日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

奴隷契約からもスターの輝き

 

<人が地面に立つとき、足の裏が収まるだけの面積があれば足りる>。でも、立っている場所以外の大地を掘り取れば、足もとが崩れる。“無用の用”と評したのは、古代中国の思想家・荘子である。役に立たないと思われているものが、実際は大きな役割を果たしている。

西鉄(現・西武)の大投手、稲尾和久さんは打席でも頼りになった。巨人との1958年秋の日本シリーズで、登板した第5戦にサヨナラ本塁打を放った。3連敗の西鉄が4連勝で制した球史に残る名勝負だ。

この一打は“球界の神話”とも賞賛。本業の投手としても、7試合中6試合に登板。うち4試合完投で、西鉄の4勝すべてを挙げる。

年42勝など偉業を重ねた稲尾さんも、「投げ過ぎと故障は投手の永遠の課題」と悟る。実働14年の最終年はわずか1勝であった。もし、「熱狂」を病気にたとえれば、「後悔」は薬に見立てられるらしい。(A・ビアス悪魔の辞典』より)。

 

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足もとの地面が崩れ苦い薬が入り用にならないか。最速165キロの速球を放つ右腕と快音を響かせるバット。エンゼルス大谷翔平選手(24)を、常識や定石では測れまいが、二刀流であるがゆえのケガが心配であった。

昨オフに日本ハムからポスティングシステムを利用し、米大リーグ挑戦を表明。米国内では、大型契約ができる年齢まで待たずに挑戦する23歳(当時)の決断に対する驚きの声が上がった。

一昨年、MLBのオーナー側と選手会側が取り交わした新労使協定に起因する。MLBドラフト対象外の25歳未満の海外選手の契約金と年俸を、厳しく制限するというものだ。それは、“奴隷契約”、“史上最大のバーゲンセール”などと揶揄された。

今季はメジャーで大活躍しても、昨年の推定年俸2億7000万円を大きく下回る。54万5000ドル(約5800万円)という最低保障額でしかない。ベーブ・ルース以来のスーパースター誕生でも気の毒なほど安いのである。

 

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25歳のとき、ダルビッシュ投手はレンジャーズと6年総額6000万ドル(当時のレートで約46億円)。田中将大投手も25歳でヤンキースと7年総額1億5500万ドル(同約161億円)の巨額契約を結んだ。大谷選手との金額差は一目瞭然。

それでも、メジャーデビューに夢を託した大谷選手はア・リーグの最優秀新人(新人王)に選出された。日本選手では野茂英雄投手(ドジャース・1995年)、佐々木主浩投手
(マリナーズ・2000年)、イチロー外野手(マリナーズ・2001年)以来となる17年ぶり4人目の快挙である。

同一シーズンでの<10試合登板、20本塁打、10盗塁>はメジャー史上初だという。右腕の故障で、年間を通して投手としての活躍は無理であったが、打者・大谷としての実績が地元の西海岸だけでなく米国全土のメディアにも認められた。

投手の足もとが崩れるかと思いきや、その打撃センスが十分すぎるほどにカバーをして、大きな役割を果たしたからだ。

 

 

今週のお題「紅葉」

無言で取り憑かれて睨めっこ

 

昔を想像して“もし”こうだったら、今はどう変わっていただろうか。そういう状況はいくつもあるはずだ。歴史を変える「紙一重」を考えることは楽しい。

いまも恐竜は繁栄していたかも・・・という説があるらしい。6600万年前、巨大隕石の衝突が恐竜を絶滅に追い込んだとされている。メキシコ・ユカタン半島に、直径約10キロ・メートルもの巨大隕石が衝突した痕跡もあるらしい。

その隕石衝突で地面が燃えてすすが舞い上がり、太陽光を遮り気温が下がったとの学説がある。その環境変化で恐竜は絶滅したというが、具体的な条件の検討では、もし数百キロ・メートルずれていたらどうなっていたのかわからないという。

 

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当時の地球上の気温は約16~約18度。それで、(月平均)8~11度も気温が下がると、食物連鎖が崩れるなどの要因で、恐竜は死に絶えたとされている。

しかし、この条件を満たすほどの大量のすすが生じるような成分の地層があるのは、地球上の約13%程度であるようだ。もし、衝突地点が数百~約1000キロ・メートルずれていたら、<恐竜を絶滅させてしまう環境変化は起きなかった>との推論になるらしい。

悠久の時を経て恐竜と出会うこともなく、人類が現れることになる。

昔、<旅は憂いものつらいもの>だったといわれる。英語の“トラベル”と“トラブル”は語源が違えど、元の意味はどちらも苦労や困難が伴うものらしい。

日本で“旅行”という新語が広まったのは、交通機関が発達し宿泊施設が整備されてからだといわれる。「楽しみの為に旅行するやうになつたのは、全く新文化の御陰である」。民俗学者柳田国男さんは、昭和2年の講演でこう述べた。

 

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<汽車に乗れば必ず2人か3人の少年が「雑誌を手にして、物識り貌(がお)に之(これ)を朗誦(ろうしょう)するを見る」>。当時の教育雑誌に残る記述である。人々が音読をする声で、明治期の列車の中はとてもにぎやかだったようだ。

待合室でも、大人や子どもが音読する光景は、特異なことではなかったらしい。もともと、読書とは字の読める人が周囲に読んで聞かせることであったので、そんな習慣の名残りだった。しかし、音読はやがて黙読に主役の座を譲ることになるのであるが。

音読はある種の“解凍作業”のようなものともいわれる。音読に慣れた世代の作家が書いた文章なら、とくに音読にふさわしい味わいが醸し出される。それはあたかも、料理を温め直して、おいしくいただくような感覚なのだ。

もし、今の電車内で音読をする者がいたら、周りからひんしゅくを買うことだろう。逆に、明治の少年がタイムスリップして、<なにも語らず取り憑かれたようにスマホとにらめっこしている>大部分の乗客を見たら、きっと不気味に思うはず・・・だ。

 

 

今週のお題「紅葉」

 

レア物も革新の波に洗われる

 

昨秋、インターネットのオークションで、有名人のサインを偽造販売していた男女の4人組が、詐欺の疑いで逮捕された。

人気女優の写真やカリスマグループの色紙に偽のサインを作成。インターネットオークションで3人の顧客へ販売し、計1万2300円を騙し取った。

容疑者らは、前年の1年間にも1万4000点を、約6000人に販売し3000万円以上を荒稼ぎ。その4、5年前に遡れば、同様手口での被害総額が1億円に上る。

そこまで有名人のサインにニーズがあるというのも驚きだが、偽物か本物なのか判別できないネットオークションで購入すること自体が不可解である。

TV番組の某キャスターも<サインをもらった人がネットで売るなんてあっちゃいけないこと。そういう人がいるから偽物が出てくる>とのコメントを出していた。

 

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ポーカーのプレーヤーが、無意識に示す癖を“テル”というらしい。通常、手が強い場合は迷わないが、手が弱いと はったり(ブラフ)をかけるかどうか迷う。相手が手札をながめていたり、(こちらの)顔色をうかがうようであれば、手は弱いというしるしになる。

それを逆手に、強い手を隠す勝負師の駆け引きもあるため、油断は禁物らしいが。だから、ブラフをかける時には迷わずに、手の強い時には考えるふりをすることである。

クリスマスが近づくこの時期など、お店のショーウインドーは華やかに飾りつけられる。それを“ウインドードレッシング”というらしい。この言葉は、企業などの業績で(実態より良く見せる)粉飾を表すのにもよく用いられるという。

クレジットカードのグレードはゴールドよりプラチナが上級であり、入手困難なチケットの表現の場合はプラチナチケットと呼ばれる。ところが貴金属のプラチナの価格が低迷しているというのだ。金の24分の1しか採れず、生産コストも高いのになぜなのか。

 

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2015年1月以降、金との差は逆転したままねじれ状態らしい。プラチナの価格は、似た金属のパラジウムにも抜かれ気味ともいわれる。ディーゼル車の排ガスから有害物質を除くというニーズの後退が背景にあるとの推測もある。

人々が渇望するレア物は歴史をつくり、世界観をも変える。それでも、いつかは輝きが減ずる宿命のようだ。

市場の流通商品がメーカーごとの個性を失い、消費者にとってはどのメーカーの品を購入しても大差のない状態のことをコモディティー化という。一時、光を放った何かも、経済の構造変化やものづくりの革新の波に洗われることだ。

希少な香辛料を原産地から得るために、次々と欧州の船団がインドやアジアを目指し海へ出た。15~16世紀のことである。やがて、航路が開拓され、栽培技術も向上したことで、18世紀には値が下がった。

現在、神器の如くはやされる人工知能(AI)やEVも例外ではなかろう。それも、当たり前のように組み込まれると、輝きは早く失せるような気がする。

 

拝啓 僕はとても残念でした♪

 

加川良さんと最初の出会いはこの歌詞であった。<拝啓 僕はとても残念でした あの日 君がホワイトジーンでなかった事が・・・>。男子が女子へ書いた微笑ましい手紙が、おもしろいほどに歌となっていた。

吉田拓郎さんのオリジナル・アルバム『元気です』(1972年7月)は、拓郎さんのアルバムとして最高のセールスを記録。そのA面の3曲目にあるのが『加川良の手紙』である。

『元気です』は、オリコン・アルバムチャートで14週連続(通算15週)1位を獲得した。アルバムの売れない時代に、1ヶ月間で40万枚を売り上げるというシングル並みのセールスを記録。アルバム・セールス時代の先鞭をつけた名盤である。

 

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加川良さんと2度目の出会いは『岡林信康コンサート』という2枚組のアルバムである。1970年12月のライブ盤で、岡林さんの名人芸ともいえるトークに、ゲスト陣も豪華であった。

弾き語りの前半には、ゲストの高田渡さんが『生活の柄』を歌い、続けて加川良さんが『教訓1』を歌った。

コンサート後半では、“はっぴいえんど”をバックに岡林さんがメッセージを織り込んだロックで盛り上げた。はっぴいえんどのメンバーといえば、大瀧詠一さん、松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんである。

このふたつのアルバムは今でも自分にとって貴重品である。とはいえ、当時のレコード盤は手元にないが、音楽配信で聴くことができる。そして、どちらのアルバムにも加川良さんが絡んでいるからうれしい。

さて、3度目では実物の加川良さんとの出会いがあった。東由多加さんによる(1968年設立の)日本のロックミュージカル劇団・東京キッドブラザーズの舞台『十月は黄昏の国』(1975年6月)で、加川良さんが主役を演じたからだ。

 

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主演、加川良さん。音楽は小椋佳さん。脚本は東さんである。そして、その後に看板俳優となる柴田恭平さんと坪田直子さんのデビュー作品でもあった。

加川さんは、青春をテーマにした5枚の組写真を依頼されるカメラマン役である。彼は、フォーク歌手や現代の若者たちをスタジオに集め写真を撮ろうとする。そのスタジオには恋人も呼んでいる。

カメラマン自身の(たそがれていく)青春の一コマも、彼女を通して撮りたかったのだ。夏の激しい若さから遠ざかっていく自分は、“秋のとまどい”を強く感じている。過ぎ去りし時間の追憶にのめり込むカメラマンに、その恋人は絶望する。

昇る太陽よりも夕陽が美しく見える。その光と影の中で立ちすくむその姿。クライマックスシーンでは、演じる加川さんと主人公のカメラマンが一体化する。

このお芝居を最前列で観た。すぐ目の前に、目力のある加川さんがいる。

いつか、生の歌声を聴くチャンスがあるだろうと、時を過ごしたままであったが、惜しくも昨春に加川良さんは69歳で永眠された。拝啓 僕はとても・・・。

 

あの業界までも定額サービス


一見古びているようで、新しい。それが古典の力というものか。2007年、夏目漱石さんの自筆原稿を写真版で完全収録した“直筆で読む『坊っちやん』”が刊行された。その自筆原稿では、ペンの動きが生み出す文章のリズムがある。

その7年前に、作家や評論家らで、原稿は手書きかワープロかをめぐり、文芸雑誌で論争した。書家・石川九楊さんが、ワープロで文章を作ると思考が雑になり、表現力が低下すると主張したのがきっかけだ。

人間の脳はパソコンで文章を作る時より、ペンで書く時の方が活発に働く。こちらは、脳科学者・川島隆太さんの弁。

多くの作家たちは、ワープロの方が“疲れず、スピードも速い”と反論した。文字を書くことに頭を働かせる必要がないから、それだけ余裕を持って作品に集中できる、という考えであるらしい。

いずれにしても今は、青空文庫や定額サービスで多くの本が読める時代になっている。

 

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人口減少や車離れなどとよく言われるが、日本の自動車保有台数は伸び続けている。旅先など地方へ出てみればそれがよくわかる。大型店舗が郊外にできて中心部が空洞化しているため、車がないと仕事も買い物も難しくなっている。

一方、都心部では駐車料金やその他の維持費が大きいため、車を持つことへの負担が増えている。

数日前、トヨタ自動車が、毎月一定の料金を払うことで、複数の車を乗り換えながら利用できるサービスを、来年から導入すると発表した。それはサブスクリプション(定額制)と呼ばれるサービスで、欧米の自動車メーカーの間で導入され始めている。

国内の自動車メーカーとしてはトヨタが初めてということになる。“カローラ”、“プリウス”などトヨタの販売店が扱う様々な車を、一定の条件のもとで借りることができるのだ。

高級車“レクサス”も対象になる可能性がある。料金には、保険料や整備費なども含まれる見込み。

 

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トヨタ自動車では、定額制サービスとは別に、来年春から複数の人で自動車を共有するカーシェアリング事業にも本格参入する。

国内のカーシェアの会員は132万人超と、5年前の約5倍に伸びていて、さらなる成長が期待できる分野だ。

新車市場が頭打ちの中、所有にこだわらない層の取り込みを図り、新車販売のみに頼らない収益源の構築を目指す方針なのだ。また開発コストの削減でも、車種を現在の約40車種から30車種程度に絞り込む方針だという。

音楽や映像はスマートフォンの普及で、CDやDVDを買って所有しなくても、気軽に楽しめるようになった。そのことが、各方面へ波及しているように思える。

こうしたサービスの広がりは、“アップル”、“アマゾン”などの大手事業者の相次ぐ参入が後押しをしている。日本人歌手の音楽が多く配信されるようになり、その人気に拍車がかかった。

定額制の音楽配信は、2013年の約30億円から4年後には200億円超に急増するという。

 

無名での原石を見抜く心の眼

 

芥川龍之介さんに『MENSURA ZOILI』という短編小説がある。小説や絵画などの価値を即座に判定する測定器があれば、どうなるのか・・・と。機械で芸術品の値打ちが測れるという国を空想している。

3年前、いくつかの図書館でおもしろい展示を試した。<あなたが最初の読者です!貸出回数0回の本>と銘打ち、過去5年間で1度も借りられたことのない図書を集めた展示である。

図書館で1度も貸し出し実績のない本は、意外に高く判定されるかもしれない。そんな貴重な本を“最初に読むのはだれ?”と。専門書等の利用の少ない本を書架に眠る隠れた宝として市民や利用者に知ってもらい、新たな本と出会う機会作りの一環である。

保存と公開が図書館の役割であり、必ずしもベストセラーだけでなく保存価値のある本も含まれている。歴史的価値がある教科書集や、専門誌など貴重な図書も多いのだ。

 

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缶詰のラベルに「牛肉風うま煮」とある。中身は馬肉である。実在の品か、笑い話か、実否のほどは不明らしいが。国語学者見坊豪紀(けんぼうひでとし)さんは『<’60年代>ことばのくずかご』に記した。

2013年、あちこちの有名ホテルで、レストランのメニューから“偽装”も同然の“誤表示”が明るみに出て社会問題に発展した。

小ぶりのエビは、すべて「芝海老」と表記していいと思っていた、などと記者会見での言い訳はひどいものであった。もしかして、霜降りの牛肉はすべて「松阪牛」と表示していい、と思っていたのかも知れない。

もっとも、ふだんから高級食品と縁のない庶民は、被害を被ることが少なかったためか、だれでもが怒っているような流れは感じられず、自然に忘れられてしまうような不思議な事件でもあった。

  

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まだ20歳。俳優座養成所に通う無名のころの仲代達矢さんは、黒澤明監督『七人の侍』に通行人役で5秒間ほど出演している。テスト開始の朝9時から午後3時の本番まで歩き続けた。

歩いては叱られ、叱られては歩いた。昼食抜きの歩行練習もひとり命じられた。完成したその作品に仲代さんの名前はない。

7年後、映画『用心棒』で今度は準主役に抜擢された。「監督、ぼくを覚えていますか」と仲代さん。黒澤監督は答えた。「憶えているから使うんじゃないか」。

のちに、黒澤作品の大作への主演や、数多くの映画と演劇で活躍をする名優である。80歳代の今も、第一線で活躍されている。

叱られながら歩いた若き日の仲代さんは、心底腹を立てたことであろう。逆に、原石の輝きを見つけた黒澤監督の心の眼が、ニヤリと微笑んだような気がしてならない。

 

システムはアナログにかぎる

 

URLのwwwは「ワールド・ワイド・ウェブ」であり、ネットのウェブサイトの「ウェブ」とはクモの巣。つまり地球を覆う情報ネットワークは、世界的なクモの巣の如しである。

“ナッジ(Nudge)”とは、(人々に強制することなく)賢い選択へと、ちょっとした工夫で導くことをいう。本来は「ヒジで軽くつつく」という意味らしいが。

オランダ・アムステルダムの空港では、約40年前に始まった試みがある。男子トイレの小便器の排水口近くに小さなハエの絵が描かれ、利用者はそれを目標にすると注意力が高まり、粗相も少なくなるそうな。飛沫の汚れが80%も減ったという。

目的は行動に変化をもたらすことであり、システム的な思考により問題解決に当たる複雑な問題の解決を探る方法論がシステムズ・アプローチなのだ。

 

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ロケット博士・糸川英夫さんの著書『逆転の発想』にあった。玄関に靴を脱ぎ散らかす子どもと、その習慣を何とかしようという母親の話である。母親が、ちゃんと靴をそろえて家に上がるように、と何度言ってもまったく効果なし。

「今度から家に上がる時は、この靴跡の上に靴をのせてごらん」。ある日母親は玄関に、チョークで子どもの靴と同じ靴跡を書いた。子どもはおもしろがって、靴の跡の上に脱ぐようになり、チョークの跡が消えた後も、靴をキチンと脱ぐ習慣は残った。

世の中における問題や課題というのは、言葉や理屈だけでは通じない。システムとしてわかりやすく解決することが大切らしい。。

今から百年以上前の話である。米国の大富豪であるジョン・P・モルガンさんに古い友人が金を借りに来た。モルガンさんは断った。そして、「かわりに、君と一緒に道を渡ってやろう」。二人でウォール街の道路を横切った。

 

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たちまち、モルガンさんの友人のもとには、金の貸し手が殺到したという。力のある者と親しい。そう思われただけで、世間は友人の側にもなにかの力が備わると感じる。権力とはそういうもので、モルガンさんのあり余る金を貸すことより、友人へ与えるインパクトは大きかったはずだ。

権力ならぬ威厳にしても、テクノロジーによる変化で滑稽にみえることがある。

大正の初め夏目漱石さんは、同僚だった杉村楚人冠(そじんかん)さんに、電話のかけ方を書簡で尋ねた。自宅にひいた電話から勤め先の東京朝日新聞へかけようとして失敗したからである。

今の高齢者が子どもの頃、公衆電話をかけられずに四苦八苦している祖父母もいた。簡単な道具なのになぜ? と、そのときは思っても、もうダイヤル式の電話や公衆電話をすんなりかけられる自信もない。かといって若者が自由に扱うマホに対しても、悪戦苦闘する側に回っている年輩の人は多いはず。

いつの世も最新の利器は人々をとまどわせる。だれしも15歳の時までに接したテクノロジーにしか適応できないという説もあるくらいだ。

 

ボケたふりで切り抜ける手口

 

テレビ『きょうの料理』は、NHKで1957年より60年以上にわたって放送されている料理番組。また、テレビ朝日系列の『徹子の部屋』は、1976年から現在で放送43年目を数える長寿番組である。

テレビ界を代表する二つの長寿番組には共通点があるという。

収録番組でありながら、編集をしない“一発撮り”という点である。テレビ放送が始まった頃は、録画機材も乏しく(ドラマを含めた)ほとんどの番組が生放送だった。

“一発撮り”にこだわる利点はそこにある。生放送さながらの緊張感を大事にしつつ、(長く続いても)マンネリにならない番組作りを心がけているのだ。

 

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永六輔さんもテレビの創世記から番組の企画・演出に携わってきた達人である。ヒット曲の作詞も数多いが、講演で全国を巡り歩くこともよくあった。

役所の硬直した対応に出くわして、とまどうことも時々あったらしい。講演の演出のため会場の文化会館で見かけたピアノを使いたく掛け合ったが、「1週間前に申請しなければだめ」と言われた。

永さんは思わずつぶやいた。「文化を守らず文化会館を守っている奇妙さに気づくべきでしょう」と。

<不都合は ボケたふりして 切りぬける> (中川クミ子さん)。以前、 よみうり熟年川柳にあった。文化会館の担当の方と比較して恐縮であるが、こういう高齢者の方は本当に頭が柔らかいと思う。

 

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日本経済の活力を高めるうえで欠かせない雇用の7割を支えるのが、中小企業の成長だという。しかし。後継者不足が深刻で、廃業に追い込まれる例も少なくない。

2025年には6割以上の中小企業で、経営者が70歳を超え(現時点で)後継者が決まっていない企業は127万社もあるとのことだ。

休業・廃業や解散をする企業の5割は経常損益が黒字ともいわれる。経産省によれば、廃業の増加により(25年までの累計で)約650万人の雇用と約22兆円の国内総生産(GDP)が失われる可能性もあるという。

頭の硬いお役人には無理かもしれないが、(ボケたふりして)なんとか切り抜ける手立てはないものだろうか。2025年といえば、そんなに遠い未来でもないはずだ。

 

想像のつく物語を求める心理

 

新垣結衣さん(ガッキー)と瑛太さんがW主演を務めた映画『ミックス。』(2017年)は興行収入が14.9億円になるヒット作だ。

恋に破れ退職して実家へ帰ったガッキーが元ボクサーの瑛太さんと出会い、反発しながら卓球でペア(ミックス)を組み、地元の卓球メンバーとともに練習に励み、大会での勝利を狙う。

内容は、この予告編を観た多くの観客が想像するとおりの展開で、本編も進行していく。鑑賞後の感情はきっとこのように・・・という観客の期待は、はずれることがない。

“想像のつく映画”を、観客は求めるらしい。観る前から“展開”と“結末”が想像できる映画を観客の多くは好む。そして、観た後に自分が陥りたい感情に浸るために安くもない鑑賞料金を前払いする。観客は料金の投資に見合った見返りを求めるのだ。

 

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なにかの用事で、観光地でもない街に初めて訪れるとき、個人経営の食堂よりも、ファストフード店やファミレスといったチェーン店に足を運びがちになる。いつも食べている店ならば、どの程度の味と満足度が食後に訪れるかを、食べる前から正確に予想できる。それに、料金の予測がつくため落ち着ける。

観る前から展開や結末の想像がつく映画も、食べる前から味の予想が立つ料理を出す店に似ている。予想通りでつまらないということではなく、約束どおりにいつもの味が楽しめる安心感のようなものがある。

日本人は年間で1.4本しか映画を観ないという。それだけに、作品選びも慎重になるのだろう。テレビ番組は、必ずしも主体的に見られているわけではない。仕事や学校から帰るとチャンネルを“とりあえず”合わせる。

居間の景気づけや時報がわりにしていることがよくある。テレビ番組とは日常の延長線上であり、疲れるほど真剣に観ることはめったにない。

 

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日本人のテレビとの接し方も様変わりしていて、自分でチャンネルを選ぶ“能動的視聴”よりも、流れにまかせる“受動的視聴”を好む人が増えているようだ。

私は、映画館で映画を観なくても、動画配信サービスになってから(通常のテレビ番組よりも)能動的視聴で、映画の視聴本数も増えている。

それらのサービスには3つのプロトタイプがある。

Amazonプライムやネットフリックスのように、利用者が自分の見たいコンテンツを、ラインアップの中から随意に取り出して観る“オン・デマンド”。Youtubeのように、利用者が自分たちの作った映像をアップし、それを他の利用者が見る“共有”。映像作成者がリアルタイム的に流している映像を利用者が見る“ストリーミング”。

AbemaTVなどはストリーミングの系列に属して、従来のテレビの手法で独自のテレビ放送を、配信の世界に持ち込んだ“疑似テレビ”ともいえる。そこで強調されるのは、“同時性”なのだ。“オン・デマンド”と“ストリーミング”に比べると、“受動的視聴”が売りのようである。

 

世間では やばいことが面白い

 

“やばい”の語源は“やば”で、形容詞化して“やばい”になったらしい。意味は、不都合なことや危険なさまをあらわす言葉。

江戸時代から使われて、『東海道中膝栗毛』にも用例があるそうだ。本来は危険で、 悪いことが起こりそうなイメージだが、今は肯定的に使われることが多い。

「これってヤバいですよ!」。うまい料理をほおばった若者がこの言葉を発しても、違和感はない。自分でも、同様の意味で“やばい”を無意識に使っているし、どこかで“やばい話”を小耳に挟めば、思わず興味を持ってしまう。

ファストフード店で、コンピューター画面にて注文。支払いにはクレジットカードや現金も必要がない。備え付けのカメラにほほえむだけなのだ。顔が分析され、身元が確認されればそのまま支払い完了。昨秋、中国でこの実験が始まっているという。

この“顔認証技術”は、私たちが友人を見分けるのと同じことを機械にさせるのだ。

 

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時代劇で下手人を捜す決め手になるのが“人相書き”。方々にばらまき、逃げ道をふさぐ。今は、一般市民の“デジタル人相書き”がネットを介し拡散して、顔認証システムも街中に蔓延(はびこ)ることになるのだろうか。

<この強い性格の王女は男が演じていい>。絢爛豪華な舞台演劇『王女メディア』の演出で、世界に名をなした蜷川幸雄さん。男優が王女に扮する、という演劇界を驚かせたやばいアイデアは、主演・平幹二朗さんの持ち込みだった。

もし顔認証システムが、平さんの王女を顔分析したら、どういう反応があったのだろうか。興味深い。

<私をあなたの芝居に出してくれませんか>。『はぐれ刑事』(1975年)というドラマで主演の刑事役を演じた平さん。撮影の休憩時間に、犯人役の男性へ話しかけた。その人は、考えておくとだけ答えた。蜷川幸雄さんであった。

平幹二朗さんは、古典劇の台本を数々読み込み、確信を抱いたすえの会話だったようだ。

 

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誰もが考えるあたりまえのこと。それを切り離して考えられる人はやばい。不況の底にあった昭和の初め、経営する百貨店の食堂では客がご飯だけを注文した。そして、卓上のソースをかけて食べる光景が広がった。

<ライスだけの客お断り>。食堂の責任者は、無料のソースばかりを減らす客に閉口して、食堂の扉に張り紙をした。阪急グループの祖・小林一三さんは、それを読んで書き直させた。<ライスだけの客歓迎>と。

損は儲けの初めなり。ご飯だけの客が阪急びいきの上客になっていく・・・のだと。目先のそろばんをはじく“頭”はあっても、客の身を思いやる“胸”のない経営者には真似のできない話である。

目先のそろばんをはじくのは、今の政治家にもいえそうだ。国民の身を思いやる“胸”のないセンセイたちには、やばい気持ちがいっぱい。ちなみにこちらの“やばい”は、<危険で、 悪いことが起こりそうなイメージ>の意味なのであるが・・・。