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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

よくある噴飯モノのできごと

人間

 

その昔、小学校で先生から「ひとの嫌がることを進んでしなさい」と児童が教わった。
日本語はむずかしい。ある男の子は、女の子の嫌がることをしながら歩いたという。

数年前の文化庁国語に関する世論調査」では、“噴飯モノ”を「腹立たしくて仕方ないこと」と誤解していた人が、本来の意味とされる「おかしくてたまらないこと」を倍以上も上回った。

“食べている飯を笑って噴き出す”との語源はわかっていても、そのままのつもりで使ったら誤解を受けてしまうこともありそうだ。

テレビ番組『笑点』の大喜利を見ながら、「ああ、おかしくてたまらない。じつに噴飯モノだ」と言っても、周りから怪訝な顔をされるのがオチだろう。

ましてや、先輩や上司にお世辞のつもりで、「そのユーモアのセンスは噴飯モノですね」などと言えば、どのような目にあうかわからない。

 

1693

 

夏目漱石さんは真の噴飯モノがお好きなようで、大の落語ファンだったとか。
小説『三四郎』では、登場人物のセリフを使い三代目柳家小さんを絶賛している。

「小さんは天才である・・・彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合わせである」。
その生身の芸に触れられる幸せをうれしそうに語っている。

また、司馬遼太郎さんにも桂米朝さんの芸に触れた一文がある。
「私は人生の晩年になって米朝さんという巨人を得た。この幸福をどう表現していいかわからない」。

古今亭志ん朝さんが脂の乗りきった高座をつとめていたころには、
志ん朝と同時代に生きられるぼくらは、まことに幸せではないか」と作家・小林信彦さんが書いた。

この方たちもまた、真の噴飯モノを追いかけていられたようである。

 

1694

 

思えば、憧れる人たちと同時代に生きられるということは、とても運が強いことなのであろう。若人と老人の年齢差があったとしても、同時代に生きられる幸福感はとても大きい。

南米には、年の取り方について「老いる者と、若さを重ねる者がいる」という表現があるそうだ。真の噴飯モノを追いかけていることだけでも、若さを重ねる人生に結びつくかもしれない。

めしべとおしべだけでは受粉できない。虫や風が仲立ちをするからこそ子孫がつながる。
ヒトも同じで、父と母、友、自然・・・に仲立ちをしてもらっている。この世に生まれ出た命には、欠如を満たしてくれる他者がいる。

栄華を誇った巨獣でさえ、自然という他者との絆が切れた時に滅び去った

余談であるが、いつまでも続く政治家たちの不正や不透明な仕事。そして相も変わらず、お得意の弁明が繰り返される。新聞やテレビのニュースに触れるたび、噴飯ならぬ憤懣やるかたない思いにさせられる。

『三四郎』の書生いわく、「今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ」と。「自分の人生とは、生きてきたその時々の目撃ではないだろうか」と語っていたのは、秋元康さんである。

 

スマホ発信によるビッグデータ

PC・デバイス・ネット

 

目が覚めたら有名人になっていた。
38年前に刊行された筒井康隆さんの小説『おれに関する噂』である。

ある会社員の情報が世の中へ筒抜けになってしまう。
女子社員をお茶に誘ったことが翌日には、日本中で話題になるといった具合に。

自分の情報が知らないところでやりとりされる。読者の不安をかき立てるには格好のモチーフで、洋の東西を問わず小説の題材として尽きない。

現在、世の情報はスマホ中心になり、人々がどんなモノを買いどんな場所へ行ったか。
膨大な情報(ビッグデータ)を企業が利用しやすくなった。

信販売大手「ジャパネットたかた」は、約8500種類の取扱商品を約600種類に絞り込み、通販サイトをリニューアルし、全商品に45秒の紹介動画をつけるなど商品説明を詳しくした。

販売商品を少なくすることで、顧客サービスの充実を図り、サイトリニューアルは気軽にスマートフォンなどで閲覧できるように、との計らいだ。

 

1691

 

インターネット上の膨大な情報を瞬時に集約・分析し、事件や事故、災害などの発生を知らせるシステムも注目されている。基のデータは、ツイッターやインスタグラムなどソーシャルメディアからの情報である。

ビッグデータをふるいにかけ、異変を察知する。
スマホソーシャルメディアの普及で、ユーザーが見聞きしたことをその場で投稿し、別の人が拡散する。一個人が意識せず記者の役割を担う時代なのである。

多数のパトカーや消防車に遭遇したり、(事件・事故の)目撃で、人が発する単語や短文を登録し、リアルタイムで検索する。そこに位置情報が加味できれば、場所の特定の助けになる。この作業をコンピュータに任せることで高速処理が可能にする。

 

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政府でも、地域間の人やモノ、お金の動きを可視化し、インターネット上で無料にて閲覧できる「地域経済分析システム」を公開している。

携帯電話の位置情報を基にした“ビッグデータ”の活用で、訪日外国人の出入国や滞在地域が地図やグラフで参照ができる。

訪日外国人の移動ルートを把握することで、地方自治体が観光政策に役立てることなどが期待されている。

そのシステムでは、特定の都道府県を訪れた外国人が、その前後にどの都道府県を訪れたか、日本地図上で確認し、ランキング形式で閲覧できる。

地図やグラフは、国内の携帯電話会社が所有の、訪日外国人約100万人のスマートフォンローミングデータを基に推計したものだという。データは定期的に更新される。

地方自治体は、観光PRを行う地域の特定や、観光戦略に活用できるほか、旅行業者の観光ルート作りの参考にもなる。

外国人だけではない。我々もすでに(それぞれのスマホなどから)、自分の情報が知らないところでやりとりされていることはまちがいなさそうだ。

保護すべき情報の範囲やプライバシーを守る方法など、議論すべき課題はまだまだ多いはずだが、個人情報だけが勝手に取り込まれているのである。

 

 

異端者だから成し遂げられる

人間

 

作詞家の創意や意図に、前から興味が強い。自然に生まれたようなフレーズにも、隠されている秘密があるように思うからだ。

童謡の『ゆりかごのうた』(詞・北原白秋さん)に“黄色”を感じるという説がある。

<ゆりかごのうたを カナリヤが歌うよ・・・>。 
それからビワの実が揺れ、木ねずみがかごの綱を揺らしたりする。
カナリヤ、ビワは黄色、リスをわざわざ木ねずみとうたうのは、“木”に“黄”をかけたのではないかと。

米国ではベンチャー企業の創業者の約半数が、追放の憂き目にあっているという。
アップルの創業者スティーブ・ジョブズさんも、10年余り会社を去った期間がある。
事業を成功させても、持続的な成長は難しい。自ら築いた企業を追われる心境は、その身にならねばわからない。

どのような状況下でも、ジョブズさんの創意や意図はただひとつ。
<ときめく商品の追求>だったように感ずる。

 

1689

 

スコットランド出身の俳優・ショーン・コネリーさんは熱烈な独立運動家だという。
映画『007シリーズ』で初代ジェームズ・ボンドを演じた際、スコットランドなまりの矯正をいやがった。

「私は自分のアクセントが好きなんだ。俗に言う『英語』なんてものを話すのはごめんだ」と、インタビューで語っている。

<英国上流階級育ちの諜報部員>という原作小説のイメージは一変したが、映画は大成功をおさめた。

だいぶ前だが、映画『シン・ゴジラ』を観た。大ヒット作品だ。

『非常時の危機対応 ゴジラにどう立ち向かう』との見出しで、(一昨日の)読売新聞の一面にも大きく掲載された。

大人向けの政治映画であり、東日本大震災福島原発事故、そして日米安全保障条約が絡んだ物語だ、とも記されていた。

この5年半を経験した日本人につきつけられた“非常時にどう立ち向かうか?”の問いに、観客は待ったなしの感覚を持たされるのだと。

 

1690

 

いざ、コトが起きると何も決められない政治。被害は拡大する一方である。
その際の人材集結がまた示唆的だという。

政治家、官僚システムから疎外され除外された異端者である変わり者たちが、各界から呼び出される。

彼らは自分のオタク的興味でコトにあたる。あたかもゲームを楽しむかのようにだ。
そこに国家は意識されず、肩書と上下関係は無用。

<人材は育てられるものではない。その社会がどれだけ異端者を抱え込むゆとりを持っているかどうか、そのノリシロの大きさこそが必要>なのだと。

<異端者のブロジェクトチームだからこそ、緊急事態を抑えられた>。
そこに製作者の創意や意図が読み取れる。

<一言で語ることのできる映画作品はヒットする>というジンクスがある。そこに鑑賞後の爽快感が加味されれば、その余韻はいつまでも続くことであろう。

  

消える日本語が映す今の時代

生活・娯楽

 

1901年(明治34年)の冬に柳田国男さんが信濃路を旅した際、車屋が「とても寒い」と語るのを聞き、飛び上がるほど驚いたという。

“とても…できない”のような否定形を伴わない“とても”に、柳田さんは初めて出会ったという。でも今は「とても寒い」がふつうに使われている。言葉は生き物であり、時代とともに姿が変わる。

“青田買い”は、“青田刈り”として多く使われるらしい。
黄金色に実らぬ前の青田を買うのはいいが、刈り取ってしまっては収穫にならない。

世間の考えからずれている意味で“世間ずれ”を用いる人が増えたようだが、本来は“世慣れたずる賢さ”を評していわれる言葉だという。

劇作家・山崎正和さんいわく、言葉は変わりゆくものだからこそ誰かが<保守的に抵抗しなければいけない>。世代ごとに言葉が変わるようでは困る、とのこと。

 

1687

 

国文学者・折口信夫さんは清潔であることに細心の注意を払ったらしい。
つまようじをマッチの火で先をあぶり、消毒して使った。

泉鏡花さんは他家を訪問して座敷であいさつする時、手のひらが畳につくのを嫌った。
手首を内に折り曲げ、手の甲をあてたという逸話が残っているそうだ。
思えば、「つめの垢を煎じて」いう慣用句も、清潔とは言いがたい。

昔、文芸雑誌が「消える日本語」と題して特集していた。
そこには、“ごめんなさい”、“ありがとう”、“粋と野暮”、“武士の情け”などが紹介されていた。

今では“恩”や“孝行”の言葉が消えつつあるとも訊いた。
歌詞に“わが師の恩”とある『仰げば尊し』は、もう卒業式で歌われていないのだろうか。
家庭では“孝行”の代わりに、“虐待”が盛んに聞かれる時代でもある。

 

1688

 

かつて、三遊亭円生さんは「しばち(火鉢)」、「しとちがい(人違い)」で、桂米朝さんは「ひつこい(しつこい)」「ひちや(質屋)」となったとか。
江戸っ子は“ヒがシ”に、関西人は“シがヒ”になってしまう。

「布団を~」は“ヒく”か“シく”か? となれば、敷布団という言葉で喩えれば、“敷く”が正解だろう。「フライパンに油を~」は、“ヒく”の“引く”になりそうだ。“敷く”は、上に何かを載せるために広げること、“引く”は、表面に塗るように広げること、との違いらしい。

“とりつく島”を“とりつく暇”だと思っている人も増えているようだ。

昨日の新聞記事にあった。女流作家さんが22歳の女の子と恋愛の話をしていた時、「へぇ、2人はプラトニックな関係なんだねぇ」と言ったら、「プラトニックって何ですか?」と聞き返されてしまった、と。

“プラトニック”という言葉もなくなりつつあるのだろうか。

それならば、“胸キュン”でも“ワクワク”でもかまわないので<何にでも敏感だった当時に戻るような気持ちになれる>“ときめき”だけは、失わず持ち続けていきたいものだ。
おたがいに・・・。

 

あとを絶たぬサバ読む者たち

生活・娯楽

 

たとえば、数学が好きなら金融業界へ。国語が好きなら作家、編集者、書店員に。
村上龍さんの『新13歳のハローワーク』がおもしろい。

好きな教科を入り口に、自分の向いている職業を探す趣向である。
道徳の授業が好きな13歳向けには、弁護士、裁判官、検察官などと。
社会の役に立ちたい。議論し、意見を言うのが好きであるのなら、政治家もありか。

また、好き嫌いのないのが、子どものしつけという説もある。
多様な栄養素を満遍なく摂取しないと、からだによくない。

脳も同じで、色々なことをバランスよく経験すると、若々しさが保たれる。脳は「雑食」を好むのだと、脳科学者・茂木健一郎さんは言う。

右利きでも、なるべく左手を使うことで、左右の脳が釣り合いよく使われることになる。
脳を疲れさせないためには大切なことらしい。単調な使い方だと脳は弱くなってしまうため、偏食はいけないとのこと。

 

1685

 

日本人はなぜ現金が好きなのか。それをテーマにしたテレビ番組があった。
結婚披露宴に出て、(プレゼントではなく)現金でお祝いを渡すことに外国人は驚くらしい。

周りにも“現金主義”を貫く人がいる。
今もカード類をなるべく持たず、支払いにカードを使えない飲食店も多い。
電子マネーやカード払いが大好きな私も、路地裏の小さな居酒屋では仕方なく、現金で支払っている。

無駄遣いを警戒する人や、単純に面倒くさい人。また、買い物の履歴を誰かに把握されるを嫌がる人もいる。日本では現金を持ち歩いても、安心感があるのかもしれない。

<青きは鯖の肌にして、黒きは人の心なり・・・>。浪花節の一節らしい。

「サバを読む」とは、数をごまかすということに使われているが、鯖は傷みやすいため、昔の魚市場では目にもとまらぬ速さで数え上げて売ったことに由来するという。

移転予定の魚市場でサバを読んだ者たちも、公費のサバを読み裏金を蓄えた人々も、黒きは人の心なり、だろうか。

 

1686

 

時期的には早いが、本年の“流行語大賞”に「セコい」がノミネートされても違和感がない。

富山市議会の政務活動費問題では、不正取得を認めた議員が芋づる式に辞意を表明。
東京・築地市場の移転先・豊洲市場の建物下には、土壌汚染対策の盛り土がなかった問題が発覚。食の安全のみならず、莫大な予算がどのように流れているのか気にかかる。

“世界のミゾグチ”こと溝口健二監督は没後60年である。
田中絹代さんは、映画『山椒大夫』で溝口監督から減食を命じられたという。
やせ衰えた感じを出したいためだ。

せりふの吹き込みだけを残し、出番を撮り終えてひと安心と、ないしょで昼食にステーキを食べたそうだ。

田中さんの語るせりふを聞いて、監督は首を振った。
「肉を食べましたね。声につやがある。ダメです」。

演技においても、気むずかしい完全主義者として知られた溝口監督。
「心理を反射させてください」と注文するのみで、具体的な演技指導はしない。

「ダメ」を延々と繰り返す演出は俳優たちの恐怖の的であった。
黒沢明さんや小津安二郎さんとともに、日本映画の黄金時代を築いた巨匠は、人を見抜く“眼力”も並外れている。

今の民間人も、(ザル法で税金が湯水のごとく扱われぬよう)眼力を鍛える必要に迫られそうだ。

 

半世紀前のSF映画が現実化

生活・娯楽

 

外出先のコンビニでビールを買うことがよくある。
その都度、タッチパネルで年齢確認を求められるが、いまだに慣れない。
生まれて半世紀以上になる人間を見て、未成年とまちがえることもあるまいに。

どなたかのコラムでは、<想像以上に若く見られているのかもしれない>と、前向きに解釈するようにしている、とあった。

日常使う年齢を、“数え年”から切り替える法律が施行されたの、1950年(昭和25年)のことだという。長い日本史の中では“満年齢”の歴史もそう古くはない。

数え年は、生まれた時点で1歳。正月を迎えると一つ年を取るしくみである。もし、大みそかに生まれたら翌日にはもう2歳だ。満年齢への変更で「2歳若返る」ことになる。

明治期から年齢は満で計算するという法律はあったが、日常生活では数え年が主流。
海外の統計と足並みをそろえる目的もあり法制化されたようだ。
今は、血管年齢、骨年齢など健康にまつわる年齢測定も盛んだ。

 

1683

 

健康年齢の意識拡大とともに、医療機器の進歩も著しい。
こういう話になると、50年前に流行ったSF映画『ミクロの決死圏』が頭に浮かぶ。

<医師が細菌並みに小さくなり、患者の体内に入り病気を治す>という単純明快なストーリーである。そんな空想が半世紀も前に実写化したことがすごい。

冷戦下の米国の秘密軍事施設で、1時間だけ何でも小さくする装置が完成する。
この時間を延ばす技術を持つ科学者が命を狙われ、頭に重傷を負った。
そして、脳外科医ら5人が小型化した潜水艇「プロテウス」で血管に潜入して治療を試みる・・・。

ミクロ化した原子力潜水艇と医師らが、患者の動脈から心臓、肺を経て脳に入る。
クロサイズの人間に襲いかかる免疫細胞との戦いや、時間内に治療して脱出する展開は、なかなか見ごたえがあった。

 

1684

 

腸に入り込んだかのように見える超小型カメラは実現しているという。
口からのむカプセル内視鏡で、長さ約3センチ、見た目も潜水艇っぽいらしい。
自走はしないが、腸の動きで肛門まで到達する。

体に入れる際の苦痛がなく、CTで映らない潰瘍を見つけたこともあるそうだ。
今のところ治療はできないが、患部を焼いて治療するレーザー銃を載せるべく研究は進んでいる。

「ナノ医療イノベーションセンター」のセンター長・片岡 一則さん(工学博士)は、若い頃に『ミクロの決死圏』を見て、医療工学者をめざしたという。

ナノ医療イノベーションセンターでは、大学や製薬企業、医療機器メーカーなどが集まり、ナノ・メートル(100万分の1ミリ)単位の医療技術で病気を治す研究を行っている。
極小技術を使う検査薬や治療薬は“ナノマシン”と呼ばれる。

片岡さんいわく「映画の世界を現実にするんです」。
<様々なナノマシンが診断し治療する『体内病院』を実現させたい>と。
SFからまた未来技術が生まれようとしている。

その技術で、“実年齢”よりも“見た目年齢”の若返り化も進むような気がしてくる。

 

難しいことはわかりやすく

生活・娯楽

 

何年ぶりであろうか。“数独”にすごく凝っている。
脳トレに最適なような気がするからだ。

数独とは、「数字は独身に限る」の略だという。
パズルの一種で、9列9段のマス目を3列3段のブロックに分け、各列・各段・各ブロックに1から9までの数字を重複しないように入れるもの。ナンプレとも呼ばれている。
数学とはちがい、単純明快でわかりやすい。

数学者・森毅さんは随筆に書いている。
<数学が難しいというのは、数学をわからせることのできない中学教師が、「難しいからわからない」と理屈をつけるために言っている>と。

消費増税騒ぎの際、軽減税率は難しいと言われたが、麻生財務相いわく「面倒くさい」。この方の人間性はとてもわかりやすい。

知名度の低さを逆手にとりPRに励んだ島根県には、<島根は鳥取の左側です>とのキャッチコピーがあった。カレンダーにも<ひとが集まるのがシネマです。ひとが集まらないのがシマネです>などの自虐ネタ。他県の人に鳥取と間違われるため、<もういっそ砂丘を作ろうと思う>というのもある。

 

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司馬遼太郎さんは中学1年の英語の授業中、「New York」という地名の意味を先生に質問したという。すると、「地名に意味があるか!」と怒鳴られた。

帰り道、市立図書館で司書の人に必要な本を出してもらって読むと、英国軍の占領に伴い、英ヨーク公の名が由来だった、とわかった。司馬さんの“図書館好き”はこの時から始まったそうだ。

台風の影響にともない、異常な雨の多い昨今である。その雨の原理もわかりにくい。
ある専門家の話では、海から蒸発した水蒸気が雨となって降る自然界は巨大な蒸留装置でもある。地球の温暖化で海面からの蒸発量、つまり雨の材料が増えたことで蒸留装置に変調をきたしたと見られるらしい。

地球の温暖化は18世紀の半ばから始まり、明治の末期、20世紀の初めは大気中の二酸化炭素濃度が急カーブで上昇しはじめた時期にあたるという。

 

1682

 

SF作家・星新一さんの父親で実業家の一さんは野口英世博士の紹介で、大正時代に米国で発明王エジソンに会っている。エジソンは、一さんらに、<利益よりも、私は人類のために新しい富、新しい道具、新しい産業を創造しようとして働いている>と熱く語ったという。

創造や創作には、ネタを枯らさずに保ち続ける努力も大切なことであろう。
“ネタ”という言葉を辞書では、「種(たね)」の倒語としている。
読みは逆さまだが、「もとになるもの」、「材料」といった意味はそのままで、「話のネタ」などと使う。

作家・林望さんの『帰宅の時代』では、家庭の会話を畑の植物に見立て、その畑を日頃から耕しておくことを「会社一辺倒」でやってきた人々に勧めた。

<日ごとの手入れを怠って草ボウボウにしておいた荒れ畑には、会話の花など咲きはしない>と。

毎日、手入れを怠っているわが身には、とてもわかりやすく身に染みてくる。

 

鑑賞よりも感賞の確率に興味

人間

 

作家の感性はおもしろい。

<あくびを するとき ネコのかおは花のようになります>。
まど・みちおさんの詩『ネコ』の一節である。

小さな口を開け、目鼻がグシャッとなるネコのあくびは、ダリアやバラに見えなくもない。

凛として美しいキキョウ(桔梗)のなかに、脳の病名の一文字がどうして含まれているのか。脳梗塞で入院した新聞記者さんがコラムに書いていた。

作家・色川武大さんは友人との雑談で、日ごろからの疑問を口にした。
「どうして“轢死”には楽しいって字が入っているのだ」と。

<選球眼より選球体>と言ったのはイチロー選手である。
「選球眼ならかんたん。でも、頭で判断すると打てなくなる」。

頭で“打てない”と考えても、体の反応でボール球も見事に打ち返したイチロー選手ならではの名言だ。

 

1679

 

イチロー選手は、<打率より安打数>とも常に言い続けている。
打率は減るから、(打席を)逃げたくなる気持ちが生じかねない。
安打数は増えるだけだから、楽しさを感じ打席に入りたくなるのだと。

イチロー選手の安打確率は、頭より体が最優先だったようだ。

“確率”という言葉は元々日本になかったという。
英語で“プロバビリティ”といい、「起こりそうなこと」の意味とか。
難しく訳すなら「蓋然性」、「確からしさ」などの語が該当。

明治期、どれもしっくりこないため「確かな率で“確率”はどうか」との提案が出たそうだ。
「起こりそうなこと」を数字として示しているだけで、計算で導き出した「確かな率」ではないという。

2013年からの1年間では、「50年に1度」の大雨警報が4回も出ていた。
「50年に1度の異常気象」といっても、「50年周期で降る雨」と思うのは大きな誤解らしい。

 

1680

 

常軌を逸した事件が後を絶たない。
動物学者・河合雅雄さんは「サル学の中から学ぶことがある」のだという。

群れの中で母親に育てられたサルは母親との接触がどういうものかを実感し、他のサルの母子関係も見ながら育つ。そのため、親になっても大丈夫であるが、母親から隔離飼育されると子育ての方法がわからないそうだ。

ニホンザルは子供の成長に応じて上手に子育てをする。
ニホンザルに限らず動物の子育ては、子供がひとりで生きていく力をつけさせるということに尽きるのだという。

人間は真剣に「サル学」から学び、家族や仲間たちを大切にできる感性を、もう一度しっかりと身に付ける必要があるのではないだろうか。

 

グローバル時代のアリジゴク

歴史

 

ふだん何気なく使う言葉には、歴史の重みの潜むものもあるという。
「感謝感激、雨あられ」は、日露戦争が題材で筑前琵琶の一節で「乱射乱撃・・・」のもじりだという。

「この際だから」は、関東大震災直後の流行語らしい。
東日本大震災後、明かりの減った街路を歩きながら、“この際”がまさに“今”だと受け止めたことを思い出す。

元の言い回しが忘れられ、もじったパロディーが生き延びる。
大正期に首都をがれきの山にした大地震から93年。今年も地震や台風による大災害が続いている。

 

1677

 

<日本に この生(き)まじめな 蟻の顔>と詠んだのは、俳人加藤楸邨(しゅうそん)さんである。アリからイメージするのは、律義な働き者。それが作者の日本人観であったのだろう。

呼び鈴が鳴り玄関のふちに、大きな段ボール箱が置かれる。
弾んだ声がひびく。きた、きた!と。電化製品、家具、すしの出前や車もあろう。
家にモノが増えるよろこびに満ちた昭和の家庭風景である。

あくせく働くサラリーマンにとって、家族の“きた、きた!”はなによりの褒美であった。
モノの値段はふしぎだ。金持ちはいいなあと思っていると、カラーテレビも、車も、パソコンも、いつの間にか天上からわが家に降りてきてくれた。

過去70年間を振り返ると、多くの人に浮かぶ歴史的な出来事は何だろう。
オリンピックのような祝祭、震災や台風といった災害、バブル経済政権交代もあるかもしれない。たいていは日本の光景か。

 

1678

 

歴史を考えるときの自分とは、ふつう日本人としての“自分”だ。
しかし今、そのふつうが必ずしも“ふつう”ではすまない時代なのだという。

グローバル時代になり、人やモノ、カネ、情報が国境を軽々と大量に超える。
社会の抱える問題も国境で区切られなくなっているようだ。

金融危機地球温暖化感染症……。日本だけの問題ではなく、被害にあうのは多くの国の経済弱者、人類全体だったりと。

解決に取り組む人々のネットワークも日本という枠だけにおさまりきれない。
歴史家・入江昭さんは“グローバル・ヒストリー”の重要性を訴えている。(『歴史家が見る現代世界』)

それは、国や文化の枠組みを超えた人々のつながりに注目しながら、歴史を世界全体の動きとしてとらえ、<自国中心の各国史から解放する>考え方だという。

現代、どの国も(世界の)ほかの国や人とつながり、混ざり合い“混血化”、“雑種化”しているとの指摘もある。

ところで、アリの大敵にアリジゴクがいる。砂地にすり鉢状の巣を掘って潜み、落ちてくるのを捕食する。巣は砂が崩れないぎりぎりの角度に作られていて、アリが脚を踏み入れると崩れるそうだ。

戦争、テロ、大災害、不況の連鎖・・・。あとを絶たないことばかりである。グローバル時代の良いところ、悪いところはもちろんあるはずだ。ただ、なにかが起きればアリジゴクの穴に脚をかんたんに踏み入れそうな気がしてならない。

 

 

今週のお題防災の日

 

知らないことの多すぎる気が

自然・動植物・宇宙

 

こうしてなにかを書こうとするたび、知らないことが増えてくる。

人類最大の天敵は?
マイクロソフト創業者ビル・ゲイツさんいわく「蚊」だと言う。

<蚊は破局的な病をもたらす。最悪はマラリアで、毎年60万人以上が(蚊の)犠牲になる>のだと。

その他の動物では、世界で毎年サメが10人、ライオンで100人、蛇で5万人が犠牲になる。最多の蚊は72万5000人と桁違いである。
叩けばつぶれてしまうほど小さ蚊こそが、大きな脅威なのである。

“不器用”という言葉が株を上げたのは、高倉健さんの渋いせりふによってだという。
本来、否定的な意味だったのが、その中にあった好意的なニュアンスが膨らんだ。
そして、いまや“器用”を超える褒め言葉になっているようだ。

同時に二つのことができない意味の揶揄ながら、飾らぬ正直者という含みもあった。
なんでもこなす人がを“器用貧乏”と称されることもあるため、“不器用”と言われれば素直に喜ぶべきか。

 

1675

 

1963年春、「ホテルニューオータニ」の建設工事が始まった
1年半後に東京五輪の開催が迫っていた。

当時、外国人の宿泊施設が圧倒的に不足で、ホテル建設は重要課題だった。五輪に間に合わせるため、様々な工夫が凝らされる。

そのひとつに、「ユニットバス」があった。
東洋陶器(TOTO)が施工業者から相談を受けて考案し、初めて導入された。
浴槽とトイレ、洗面台を一体とし、現地で組み立てる方式は工期の短縮につながった。

<将棋ソフトが1秒間に1800万手を読むと聞いて「ほほう」とうなり、新型ロケットの管制業務がパソコンわずか2台でなされると聞いて「ほほう」とうなる>。

3年前の新聞コラムにあった文面である。

そして、「ついにそういう時代が来るか!」と、驚いたニュースにふれる。
人が運転しなくても目的地にたどり着ける“自動運転カー”を、日産自動車が2020年までに発売するとの新報道だった。

今や、その“自動運転カー”も完成形に近づき、走行テストをしている段階である。

 

1676

 

私の住むところでは、(台風の影響か)秋の風を感じ始めている。

<秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる>は太宰治さんの『ア、秋』の一節だ。<秋ハ夏ノ焼ケ残リサ>ともある。
晩夏が胸に一抹の感傷を引くのは、太宰さんもいっしょか。

夕暮れ時の蝉時雨にツクツクボウシの声が際立つ。哀調を帯びた調べに、行く夏を思う。

<入道雲にのって/夏休みはいってしまった/「サヨナラ」のかわりに/素晴らしい夕立をふりまいて>(高田敏子さんの詩『忘れもの』)。

昨年も、一昨年も、この時期には<もう一度 もどってこないかな>との感傷がよぎった。こうして、毎年の季節が忙しく過ぎゆくが、夏の忘れものの如く、知らないことが置き去りになり、どんどん増えてゆく。

 

 

刻々と動く時計へテンポ良く

スポーツ

 

刻々と動く時計の秒針を見ながら、だれが1分を60秒にしたのだろうと考える。
それは、紀元前3~1世紀のバビロニア(現イラク南部)人だという説があるようだ。

60は2、3、4、5、6、10・・・と、多くの数の倍数になっているため、使い勝手がよかろう、というのが定説だとか。1分は10秒の6つ分と考えれば、あせる気持ちも鎮まる。

往年のプロ野球投手・土橋正幸さんはテンポよく投げ込む小気味よさから「江戸っ子投法」と称された。

実家が浅草の鮮魚店で、明るく朗らか、一本気の人情家。歯切れのいい口調も含めてその呼称になったようだ。東京出身のプロ野球選手の中で、江戸っ子の異名で一番親しまれたのは土橋さんだという。

 

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1962年、東映フライヤーズパ・リーグ初制覇した当時のエースは土橋さんであり、阪神相手に日本シリーズも制しMVPとなった。1958年、全盛期の西鉄ライオンズ相手に9連続を含む16奪三振は当時の新記録。

実家の鮮魚店を手伝いながら、浅草・フランス座軟式野球チームから東映にテスト生で入団。のちに、軟式出身の投手として活躍した大野豊さん(広島)もいるが、数少ない異色の経歴だった。

プロ野球を見慣れていると、高校野球が新鮮に映る。その魅力のひとつにテンポの良さが挙げられる。1敗すれば即敗退という厳しい条件の中、プロの試合より短い時間内で熱い戦いが繰り広げられる。

クライマックスシリーズ(CS)への疑問で、プロ野球離れしてだいぶたつが、高校野球のテンポで改めて野球の楽しさを教わった。

 

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プロ野球は両リーグとも6チーム中(上位)3チームに入れば、日本シリーズ挑戦へのチャンスが与えられる。「リーグ戦で優勝できなくても3位内に入ればいいのだ」との甘い精神構造が、試合のテンポを悪くしているような気もしてくる。

野球は試合時間が読みづらいスポーツである。展開次第では、延長戦もある。
アメリカでの草創期はもっとすごく、先に21点を取った方が勝つルールだったとか。それでは、時間の見当はほとんどつかない。

力に差があればすぐ終わり、拮抗していれば延々と続く。あまりにも不便なので、攻守を“9回”に決めたようだ。それでも、大リーグは今も延長戦で(原則)決着がつくまで続ける。本場のプロの意地なのであろうか。

超高齢社会の日本は、“多死社会”でもあるといわれる。
年間130万人近い人が亡くなり、2030年頃には160万人を超すとか。

多くの人が死を意識しながら、延びた寿命を生きていく。
“どう生き、どう逝くか”ということに向き合わざるを得ないのなら、限られた時間をダラダラではなく、テンポ良く生きられたらうれしい。

 

牧水さん酒話と今の天気予報

自然・動植物・宇宙

 

1885年8月24日、宮崎県に生まれた歌人若山牧水さんは、旅と酒をこよなく愛した。その酒量は並大抵のものでないという。

大正の末、九州へ51日間の長旅をした。その紀行文に記録されている。

朝の4合から始まり、<一日平均2升5合に見つもり、この旅の間に一人して約1石3斗を飲んで来た>。呑む量に石(約180.4リットル)の単位を用いる人はめったにいない。

肝臓を患った牧水さんは、九州旅行の3年後に43歳で亡くなった。
その呑みっぷりで、体内のアルコールが防腐剤となって遺体が傷まなかった、という伝説話まであるとか。

 

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牧水さんは、大好きなお酒の作品も数多いようだ。

<かんがへて 飲みはじめたる 一合の 二合の酒の 夏のゆふぐれ>。
<秋かぜや 日本(やまと)の国の 稲の穂の 酒のあぢは ひ日にまさり来れ>。

牧水さんの足元にも及ばぬが、酒好きのわが身にも染みわたる歌である。
今の季節にちょうどよい。

8月もあと一週間。残暑は厳しくとも、確実に秋が待機している気配がある。
台風とのからみもあり、天気もめまぐるしく変わる。

<東京地方、きょうは天気が変わりやすく午後から夜にかけて時々雨が降る見込み>。

ラジオのアナウンスに拍手が起きたそうだ。1945年8月22日に天気予報が復活した瞬間である。

戦時中、軍事機密として天気予報の発表が禁じられたという。
灯火管制の解除による明るい夜とともに、天気予報の復活は(終戦で)平和の象徴になった。

<台風等の位置、示度、進行方向及び速度等は表さざるものとす>。
軍の管制下では暴風警報の内容さえ制限されたという。

 

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隔世の感とでもいうか、昨夏、本格運用が始まった「ひまわり8号」は、最先端の観測システムを搭載。500メートル四方の解像度で台風や雨雲をとらえる。カラー撮影は世界初だ。

私もスマホ、iPadで雨雲レーダーを大いに利用させていただいている。
刻々と変わる雲の動きが、手の中で随時に確認できて助けられる。

ひまわり8号は静止気象衛星である。これまでのひまわりに比べて観測バンド数が大幅に増えたため「静止地球環境観測衛星」とも呼ばれる。

2016年に打ち上げの ひまわり9号は、軌道上で待機し、2022年からひまわり8号と交代して2028年まで運用される予定だという。

システムの進化で、その用途も拡大していく。
日本及び東アジア・西太平洋域内の各国における天気予報や台風・集中豪雨、気候変動などの監視・予測、船舶や航空機の運航の安全確保、地球環境の監視を目的とするとのこと。

天気予報の進化はうれしく、個人の持つ端末でも瞬時に確認できるようになった。
欲を出したらきりがないのだろうが、(今も拡大している)自然災害を事前に退避できるような防衛システムが出てきてくれないものだろうか。

大災害の前で、人間はあまりにも無防備で、どんどん小さく見えてくる。

 

まだ熱い夜はウイスキーでも

スポーツ

 

甘酒は夏の季語だという。点滴同様の栄養分を含むからだそうだ。

<江戸時代の必須アミノ酸強化飲料が甘酒であり、総合ビタミンドリンク剤であった>との説がある。暑い日に熱い甘酒を飲むことで、夏バテ防止につながるというのだ。

ウイスキーの宣伝で知られた開高健さんと山口瞳さんには、酒の名言が多い。

「名酒の名酒ぶりを知りたければ、日頃は安酒を飲んでいなければならない」と開高さん。
山口さんいわく「最初の一杯がいい。そして、最後の一杯も捨てがたい」のだと。
ともに“達人の域”が窺える。

 

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そんな異才2人と組んで仕事をしたのは、画家の柳原良平さんである。

昭和30年代に一世を風靡した“アンクルトリス”のキャラクターは、若き柳原さん作だという。ずんぐりしたはげ頭のおじさんは子どもでも知っていた。
私もテレビで観ていて楽しくなり、子どもごころにウイスキーで酔いたくなった口だ。

誕生した昭和33年にはプロ野球長嶋茂雄さんがデビューし、東京タワーが建った。
NHKのテレビ契約は100万件を超えて、高度成長のエンジンがうなりだした時期だ。

粋でとぼけた味の絵が宣伝コピーを引き立てた。
物質的な豊かさを追い始めた時代の気分をうまく映し出していた。

はげ頭ならぬ「丸坊主」や「丸裸」などと言うときの“丸”は、何かがさっぱりないことの意味に使われたりする。「丸腰」は、といえば事情が少し変わるようだ。

腰に刀などの武器が「さっぱりない」と解せないこともないが、武士が刀を外した腰が丸みを帯びて見えたから、という俗説もあるらしい。

高校球児たちの坊主は高野連の強制ではないそうだ。高野連の”日本学生野球憲章”のどこにも、坊主にしないといけないという文は書いてないという。

 

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旧制高校に野球が広がったのは明治半ばである。その時代には野球用語をめぐる珍話がいろいろある。その中に、審判が走者に塁を与えるときに叫ぶ「テイク・ワンベース」。

当時の見物人にはこれが、「たくあんベース」と聞こえたようだ。それが少年たちの草野球に広がり、少年たちは間違いも気にせず、貪欲に野球を楽しみ学んだ。

“たくあん”は、当時の人たちの野球熱を今に伝える挿話としてうなずける。テレビで甲子園の賑わいを観るたび、その熱がずっと継続されていることを感じる。

今年もあと1時間足らずで、甲子園の決勝戦が始まる。
作新学院(栃木)と北海(南北海道)の雌雄を決する時が迫っているのだ。

1962年以来2回目、栃木勢としても54年ぶりの全国制覇を狙う作新学院と、北海道勢が初参加した1920年にも出場し、全国最多37回出場で初優勝を目指す北海が熱く対戦する。

両チームの戦いぶりを観てきたが、たがいのエースの投球数は限界を超えている。
死力を尽くす投げ合いが予測される。

残念ながら、リアルタイムのテレビ観戦ができないため、録画予約をした。
帰宅の際、ウイスキーを買って帰るつもりだ。少し前、久しぶりのジョニーウォーカーを懐かしく味わった。本日も、夜中の熱い観戦にはウイスキーが欠かせない気分になっている。

 

京都・昭和・ひばりさん・健さん

役者・タレント

 

テレビの2時間サスペンスで、京都が一番多く舞台になるという。
人気の観光地であり、古都の優雅なしっとり感と事件との落差が、視聴者を引きつけるからだ。

私だと、京都といえば東映のチャンバラ映画だ。
橋蔵さん、錦之助さんらのお顔も浮かぶが、美空ひばりさん主演のイメージが強い。ひばりさんが出演した映画は165本にもなる。

映画会社は東映以外に、松竹、新東宝東宝に出演しているが、やはり東映の時代劇スターという印象である。歌番組の特集では、映画『東京キッド』の1シーンがよく使われる。松竹作品で、1950年(昭和25年)に封切られた。

母を亡くした靴磨きの少女をひばりさんが演じ、<右のポッケにゃ夢がある/左のポッケにゃチュウインガム/空を見たけりゃビルの屋根/もぐりたくなりゃマンホール・・・>。
同名の主題歌はひばりさんの代表曲になった。

 

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阿久悠さんは著書『愛すべき名歌たち』に、天才少女歌手といった生やさしい存在ではなかった、と書いた。<敗戦の焦土が誕生させた突然変異の生命体で、しかも人を救う使命を帯びていた>のだと。

終戦から71年。左のポッケは豊富な品々で膨らんでいるが、右のポッケにある夢は?

江戸の面影は関東大震災とともに消え、戦前の面影は東京オリンピックを境に消えたといわれる。一つひとつの食べ物に感謝するこころ、父母に対する折り目正しさも、今は遠い戦前の残り香かもしれない。

東映といえば、この方も忘れられない。
高倉健さんである。

“主演・高倉健”と銘打たれた小説がある。芥川賞作家・丸山健二さんの『鉛のバラ』だ。

2003年、丸山さんは「自分の小説の主人公になってもらえないか。そのために写真を撮りたい」と依頼した。健さんは二つ返事で了解し、一人自ら車を運転し、長野県・安曇野にある丸山さんの家に乗り付けた。

 

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二人の出会いは、映画少年だった丸山さんが1983年の高倉健写真集に『それが高倉健という男ではないのか』と題した文を寄せたことだった。

<映画を愛していたからではなく、役者稼業に惚れこんでいたせいでもなく、ただそれが仕事であり、それで飯を食ってきたというだけの理由にすぎない>。

好きで俳優になったのではなく、貿易関係の仕事を目指し、明大・商学部を選んだが、就職難で芸能プロのマネジャー見習いの面接に行ったところ、東映の専務から「俳優にならないか」と言われ、食うためにニューフェイスになった。

<いやいや仕事をしているのではない。好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、やるかやらないかを問題にする。やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげもなく注ぎこみ、奮闘する。それが高倉健ではないのか>。

健さんは、才能のあるなしや、好き嫌いではなく、仕事という習慣を通し、己を鍛え上げた人。一介の役者は“高倉健という仕事”に徹することで、記録と記憶に残る俳優になった。

 

食欲は食べ盛りの昔への郷愁

スポーツ

 

近年は法事が多く、“おい・めいの子どもたち”との初対面が増えている。
おい、めいの子どもは何と呼ぶのか。検索すると、“またおい・まためい”もしくは、“姪孫(てっそん)”というらしい。その子たちからみると、私は“大おじ”になるのか。

核家族の始まりは半世紀以上前。それまで祖父母が共に暮らし、近所には大おじや大おばも住む。そういう時代であった。

出生率の低水準で一人っ子が増え、“姪孫”どころか“おい・めい”の存続さえ危うい。いとこって何? 何十年か先の子どもたちの会話に出てきそうだ。

知人との酒場談義で、幼い頃の食卓の話が出る。盛り上がる料理といえば、やはりカレーだろう。それぞれの家庭の味は、専門店もかなわない。とくに“夕べのカレーの残り”を翌朝に食べるおいしさのくだりで意気投合する。

食欲とは食べ盛りの昔への郷愁だという。そして「おかわり!」の記憶が、のちのちまで食欲を刺激する。

 

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少子化といえども、今の若者たちはすばらしい。オリンピックで世界を舞台に大活躍し、炎天下の甲子園ですばらしいプレーを連発している。

101年前の8月、今の高校野球の第1回大会が開幕する日、大阪朝日新聞は『初めて野球を見る人の為にベースボール早分り』という特集を組んだという。
以前、朝日新聞のコラムにあった。

まず、「野球とは18人の人々が9人ずつ敵と味方に分かれ、球(ボール)や打棒(バット)などという道具を使って互いに攻め合う遊戯である」と、始まる。

守備位置の呼び名などを図入りでこまごま説明するが、とても書き尽くせず、次のように締めくくる。

「むずかしい規則が山ほどあるが、やはり百聞は一見に如かず。我が社の大会を観覧せられんことを希望する」。そして、「野球とは思ったより面白いものだという感じを持たれるに違いない」と。

1世紀を経て、甲子園の夏は今たけなわである。

 

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高校野球第8日(14日)2回戦の東邦(愛知)対八戸学院光星(青森)はものすごい試合であった。おそらく生涯忘れられないほどの大逆転劇である。

7回の八戸学院光星の攻撃が終わった時点での点差は7。東邦は終盤に猛攻、4点差まで追い上げた9回裏、一死後に1点を返したものの、あっけなく二死である。しかし、右前打と左前適時打で2点差。左中間を破る2点二塁打で同点。最後は、左前へとサヨナラ劇の完成であった。

詩人、哲学者の串田孫一さんは、消しゴムを「救主(すくいぬし)」と呼んだ。
軽率や無知から生まれた書き損じを消してくれるのだから、と。
世の中には消しゴムのような職業がある。人は、ささくれた感情の“書き損じ”を歌手の歌声に忘れ、またアイドルの笑顔に紛らし、つかのま消し去りながら日々を生きている。

若者の熱気のさなか、SMAPが解散を発表。熱心なファンはとても多く、彼らも長年にわたり(ファンへ)消しゴムの役割を担っていたのだろう。メンバーもすでに、大人の世代だが、解散を主張したメンバーはあまりにも幼くみえる。もっときちんと、さわやかに、ファンへのお別れメッセージを伝えられなかったのか。

オリンピックや高校野球の選手たちは、職業として活躍しているわけではないが、観客や視聴者を感動させ、ふだんの“書き損じ”もさわやかに消し去ってくれる。