのこころは連係が深く、貫く人の意志は強い。

司馬遼太郎さんは中学1年の思い出を『随想集風塵抄』に記した。
英語の授業中、「New York」という地名の意味を先生に質問したが、先生には「地名に意味があるか!」と怒鳴られたのである。

帰り道に市立図書館へ立ち寄り、司書の人に必要な本を出してもらって読むと、英国軍の占領に伴い、英ヨーク公の名を冠したことがわかった。のちの大作家の頼もしいエピソードだ。

 

1919

 

1992年、オリックスでプロデビューを果たしたイチロー選手は、打率.366でウエスタン・リーグの首位打者を獲得した。

一軍登場もするが、首脳陣に自身の打法(振り子打法)を批判され、打撃方法を変更するよう要求されるが拒否。一軍に定着することはなかった。

「選球眼ならかんたん。でも、頭で判断すると打てなくなる」とイチロー選手は言った。
<選球眼より選球体>との名言も残している。

頭で“打てない”と考えても、体の反応でボール球も見事に打ち返したイチロー選手は<打率より安打数>とも言い続けている。

打率は減るから、打席を逃げたくなる気持ちが生じかねない。安打数なら増えるだけなので、楽しさを感じて打席に入りたくなる、のだと。

イチロー選手の安打確率は、頭より体が最優先だったようだ。

 

1920

 

さて、相撲のもつ独特の美と醍醐味はここにある。

大相撲のように2人の力士が呼吸を合わせ、競技者同士の合意で試合をはじめる例はまれで、すばらしいことらしい。

格闘技は、審判が合図をしたりゴングが鳴ったりと、第三者の手で試合の開始を告げられるのが普通であるからだ。

昔の相撲は名勝負もあるが、寄り切りでの決着が多かった。
その流れの変化は、小錦、曙、武蔵丸など外国人力士の登場であった。

上位力士たちを擁する大部屋の若・貴に対して、外国人力士たちとの取組は(同部屋対決がない分、若・貴が有利だったが)、日本人VS外国人という図式に拍車をかけた。

数年後、朝青龍の登場でモンゴル勢の活躍が始まり、多彩な技と動きに変わる。
そして白鵬が大記録を塗り替えて、今も君臨している。

現在、ひとつ失われたものがあることを強く感じる。それは「立ち合いの間の悪さ」だ。その美しさが削がれることで、取組内容の良さが半減してしまうからだ。

力士どうしが呼吸を合わせるという感覚は、外国力士に理解しにくいのではないか。対戦相手との共同作業ではじまる異色の競技は、抑えたものを立ち合い後の一瞬に爆発させる。この流れの美学を白鵬にぜひ伝えてもらいたい。

相撲への好奇心と探究心は現役の日本力士や親方を上回り、知識も豊富だ。
若手力士にも、「立ち合いの美しさ」の意味を伝えられるのは白鵬以外にはいない、と感じている。

 

生真面目なるサラリーマンは

 

昭和の時代を思い浮かべると、あくせく働くサラリーマンがいる。
その家庭風景は、家にモノが増えるよろこびに満ちていた。

電化製品、家具、すしの出前や車。どれも新しいモノばかりで新鮮だ。
高価で手が届かないはずの車や、カラーテレビ、パソコンも、いつの間にか天上からわが家に降りていた。

1978年(昭和53年)9月26日に東芝が発表した、世界初の日本語ワードプロセッサJW-10の価格は630万円。重さは220kgもあった。その機能は、今のスマホの足元にも及ばないはず。

 

1917

 

<日本に この生まじめな 蟻の顔>と詠んだのは、俳人加藤楸邨さんである。
アリからイメージするのは律義な働き者であり、作者の日本人観であった。

何気なく使うふだんの言葉には、歴史の重みの潜むものがある。

「感謝感激、雨あられ」は、日露戦争が題材であり、筑前琵琶の一節で「乱射乱撃・・・」のもじり。「この際だから」は、関東大震災直後の流行語だという。

 

1918

 

アリの大敵はアリジゴクである。

砂地にすり鉢状の巣を掘って潜み、落ちてくるところを捕食する。
巣は砂が崩れないぎりぎりの角度に作られていて、アリが脚を踏み入れると崩れるのだ。

大災害、不況、戦争の連鎖・・・。あとを絶たない。

なにかが起きれば、アリジゴクの穴へ脚をかんたんに踏み入れる。
そのキッカケはもろいもの・・・なのだろう。

 

いつもと同じに去りゆくナツ

 

ツクツクボウシの鳴き声が、夕暮れ時の蝉時雨に引き立つ。
そのメランコリックな調べに、ゆく夏を感じる。

だいぶ前から、道でひとつ、ふたつと、セミの亡骸を目にする。
声を使い切り、地を這う力も尽きたように見える。

セミに比べると、テントウムシは長生きが上手な昆虫に思えてならない。
真冬でもわが家の周りでよく見かけるからだ。

 

1915

 

<死ぬために ただ死ぬために 蝉生まれ>。
川柳作家・時実新子さんの句である。

小さな虫の、はかない命を愛おしむまなざしなのであろう。
セミの亡骸を見るたび、私も同じことを想う。

虫ひとつが人を感傷に誘う夏は、きっと「いのちの季節」なのだろう。

ずーっと以前から、“からだは借り物”という考え方に興味がある。
この世に生を受け からだを借り受け、その与えられた時間が“寿命”ということになる。

寿命にしても、長寿に恵まれた人だけが知る悲しみもあるそうだ。
からだを健康に保つだけではなく、強いこころも必要となる。
多くの親しい人を、見送る悲しみにも耐えねばならないからだ。

 

1916

 

長寿に至る道だけではなく、至り得た長寿もまた、平坦な場所ではないらしい。
高齢社会は、“多死社会”でもある。

2016年の日本では、年間129.6万人が亡くなり、その数は出生数の98.1万人をはるかに上回る。2030年頃の年間死亡数は、160万人を超すともいわれる。

多くの人が死を意識しながら、(延びた寿命を)生きていくことになるのだろうか。

花の名前に疎くてわからぬが、(炎天に似合う)この時期の花が雨にぬれている。
いつもの年なら名残りの炎暑にあえぐはずが、今日もまた雨だ。

ゆく夏の背中を見送るひまもなく、秋の長雨が待ち構えているのだろうか・・・。

 

目が離せないAIと配信革命

 

AI(人工知能)ブームは、今までに2度起きているという。

1回目は、1950年代半ばから60年代。コンピューターの発明から10年ほどで、今のスマートフォンと比べものにならない貧弱な計算能力だった。

2回目は80年代から90年代で、製造、医学などのノウハウや専門知識をAIに埋め込む“エキスパートシステム”が注目され、日本の大企業も乗り気になった。

人間から知識やノウハウを聞き出すことが必要となるが、人間の持つ膨大な常識は無意識に使っていることが多い。それを取り出すことができず、とんでもない失敗作を作ったりもした。「役に立たない」との批判が起き、研究は下火になった。

そして2010年代に3回目のブームが起き、今がその真っ最中らしい。
10年代に入ると、AIがトップクラスのプロ棋士に勝った。将棋関係者から「人間に勝つことなどありえない」とバカにされ、AI将棋に取り組んだ成果であった。

 

1913

 

今のブームと、これまでとの違いは“技術の向上”にある。
コンピューターの計算速度が速くなり、自ら学ぶ機械学習や深層学習も進んだ。データもそれまでよりも豊富である。

ただ現実は、各企業の社長が「AIをやるんだ」と部下へ号令をかけても、何をやればいいかわからないままで、自社に蓄積されたデータをAIで生かす難しさに直面するケースもある。

AIにデータ入力するにはその統一をしないといけない。今までのデータは人が扱うことを前提としていたため、データの書式などがばらばらで時間やお金も嵩む。

AIは人間の脳で行う作業を、コンピューターとソフトで模倣する技術である。「人間の知的作業でAIにできないことはない」との説もある。

漢字変換ソフトのおかげで漢字を書けない人が増えた。しかしソフトがあれば、難しい漢字も使うことができる。AIやロボットの助けも必要になり、人間はAIとペアで能力を向上していくようになるだろう。

 

1914

 

現在の「動画配信」は、“テレビ界”が築き上げてきた常識をぶち壊す存在といっても過言ではなさそうだ。その前の、音楽配信ダウンロード販売による、CDの売上枚数激減がお手本だ。

日本のテレビ界が、独自のお気楽感覚でやってこれたのはふしぎだ。
放送は“免許制”であり、他業種からの新規参入はむずかしい。外国人による株式所有は放送法によって制限されているとか。

ここ数十年、テレビ業界は他業種からの“価格破壊”などにおびえることもなく、外国資本に脅かされる必要もなく過ごしてこれた。

「配信」は“通信”のジャンルに属するため、放送法の縛りを受けないし外国資本の参入に対する制限もないようだ。

配信事業を始めるのに免許や許可などの手続きを必要とせず、描写などについての表現も自由で、おもしろいエンターテインメント作品が見られる。

実際に、アマゾンのスティックをテレビに挿すだけで、ふつうのテレビ放送のごとくネット上のあらゆる動画や音楽が、かんたんに手に入るということは驚きであった。

いつでも視聴できると思えば、ダウンロードの容量もまったく必要がない。
配信の良いところは「予定調和ではなく意外性」なのだと思う。自分の意志では視聴しなかった名作との出会いが楽しみで、(私の)テレビ放送の番組視聴量は激減中である。

 

名酒の名酒ぶりを知るために

わかりやすい体験談に感銘を受ける。

<暗い夜をくぐり抜けてきた人は、ともしびの明るさが胸にしみる>という。

1970年に「東京空襲を記録する会」を結成した、作家・早乙女勝元さんの体験だ。
敗戦の夏に平和を実感したのは“灯火管制の解除”であり、「平和は明るくまぶしい」と感じたそうだ。

作家の山本一力さんは、10代半ばで高知から上京して新聞専売所で働いた。
初めて地下鉄に乗った際、暗闇の先に見えた小さな光が少しずつ膨らみ、駅となって浮かび上がってきた。その様子に「経験したことのない興奮を覚えた」のだと。

 

1911

 

わかりやすい頑固さも好きである。

作家の泉鏡花さんは、言葉には霊力が宿るものと固く信じていた人らしい。
書き損じた原稿用紙の文字は、墨で黒く丹念に塗りつぶした。

佐藤春夫さんとの対談で、佐藤さんが(指で)宙に何気なく文字を書くと、鏡花さんが血相を変えながら、見えない文字をあわてて消すまねをしたそうだ。

ウイスキーのCMでおなじみだった開高健さんと山口瞳さんには、酒の名言が多い。
<名酒の名酒ぶりを知りたければ、日頃は安酒を飲んでいなければならない>。開高さんの言である。<最初の一杯がいい。そして、最後の一杯も捨てがたい>と山口さん。

ともに“達人の域”であり、“理にかなった頑固者”だから楽しい。

 

1912

 

<人類史を1日にたとえれば戦争が始まったのは23時58分58秒から。それ以前はずっと戦争などなかった>。ジャーナリスト・むのたけじさんはそう訴え続けた。

或曇った冬の日暮である(蜜柑)。或春の日暮です(杜子春)。或日の事でございます(蜘蛛の糸)。

芥川龍之介さんの3つの作品の書き出しである。
人は誰しも、今日はどうなるかわからない“或日”を生きるものらしい。

<終点にはなるだけゆっくり遅く着く。それが人生の旅。死ぬ時そこが生涯のてっぺん。1日長く生きれば1日何かを感じられる>。

昨年、101歳で亡くなられた むのたけじさんの言葉である。

 

念願のコンサートは感動の渦

 

一昨日、長年の夢であったコンサートに行くことが叶った。

夏になると聴きたくなる音楽であり、本能的に聴いてしまう音楽でもある。
それはベンチャーズ

クロマチック・ランこと“テケテケ”サウンド。あの奏法が、たまらない涼しさを運んでくれる。
会場は往年のファンで満員だった。私の隣の席には若いカップルもいたが。

リードギターリズムギター(サイドではなくあえてこう呼ぶ)、ベースギター、ドラムス。
理屈のないサウンド構成のシンプルさがたまらない。

“エレキ”ブームの発端はベンチャーズで、彼らの曲をコピーしたインストゥルメントのエレキバンドも何度か聴きに行っていた。

私の場合、ビートルズよりベンチャーズの方こそ“好感度のインパクト”が強い。初めて聴いたエレキギターとあの盛り上がる楽曲。今も聴いているが飽きない。

 

1909

 

結成メンバーは、ドン・ウィルソンさん(リズムギター)と、ボブ・ボーグルさん(ベース、初代リードギター)のふたりで、リードギターリズムギターのデュオとしての活動だった。

思い浮かぶいくつかのバンド名はすでに使われていたため、ドンさんの母親の提案で「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになった。

結成メンバーでリーダーのドン・ウィルソンさんは、2015年でベンチャーズのツアーを引退。日本では長く人気を保ち、来日回数は60回を超え、(日本での)公演回数も2,600回を越えた。

半世紀以上の活動で、メンバーだったボブ・ボーグルさん、メル・テイラーさん(ドラムス)はこの世を去った。今では、かつてのメンバーの二世がメンバーとして活躍している。

メルさんの息子、リオン・テイラーさんのドラムスを堪能できた。そして、昨年からボブ・スポルディングさんの息子、イアンさんもベンチャーズでベースを担当している。

 

1910

 

コンサートでは、日本にお馴染みの曲も必ず演奏してくれる。

『京都の恋』(原題はEXPO ‘70)、『ブラック・サンド・ビーチ』(加山雄三さんの曲)、『二人の銀座』、『北国の青い空』、『京都慕情』、『雨の御堂筋』などと、歌謡曲の作曲家としても注目され、それらは“ベンチャーズ歌謡”と呼ばれた。

その原点は、ジェリー・マギーさん(リードギター・ベース)の幅広い音楽性が作用しているとも言われている。今回のコンサートでもすばらしい演奏を披露していただいた。

二世であるリオンさんの、素晴らしいドラミングも圧巻であった。彼のプレイで始まる『キャラバン』では、父親のメルさんに負けず劣らずのソロ・パートで楽しませてくれた。
父親の来日回数は26回だが、リオンさんはそれを10数回もオーバーしている。

ベンチャーズは米国のバンドではあるものの、インストゥルメンタル主体のバンドであるため、言語の壁を乗り越え、その明快な楽曲が各国で受け入れられた。

日本におけるレコード等の総売上は4000万枚を超え、米国以上に日本のポップスシーンへ影響を及ぼした。

私は、待ちに待った(本家の)生演奏で、(脳ではなく)からだが勝手に感動していた。
今までにない体験であり、“音を楽しむ”ための「音楽」に出会えたことに感謝である。

 

団塊しらけプレッシャーゆとり

 

団塊世代”は、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれ、日本の高度経済成長、バブル景気を経験。第一次ベビーブームの3年間の合計出生数は約806万人だという。

その後は“しらけ世代”と呼ばれ、日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎えた。
政治的無関心が広まった世代で、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代だ。私もこの世代であるが、この世代名を気に入っている。

そして今、とても親近感があるのは“ゆとり世代”である。

小・中学校での教育内容が改正されたのは、2002年度から2010年度までらしい。1987年から1996年生まれまでの9年間を“ゆとり世代”とすることが多いとのこと。年齢的には30歳~21歳ぐらいの人を指す

指示待ち人間で、自分から動こうとしない。怒られることに慣れていなくてストレス耐性が低い。プライベートを優先し、会社の飲み会などに参加しない。

こういう特徴も、なぜか憎めない。

 

1907

 

世界各地で行われる学習到達度調査(PISA)の結果では、2000年度の調査で日本は計算力が1位、読解力は8位という結果。2003年度の調査では、計算力が6位、読解力は14位まで低下したらしい。

バブル崩壊後の時代に子ども時代を過ごし、親のリストラなどを目の当たりにしてきたゆとり世代は、会社に対して夢も希望も持たない。会社で偉くなることより、自分のやりたいことをやる方が重要だという。自分の一生を思えば、しらけ世代の私も同感である。

ゆとり世代は、自分で考えることが苦手。マニュアル世代であり、マニュアルに書いていないことは想像することもできないとか。もちろん、個人差はあるはずだ。

自分の意見を主張するより、その意見が正解かどうかを気にする。自分からは行動しないし、自分で答えを考えるということもしないとか。とはいえ、自分に必要な答えなら、考えるに決っていると思うが。

 

1908

 

2013年の流行語大賞には、“さとり世代”が選ばれたという。
<ゆとりには差別的な響きがある>とのことで、大人たちが勝手に作った“ゆとり”によって、自分たちがさげすまれることへの反発から生まれた言葉らしい。

(年齢的には23歳前後で)1994年前後の世代の人たちに対して言うことが多いようである。物欲がなく浪費をしない。結果を重視して合理的に動く。休みの日は自宅で穏やかに過ごすことが多いなどの特徴らしいが、やはり個人差はあるだろう。

“さとり世代”にとっての豊かさは、物質的なものではなく精神的なものへのシフトなのだ。

ゆとり世代”の前の、1982年から1987年生まれの人たちは、“プレッシャー世代”と呼ばれるとか。年齢的には35歳~30歳ぐらいまでだというから、うちの息子たちくらいだ。

様々なプレッシャーと戦ってきながらも、「それが当然」という意識が強く、ここ一番に力を発揮できるという。“団塊世代”に近い特徴があるように感じる。

ゆとり世代と同様にバブル崩壊後の社会しか知らない世代だが、悲壮観や、ゆとり世代ほどの危機感もなく、ありのままを受け入れ、力強く生きている世代である。今の日本で一番の働き手ともいえる世代であろう。

若い人と話をしてみると同世代どうしで、世代間のちがいをよく耳にする。私がその年代のとき、(団塊世代の上で)“戦前世代”の方たちとよく飲み教わった。近い世代を飛び越えたお付き合いは、実に楽しいものだったのである。

 

口に関する下世話事あれこれ

 

「口が減らぬ」は、口達者で理屈を並べて言い返したり、勝手なことを遠慮なくしゃべったりするさま。私は、同性よりも異性との会話でこのケースによくなる。お笑いの感覚なので、言い合ったあとはスッキリ感がある。「口ずさむ」ような会話が楽しめればいいと思う。

「言わぬが花」なら、はっきり口に出して言わなくても、おもしろみや味わいがあってよい。「口達者」ではなく「口にチャック」もできれば、粋な会話が楽しめそうだ。

「口がきれい」という言葉は、ふたとおりの意味があるとか。口先だけでりっぱなことや、きれいごとを言うさま。もうひとつが、食べ物にいやしくないさま、である。

後者の意味で、私は口がきれいと言われたことがある。人前で食べる姿を晒したくないため、執着がないフリをする。その分、お酒に意地汚いという自覚があるから、「口が卑しい」という言葉が当てはまる。

 

1906

 

バブル期のグルメブームには「口が奢っている」人が多かった。贅沢でうまい物しか食べない。「口寂しい」と思えば、何か口に入れるものが欲しくなる。脂と糖分で鍛えたそのからだは、バブル崩壊後に“現代病”というツケが回ってきた。
昔ながらの粗(素)食がなによりのごちそうと、気付いたときは“あとの祭り”である。

「口のうまい」人は蔓延している。巧みな話し方を駆使し、口先で人をまるめ込んだりするのがじょうずである。“振り込ませ詐欺”の手口は、ますます高度化している。
その「口三味線」に言いくるめられぬよう、不断からの注意が必要だ。

「口うるさい」人、「口はばったい」人はやっかいだ。「口は災いのもと」で、不用意に発した言葉や余計なひとことが災いをまねいてしまう。言ったはいいけれどあとから「口惜しい」思いが自分に跳ね返ってくる。

 

1905

 

「暴言」を吐くのも“口”であり、公害ならぬ“口害”である。
ハッキリ言わずに「口を濁す」人や、分を越えて横から「口出しをする」人も多い。

議員さんたちの口からも「失言」がボロボロとこぼれ落ちている。相手に訊かれると困るため、泣き叫んでごまかしたり、どこかに隠れたりもする。

限られた人間関係で、「口が軽い」か「重い」かのゲームを試してみるとおもしろい。
Aさんのことを知りたければ、本人ではなくBさん、Cさんなど他の人にさりげなく訊いてみる。そのリアクションでだいたいの口の軽さが判別できるからだ。

自分の秘密をわざと一人だけに話してみる。すると、話の広がりの早さにおどろいてしまう。なんておしゃべりな人間が多いのだろう、とあらためて確認できる。

なにはともあれ、幼稚な「口喧嘩」で地球を破壊しかねない輩(やから)には、常識ある「口添え」ができる“ご意見番”がなくてはならぬ。

 

頭ではなく体で判断する時間

 

日本には二つの時刻制度が併存したという。

明治5年に新橋~横浜間に鉄道が開業してしばらく、鉄道は分単位で運行されたが、当時の人たちはまだ、一時“いっとき”(2時間)とか半時“はんとき”と、時間を数えていたそうだ。そして、日本人による最小単位の時間認識は四半時の15分だった。

鉄道は時間短縮の歴史を必死に刻んできたようだ。
時間感覚が改まり145年になる現在は、(鉄道に限らず)分秒を争うことも珍しくない。

投手の投げた球が捕手のミットに収まるまで平均0.4秒だという。
ずっと以前、イチロー選手の談話で知った。思わずストップウォッチでその時間を確かめた記憶がある。

イチロー選手によると、0.4秒間に「このまま普通に打ってもヒットにはならないぞ」とわかれば、バットのヘッドを遅らせてわざと詰まらせ、ボテボテの内野安打をねらうらしい。
そしてそれは、<頭ではなく体が判断する>ことなのだと・・・。

 

1903

 

<あせって一瞬の火花になるな。根気よく牛になって押しなさい。人間を押すのです。文士を押すのではありません>。

1916年(大正5年)の8月、夏目漱石さんは(若い門下生の)芥川龍之介さんと久米正雄さんに手紙を書いた。「文壇のつき合いに煩わされることなく、一心に人間を見つめなさい」との教えらしい。この手紙は、4か月後に亡くなる漱石さんの遺言のようにも感ずる。

残念ながら師の遺言は守られなかったようだ。
のちに文壇の世話役として重んじた久米さんは文士を押した。人間を押さずに・・・。
芥川さんは牛にならず、火花になることを望んだ。

1927年(昭和2年)7月24日、数々の名作で知られる芥川さんは、<唯(ただ)ぼんやりした不安>と書き残し、35歳で自殺した。この夏で没後90年になる。師である漱石さんが他界されて、10年と7ヶ月後のことである。

 

1904

 

時間とはふしぎなもので、幼い頃の夏休みなど夢中で遊んだ日の記憶は、とても楽しい。なぜそんなに楽しかったのか、さっぱり思い出せないのだが。

ラジオ体操や昆虫採集、プールや海での水泳。お祭りや花火もあったはずだが、今思えば特別に何かをしたわけでもない。それでも楽しかったのである。

あとで考えてもよくわからないほど、自分を忘れて楽しんだということはまちがいないだろう。

このお盆も、(昨年から生まれた)祝日を含め長い休暇となった方も多いだろう。
海、山、実家、海外へと出かけている友人もいる。日常を離れ、羽を伸ばせる日々でありますように。

子供たちの夏休みは、今が折り返し点である。
休みの終わりが近づくと、やり残した宿題も含め憂鬱になるが、9月の最初の登校日には、同じクラスの仲間に一ヶ月ぶりで会える。

どういう形であれ“非常に楽しみでいられる時間”は、(長い人生の中で)とても貴重に思えてくる。きっと、「体で判断できる時間」だからなのかもしれない。