日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

念願のコンサートは感動の渦

 

一昨日、長年の夢であったコンサートに行くことが叶った。

夏になると聴きたくなる音楽であり、本能的に聴いてしまう音楽でもある。
それはベンチャーズ

クロマチック・ランこと“テケテケ”サウンド。あの奏法が、たまらない涼しさを運んでくれる。
会場は往年のファンで満員だった。私の隣の席には若いカップルもいたが。

リードギターリズムギター(サイドではなくあえてこう呼ぶ)、ベースギター、ドラムス。
理屈のないサウンド構成のシンプルさがたまらない。

“エレキ”ブームの発端はベンチャーズで、彼らの曲をコピーしたインストゥルメントのエレキバンドも何度か聴きに行っていた。

私の場合、ビートルズよりベンチャーズの方こそ“好感度のインパクト”が強い。初めて聴いたエレキギターとあの盛り上がる楽曲。今も聴いているが飽きない。

 

1909

 

結成メンバーは、ドン・ウィルソンさん(リズムギター)と、ボブ・ボーグルさん(ベース、初代リードギター)のふたりで、リードギターリズムギターのデュオとしての活動だった。

思い浮かぶいくつかのバンド名はすでに使われていたため、ドンさんの母親の提案で「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになった。

結成メンバーでリーダーのドン・ウィルソンさんは、2015年でベンチャーズのツアーを引退。日本では長く人気を保ち、来日回数は60回を超え、(日本での)公演回数も2,600回を越えた。

半世紀以上の活動で、メンバーだったボブ・ボーグルさん、メル・テイラーさん(ドラムス)はこの世を去った。今では、かつてのメンバーの二世がメンバーとして活躍している。

メルさんの息子、リオン・テイラーさんのドラムスを堪能できた。そして、昨年からボブ・スポルディングさんの息子、イアンさんもベンチャーズでベースを担当している。

 

1910

 

コンサートでは、日本にお馴染みの曲も必ず演奏してくれる。

『京都の恋』(原題はEXPO ‘70)、『ブラック・サンド・ビーチ』(加山雄三さんの曲)、『二人の銀座』、『北国の青い空』、『京都慕情』、『雨の御堂筋』などと、歌謡曲の作曲家としても注目され、それらは“ベンチャーズ歌謡”と呼ばれた。

その原点は、ジェリー・マギーさん(リードギター・ベース)の幅広い音楽性が作用しているとも言われている。今回のコンサートでもすばらしい演奏を披露していただいた。

二世であるリオンさんの、素晴らしいドラミングも圧巻であった。彼のプレイで始まる『キャラバン』では、父親のメルさんに負けず劣らずのソロ・パートで楽しませてくれた。
父親の来日回数は26回だが、リオンさんはそれを10数回もオーバーしている。

ベンチャーズは米国のバンドではあるものの、インストゥルメンタル主体のバンドであるため、言語の壁を乗り越え、その明快な楽曲が各国で受け入れられた。

日本におけるレコード等の総売上は4000万枚を超え、米国以上に日本のポップスシーンへ影響を及ぼした。

私は、待ちに待った(本家の)生演奏で、(脳ではなく)からだが勝手に感動していた。
今までにない体験であり、“音を楽しむ”ための「音楽」に出会えたことに感謝である。

 

団塊しらけプレッシャーゆとり

 

団塊世代”は、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれ、日本の高度経済成長、バブル景気を経験。第一次ベビーブームの3年間の合計出生数は約806万人だという。

その後は“しらけ世代”と呼ばれ、日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎えた。
政治的無関心が広まった世代で、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代だ。私もこの世代であるが、この世代名を気に入っている。

そして今、とても親近感があるのは“ゆとり世代”である。

小・中学校での教育内容が改正されたのは、2002年度から2010年度までらしい。1987年から1996年生まれまでの9年間を“ゆとり世代”とすることが多いとのこと。年齢的には30歳~21歳ぐらいの人を指す

指示待ち人間で、自分から動こうとしない。怒られることに慣れていなくてストレス耐性が低い。プライベートを優先し、会社の飲み会などに参加しない。

こういう特徴も、なぜか憎めない。

 

1907

 

世界各地で行われる学習到達度調査(PISA)の結果では、2000年度の調査で日本は計算力が1位、読解力は8位という結果。2003年度の調査では、計算力が6位、読解力は14位まで低下したらしい。

バブル崩壊後の時代に子ども時代を過ごし、親のリストラなどを目の当たりにしてきたゆとり世代は、会社に対して夢も希望も持たない。会社で偉くなることより、自分のやりたいことをやる方が重要だという。自分の一生を思えば、しらけ世代の私も同感である。

ゆとり世代は、自分で考えることが苦手。マニュアル世代であり、マニュアルに書いていないことは想像することもできないとか。もちろん、個人差はあるはずだ。

自分の意見を主張するより、その意見が正解かどうかを気にします。自分からは行動しないし、自分で答えを考えるということもしないとか。とはいえ、自分に必要な答えなら、考えるに決っていると思うが。

 

1908

 

2013年の流行語大賞には、“さとり世代”が選ばれたという。
<ゆとりには差別的な響きがある>とのことで、大人たちが勝手に作った“ゆとり”によって、自分たちがさげすまれることへの反発から生まれた言葉らしい。

(年齢的には23歳前後で)1994年前後の世代の人たちに対して言うことが多いようである。物欲がなく浪費をしない。結果を重視して合理的に動く。休みの日は自宅で穏やかに過ごすことが多いなどの特徴らしいが、やはり個人差はあるだろう。

“さとり世代”にとっての豊かさは、物質的なものではなく精神的なものへのシフトなのだ。

ゆとり世代”の前の、1982年から1987年生まれの人たちは、“プレッシャー世代”と呼ばれるとか。年齢的には35歳~30歳ぐらいまでだというから、うちの息子たちくらいだ。

様々なプレッシャーと戦ってきながらも、「それが当然」という意識が強く、ここ一番に力を発揮できるという。“団塊世代”に近い特徴があるように感じる。

ゆとり世代と同様にバブル崩壊後の社会しか知らない世代だが、悲壮観や、ゆとり世代ほどの危機感もなく、ありのままを受け入れ、力強く生きている世代である。今の日本で一番の働き手ともいえる世代であろう。

若い人と話をしてみると同世代どうしで、世代間のちがいをよく耳にする。私がその年代のとき、(団塊世代の上で)“戦前世代”の方たちとよく飲み教わった。近い世代を飛び越えたお付き合いは、実に楽しいものだったのである。

 

口に関する下世話事あれこれ

 

「口が減らぬ」は、口達者で理屈を並べて言い返したり、勝手なことを遠慮なくしゃべったりするさま。私は、同性よりも異性との会話でこのケースによくなる。お笑いの感覚なので、言い合ったあとはスッキリ感がある。「口ずさむ」ような会話が楽しめればいいと思う。

「言わぬが花」なら、はっきり口に出して言わなくても、おもしろみや味わいがあってよい。「口達者」ではなく「口にチャック」もできれば、粋な会話が楽しめそうだ。

「口がきれい」という言葉は、ふたとおりの意味があるとか。口先だけでりっぱなことや、きれいごとを言うさま。もうひとつが、食べ物にいやしくないさま、である。

後者の意味で、私は口がきれいと言われたことがある。人前で食べる姿を晒したくないため、執着がないフリをする。その分、お酒に意地汚いという自覚があるから、「口が卑しい」という言葉が当てはまる。

 

1906

 

バブル期のグルメブームには「口が奢っている」人が多かった。贅沢でうまい物しか食べない。「口寂しい」と思えば、何か口に入れるものが欲しくなる。脂と糖分で鍛えたそのからだは、バブル崩壊後に“現代病”というツケが回ってきた。
昔ながらの粗(素)食がなによりのごちそうと、気付いたときは“あとの祭り”である。

「口のうまい」人は蔓延している。巧みな話し方を駆使し、口先で人をまるめ込んだりするのがじょうずである。“振り込ませ詐欺”の手口は、ますます高度化している。
その「口三味線」に言いくるめられぬよう、不断からの注意が必要だ。

「口うるさい」人、「口はばったい」人はやっかいだ。「口は災いのもと」で、不用意に発した言葉や余計なひとことが災いをまねいてしまう。言ったはいいけれどあとから「口惜しい」思いが自分に跳ね返ってくる。

 

1905

 

「暴言」を吐くのも“口”であり、公害ならぬ“口害”である。
ハッキリ言わずに「口を濁す」人や、分を越えて横から「口出しをする」人も多い。

議員さんたちの口からも「失言」がボロボロとこぼれ落ちている。相手に訊かれると困るため、泣き叫んでごまかしたり、どこかに隠れたりもする。

限られた人間関係で、「口が軽い」か「重い」かのゲームを試してみるとおもしろい。
Aさんのことを知りたければ、本人ではなくBさん、Cさんなど他の人にさりげなく訊いてみる。そのリアクションでだいたいの口の軽さが判別できるからだ。

自分の秘密をわざと一人だけに話してみる。すると、話の広がりの早さにおどろいてしまう。なんておしゃべりな人間が多いのだろう、とあらためて確認できる。

なにはともあれ、幼稚な「口喧嘩」で地球を破壊しかねない輩(やから)には、常識ある「口添え」ができる“ご意見番”がなくてはならぬ。

 

頭ではなく体で判断する時間

 

日本には二つの時刻制度が併存したという。

明治5年に新橋~横浜間に鉄道が開業してしばらく、鉄道は分単位で運行されたが、当時の人たちはまだ、一時“いっとき”(2時間)とか半時“はんとき”と、時間を数えていたそうだ。そして、日本人による最小単位の時間認識は四半時の15分だった。

鉄道は時間短縮の歴史を必死に刻んできたようだ。
時間感覚が改まり145年になる現在は、(鉄道に限らず)分秒を争うことも珍しくない。

投手の投げた球が捕手のミットに収まるまで平均0.4秒だという。
ずっと以前、イチロー選手の談話で知った。思わずストップウォッチでその時間を確かめた記憶がある。

イチロー選手によると、0.4秒間に「このまま普通に打ってもヒットにはならないぞ」とわかれば、バットのヘッドを遅らせてわざと詰まらせ、ボテボテの内野安打をねらうらしい。
そしてそれは、<頭ではなく体が判断する>ことなのだと・・・。

 

1903

 

<あせって一瞬の火花になるな。根気よく牛になって押しなさい。人間を押すのです。文士を押すのではありません>。

1916年(大正5年)の8月、夏目漱石さんは(若い門下生の)芥川龍之介さんと久米正雄さんに手紙を書いた。「文壇のつき合いに煩わされることなく、一心に人間を見つめなさい」との教えらしい。この手紙は、4か月後に亡くなる漱石さんの遺言のようにも感ずる。

残念ながら師の遺言は守られなかったようだ。
のちに文壇の世話役として重んじた久米さんは文士を押した。人間を押さずに・・・。
芥川さんは牛にならず、火花になることを望んだ。

1927年(昭和2年)7月24日、数々の名作で知られる芥川さんは、<唯(ただ)ぼんやりした不安>と書き残し、35歳で自殺した。この夏で没後90年になる。師である漱石さんが他界されて、10年と7ヶ月後のことである。

 

1904

 

時間とはふしぎなもので、幼い頃の夏休みなど夢中で遊んだ日の記憶は、とても楽しい。なぜそんなに楽しかったのか、さっぱり思い出せないのだが。

ラジオ体操や昆虫採集、プールや海での水泳。お祭りや花火もあったはずだが、今思えば特別に何かをしたわけでもない。それでも楽しかったのである。

あとで考えてもよくわからないほど、自分を忘れて楽しんだということはまちがいないだろう。

このお盆も、(昨年から生まれた)祝日を含め長い休暇となった方も多いだろう。
海、山、実家、海外へと出かけている友人もいる。日常を離れ、羽を伸ばせる日々でありますように。

子供たちの夏休みは、今が折り返し点である。
休みの終わりが近づくと、やり残した宿題も含め憂鬱になるが、9月の最初の登校日には、同じクラスの仲間に一ヶ月ぶりで会える。

どういう形であれ“非常に楽しみでいられる時間”は、(長い人生の中で)とても貴重に思えてくる。きっと、「体で判断できる時間」だからなのかもしれない。

 

悩ましき判断は先送りになる

 

昨年7月に亡くなられた永六輔さんは、草創期のテレビ人である。
しかし、1966年にテレビのヒットバラエティ番組『夢であいましょう』が終了すると、活躍の場をラジオに求め、翌年の1967年には『誰かとどこかで』がスタートした。

<テレビに出れば有名人。文化人でも、知識人でもないの・・・>と(著書『無名人のひとりごと』より)。影響力の強いテレビでは本音の発言ができない、との考えで早くもラジオに活動の重心を移した。

永さんのように出会いを大切に、自分の好きな道を潔く貫いた人たちも多いが、私などは歳を重ねつつ後半生をどう生きるか、悩ましいばかりである。

若いときから「今は目の前の仕事をするだけ」と結論を先延ばしにしてきたツケが、まとめて回ってくるような感覚なのである。

 

1901

 

心理学者・小此木啓吾さんの著書『モラトリアム人間の時代』が話題になった時代、大人になり切れない、なりたがらない若者心理の分析はそれなりに理解ができた。自分も若い時期だったのだから。

ところが今は後半生の選択までもが先送りのままなのか。何十年たっても変わらないところがうらめしい。

好きなように生きるには、努力と蓄積が必要であり、“一から出直す”には人生の残り時間が短い。とはいえ、何もなさないとしたら長すぎる。

1年前、米ワシントン大のグループが、脳を(構造や働きによって)180の領域に分けた「地図」を作製したと、英科学誌ネイチャーに発表した。

MRI(磁気共鳴画像)を使い、健康な男女210人の脳について、構造や神経のつながり方、刺激を与えた時や休んでいる時の血流の変化などを、複数の解析法で詳細に調べたそうだ。

 

1902

 

「どうするの?」と聞かれても、悩ましい判断しかできない人には、AI(人工知能)が手助けをしてくれて、1分で賛否両論を披露してくれるという朗報もあるようだ。

難しい判断を迫られた案件などを質問すると、賛成や反対、それぞれの立場から(理由つきの)意見を語ってくれるAIなのだという。

一昨年に日立製作所が開発し、理論武装を助けるソフトとして実用化をめざしたそうだ。今そのAIは、どのように活躍しているのだろうか。とても興味深い。

ただ、AIの機能は賛成か反対で答え、それぞれの意見を語るまでにとどめるらしい。
賛否の最終判断は人間にまかせるのである。

私の場合、深く考えてもしかたがない、と居直り、一杯飲んで気分転換を図る。
つまり、若いころも今も同じなのである。よくよく考えると、先送りの一番の原因は、酒にあるのかもしれない。ふむ。

 

今日の夕日は明日の昔なりき

 

<昨日は今日の古(いにし)へ 今日は明日の昔>。
室町時代の歌謡集『閑吟集』の一編だという。

時の歩みは速い。今日から見ると、昨日は遠い過去になり、明日から見れば、今日は遥かな昔・・・なのだと。

日が沈むと、その日の終りを肌で感じる。

「映画ではシリーズすべてに“夕焼け空”の場面を入れました」。
山田洋次監督は映画『男はつらいよ』の話で、そう語ったという。

<奮闘努力の甲斐も無く 今日も涙の 今日も涙の日が落ちる・・・♪>。
星野哲郎さん作詞の主題歌にも夕日が歌われた。

“寅さん映画”が全盛の頃、邦画の新作を封切といい、2本立て上映だった。洋画はロードショーといって1本のみの上映だった。

日本で2本立て興行を本格的に始めたのは東映だとか。
1本分の料金で2本の映画を見せる映画館はその前にもあったが、他社どうしの作品で2本立てになると、映画館の興行収入から発生する配給会社の収入が半分の額になる。

 

1899

 

東映が自社製作の新作2本立て興行を、全国の直営館や系列館で実施したのは1954年の正月映画からだという。

“2本立てによるお得感と組み合わせの巧み”は多くの観客の支持を得て、“東映時代劇ブーム”を巻き起こすきっかけにもなったはずだ。

アメリカで大ヒットしたスピルバーグ監督の『レイダース 失われたアーク』。
日本での公開は1982年正月であり、作品の面白さから大ヒット間違いなしといわれた。

ところが、同時期に公開された『キャノンボール』と『エンドレス・ラブ』の2本立てが全国で大ヒットした。結局、『レイダース』はこの2本立ての半分以下の興行収入しかあげられなかったとのこと。

新作の2本立て興行も今では行われていないようだ。
2000年代になり減り始めたのは、シネコンの拡充でスクリーン数に余裕が出来たからだ、との説もある。

 

1900

 

複合映画館とも呼ばれるシネコンは、2000年代に入り従来のロードショー館を置き換える形で繁華街に作られることも多くなってきた。

一箇所でいくつもの新作映画が観られる便利さで、落ち込んでいた映画観客を増やしはしたが、最近ではどのシネコンを見ても上映作品は同じで、編成のオリジナリティーが感じられない。

反面、名画座が旧作を2本立てで上映し、絶妙なカップリングで観客を集めているらしい。かつて、場末の映画館で観た3本立てや4本立てのワクワク感が想い浮かぶ。

そういえば、『男はつらいよ』の初期のカップリングはドリフターズの映画作品だったようだが、シリーズ最後の方は『釣りバカ日誌』との豪華組み合わせだった記憶がある。

この季節、帰省した故郷で再会した幼なじみと地元の映画館で名画を観たり、夕日を仰ぎみることもあるだろう。「おい、相変わらず馬鹿か」。寅さん流の、気の置けない言い合いも懐かしく楽しめそうだ。

 

テレビ新時代幕開けのはずが

 

闇市ぐらい撮影に金がかかるものはない>と言ったのは、演出家・鴨下信一さんだという。明治の鹿鳴館や江戸の大奥でもなく、闇市が映画やドラマのセットで最も高くつくそうだ。

たばこ巻き器、魚の皮の革靴、鉄兜をつぶした鍋などを撮影用につくればとても高価だからだ。今の技術と物量をもってしても再現のむずかしい不思議な場所が闇市

<不自由を常と思へば不足なし>。石原裕次郎さんが小学生の頃に書いた習字だという。10歳で終戦を迎え、物不足の辛抱を半紙に綴った少年も、伸びやかな言動で高度成長を駆け上る。

人気はもちろん、人生が時代の波に重なる意味でも、昭和を代表する映画スターである。裕次郎さんは1963年に石原プロモーションを設立し映画製作を続けたが、1970年代以降は映画から離れ『太陽にほえろ!』、『大都会』、『西部警察』などテレビドラマで活躍した。

 

1897

 

昨年4月に始めたインターネット放送局「アベマTV」が好調で、スマートフォンタブレットのアプリダウンロード数が1700万を超えたという。

スマホタブレットに最適化したテレビ放送であり、ドラマ、スポーツ、ニュースなど20チャンネル以上あり、使い勝手もよいとのこと。

今や“1日あたりのメディア接触時間比率”が、男性15歳以上、20代、30代の各層と、女性も15歳以上と20代の層では携帯電話がテレビを上まわる。

特に男性の15歳~19歳層では携帯電話45.5%に対してテレビ24.8%、男性20代でもそれぞれ31.5%、24.1%となっている。全世代でみたときのテレビの接触時間比率もじわじわ下がっているとのこと。

 

1898

 

テレビの接触時間比率は2006~10年に50%前後で安定していたが、11年に46.1%と(前年から)急減した。大震災でニュースの需要は高まったはずが、逆に大きく落ち込んだ。

2011年は、地上波テレビのアナログ放送が終了した。09年から11年にかけて携帯電話の接触時間比率は5.6%から9.2%と急増。アナログテレビが使えなくなって見る機会が減った上に、高性能スマホの普及が追い打ちをかけたのだ。

その比率は12年から14年にかけて、45.9%から40.7%にさらに急減。12年は(iPadミニや7インチの)小型で手軽なタブレットも登場した。

それまで調査項目さえなかったタブレットの接触時間比率が、調査開始の14年にいきなり4.7%を占めたらしい。アベマTVはこうした背景の上に現れた。

テレビ新時代の幕開けのはずが、デジタル化完了の年にテレビの退潮が始まり、デジアナ変換が終わった1年後にはネット配信などのサービスが支持を広げた。

私の場合、テレビの接触時間比率は高いが、ネット配信の“音と映像”視聴が主だ。アマゾンの「Fire TV Stick」という便利なオモチャをテレビに挿し、視聴放題の映像や音楽、YouTubeなどを“大画面と迫力音”で楽しんでいる。

テレビ番組はお気に入りを厳選録画。テレビ放送をリアルタイムで観る比率が激減している。

 

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

「おひや」は水だが「ひや」は酒

 

『食味風々録』にて作家・阿川弘之さんいわく、<「にぎり」と「おにぎり」は別物>であり、<「おひや」を頼めば水がくる。「ひや」を頼めば酒がくる>のだと。

日本語は奥が深くむずかしい。
指す品が「お」の字ひとつで変わり、人を愉快にも不愉快にもする。

また、耳なじみの言葉にどういう字をあてるべきか悩むのも、漢字の国ならではのこと。
昔、新聞のコラムにおみおつけ(御味御付)と書いた記者さんがいた。

何人かの読者から「御御御付」の間違いでは? との投書があったらしい。

語頭に「お」を付け、丁寧さをあらわすような女房言葉では、味噌のことを「おみい」と言い、「おみい」の「おつけ」(汁)がおみおつけになったそうな。

試しにネット検索してみると、「御御御付」と「御味御付」のふたつが出てきた。

  

1896

 

私は味噌汁に唐辛子を入れるのが大好きであるが、「とんでもない」とおっしゃる方も当然いらっしゃるはずだ。

この時期 夏バテを防ごうと、辛いものを食べて食欲を高める人もいるだろう。
辛味を感じる仕組みは、ふつうの味覚とは別物らしい。

味覚のシステムは、舌の表面にある味蕾(みらい)の中の味細胞(みさいぼう)で感じるとのこと。味細胞にはセンサーのような受容体があるからだ。味のもとになる物質が受容体に働きかけ、味神経を介して脳に伝わり、味を感じるという仕組みである。

この流れで伝わるのは、基本味といわれる甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の五つであり、辛味はここに属さないという。

さて、辛味はどのように感じるのだろうか。

辛味は味細胞を介さず、口腔粘膜などへ広く分布する知覚神経にて、“味ではなく痛みや熱として”感じ取るとのこと。

もちろん、辛味の感じ方は人によって異なる。それは知覚神経の感度に個人差があることなどが考えられる。また、辛い食べ物を食べ続けると、どんどん辛味に慣れていき、神経が興奮しにくくなるとも。

  

1895

 

辛味は発汗作用を高め、胃液の分泌を促進し、食欲を増す効果がある。
香辛料の香りや風味でも、食欲をそそられる。

辛味には、口の中が熱く感じる「ホット系」と、鼻の粘膜が刺激される「シャープ系」に分類されるようだ。

ホット系といえば唐辛子やコショウで、ワサビやマスタードはシャープ系だ。
私の飲み仲間に辛いものが苦手という男がいる。しかしこの分析でいくと、苦手なのはホット系だけでシャープ系はまったく問題がない。

餃子を食べるときはラー油を絶対に入れないが、刺し身をつまみに飲むときは、ワサビをたっぷり入れている。

揮発性で水溶性のシャープ系は辛味がそれほど持続せず、水やお茶で流し込むと辛味を抑えられる。ホット系は辛味が持続し、水を飲んでも辛さは引かない。

辛味の両刀使いである私はこの暑さの中、辛いものでもつまみに「おひや」ならぬ「ひや」で軽く1杯行きたくなってきた。午後からの仕事もそぞろで、日暮れの酒席のことで頭がいっぱいである。

 

「縁の下の力持ち」は好奇心

 

舞台の裏手で、楽屋のある場所や大道具置き場を「舞台裏」という。一般人にはわからない裏事情との意味にもこの言葉は使われる。

舞台裏でがんばる「縁の下の力持ち」は、元々「縁の下の舞」といわれ、甲斐のない“無駄な努力”の喩えだった、という説もある。

哲学者・鶴見俊輔さんは、東大が嫌いで、成績一番のやつが徹底的に嫌い。父親は東大出の政治家で、一番に執着したという。

鶴見さんの見た目で、一番の人間は状況次第で考えをころころ変えて恥とも思わない。
二番になった人間は努力すれば一番になれるのに、<そこの追い込みをしないところに器量があり、遊びがある>とのこと。

鶴見さんを語るには、「器量」と「遊び」という二つの言葉は欠かせない。
<失敗したと思う時にあともどりをする>。その大切さを説いた。

 

1893

 

大型のスーパーや百貨店が全盛の頃、コンビニが誕生した。当初は売上の占める割合はわずかで、“無駄”扱いにされることもあった。

「街の個性を奪う」、「食文化を乱す」などと、コンビニの副作用にばかり目がいった。今は、コンビニなしの日本は想像できないし、コンビニに足を運ばない日はない。無数の“コンビニ人間”に支えられて日本社会がまわっているのだ。

全国に5万数千店、毎月延べ14億人が訪れる。

<同じ言葉、同じ態度で接客し、暑さ寒さにあった商品を手際よく販売できれば認めてくれる。自分らしく生きられる・・・>。芥川賞小説『コンビニ人間』の一節だ。

2016年の主要コンビニエンスストア売上高(既存店ベース)は、前年比0.5%増の9兆6328億円と2年連続で拡大。

セブン―イレブンは、セブン&アイ・ホールディングス(HD)の営業利益の約9割を稼ぎ出し、「一本足打法」と言われるほど貢献度が高い。

 

1894

 

「僕ハモーダメニナッテシマッタ」。亡くなる前年の正岡子規さんは、ロンドンに留学中の夏目漱石さんに手紙で、闘病の苦しみを訴えた。

その手紙には、「倫敦(ロンドン)ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」ともある。
苦しみながらも好奇心は衰えていない。その明るさが人々を引き入れ、子規さんのそばに添わせてしまう。

<枝豆や三寸飛んで口に入る>。死の迫る病床で屈託を感じさせない句を詠んだ人だ。

2016年5月にセブン&アイHD社長に昇格した井阪隆一氏は、1980年にセブン―イレブン・ジャパンに入社した“コンビニ生え抜き”の人である。

傘下に総合スーパーのイトーヨーカ堂や百貨店のそごうなどを抱える総合流通グループの難しいかじ取りを迫られることになる。

昨年2月期決算で営業利益が初の赤字に転落したイトーヨーカ堂が特に厳しい。20年までに全体の約2割にあたる40店を閉店する方針だ。

<一店舗一店舗見ていかないといけない。『採算が合わないから閉める』では、そこで暮らす方の生活を見切ってしまうことになる。計画が間違っているなら修正してやり直す>。井阪氏には、鶴見さんや子規さんと共通するなにかがあるような気がする。

 

ビッグデータは利益を極大化?

 

目と民から成る文字は「眠」である。
吉野弘さんの詩『「目」の見方』にある。<民の目は眠くて/罠の中>と。
目が眠りこけて横たわれば「罠」に変わるらしい。

手作りの零戦に対し、米国の戦闘機は大量生産品だった。

終戦の四半世紀後、大阪万博で<日本は規格大量生産ができる>と、(世界へ)宣言することが叶った。日本中が働きづめで猛烈に働き、ついに成し遂げた復興の姿である。

「モーレツ」は時代の合言葉だった。また同じ1970年に、富士ゼロックスのCMが登場。<モーレツからビューティフルへ>が、日本人の意識の変化を先取りしたコピーだと話題にもなった。

 

1891

 

ビッグデータ活用は企業にとって、無駄を省き、利益を極大化する武器になるという。
回転ずし・スシローは、来店客が食べたいタイミングで食べそうなすしを出すため、すし皿の裏につけたICタグから顧客の消費データを集めた。

まず来店客は店の入り口のタッチパネル画面で、大人の数と子どもの数をチェックインする。その情報はネット上のデータベースに送り込まれる。

それまでに客の好みを細かく分析しているビッグデータを使い、(家族構成に応じ)着席して1分後に何を食べそうか、10分後まで何を食べるか、などという予測が瞬時にはじき出され、厨房の画面に届く仕組みである。

店長は、天気などを見ながら自分の勘も加えて微修正をする。
マグロのすしの場合、だれも手にとらないまま回転レーンを350メートル回ったものは廃棄される。それが、来店客の求めるすしを予測して出すようになってから、廃棄率は4分の1以下になったとのことだ。

 

1892

 

3年前、ヤフーの検索利用者は月間7千万人であった。昼時には1秒間に5万ものアクセスがある。巨大なデータは、4千台の分散処理システムに流し込まれるとのこと。人工知能(AI)も使い、約300人のデータ処理担当者が解析するのだ。

ヤフーは、利用者が調べたい言葉を書き込む「検索窓」について、どの大きさが最適なのかを分析した。

“窓”の大きさを微妙に変えながら、ビッグデータを解析していく。
その結果、それまでの“窓”よりも27%大きくした方が、(利用者の)反応が良いと判明した。

そのとおりに拡大すると検索数が増え、広告収入が年5億円も増える効果が出たそうだ。

この話で思い出すのは、味の素の容器・中蓋の穴を大きくして売上が上がったという伝説である。社内で案を募って、パート勤務女性の幼少の子どもの発案が採用に、というオチである。

話の真意は定かではないが、その子どもを“手作りの零戦”に見立てると、ビッグデータは“大量生産品の米国戦闘機”であろう。ビッグデータと対等に張り合える幼少の頭脳に、拍手喝采なのである。

 

みじかびを楽しく働くサイズ

 

1969年に放送された万年筆のテレビCMがウケにウケた。
<みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ>。

用意された台本がつまらないから、即興で詠んだ歌だという。
大橋巨泉さんである。短歌のあとにはひと言、「わかるネ」・・・と。

文具会社の担当者は(収録した)台本版と即興版の両方を持ち帰った。

「台本版を選ぶような会社なら、つぶれるよ」。
巨泉さんは周囲にそう語ったらしい。

歌人岡井隆さん編集による歌集『現代百人一首』には、寺山修司さん、俵万智さんなど100人のなかに大橋巨泉さんの名前もある。

 

1889

 

“レジャー”は高度成長時代の流行語らしい。本来の英語は「ひま」という意味だという。
つまり、日本人が勝手に“遊びの要素”を潜り込ませたらしい。
朝の電車の混雑が和らぎ始めた。学校で夏休みが始まったのだろう。

動物の生息密度や行動範囲と体の大きさには一定の関係があるそうな。
生物学者・本川達雄さんの計算では、満員電車の人口密度に合うのは蚊の大きさ程度だという。

小さい動物ほど狭い場所でギュウギュウと暮らし、大きい動物ほど遠くまで移動する。
<虫かごみたいな電車に揺られ ゾウのサイズの距離を行く>。
本川さんは『東京は悲しいところ』との歌を作った。

「人間のサイズに合わない生活から溢れるのものは何なのか」。
探してみるのもいいだろう。

 

1890


10年前に79歳で亡くなった臨床心理学者・河合隼雄さんは、美しい花を見ると、こころのなかで花に語りかけたという。
「あんた、花してはりますの? わて、河合してまんねん」。

“わて”という存在が、(一度しかない人生の中で)河合隼雄という壮大な劇を演じる役者、なのだという。

人は誰でも透明の仮面をつけ、「・・・してまんねん」の人生を生きている。
そして、“いい人”と見られることに疲れたり、“明るい者”の看板が重荷になったりもする。
楽屋に戻れば、役者はヘトヘトだろう。

テレビの黄金期を常に第一線で生き抜き、名司会者として親しまれた大橋巨泉さんもしかり。それでも、“みじかび”の人生を誰よりも楽しく働き、そして真剣に遊んだ人なのだ。

 

「ストロング」の強みは割安感

 

昨年あたりから、家でビールを飲まなくなっている。外で飲むときは、最初に(お約束の)生ビールを飲むが、2杯目からは(飲み仲間とともに)別のものに切り替わる。とはいえ、私の財布のエンゲル係数は、酒類が大部分を占めていることにまちがいない。

明治の頃、日本のエンゲル係数(生活費に占める食費の割合)は60~70%だったという。昭和の初期には約50%に下がったが、敗戦による貧苦で60%前後に戻った。

高度成長を経て20%台まで下がったが、この数年のエンゲル係数はかなり高くなり25%を超えた。最も低かったのは2005年で22%だという。

現在は、収入が増えていないのに、円安や消費増税で食品が値上がりしたのが要因の一つとか。

 

1887

 

“食の営みの変化”もエンゲル係数増とは切り離せない。

調理済み食品を買って家で食べる人が増えた。買い物カゴの中身では、女性客がお総菜、若い男性は即席麺、高齢男性ならお弁当であろうか。いわゆる“中食(なかしょく)”の急増が係数を押し上げた。

節約志向を背景に家飲み需要が拡大するなか、ビールなどに比べて割安な缶チューハイの需要が高まっている。

ビール各社が、中身の濃い缶酎ハイを増産しているというのだ。その人気の秘密はなんといっても“割安感”なのである。

Å社が昨春、アルコール度数9%の新ブランド『もぎたて』を発売したところ、“おいしい”、“安く酔える”として人気が高まった。

S社はアルコール度数9%の主力ブランド『-196℃ストロングゼロ』の販売目標を引き上げた。『氷結ストロング』を展開するKビールも、昨夏に生産を大幅に増やした。

 

1888

 

高アルコール度数の缶チューハイを各社が強化することで、昨年の(缶チューハイの)国内市場規模は1億6400万ケースと、前年比で9%増だった。

この夏も全体を牽引するのは高アルコール度数の商品ということになるのだろうか。同じ容量の缶ビールと比べて3割安く、アルコール度数は2倍も高い。その“割安感”がハンパではない。

かくいう私めも、この春先から各社の『ストロング』にハマっている。上述の割安感のみならず、“おいしさ”につられてついつい飲み過ぎてしまう。

消費の冷え込みで、「安く酔える」という商品性が、消費者の節約意識と合致するのだろう。高アルコール度数の商品が缶チューハイ市場全体に占める比率は、昨年34%。その5年前に比べて、13ポイントもの上昇なのである。

一方、ビール類の市場では、国税庁が6月から酒類の安売りへの規制を強める方針を打ち出したことで、ビール各社が年初から流通業者へのリベートを減額した。

その結果、ビール類の店頭価格は値上がりし、消費者の購買意欲が低下した。
メーカー各社はビール類の市場縮小を補うべく、缶チューハイ市場を掘り起こし、収益の改善につなげる狙いだ。その応援と期待をこめて、今晩も『ストロング』を買って帰ろう。

 

写真を撮るためのレコード店

 

アナログレコードの人気が若い世代を中心に復活しているらしい。
昨日の読売新聞記事によれば、デジタル音源とちがう温かみのある音質で、“モノ”としての実感が良いという。

1970年代後半に最盛期だったレコードの国内生産枚数は年間約2億枚。
しかし、80年代にCDが登場し、2000年代は音楽のネット配信が普及する。
2009年のレコード生産枚数は、約10万枚までに激減した。

このまま姿を消すと思われていたレコードも、状況の変化で昨年は約80万枚と、(09年の)8倍にまで盛り返した。

CDよりも大きく、アーティストの写真や、凝ったデザインが楽しめるジャケットも魅力のひとつ。

レコード売り上げは毎年3割ずつ増えているため、(音楽の)ネット配信に押される販売店は、レコード人気の復活を商機とみている。

レコードプレーヤーも売れていて、5月に発売した某社のレコードプレーヤーは、予約に生産が追いつかない状況だとも。

 

1885

 

「レコ女」や「レコード女子」などとインスタグラムで検索すると、レコード店で商品を選ぶ様子の写真が数多くヒットするという。こちらはJ-CASTの記事である。

<お洒落感がすごい!>、<オシャレなレコード屋さんに来た>などと、写真付きでツイッター投稿をする女子もいるようだ。

10代後半から20代前半の女性グループで、店の滞在時間はどのグループも、1分くらいだという。それも、CDやレコードをまったく買わず、“写真”だけを撮りに店を訪れる。
ある老舗レコード店(奈良)のオーナーは、初めて見た(若者の)奇怪行動に驚いたという。
突然、3人組の若い女性が入ってきて、“レコードを見てる様子”を友人が撮影して、すぐに立ち去って行った。今春以降、同様の行動が5回あったそうだ。そして、レコードを買った人は誰もいない。

 

1886

 

東京・渋谷のレコード店では、撮影だけして帰っていく客が1日に1~2組いるという。
なかには、商品をまったく見ず写真だけを撮り、サッと帰る人もいる。

とはいえ、レコードブームの影響で、ほとんど見なかった若いお客さんが増えていることは確かなようだ。

店側もそれは嬉しく感じているが、<正直、うちの店でレコードを買う人でも『よくレコードを聴いている』と言う人は少ないのでは>と指摘する。

<“コレクション目的”か、“お洒落なアイテム”としてのニーズの方が強いかもしれない>のだと。

フィルム写真の仕事をしていた私は、レコードブームの話と似た体験を思い出す。
カラー写真全盛の時代、たまに出る白黒写真のフィルムを、複数のカラー写真ラボ(現像所)から集めて、現像・焼き付け処理をする白黒ラボをよく知っていた。

あるとき、女子高生発信の白黒写真ブームが起こり、小さなラボにも仕事が急増した。納期に間に合わせるため、機械を入れ人も増やした。それからすぐにブームが下火で、仕事の量も元に戻った。その数年後、小さなラボの前を通ったらなくなっていた。

 

道を行く人々の顔は果たして

 

落語の枕などで聴く小咄である。

韋駄天(いだてん)と称される男が駆けていく。
「泥棒を追いかけている」というが、逃げる泥棒は見あたらない。
すでに追い抜いてしまい、その姿ははるかうしろにあったそうな。

物事、速く走ればいいというものでもないらしい。
昨年、“IoT機器”を巡り、サイバー攻撃の脅威が話題になった。
今はどうなっているのだろうか。

インターネットで遠隔操作や自動制御を可能にする監視カメラや家電、車などのモノに通信機能を持たせることに力を注ぐ。しかし、パスワード設定などの対策を怠れば、第三者に乗っ取られ、個人情報を盗まれ、誤作動させられたりする。

台所や寝室で、身近な生活用品が突然に勝手な振る舞いを始めたら、まさに道具の反乱だ。背後で操る人間の悪意は、いともかんたんにモノへと伝わるからだ。

 

1883

 

英国の外交官・ウィリアム・ジョージ・アストンさんは、日本学者で朝鮮語の研究者でもある。19世紀当時に、(始まったばかりの)日本語および日本の歴史の研究に大きな貢献をした方だ。

劇作家・岡本綺堂さんは、父親が英国公使館に勤めていた縁で、書記官・アストンさんと面識を得た。明治の中期、中学生だった綺堂さんはアストンさんとふたりで、東京の神保町を歩いた。

道幅が狭く、商店の多くの品が道をふさいでいた。
案内をする綺堂少年は、雑然とした街並みが(体裁悪く)恥ずかしくてたまらない。
その気持ちをアストンさんに告げた。

<気にすることはありません。街はいずれ美しくなり、道は広くなり、東京は立派な大都市になるでしょう。でも、そのときに・・・>。アストンさんは続けた。

<道を行く人々の顔は果たして今日のように楽しげでしょうか>と。

 

1884

 

お互い同士がぶつからないようにする「肩引き」や、雨のしずくが相手にかからないようにする「傘かしげ」。いわゆる“江戸しぐさ”である。

その習慣が明治の中期に引き継がれ、当時の狭い道をいくらかでも心地よいものにしていたのだろう。

江戸しぐさ”は今もあるだろうが、“人間関係が希薄になりつつある”ということは否めない。

往来を自転車が乱暴に通り過ぎ、突き飛ばされそうになった歩行者は自転車の行方を険しい目でにらむ。今は、日常で見かけるふつうの光景なのかもしれない。

傘の手放せない季節が去っても、心中の「傘かしげ」は忘れないようにしたい。
AI(人工知能)があらゆるモノに宿る時期もドンドン早まりそうではあるが、果たして“江戸しぐさ”をきちんと組み込んでもらえるのだろうか。とても心配なのである。

 

相手の表情をうかがう作法?

 

1983年6月の公開だというから、もう34年も前の映画ということになる。
森田芳光監督で主演は松田優作さん。『家族ゲーム』という映画である。

家族が心から向き合うことを避けて暮らしていることを表現するため、(一家が)細長い食卓で横一列になって食事をするシーンが印象深い。

ところが今は、このシーンがいたるところで見られるため、映画やドラマの1シーンとして有効かどうかはわからない。

ファミリーレストランやファストフード店で、スマートフォンをテーブルに置き、ろくに話もせずに黙々と料理を口に運ぶ人々の姿は当たり前。歓談の場だった居酒屋でも、スマホに夢中な客の姿を見かけることがよくある。

 

1881

 

仲間と面と向かって食べ物を口にするのは、一部の類人猿と人間だけらしい。
以前に読んだ作家・藤原智美さんのコラムにあった。

知能が発達した(チンパンジーなどの)猿は、食べながら相手の表情をうかがったりする。
“食べる”という行為は他者との対面であり、相手と向き合い食べるのが食事の基本形らしい。

人も本来は向き合って食べるのが食事の基本形であり、「食」はコミュニケーションの原点なのだという。相手の表情や顔色を読みながら、食べ物を味わい満足したり、ときにいさかいが起きたりもする。

柳田国男さんの説によれば、江戸から明治に移ると人々は以前ほど泣かなくなったという。教育の普及で、人々は感情を言葉で伝える技術を磨き、涙という“身体言語”の出番が減ったそうだ。

今の“身体言語”を思うとふしぎである。無言で対面する目の前の相手に、スマホタブレット経由にて(コミュニケーションアプリの)LINEで対話をすることなのだろうか。

 

1882

 

<はつなつのゆふべひたひを光らせて 保険屋が遠き死を売りにくる>
歌人塚本邦雄さんによる、保険の勧誘を詠んだ一首である。

自分の生と死が“何々プラン”ということになっている。思えばふしぎな商品である。
高額な買い物なのに心が躍らない。まずは残される家族を思い、“遠き死”ではなく“長き安心”を買うのだろう。

<人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ>。
こちらは、元東大総長の南原繁さんが詠んだ歌である。

1941年(昭和16年)12月における日米開戦時の国力差である。
電力量6分の1。航空機の生産量6分の1。鉄鋼10分の1。原油生産量740分の1。

現実の数字を冷静に見つめる目も、引き返す決断力も持ち得なかった歴史の一瞬である。ただ、“相手と向き合い食べる”という食事の基本形は、今よりも確実にあった時代である。“身体言語”を駆使した人も多かったにちがいないはずだ。

 

今週のお題「私の『夏うた』」