日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

今の一日よりずっと長い日は

 

誰もが、<幼きころの一日は今の一日よりずっと長かった>気がするのではないか。
古き説では、心理的な時間の長さが、年齢に反比例して短くなるという。仮に10歳児は40歳の4倍、50歳の5倍・・・との具合で時の流れを長く感じるそうだ。

「人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である」。
「大人とは、裏切られた青年の姿である」などと、太宰治さんは『津軽』に記した。

小林一茶には歳月を織り込んだ句がある。

<春立つや四十三年人の飯>。地方行脚に明け暮れる身の上を詠んだものらしい。
また、<月花や四十九年のむだ歩き>という句もある。

一茶俳句を評して「赤裸々な告白文学を読む心地がする」と語ったのは作家・藤沢周平さんである。

 

1970

 

見ているだけで吹き出してしまう芸にも時の速さを感じてしまう。ものまね芸の奥義を究めるコロッケさんも、芸歴37年である。テレビに出始めた頃から知っているので、その長さにピンとこない。

歌手・五木ひろしさんのしぐさを、カクカクとしたロボット的な動きで披露する“ロボット五木ひろし”が大好きで、何度観ても大笑いさせられる。代表作とも言えるこのネタは、テレビで映画『ロボコップ』を見ていた時に思いついたという。

長年演じているらしく、最初の頃と今ではまったく違うそうだ。今はCGのような動きを目指して研究されているとのこと。

東京に出て、赤塚不二夫さん、タモリさん、所ジョージさんに ものまねを見せる機会を得た若き日のコロッケさん。所さんから「似ているけど、面白くないね」と言われ(一念発起して)“ビジュアルものまね”が生まれた。

<似ているか似ていないか。面白いか面白くないか>を判断するのは観客であると確信した。座右の銘は「相手が1番、自分が2番」で、常に観客を喜ばせてきたのだ。

 

1969

 

<「亭主は達者で留守がよい」という生活を心から楽しんでいるような、呑気そうな細君だった…>。『夫婦十二ヵ月』(1962年)。評論家・河盛好蔵さんの文章だという。

テレビCMにて<亭主元気で留守がいい>の形で世間に広まるのは、それから24年たった1986年のこと。

今の定年は60~65歳と会社が示す選択肢により幅もあるらしいが、当時は55歳定年が普通だった。

時の流れの速さには恐れ入る。その昔、“定年”は「停年」と書かれたらしい。
<“停”年>との文字からは、バス停のようなイメージもわいてくる。

さて次はどんなバスに乗ろうか、と思えば、少し元気になれるかもしれない。

 

クスっと笑えるような余白が

 

毒舌タレントが芸能界を席巻してかなりになる。

有吉弘行さん、マツコ・デラックスさん、坂上忍さんらが、ご意見番やコメンテーターとして、他の芸能人への言動のみならず、時事問題にいたるまで批評・批判することは、今や珍しくない。

“歯に衣着せぬ言動”は痛快であるが、ときには批判を受けてしまうケースもある。一歩まちがうと即“炎上” にもなりかねない。

“愛される毒舌"と“炎上する毒舌"の境界線は、いったいどこにあるのか。

たけしさん、島田紳助さん、上岡龍太郎さん、有吉弘行さんなど、脈々と受け継がれる“毒舌の系譜”を思えば、(1980年前後の漫才ブームで)ツービートのビートたけしさんがクローズアップされるようになったのがきっかけなのかもしれない。

「ジジィ! ババァ!」との強烈な発言や、社会風刺を題材とした漫才を繰り広げ、大人気となった。

 

1967

 

ツービートのネタは“毒ガス"と呼ばれ、ネタ本の『ツービートのわッ毒ガスだ』は85万部を超える大ヒット。彼らの毒舌は、一般視聴者が言いたいことをズバリ言ってくれるもので、人によってはちょっと鼻につくものでもそれを意図的にコントロールしていた。

その後、上岡龍太郎さん、島田紳助さん、大竹まことさんなど、毒舌をウリにするタレントが続々登場した。

「毒舌タレント」は芸能界のいちジャンルとして定着した。そして、2007年頃から有吉弘行さんの再ブレイクで脚光を浴びるようになった。

「リズム&暴力」(和田アキ子さん)、「元気の押し売り」(ベッキーさん)など、あだ名を次々と付けて大ブレイク。多くの冠番組を持つまでになるのだ。

有吉さんの盟友、マツコ・デラックスさんも、歯に衣着せぬ発言でブレイク。
このお二方は毒を吐く相手に対して、基本的にはリスペクトがあるから嫌がられない。

 

1968

 

毒舌が許されるかどうかは、「愛の有無」だと言われるが、「愛嬌があるか、ないか」の方が重要なようである。

有吉さんの場合、毒を吐いた後は必ず満面の笑顔でクッションを置く。だからこそ観ている視聴者も安心できる“明るい毒舌"なのだ。

好感度の高い毒舌タレントの共通点は「類まれな“愛嬌"」といっても過言ではあるまい。
かつて、毒蝮三太夫さんがこの「クソババア!」と罵倒しても許されていたのは、(ラジオのその向こうには)当人がいて、言われた方も喜んでいた。そして、聴いてる側も不快じゃなかった。

もし、毒を吐いた後で、オチとして笑いに昇華することができず、シリアスなままで終わってしまえば、毒舌の息を超えて嫌悪の対象になるはずだ。

どこかにクスっと笑えるような余白がなければ、「偉そうな物言い」だけがクローズアップされてしまい、批判の的になってしまう。今はこのケースがあまりにも多すぎるようだ。
<クスっと笑える余白>をもっともっと持てるように、学ぶ必要があるのかもしれない。

 

 

週のお題「芸術の秋」

隠れたる偉人伝と某国の逸話

 

<無用之用(むようのよう)>とは、老子荘子でよく使われる逆接的な理論だ。
意味は、「一目見たとき役に立たないと思っていたものが、重要な働きをすること」。

喩えば、人が地面に立つとき、足の裏が収まるだけの面積があれば足りる。しかし、立っている場所以外の大地を掘り取れば足もとが崩れてしまう。

かつて、さいとう・たかをさんの劇画『無用ノ介』が流行った。由来はこの“無用之用”かもしれない。ところで、この“無用之用”はいかがなものか。乾燥の季節にビリッと感じる「静電気」である。

あらゆる物質にプラスの電気を持つ陽子と、マイナスの電気を持つ電子があり、通常はプラスとマイナスの量はバランスがとれている。物質によって電子を引きつける力が強かったり弱かったりする。電子を引きつける力の異なる物質が接触すると、電子の移動が起こり、一方がプラス、もう一方がマイナスの電気を帯びる。これが静電気である。

 

1965

 

着ている服がマイナスの電気を帯びると、服に近い体の部分にはプラスの電気が引き寄せられる影響で、(手や指などの)服から遠い部分は、マイナスの電気を帯びる。この状態で、金属製のドアノブなど電気が流れやすい物質に近づくと、放電してビリッとくる仕組みである。痛みを感じるのは電気が一気に流れるためだという。

空気の乾燥で、より起きやすくなる。湿度が高い時期は、空気中の水分が衣服や体の皮膚全体に付着する。水は電気を通しやすいので、服などを通して地面へ電気が流れていくため帯電しにくいとのこと。水分が少ない冬は、特に静電気が衣服にとどまりやすくなる。

無用と思われる静電気も、なにかの用をなすために存在しているものなのかどうか。興味が深い。

電気といえば発明王エジソンが思い浮かぶが、そのエジソンは、己の先を行く(交流電気を開発した)研究者が日の目を見ないよう、執拗に嫌がらせをしたというエピソードが残っているようだ。

 

1966

 

偉人伝には書かれないことが多々あるのだという。

新大陸に降り立ったコロンブスは村人に金を集めるよう命じ、手ぶらで戻った者は腕を切り落としたとか。

リンカーン奴隷解放の隠れた狙いは、南北戦争で対立する南部の資本家を弱らせることだったとも。

こちらは節酒令が出た当時の旧ソ連におけるお話である。その時代、靴磨き用のクリームが品切れになったのだという。

原因は、靴磨き用のクリームをパンに塗り、アルコール成分がしみ込むのを待ちクリームを削ぎ落として、(パンを)酒風味にして食べる人が増えたからなのだと。いかにも酒好きのお国柄であり、この執念はすさまじい。

昔話のため真意を測りかねたが、11年前の報道で妙に納得できた。その年ロシア全土で、靴クリームならぬ密造酒を飲み約180人が中毒死したそうだ。いかがわしい酒でも酔いたい人々の執念をわからぬもないが、命がけの飲酒には静電気以上の強烈な電気が走りそうだ。

 

志の糸を継ぐ心持つロボット

 

かつて、テレビ・映画で大活躍した二代目桂小金治さんが前座のとき、毎日稽古に通ったのが柳家小三治(のちの五代目小さん)さんの自宅であった。終戦まもなく、食糧難のころだ。

小三治さんは、弟子でもない若者に噺(はなし)を教え、終わると白いご飯を食べさせてくれた。小金治さんは毎回の銀シャリが楽しみだった。

ある日、いつものように満腹になって帰る途中で忘れ物に気づいて戻ると、小三治夫妻が子供と昼飯を食べていた。それはサツマイモだった。

胸をつかれた小金治さんは、帰りの電車で泣いたという。

稽古に通うのをやめようと思い、師匠の桂小文治さんに相談した。
師匠は言った。「大バカやな、お前は。小三治はお前に落語を教えているんやないで。落語ちゅうもんを、この世に残しているんやないか」と。

伝統芸能や伝統文化は、数知れない人々が、“志”の細く長い糸をつないでここまできたようだ。

 

1963

 

ロボットと違い人間は、感情を持つ。その感情は脳内のホルモンに左右され、ホルモンの量は五感から得る情報などによって増減する。

とはいえ近年は、人工知能(AI)も進歩し、機械が感情を表現したり、人間の喜怒哀楽を理解したりする技術が登場している。

“働くだけのロボット”も「友人や家族の一員になるロボット」へ、との日が近くなっているようだ。

暗い場所にいると、脳に“ノルアドレナリン”というホルモンが放出されるらしい。そして、「不安」の感情が生まれる。

東京大・光吉特任講師は、楽しい時や不安な時などに、脳でどのようなホルモンが増減し影響するか、感情のホルモンを数値化したという。

そして、「大好き」、「悔しい」など感情を表す言葉を、単語223語に整理して「喜び」、「安心」、「怒り」、などの大きな感情の中に区分した。

その結果、ホルモンの分泌と細かい感情の関係を円で図示した「感情マップ」が出来上がったのである

 

1964

 

一昨年にソフトバンクが販売を始めたペッパーくんは、“感情マップ”がベースになる「感情生成エンジン」を搭載し、(感情を持たせた)ロボットなのだという。

身長約120センチ・メートル、体重約30キロ・グラムの感情認識パーソナルロボットなのだ。知識や言語能力は小学校低学年、感情は生後3~6か月の赤ちゃんと同程度とか。

映像や声などで周囲の情報を受け、人間の感情を左右する“ドーパミン”や“セロトニン”などに当たる8種類の仮想ホルモンを数値化し、その組み合わせで複雑な感情が生まれる仕組みになる。

初対面の人には“人見知り”して、自分に優しくする人や機械に冷淡な人などを徐々に覚えていく。会話する相手によって「喜び」や「不安」などの感情を持ち、話や動作を変化させていくというからおもしろい。

店頭での呼び込みや商品説明で、売上に貢献しているケースもある。
幼児にも人気で、ハグされて身動きがとれずバンザイしてお手上げ状態らしい。
我々も、ぜひ学びたい接客術なのである。

 

プロの手によるコラムが秀逸

 

“幼稚”の意味は「考え方・やり方などが未熟。技術・構造などが単純である」らしい。

“理性”だと「善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力」。
昨今、幼稚性の勝る人が増えてきているような気がしてならない。

『優秀なセールスマン?』と題された本日の天声人語(朝日新聞)はおもしろかった。
“所得倍増”を掲げ、(1960年代に)首相だった池田勇人さんのことが書かれていた。

「一人ひとりの稼ぎを増やすには、輸出を伸ばさねば」との意気込みで欧州を訪問。
その姿勢を見抜いたか、ドゴール仏大統領から「トランジスタラジオのセールスマン」と評された。

こちらはさながら「兵器のセールスマン」か。

トランプ米大統領が会見で「非常に重要なのは、日本が米国から大量の兵器を買うことだ」と。上空でミサイルを撃ち落とすことができる。迅速にそして即時に・・・。
買ってくれれば「多くの雇用が私たちのために生まれる」とも付け加えた。

プロゴルファーの同伴、そろいの帽子など。おもてなしの心が目立つ首脳外交である。接待されつつ売り込みも。<これほど優秀なビジネスマンはいない>とも記されていた。

 

1961

 

8、9月に、北朝鮮が日本列島上空を通過する弾道ミサイルを発射した際、日本が破壊措置を取らなかったことについて、「武士の国なのに理解できない」と、米大統領が疑問表明していたようだ。

トランプ氏は8~10月、東南アジア諸国首脳らとの電話会談や直接会談で、北朝鮮への圧力強化策を協議。その際に「自国の上空をミサイルが通過しているのに、なぜ撃ち落とさないのか」と不満を口にしていたという。

それで、<日本に必要な商品は兵器である>とのセールス魂に火がついたのかどうか。

幼稚性の勝る人といえばこの人も忘れてはいけない。
先月の27日、麻生副総理兼財務相が、自民党衆院選圧勝を「北朝鮮のおかげもある」との発言をしたそうな。

 

1962

 

本日付の春秋(日本経済新聞)も、読みながら笑ってしまった。

幇間(ほうかん)、別名たいこもちの話である。
お座敷を盛り上げる接待のプロで、フリーの幇間を「野だいこ」というらしい。

自民党が国会の質問時間を増やすよう要求している。
これまでも、「総理の初夢についてお伺いしたい」
「日米関係の蜜月を十二分に世界に示されたと思うが、総理のご所見を」等々。
質問時間を持て余し般若心経を唱える人も。← (つい最近TVニュースで観た)。

記事では「たいこもち あげての末の たいこもち」の川柳をとりあげていた。
この川柳の内容は、道楽三昧をした挙句、身上をつぶすか勘当されるかで、自ら幇間となった人が実に多かったことをあらわしている。

落語『鰻(うなぎ)の幇間』では、祝儀をもらうはずの野だいこに、高額の請求書が回るのだ。なぜかこの国の首相を連想してしまう。と、言ったら不謹慎であろうか。

 

 

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

脇役の輝きから磨かれる主役

 

音楽と映画・ドラマは同じ時間芸術。だが、受ける感覚はちがう。好きな楽曲なら繰り返し聴くが、映画・ドラマはほとんど一度きり。観返したとしても、音楽よりはるかに少ない。

音楽作品は映画・ドラマより短時間であるが、受け手の脳は異質なメディアと捉え、身構えるのかもしれない。

テレビ録画分がたまったり、レンタルDVDの期限を気にすると、楽しみよりノルマに感じることもある。ネットの(今はなき)某レンタルは無料券をよく発行してくれて、手当たり次第に借りられたが、自分の観たいものは偏った。

今は配信が主で、つまらなければ途中でやめたりと、“つまみ食い”みたいな感覚でお気楽だ。わざわざレンタルをしなかった作品も観やすく、“お宝作品”と出会えることもある。知らない世界に、(自分の)気が付かない好物がいっぱいあることを、あらためて感じている。

 

1959

 

配信視聴のおかげで、鑑賞作品の幅が広がり視聴本数も増えているが、観たいモノの基準は今までと変わることはない。

脇役が主役を喰うような作品が好きで、“主役より脇役を中心に”観たい作品を選別することもある。<名脇役という言葉はあっても名主役という言葉はない>。この言葉に納得なのである。

とはいえ、主役はもちろん、脇役も達者で興味ある役者さんがそろっているのに、脚本でぶち壊してつまらなかった、というケースも最近はある。

<良いシナリオから駄作が生まれることはあるが、悪いシナリオから傑作が生まれることはぜったいにない>。黒澤明監督の(私が大好きな)名言である。

まだ20歳で俳優座養成所に通う無名の仲代達矢さんは、黒沢明監督の『七人の侍』に通行人役で5秒間ほど登場した。

その撮影で、歩いては叱られ、歩いては叱られ、昼食抜きの歩行練習をひとり命じられたのだ。朝9時のテスト開始から午後3時の本番まで歩き続けた。

それでも完成した作品に、仲代さんの名前(テロップ)はなかった。

  

1960

 

7年後の映画『用心棒』で、仲代達矢さんは準主役に起用された。
そして、「監督、ぼくを覚えていますか」と尋ねた。
黒沢監督は答えた。「覚えているから使うんじゃないか」。

黒沢監督は、若き日の仲代さんの中に素質の原石を見て、手荒く磨いてくれたらしい。日本映画の黄金時代は、そういう人々の手で築かれた、と言われる。

光を放つのが何年先であれ、磨く労を惜しまない。名の売れた役者も無名に返り修業する塾という趣旨の俳優養成塾「無名塾」は、塾生の公募を開始して40年になる。

多くの弟子を育てた仲代さんの胸には今も、遠い日の“通行人”の自分がいるのかもしれない。厳しい手に磨かれた原石は宝石となったのちも、自らが手となり新しい原石を磨く。

映画だけでなく、芸術や文化とは、“恩を受けては返す”長い鎖のようなものにちがいない。

 

心情に 人それぞれの個性あり

 

<読書をするとき(作者と)“心情”を分かち合う>と言ったのは、カズオ・イシグロさんだ。

米国の大富豪であるジョン・P・モルガンさんに語り継がれる逸話がある。

古い友人が金を借りに来たが、モルガンさんは断った。
そして、「かわりに、君と一緒に道を渡ってやろう」と言った。

ウォール街の道路を二人で横切った。
すぐさま、友人のもとには、金の貸し手が殺到した。

力のある者と親しい。そう思われただけで、世間は友人の側にもなにがしかの力が備わると感じる。権力とは、そういうものだろう。

自身の有り余る金を貸すことより、他人の金で友人に恩を売ったモルガンさんの心情がなんとなくわかる。

 

1958

 

阪急グループの創業者・小林一三さんにもおもしろいエピソードがある。
不況の底にあった昭和初めのこと。経営する百貨店の食堂では、客がご飯だけを注文し、卓上のソースをかけて食べる光景があったという。

無料のソースばかりを減らす客に閉口して、食堂の扉に<ライスだけの客お断り>との張り紙が出た。

それを読んだ小林さんは書き直させたという。<ライスだけの客歓迎>と。

ご飯だけの客はやがて阪急びいきの上客になっていく。
損は儲けの初めなり、との心情であろう。

目先のそろばんをはじく“頭”はあっても、客の身を思いやる“胸(こころ)”のない経営者には真似のできることではない。

かつて、高倉健さんは石垣島を訪ねた際、偶然 目にした光景を随筆『沖縄の運動会』に書いている。

小・中学校の合同で、総勢100人ほどの運動会であった。
おじいさん、おばあさんたちが運動場に出て、「ナワナエ競争」をしているところだった。

 

1957

 

藁をよじり、どちらが長い縄をなえるかを競うゲームである。

真剣な表情のお年寄りたちを、校庭にいる皆が声を張り上げて応援していた。
いつのまにか自分(高倉さん)も手を叩いていた・・・のだと。

帰京後もその感銘が忘れられず、感謝の志として学校に天体望遠鏡を贈った。
懇切な礼状が届いたが、高倉さんは自問したそうだ。

美しい夜空の中、心情もやさしいあの島の子どもたちに、贈り物など必要であったか。
「少し後悔した」と、随筆に記した。それは、現代人が忘れかけた心なのかもしれない。

行きずりの人に<無心で拍手を送ることや、感銘を胸にしまいかねて感謝の形に表すこと。そして、その行為を静かに省みること>。

まさに高倉健さんだという気がしてならない。

映画俳優として、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章している高倉さん。

網走番外地』の橘真一、『昭和残侠伝』の花田秀次郎、『鉄道員(ぽっぽや)』の佐藤乙松などと、数々の人物に観客が魅了されたのも、演じる高倉さんに心の忘れ物を感じたからに相違ない。

受章での言葉に、<志低く、不器用な自分が>とあった。
思わず、寡黙で一本気なスクリーンの主人公の心情がオーバーラップしてしまう。

 

スマホの次に来るモノは何?

 

業績を支えてきたスマートフォンの世界市場も、成長が鈍化するとの予想だ。

東日本大震災などの打撃を受けた電子部品メーカーも、世界的なスマホ需要で救われた。TDKは、ICチップの周りの電気の流れを整える「コイル」などの部品で、一昨年に初めて1兆円を超える売上高だったという。

しかし、米調査会社IDCの見解では、スマホの普及が進んだ結果、2020年までの世界出荷台数は毎年1ケタ台の伸びにとどまるとの予測。

電子部品の世界市場は、日系企業が4割ものシェアである。これからはスマホ依存の経営から脱することが課題となっている。各社はIoTの分野や、自動車向けを新たな収益源として重視し始めている。

高精細な液晶パネルの大手ジャパンディスプレイは昨年の発表で、車載や仮想現実(VR)端末など、スマホ以外が売上高に占める割合を、現在の15%から21年度に5割へ引き上げる目標を示した。

 

1955

 

今は、<自社の部品の新たな用途を積極的に提案し、いかに付加価値を生み出せるかが重要>になっている。

この時期、“スマホの次”と期待される製品として、「AIスピーカー」が脚光を浴びてきた。
AIスピーカーは主に家庭での利用を想定されている。何か知りたいことを調べるとき、スマホやパソコンを使っていたが、AIスピーカーに話しかけるとAIが言葉を理解して対応するという。

「グーグル」や「LINE」といった企業が、日本語に対応した商品を1万円台で発売した。リモコンやスマホのように、手での操作に慣れた生活が変わるかもしれない。

人工知能(AI)を搭載し、机の上に置かれたスピーカーに話しかけるだけで、最新の情報やおすすめの情報を答えてくれるのだ。“スマートスピーカー”は、音楽再生用のスピーカーと違い、人が話しかけるとその内容に応じて、さまざまな情報を答えたり、音楽を再生したりする賢いスピーカーである。

 

1956

 

AIスピーカーは、音楽プレーヤーやスマホを接続せずに音楽を再生する。
「ジャズを再生して」と言うだけで、対応するネットの音楽配信サービスからジャズの再生リストを自動的に選び、好きな音楽をBGMとして楽しめる。音量の調整も「音量を上げて」、「音量は4」と話しかけるだけ。

対応の映像配信サービスなどで、家庭用テレビと連携して映画やドラマのタイトル名を言うだけで、再生することもできる。AIスピーカーと接続機能のあるテレビや照明ならスイッチのオン・オフも言葉ひとつで操作できる。(インターネットと家電をつなぐ)IoTの橋渡し役のような活躍ぶりである。

2014年、米国でこの市場の先陣を切ったのは、「エコー」を発売したアマゾンだといわれる。ネット通販だけでなく、タクシーの配車、ピザの宅配など2万5000以上のサービスを利用できるそうだ。

もし、AIスピーカーが私の手元にあるのなら“すべておまかせ”で、ますます横着になってしまいそうだ。

 

行動筒抜けの“かくれんぼ”

 

芸能関連のエピソードは楽しい。

『はぐれ刑事』(1975年)というドラマで主演の平幹二朗さんは、休憩時間に犯人役の男性へ話しかけた。それが人生を大きく変えることになる。

「私をあなたの芝居に出してくれませんか」。
男性は「考えておく」と一言。

犯人役のその人こそ、煌びやかな演劇『王女メディア』の演出で世界に名を知らしめる蜷川幸雄さんであった。

男優が(王女へと)女性に扮するという、演劇界を驚かせたアイデアは平さん自身の持ち込みであった。かくして名演出家と名役者のコンビが誕生した。

次は師弟関係のお話である。

落語の五代目春風亭柳朝さんが二つ目の頃、賭け事を楽屋でして師匠から破門を言い渡された。柳朝さんは遺書をしたためた。<駒形橋から隅田川に身を投げて死にます。探さないで下さい>。

師匠の八代目林家正蔵さんがそれを読んで言った。
「馬鹿野郎が。探さないで下さいって、わざわざ死ぬ方法と場所を書くトンチキがどこにいる」。

 

1953


今の時代の遺書なら、場所を明記しなくともスマートフォンをたどり、探し出してもらえるかもしれない。スマホの位置情報サービスで、行動が筒抜けになるらしい。

アンドロイドのスマホでは、グーグルマップアプリを起動して、メニューからタイムラインという項目をタップ。そこのグーグルロケーション履歴に、ユーザーの移動した場所が克明に記録されるようだ。

iPhoneでは、設定→プライバシー→位置情報サービス→システムサービス→利用頻度の高い位置情報。そこへ、(知らぬ間に)自分の行動が子細に記録されているとのこと。

アンドロイドは、ロケーション履歴がオンになっていると、その情報をグーグルが保存する。
iPhoneなど(iOS製品)は「利用頻度の高い位置情報」が利用者の端末だけに記録される。

 

1954


スマホの時代では、個人情報がきわめて複雑で“巨大なデータ”となっている。

不気味な実話だ。あるSNS内・某コミュニティの男性管理人が、女性会員と(今 流行りの)“一線”を超えたとか超えてないとか。それも複数が相手なので話がこじれる。

どうやらオフ会を通じての逢瀬をお楽しみだったらしいのだが、知らぬはご本人ばかりだった。

オフ会に出た(本命以外の)女性会員たちが怪しいと気付く。そして、スマホの位置情報で管理人と(お相手ともくされる)女性会員の行動をチェックしたら、すべてが筒抜けになったという。

管理人のアリバイが崩れて、別のお相手の女性会員が乱入してきたりと、かなりのドタバタ劇が繰り広げられたらしい。その管理人は女性問題以外でも、ネット上のトラブルを抱えていたらしく、人知れずコミュニティを閉鎖する羽目に追い込まれた。

それにしても、他人の位置がどうやって検索できてしまうのか、私にはその機能がサッパリ理解できない。それでも、熱いハートの女性たちは、いとも簡単に位置情報の機能を使いこなしている。あぁ、おそろしや・・・。

 

カセットという響きのブーム

 

ブームにも大小があるのだろう。アナログレコード・ブーム、といわれても、私の周りでレコードを聴いている人は知らない。「カセットテープ・ブーム再び」との記事も読んだが、こちらのブームはいかがなものか。

CDなどの普及で、1990年代に音楽の記録媒体としての地位を追われたようなカセットテープ。CDの出初めにはウォークマン等の商品を介して、CDと共存共栄はしていたが。

アナログの音に魅せられた新たなファンは、カセットテープの音が心地よいらしい。
その時代を全く経験していない者にとって、カセットテープにノスタルジーは介在していない。デジタルの次となる新しいメディアとさえ感じるかもしれない。

音の柔らかさや、ノイズ(雑音)も含めたリアリティー。カセットテープやラジカセの持つ“道具(ガジェット)感”など。高解像度(ハイレゾ)の技術的な高音質とは、耳に聴こえる心地よさがちがうのだ。

 

1952

 

CDの売り上げが減少する一方、定額で好きな曲を何万曲も聴ける音楽配信サービスが普及している今・・・。

インターネットでデータを受信しながら再生するストリーミングと対極的なカセットテープの音楽がデジタル世代にはすごく新鮮でクールなものに映るとのこと。

安価で聴きやすい状況ができている反面、音楽を聴かなくなっている、ともいわれる。
「有り難みが損なわれると、そこから離れていく」という心理なのであろう。この状況だからこそ、カセットテープが注目を浴びる背景になり得るのだろうか。

曲をスキップできないカセットテープは、表(おもて)面の1曲目から裏面の最後まで音楽と向かい合ってその楽しさを再認識できる。

デジタル化が進めば進むほど、アナログ回帰も進むとか。カセットテープを再生する車載用カセットデッキも“復活”しているようだ。“家でハイレゾ、車の中はアナログ”というように、バランスよく使い分けをするユーザーもいるだろう。

 

1951

 

つい最近のネットニュースでは、20年前のスーパーファミコン用ゲームソフトが発売決定とあった。ファミコンスーファミは子どもに買った世代で、自分では遊んでいない。でも、楽しそうなのはよくわかる。

新規発売については、旧作ゲームの高騰や経年劣化、またユーザーからの根強い人気レトロタイトルにプレミアがついてしまったためだという。やはり昔のゲームは面白い、という声が多いようだ。

人気タイトルによっては、10万円以上に高騰し、ユーザー達は欲しくても購入できない状態とのこと。もし、旧作のソフトがあっても、経年劣化で、読み込み不能や画面がバグするなど、修理不可能の問題も発生する。

あの頃のゲームもカセットタイプのものが多かった。今はスマホで当時より精密なゲームができるらしいが、やはりあの“カセットという形態”がとても懐かしい。

 

 

今週のお題「私の癒やし」

 

物欲のない若者が欲しいモノ

 

人それぞれで違うはずだが、若者はあまり買い物をしなくなったらしい。
“物欲なき世代”とも言われる。可処分所得(収入のうち自由に使える額を示す)の伸び悩みが原因なのか。

スマホの普及で月々の支払いがかさみ、(健康保険など)社会保険料の負担も大きく、他の消費にお金が回らない。年金や社会保障制度がどうなるのか、自分たちの生活がどうなるのかもわからない。そのため財布のひもが固くなる。

今の若者が生まれた時、日本経済はデフレだった。親の給料もなかなか増えない。不
要なモノは買わない習慣の中で育った。高度成長やバブルを経験してきた世代とはあきらかに感覚が違うのだ。

日本経済は成熟し、モノがあふれて、消費の主役が“モノ”から、(体験を大事にする)“コト”に移るなか、企業側は消費者のニーズに応えるモノを十分に提供できていない。

 

1950

 

かと思えば、興味あるニュースを見た。数日前、西日本新聞にあった記事である。
AKB48のCD585枚が(処分に困り)、山に不法投棄されていたという。

10月16日に福岡県警筑紫野署は、容疑の男を書類送検した。同市に住む30代の会社員の男である。男は「アイドル総選挙で、CDに添付されていた投票券を使用後、処分に困り捨てた」との容疑を認めている。

書類送検容疑は6月中旬ごろに、AKB48のシングルCD計585枚を、太宰府市の山中に捨てた疑い、とのこと。

CDはすべて同種で、6月に沖縄県で行われた「AKB48 49thシングル選抜総選挙」の投票券が抜き取られていた。

大量のCDは、(AKB48のファン仲間である)千葉県在住の男性が購入した。券に書かれているシリアルナンバーの入力が間に合わないため、九州在住のファン仲間に協力を依頼したモノなのである。

 

1949

 

容疑の男は、千葉の男性から郵送されてきた約千枚分(約100万円相当)の入力作業を、福岡市内で終えた後、約600枚を自宅に持ち帰った。その量は段ボール11箱分で、一般のごみ処分が面倒なため山に投棄したとのことだ。

大量のCDが捨てられていることは、SNS上などにもアップされ、ファンの間でも問題視されてきた。私も、どういう形で捨てられるのかと、その実態にはとても興味があった。

投票券目当てで大量購入したはいいが、選挙後も売れないのだという。
中古販売大手のB店やDVDレンタル大手のG店では、盗品の転売防止などを理由に、同一タイトル2点以上の買い取りはできないらしい。

AKB48のCDは総選挙のたびに大量生産され、中古品販売店での買い取り価格も安い。買い取ってもらえないこともあるから、(必要としない“モノ”である)CDの処分が大きな問題になってくる。

音楽配信やダウンロードが主流の今、実際どれだけのCDが本当に聴かれているのかとても気になる。捨てられるためだけに、大量のCD(というモノ)に収めた楽曲に、いったいなんの意味があるのだろうか。

 

やすらぎ、オレンジデイズな郷

 

テレビドラマがヒットといわれる基準は、視聴率10%を超えるかどうか、にまで下がっている。脚本家・倉本聰さんによると、駄目になったのはトレンディードラマからだと。

地べた目線でドラマの脚本を書くのが信念である倉本さん。
「(作り手たちが)自分の生活だけ知っていて、多様化していく(他者の)生活を知らない」のが気になる。そして、職業や社会的立場に縛られず、様々な人に会わねばならない、と

私の周りも『やすらぎの郷』の終了を惜しむ人が多い。“やすらぎロス”なのである。往年のスターが多く登場し話題となったテレビ朝日系のドラマである。

「大人の観ることができるドラマは少ない」と嘆くシニア世代に向けた名ドラマも、半年間の放送が9月末に終了した。

 

1947

 

倉本聰さんが全力投球して書いたのは、老人ホームで起こる悲喜こもごもの人間模様であった。長年、テレビ界や役者を見つめてきた倉本さんの脚本には、ひねりがあった。

その施設には、テレビ界に貢献した者だけが選ばれ入居できるという規律である。
主演の石坂浩二さんや浅丘ルリ子さん、加賀まりこさん、八千草薫さんなどと多くの大女優や大物男優が惜しげもなく出演した。残念なことに、野際陽子さんはこの作品出演が遺作になってしまったが。

中島みゆきさんが歌う主題歌も楽しみだった。みゆきさんもさり気なくドラマ出演をされていた。車いすに乗る倉本聰さんを押しながら、石坂さんたちの脇をサラッと素通りする役であった。みゆきさんと倉本さんは夫婦という設定だったのだろうか。

テレビドラマの魅力について、プロデューサー・村瀬健さんは「10時間かけて、人間を描けること」であり、その上で「この時代を切りとること」を信条としていると語った。そして、ドラマの評価は、<どれほど現代性を織り込めるか>にかかっているが、とも。

 

1948

 

最近、配信で『オレンジデイズ』(2004年)なるドラマを見つけ、おもしろさのあまり一気に観終えた。だから、“オレンジロス”なのだ。

妻夫木聡さん、柴咲コウさん、成宮寛貴さん、白石美帆さん、瑛太さんらが演じる5人の友情と愛情が楽しいのだ。また、全編にわたり手話が絶妙な効果を醸し出している。

誰もがうらやむような大学生活のシーンがあり、今も憧れを抱く人は多いらしい。先日、マイナビ学生の窓口の関連記事に、そのことが書かれていた。

調査日時は2017年4月で、調査人数が大学4年生・大学院生279人。

「ドラマ『オレンジデイズ』のように充実した青春を満喫した! と自信を持って言えますか?」との問いで、はいが57人(20.4%)、いいえが222人(79.5%)だという。
オレンジデイズのような学生生活を過ごせたと言える人はわずか2割であった。

過去を憂いてもなにも始まらない。こうなれば、よりよい余生を目標に、“やすらぎの郷”みたいな老人ホームで“オレンジデイズ”のような生活を送ったらいかがなものか。

 

モノや情報で人とつながる今

 

昭和30年代のこと、某出版社が文学全集の刊行を企画した。
松本清張さんの作品が議題にのぼったとき、編集委員の一人である三島由紀夫さんは言ったそうだ。「清張作品を入れるなら、私は編集委員を降りるし、わが作品の収録も断る」と。

純文学と大衆文学の壁をめぐる文壇のこぼれ話ではあるが、今より娯楽がはるかに少ない時代に、読者からはその“分け隔て”がなかったように思う。私にしても、三島さんも読んだが、清張さんもたくさん読んでいる。

時は移り、今は高い壁がどんどん消える時代らしい。いろいろなものをシェアしながら暮らす人が増えているからだ。

家族や友人と衣類やアクセサリーを共有し、地域の人が車を共同で使うカーシェアリングもある。インターネットで目にしたメッセージや画像などを、自分の知り合いに流すシェア機能を日常的に使っている人もいる。

 

1945

 

渋い演技でおなじみの俳優・國村 隼さんは、子供の頃から車が好きで、車の設計をやりたくて、工業高専に進学した。しかし、物理学や量子力学などを学ばなければならないことが苦痛で辞めた。

「暇つぶしに行けば」との友人からのアドバイスで、劇団の研究所を訪ねた。
そこで、一つの舞台を作り上げていく過程は、エンジニアの“もの作り”と一緒。小道具を作り、衣装を作り、芝居がどんどん楽しくなっていくことになる。

リドリー・スコット監督のハリウッド映画『ブラック・レイン』(1989年)のオーディションに挑戦したら合格。共演者はマイケル・ダグラスさんや高倉健さん、松田優作さんというそうそうたる顔ぶれであった。

特に松田さんとの出会いで、芝居への道を確信した。松田さんの子分役だったので、現場ではいつも一緒。教えられたのは<人に見られていることを常に意識しろ>だった。

 

1946

 

一流の映画の現場、一流の俳優の背中を見たことで、「自分の母屋は映画だ」との自覚が芽生えたという。俳優である自分は“依り代”のようなものであり、「役の入れ物」にすぎないのだ、と悟った。

「役の入れ物」という考え方が、“シェア”という感覚にもつながるようでおもしろい。人間の生命も“体を借り物として”成り立っているように、いつも思うからだ。國村さんは、一度もやったことがない役柄をもっと演じたい、と思っている。

図書館で本を借りたり、ネット利用で無料の音楽を聴いたり、動画を観るのも広い意味でのシェアなのであろう。モノ、情報、空間などを気軽にシェアできるのは、限られた収入のなかでは便利である。

シェアハウスの体験はないが、ふつうの賃貸住宅にはない、住人同士の交流があるような気がする。今のシェアは、モノ、情報、住まいをネタにして、人とつながることを目指しているのかもしれない。

そもそもが、ものすごく大きなシェアハウスを地球に喩えれば、あらゆる生物たちがそこでシェアをしているようなもの・・・なのだから。

 

時代は関係ない気がしてきた

 

松本隆さんが作詞した曲を一度も聴いたことのない人は、いないかもしれない。
作詞活動は今年で47年。1980年代は松田聖子さん、近藤真彦さん、薬師丸ひろ子さんたちに詞を書き、歌謡曲の全盛期を支えた。

90年代以降もあらゆるアーティストに詞を提供し、手がけた作品は2100曲を超えた。

松本さんは20歳代前半までロックバンド「はっぴいえんど」のドラマーだった。大滝詠一さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんと組んだ伝説的なバンドである。“日本語のロック”を立ち上げ、ドラムと作詞を担当。その後の日本のポップミュージックシーンに多大な影響を及ぼした。

日本語を初めてロックに躍動させたのは、「はっぴいえんど」が最初で、当時のロックは英語で歌うのが当然。“日本語は海外のビートに乗らない”と言われた時代だった。

松本さんの、誰も考えなかった文節の区切り方、日本語を純粋な響きとしてグルーブさせる方法論はとても新しかった。

 

1943

 

松本さんの詞は、直接的なメッセージソングと一線を画す。情景を俯瞰的に描き、場の空気や登場人物の表情までも想像させる。映画みたいに濃密な物語を匂い立たせる。

生まれは東京・青山である。歌詞には、地方目線の“あこがれの東京”ではなく、都会人側の都会を織り込む。太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』は、高度経済成長期で消えゆく東京の原風景を、男女の別れに重ねた秀作である。

松本さんの詞をメロディーにのせたのは、素晴らしき作曲家たちだ。“黄金コンビ”と呼ばれた筒美京平さんとは、『木綿のハンカチーフ』や『卒業』など立て続けにヒットを飛ばし、歌謡ポップス界に新風を吹き込んだ。

盟友の大滝詠一さん、山下達郎さん、財津和夫さんらロックやフォークなどの才能を招き入れたことも功績だ。松任谷由実さんとは松田聖子さんに12曲を提供。日本歌謡史に残るヒット曲を輩出し、オリコンでTOP10入りした楽曲は130曲以上もある。

 

1944

 

音楽界をリードしてきた作詞家・松本隆さんの活動が今も注目を浴びているという。

歌手・クミコさんの最新(ラブソング)アルバムでは、松本さんが全曲の作詞を担った。
そして、つんく♂さんや、秦基博さん、(ジャズ界の)菊地成孔さんなど、幅広い世代の作曲家らと初タッグを組んだ。

「喜怒哀楽を描きたいといつも思っています」と松本さん。
<人間の心の奥底をのぞき込んで、最も深いところに沈んでいる光をすくい上げると歌詞ができるんです>とも。

1970~80年代は時代を映す鏡になりたいとも思ったが、人間関係の難しさは普遍的なテーマ、だと言う。ところが<この歳まで生きると、時代は関係ない気がしてきた>とのことである。

 

“半世紀余り”のそれぞれは


ハッピーマンデーが導入されて17年になる。その前まで、“体育の日”は10月10日と決まっていた。それは、前回(1964年)の東京五輪の開会日にちなむ日であり、昭和を生きた日本人には忘れられない日である。

あの五輪は、招致決定の翌年(1960年)のIOC総会で、5月開会を提案した日本は、欧米に反対された。6、7月案で再検討したという。大会4年前のことである。

その後、10月開催で落ち着いたが、開会日は“11日”、“9日”と揺れ動き、「10日」で决着したのは1962年のことだという。

また、開催が3年先に迫る時期には、メドのついた会場はたった3つしかない状態。今では考えられないほどのスリリングな大会だったようだ。

 

1941

 

ハッピーマンデーで記念日がブレるのは気になるが、言葉の語呂はなかなかいい。
こちらの商品名も半世紀余り、自然に口ずさんでいるが、内容をピタリと言い当てて語呂がいい。それは、「柿ピー」である。

どうやら、「柿ピー」は正式名称ではないようで、「ピーナツ入りの柿の種」が正しいのかもしれない。

ピーナツ入りの柿の種を商品化して全国で販売したのは、亀田製菓が初めて。
今年で51年を迎えたという。

亀田製菓は1950年ごろから、コメの委託加工の一環として柿の種のせんべいを製造。
ピーナツ入りの商品として販売を始めたのは1966年だという。

新潟の直売所でせんべいとピーナツを量り売りしていたところ、「一緒に食べるとおいしい」という話が広まり、混ぜて販売することになった。

そして、小さなせんべいとピーナツのバランスについては試行錯誤を重ねた。

 

1942

 

初めはせんべいとピーナツの(重さの)割合が7対3であった。とくに理由もなく。当時の開発者の直感で決めたそうだ。

ピーナツの値段が高く、高級なものとされていた時代であった。発売後、お客からは「もっとピーナツを食べたい」との要望が集まった。

1970年代前半、5対5に変えてみたが、割合はあまりよくなかったようで、売上高が激減したとのこと。そして、バランスを見直し、(7対3と5対5の間をとって)“6対4”にした。この割合はいまも変わらないとのこと。

味の種類も増やし、2000年にはわさび味を投入。キムチ味なども続けて出した。2012年には梅しそ味を発売し、女性にもヒットした。

1990年代前半に100億円余りだった売上高は、この数年で200億円を超えるまでになったという。

4~5人の製品開発者が日々新たな商品を模索して、中高年層向けには塩分30%カット「減塩柿の種」を発売している。開発に9年かけて塩分を減らしても、味を損なわないように工夫されているようだ。

私もお酒のおつまみで食べることがよくあるが、半世紀以上も地道な開発努力が続いていることは知らなかった。これからも、そっと応援したくなるような商品である。