日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

着想・意識・疑問の深層心理

 

この時期の快適な履物といえば、ビーチサンダルである。通称“ビーサン”は、海辺だけではなく、街なかで自由に履きこなす人も多い。

このアイテムを世界に広めたのは日本のメーカーだという。内外ゴム(本社・兵庫県)が1955年に売り出した。1913年創業で、人力車用タイヤで成長した会社である。

ビーチサンダルを手がけるきっかけは、アメリカ出身の靴デザイナーであるレイ・パスティンさんとの出会いだった。戦後に来日したパスティンさんは日本の草履に興味を持った。暑くても蒸れず、脱着もかんたんなデザインだ。

パスティンさんは、大量生産できる履物としてゴム製のビーチサンダルを思いつき、内外ゴムへ技術協力を求めた。内外ゴムも、クッション性に富み、軽くて水や空気を通さない“独立気泡スポンジ”を開発したところであった。

提案を好機ととらえてアメリカへ輸出すると、たちまちヒット商品になった。販売開始から間もなく、ハワイで月10万足が売れた。

 

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ビーチサンダルはロングセール商品へと成長したが、一時的な流行で姿を消す商品も少なくはない。スマートフォンのゲームアプリ「ポケモンGO」は2016年7月に配信されて世界中で大流行。徒歩や車の運転中にスマホを扱う人を助長させたことでも、社会問題になった。

今は、あの勢いも失せたが、40代以上の世代にはまだまだ人気が高いという。中高年がこのゲームを続けるには理由があるそうな。

人は何かを得る喜びより、失う悲しみの方が2倍以上大きい。続けることで手持ちのポケモンが増え、ゲームのレベルも上がる。やめてそれまで蓄積したものを失ってしまうのは損だと思い、ゲームを続けてしまう。

どうやら、このような心理が働くらしい。この心理は年長者の方が大きい。

<人生経験が長くなるほど、リスクへ臆病になりやすい。中高年は若い世代よりも損を避けたがる傾向があるようだ>とのことだ。

 

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室内楽曲を書く意識は、たとえばオーケストラ曲を書くそれと、いちじるしくちがう>。作曲家・池辺晋一郎さんは、作曲について興味深いことを書いていた。

オーケストラのスコア(総譜)では、30~40段の五線紙に音符を置いていくことになる。それは、<脳裏に大きなキャンバスがあり、さまざまな色を混ぜ合わせていくのに似て、そこで鳴るオーケストラの音を想い、心に鳴らす作業>なのだと。

逆に、室内楽は演奏する人数が少ないため<段数の少ない五線紙に、いわば親しい友人たちの声を聞き取るように、音符のそれぞれを書きとめていく感覚>なのらしい。

書きとめるといえば、授業でノートを取ることは、学問の基本と思われていた。話のポイントをつかんでまとめる習慣は、社会に出て必ず役に立つはず。

今はノートを取る学生が減っている傾向とか。パソコン画面をスクリーンに映して解説する授業が普及のため、学生はスマートフォンで撮影したり、配布資料にメモする程度で済ませノートを持ち歩かない学生が半数を超えるとか。

私にはどうもこの風景が想像できない。やはり、古い人間なのだろうか。

 

つながることで得られるもの

 

モノとモノをつなぐと言われても、理解しにくいのがIoT(Internet of Things)である。パソコン、スマートフォンタブレット端末がインターネットにつながるのはよくわかる。それがIoTでは、ネットにつなぐものが家電、自動車、センサーなど様々なものに広がる。

公園のゴミ箱でさえ、センサーをつけてネットにつなぐという。ゴミの量がネットで確認できて、収集車の台数や走らせる頻度が判断できる。それで、人件費やガソリン代の節約にもなる。アメリカでは回収コストが3分の1になったとのこと。

日本で赤字のバス会社が、衛星を使った位置情報と乗降客数を数えるセンサーをネットにつないで黒字化した例もあるらしい。継続的に取得したデータから、バス停の配置や時刻表を見直したのだ。

 

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IoTの本質は、センサーやネットを使いアナログのものをデジタル化すること。何をつなげるかは創意工夫次第だといわれる。

自動運転の開発では、走行速度や前の車との距離などの各種データを集める。IoTの役割はデータを採ることで、裏方の仕事のようだ。それは、10年、20年かけてじわじわと産業や暮らしに入り込んでいく。

パソコンとインターネットが一般化されて約20数年。政府は成長戦略「第4次産業革命」を進める。ビッグデータ、AI(人工知能)と並び、IoTは“魔法のつえ”の如く称されている。

 

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流通業界では、2010年度に約3万人だったドライバー不足が、20年度には約11万人にまで膨らむ見通しとのこと。ドライバーの高齢化が進むなか、十分に若手を確保できていないのが要因の一つである。

昨年、宅配最大手のヤマト運輸はライバル企業に、トラック輸送の連結協力を呼びかけた。深刻なドライバー不足を解消するため、高速道路での共同輸送に取り組む方針だという。

企業の枠を超えた連携によって、(インターネット通販の拡大で)取扱量が急増している
物流インフラの維持を図るのだ。

共同輸送では、先頭の大型トラックに他社のトレーラーを連結して、高速道路を走る方式を検討。そのことで、先頭車両のドライバー1人でトラック2台分の荷物を運べるようになるという。高速道路の外では各社が自社のトラックで待ち受け運ぶ。

ドライバー不足対策を後押しする国土交通省も全長25メートルの連結トラックの解禁を検討(昨年の時点)とのことであった。

古くから「押してもだめなら引いてみな」との言葉がある。IoTや流通トラックでの“人手不足とコスト削減”に関しては、<限界見えたらつないでみな>の発想なのである。

 

AIは考える体をもたらすか

 

平均0.4秒。投手の投げた球が捕手のミットに収まるまでの時間らしい。その0.4秒間に、「このまま普通に打ってもヒットにはならないぞ」と悟れば、わざとバットのヘッドを遅らせて詰まらせる。そして、ボテボテの内野安打を狙う。

<頭ではなく体が判断>と言い切るのはイチロー選手だ。“考える体”をもつ天才バッターは、数々の記録のみならず、大リーグのオールスターゲームで、球宴史上初のランニング本塁打含む3安打を放ち、MVP(最優秀選手)に選ばれたこともある。

打席では、“バットを正面に立て、袖を軽くつまむ”一連の動作を欠かさない。不調なとき、(不調だというデータを)相手投手に隠せるからだ。

車では、利用者の持つ走行記録、位置情報などの隠れた「ビッグデータ」を探り出すため、総務省や自動車会社がインターネットへつなげたがっている。

 

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トヨタ自動車は、2020年までに日米で販売するほぼ全ての乗用車をネットに接続できるようにする方針で、日産自動車やホンダも開発を進めているようだ。

自動車会社ごとに保有するビッグデータを、旅行会社や飲食店紹介サイト、保険会社などの異業種が使えるようになれば、様々な新サービスが生まれると期待している。

外食や観光分野では、普段よく立ち寄る場所からお薦めの飲食店や観光スポットを紹介したり、車の状態を自動的に把握して、故障しそうな部分の修理を提案する。保険分野では、急発進・急ブレーキが多いなどと運転の特徴を把握して、危険度に応じてきめ細かく保険料を設定することもできる。

総務省も一定のルールを整備して、様々な業種が共有できることに乗り気のようだ。

 

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1973年、アース製薬が「ごきぶりホイホイ」を世に送り出した。トリモチのような効果に加えて、そのネーミングが消費者をひきつけた。

知らぬ間に自分が防犯カメラに映っていて、いつ、どこに行ったか、行動データがさまざまな記録に残る。そんな社会が、今や当たり前だ。なんとなく、国が「ごきぶりホイホイ」に思えてしまう。

現在、中国がAI社会となり、監視目的で使われることが多いらしい。人工知能(AI)を使った顔認証が広まり、多くの人たちの動きを瞬時にとらえ、当局に伝えることになっているとのこと。

犯罪やテロ防止などの名目で加速する一方、市民の側は意識が低い。人権やプライバシーをめぐる議論が置き去りになっているのである。

顔認証できる眼鏡状のAIカメラがあるらしい。中国一部の都市では、警察官がそれを身につけてパトロールを始めるのだ。イベント会場などで指名手配容疑者が摘発されることもあるという。

少数民族問題を抱える新疆ウイグル自治区では、特定の人物が自宅や職場、通勤路から300メートル以上離れると、カメラの顔認証を通じて当局に通報されるともいわれる。

あちらこちらの路地裏の居酒屋に引っかかる私など、きっと目をつけられる。そのとき、イチロー選手みたいに“考える体”があればいいのだろうが・・・。

 

昨日と違う自分を意識すると

 

本を読まなくなって久しい。原因はハッキリしている。パソコンとネットである。インターネット以前のパソコン通信で、活字中毒の自分が途絶えた。それでも、本は好きだ。今、最高に贅沢な時間は? と思えば、読書の時間かもしれない。

本は読む場所によって表情を変える。机の上で取っつきにくかった1冊が、喫茶店などの静かな空間ではやさしく語りかけてくれる。本を読むための旅などは最高。読みかけの本も見知らぬ土地で読めば新鮮なはず。数冊をカバンに入れ、目的のない日帰り旅行でもいい。

昔読んだ小説を読み返す旅もいいだろう。本はタイムマシンにも感じられる。この世にいない著者たちの思索や心に触れることがかんたんにできてしまう。そして、その中の時空間へも飛び込める。

「一番の近道は遠回り」だという。<近道しようとしていたらたどり着けないこと>って案外多い。鈍行列車の読書旅も楽しい。

 

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読み継がれる本には、“どこかで聞いた話?” みたいな要素があるかもしれない。曲作りでも、どこかで聴いたような楽曲が流行るとか。テレビで玉置浩二さんが言っていた。

かつて“知的生活”という言葉が大ヒットしたが、その根底には読書があった。

<「つまらない知識の間食」で満たされ、本当に必要な「知的な飢え」を感じない状況を憂えていた>。ノーベル物理学賞朝永振一郎さんの言葉である。

「心眼」に対して、「心耳(しんじ)」という言葉があるという。心のなかの耳をもって聴かねばならない宝物のことらしい。

「レジャー」は高度成長時代の流行語という。本来の英語は“ひま”という意味であるが、日本人が勝手に遊びの要素を潜り込ませたようだ。読書熱はあったが、ひまな時間を他に費やすことが多くなった時期でもある。

レジャー産業は消費者の「ひまな時間」を狙い、それぞれの“時空間商品”を売り込んだ。

 

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多くの本に接すると、ジャンルを超えて“おもしろいもの”を描く作者に憧れる。本の中に限らず、“創作者”に関して興味が出てくる。

<職人になりなさい。職人になれない奴が芸術家になれるわけがない。自分で自分をアーチストと思うな。人が決めること>。作曲家・小林亜星さんが師匠の服部正さんから言われた言葉だ。

<昨日と違う自分を意識すること>。スポーツジムでトレーニングインストラクターが言う。
鍛えたいと思う筋肉を意識していく。人間は意識するかしないで筋肉の発達が変わる。
その前の自分と違うとの意識こそが、(漫然と過ごすことから)変われる。

こういうものだととらわれてきた“常識感覚”も、「脳の支配から離れること」で、余計な意味付けを削いで軽くなれるだろう。それが“成熟”といえるのかもしれない。意識して、自分の中にある既成概念をはずすと軽くなれそうだ。

作品のテーマで、受け手の既成概念を覆すものは受け入れられにくいが、そこに説得力を持たすことができればすごいことである。

 

力が湧くのは悲しい歌らしい

 

新橋と横浜間に鉄道が開業したのは1872年(明治5年)だという。この時代、日本では二つの時刻制度が併存しており、鉄道は分単位で運行されたものの、人々はまだ、一時(いっとき)[2時間]とか半時(はんとき)という時間の数え方をしていた。

そこで一番短いのは四半時であった。つまり、日本人の時間認識における最小単位は15分で、今の時間感覚とは少しちがったようだ。

2巻140円から400円に。30分ごとに5円ずつ値を上げる悪質業者もいたという。1973年秋、石油危機に端を発したあのトイレットペーパー騒動である。

<悪夢の買いだめ狂走>の新聞見出しが踊り、モノ不足への不安がインフレを加速して、“狂乱物価”との言葉も生んだ。

 

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<はつなつのゆふべひたひ(額)を光らせて保険屋が遠き死を売りにくる>(歌人塚本邦雄さん作)。

モノが手に入らないと狂乱する大衆も、こちらの商品ならいかがだろう。保険の勧誘では、自分の生と死が「◯◯プラン」という商品になっている。

高額な買い物にしては心が躍らない。それでも、残される家族を思い“遠き死”ではなく“長き安心”を買うことになる。

<数学で苦戦しているときに悲しい歌を聴きたくなる。悲しい歌のほうが力が湧いてくるからだ>。数学者・藤原正彦さんの言葉らしい。関連はないが、なぜか保険という商品を連想してしまう。

<健康で前向きな歌をうたえば、元気になるという考え方は単純すぎる>。そうおっしゃるのは、作家の五木寛之さんである。

 

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黒澤明監督は映画『醉いどれ天使』で<音と映像の対位法(コントラプンクト)>を試みている。それは、悲しい場面で明るい歌を挿入するという表現方法である。

落ちぶれた主人公が結核に苦しみながら、闇市をさすらう陰鬱な場面に明るい曲の『カッコウワルツ』を流した。そのことで、主人公の惨めさをより強調させている。

それは黒澤さんの実体験でもある。気が滅入ってたまらないとき、街角からクリスマスの明るい音楽が流れて、よけいに落ち込んだという。

数々の名作を残した映画監督で脚本家のビリー・ワイルダーさん。代表作『アパートの鍵貸します』のラストシーンで、主人公がトランプを配りながら「愛している」と打ち明けるが、彼のことを想い始めたヒロインは「黙って配って」・・・と。

あえて答えをはぐらかすこの場面は秀逸である。まさに<セリフと映像の対位法>といえよう。この時交わした言葉を、二人はずっと心の糧にするだろう。余韻でそう思わせる心憎い終幕なのである。

 

「雑談なし」と「見よう見まね」


私の近所では回転寿司の受付を、ペッパーくんがやっている。今やロボットと接するのが珍しいことではない。

昨年6月には、店員の振る舞いを自動的に学び、見よう見まねで仕事をする接客ロボットが開発された。高さ1.1メートルの人型ロボットだ。店員の動きや客との位置関係を赤外線センサーで把握。店員は客になにを話しかけているかを、(店員がつけた)小型マイクで認識する。

そのことで、店員の動きや会話を学び、ロボットが再現する。今まではロボットに仕事をさせようとすると、(専門家による)複雑なプログラミングが必要であった。“見て学ぶ”機能を備えたロボットは、誰でもが簡単に教育できるのだ。

弁当店で店員と客役の男性とのやりとりを学習したロボットは、店の前で店員と同じ位置に立ち、デモンストレーションの接客を始めた。店の前を通りかかる人たちに「おいしいお弁当はいかがでしょうか」などと声をかけた。

 

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そのうち、客のクレーム処理もロボットがこなすようになりそうだ。

ポテトチップスの誕生は1853年、米ニューヨーク州のレストランだという。フライドポテトの切り方が“厚過ぎる”と、客からの苦情がきっかけだった。

クレームに怒った料理長が、腹いせで紙のように薄くスライスして揚げた。それが評判となり、料理本でも紹介され広まった。

以前、独協大学特任教授・深澤真紀さんの料理に関するコラムを読んだ。食事に手をかけなくてもいい、との内容だったか。

日本の女性の家事時間は外国に比べて長いらしい。男性が家事をしないことと、女性がきちんと食事を、手作りしなければいけないと思っているからなのだ。

一方で「ちゃんとできないから、もう菓子パンやカップ麺でいい」とあきらめてしまう人もいる。食事に関する二極化だと深澤さんは指摘する。

忙しい時はカット野菜で、総菜も栄養を考えて選ぶ。大事なのは食事のバランスなのだ。手作り派は少し手抜き、あきらめ派は少し工夫すれば、ちょうどいい。

 

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海外取材で家庭の食事は、アジアなら外食やテイクアウトが多く、ヨーロッパはハム、チーズとパンを買い、スープかサラダを作るだけ・・・などと。

栄養バランスをとればいい、との発想はこちらも同じだ。

<コロッケやギョーザは一つ一つじゃなくて、大きく作っても味は同じ>。長年提唱しているのは平野レミさんだ。<ご飯と具だくさんのみそ汁で十分だよ>とは土井善晴さんの言葉。それは「一汁一菜でよいという提案」でもある。

おいしいものや手の込んだものは、外食だったり、時間に余裕のある時の楽しみでいい。

さて、接客の話に戻そう。一生懸命、客に声をかけるロボットとは反対に、運転手が雑談をしない「サイレンスタクシー」があるらしい。

昨春、京都の都タクシー会社が導入した。行き先などを確認後は黙ってハンドルを握り、静かな空間を提供するのだ。

客と1対1の時空間を共有するタクシー運転手には、雑談の名手が多いはず。約300台の車の10台で試行スタートだったという。

「疲れていたのでありがたい」などと好評らしい。紙のように薄いポテトチップス同様、何が好まれるかは時代で変わってきている。今はスマートフォンでほかの誰かとつながって乗る客も多く、車内は運転手と客だけの閉じた空間ではない。

かつて、“雑談で相手と距離を縮めろ”と習ってきたが、今は“邪魔にならず、そばにいる”ことが必要な時代なのだろう。

 

自由時間は8万時間らしいが

 

体長10mのジンベエザメが神奈川県の小田原市沖3キロの海に現れた。本日のニュースで目撃情報が流れていた。

サメの体には浮袋がないため、泳ぎ続けないと海の底に沈む。深海ザメのオンデンザメは泳ぐのをなぜやめたのだろうか。一昨年、駿河湾で捕獲されたものは体長3メートル、推定年齢約100歳。オンデンザメは平均270年も生きると考えられている。

生物の進化とすれば、忙しく泳ぐのをやめて、とびきりの長寿を得たらしい。

<人生は“見たり”、“聞いたり”、“試したり”の三つの知恵でまとまっているが、その中でいちばん大切なのは“試したり”であると僕は思う>。ホンダ創業者・本田宗一郎さんの言葉である。もし、本田さんに270年の寿命が与えられたら、今も現役バリバリだったはず。

町工場から始まったホンダが世界的な企業に成長しても、生産現場へ足を運び、挑戦にちゅうちょすれば、「やってみもせんで、何がわかる」と、雷を落とした。

 

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創業してすぐの1946年、本田さんは旧陸軍が無線機の発電に使った小型エンジンを改造して、自転車に載せることを思いついた。交通機関が発達していなかった終戦間もなく、この自転車用補助エンジンが売れ、本格的なオートバイ開発の原動力になった。

失敗はつきもの。失敗したらその原因をよく確かめ反省してみることが大切。一番大切なことは勇気を出して試してみること・・・なのだ。

ホンダ、ソニーの躍進を肌で感じてきた多くの若者たちも、今は定年退職の世代である。定年後、生き生きとしている人は半数に満たないともいわれる。口では「定年後も忙しい」と言っていても、表情に充実感が失せている。

特に男性は、ひとりぼっちの姿が目につく。大企業や伝統ある会社で組織にどっぷり漬かっていた人ほど、現役時代との落差が大きい。社会とのつながりや居場所作りこそ、充実した毎日の決め手になる。しかし、定年後にかんたんには見つからない。

 

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なにごとにも助走期間は必要だ。定年後は60歳台からではなく、40歳代後半ないしは50歳から始まっている。「人生は後半戦が勝負」だといわれる。

定年後、自由な時間は8万時間もあるという。生き生きしている人たちは、小さい頃に好きだったことを(今の)活動へ結びつけていることが多い。宝物は案外、学生時代や入社後よりも、もっともっと前に隠れているのかもしれない。

現役の若者たちにも、働き方の変化がありそうである。政府が“働き方改革”の一環として推進に乗り出し、従業員の副業を推奨する企業も現れ始めた。

会社勤めをしながら別に仕事を持つ“副業”に関心が高まる。ある投資会社の社長も従業員の副業を歓迎して「多様な人材がいなければ会社は成長しない」と言う。

昨今の企業の平均寿命は20~30年といわれ、一つの企業で定年まで勤め上げることが難しくなっているのだ。収入が物価ほどには上がらず、収入を一つの会社だけに頼るのはリスクがある。収入源は多いにこしたことがないからだ。

 

ラストに強いあの作家の魅力

 

<人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である>。そして、<大人とは、裏切られた青年の姿である>。太宰治さんは『津軽』に書いた。

「子どもの頃から、疑問に思うことを親とか先生にぶつけると、“大人になったらわかる”とか“わけのわからん質問すな”。でも中学2年の時、小説を開いたら、ここに全力で答え出してる大人、おるやん」。芥川賞作品『火花』を執筆した又吉直樹さんの弁だ。

100回は読んだ太宰治さんの『人間失格』も芥川龍之介さんの作品も、又吉さんの疑問に答えてくれた。

「日常の底を切り取るような当時のお笑いは刺激的で、僕にとって絶対的な目標。小説書く人はこんなにも新鮮な感覚を大昔から持ってたんや、お笑いと文学は近い」。又吉さんの感想である。

作家・山田詠美さんは、「まるで親しい仲のような書き方で、突き抜けていて、“にやり”としてしまった。改めて驚くのは、太宰作品の読みやすさ。これが、私の生まれるずっと昔に書かれたなんて、やっぱり信じられない」と評した。

「どの作品も太宰エッセンスが染み込みながらも、まるで異なる語り口で、役者のように書き分けられている」とも。

 

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<国境の長いトンネルを抜けると雪国であった>。川端康成さんの『雪国』の冒頭だ。名作の冒頭は有名なものが多く、苦心のあとが感じられる。当初は<濡れた髪を指でさわった>であったが推敲のうえで、あの書き出しになった。さて、ラストはどうかといえば、憶えておられる方が少ないのではないか。

ラストの名人といえば太宰治さん。<メロスは激怒した>の書き出しが『走れメロス』である。友情を守ったメロス。暴虐な王をも改悛させ、英雄となった。しかし、夢中で走った自分が裸になっていたことに最後で気づく。

正義を貫き喜びのシーンのはずが、勇者は<ひどく赤面した>となるのだ。

人間失格』では、主人公の駄目さを書き連ねたあげく、<私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・神様みたいないい子でした>と、最後はこうなる。

津軽』の最後は、<さらば読者よ>のあとに<命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬>。なぜかワクワクしてしまう。

 

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2004年の第130回芥川賞で、19歳だった綿矢りささんが『蹴りたい背中』で最年少受賞をした。

綿矢さんいわく、「文学は、年齢や時代を超えてあると思います」。「中学時代に読み始めた太宰治は、明治生まれの作家なのに、人目を気にして自意識過剰な主人公の心理がまるで自分のことのようで、言葉遣いもかっこよかった」。

「今思えば、私は太宰ほど繊細ではなかったと思いますが、当時は読むほどに共感して、自分も重症の自意識過剰になり、自分を含めて人の心に興味を持ち、小説を書いてみようと思うようになりました」。若い綿矢さんにとって、太宰作品のとの出会いは大きかった。

今年、没後70年の太宰治さんは、生涯に800通近くの手紙を残した。借金の依頼状、芥川賞を願う泣訴、師の井伏鱒二さんに宛てた苦しい近況報告など。私も読んだ記憶がある。そのユニークな文章力に感動した。

相手をぐっとたてたかと思えば、自らの窮状をつづり、自分を信頼してほしいと訴える。まるでひとりの読者へ、あなただけに自分のことを語っているように思わせる、(太宰さんの)小説と同じ面白さなのである。

読む者への説得力が抜群の手紙について生前、太宰さんは手紙を作品のつもりで書くと言った。<1、2枚書くだけでよい金になる。こんな高い原稿料はほかにないよ>と。借金の達人の言葉みたいだ。

 

夢を運ぶ箱が映す時代の変貌

 

“光害”という言葉がある。夜もまぶしい人工光が動植物のリズムを乱す。星空を見えなくしていることの弊害もある。求愛メッセージを送り合う蛍は、明るい人工光のもとで、繁殖がうまくいかなくなる。

日照時間の変化を目安に花を咲かす植物も、成長のタイミングが乱される。卵からかえったウミガメの子どもは砂浜で、海から反射してくる月や星の光を頼りに、海へと向かうが、街灯に惑わされて陸の方へ逆に歩み出してしまう。

とはいえ、電気がなければ、電化製品も使えずなにもできない。私の周りの大部分の使用物は、電気がないと動かないからだ。

<人生とは時代を目撃すること>。秋元康さんの名言である。わざわざ現場へ赴かなくとも、テレビが連れていってくれる。時代の目撃もほとんど、テレビやラジオを通じて、視聴している。とくに、テレビは“夢を運ぶ箱”なのである。

 

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テレビの売れ行きが急増したのは、皇太子(現・天皇)のご成婚パレードがテレビ中継の1959年(昭和34年)4月だといわれる。

この年の6月には、巨人軍の長嶋茂雄選手が天覧試合で、阪神のルーキー村山実投手からサヨナラホームランを放つ。そのお膳立てで、新人の王貞治選手もアーチをかけた。“ONアベック本塁打”の歴史がスタートした試合でもある。

大相撲の納谷幸喜さんが、大鵬と“しこ名”を改めたのもこの年なのだ。テレビの普及とともに、経済成長の中で<巨人・大鵬・卵焼き>の時代が定着した。

夢を運ぶテレビは今も存在する。ただ、ONや大鵬に並ぶ国民的ヒーローはなかなか出ないのが実情か。

スターが輝いていた時代、どこかに夢があったわけではない。猛烈(今は死語?)にコツコツと励んでいた日本人が、“夢”という言葉を輝かせていた時代だったからなのか。

 

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<優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む>。天才ピカソさんの言葉だという。凡人は猿まねしかできないが、偉人は本質を見抜いて自分のものにする、という意味らしい。

アップル創業者スティーブ・ジョブズさんも、既存の“良いもの”を利用するのがうまかった。1990年代に発明の(アイコンをクリックする)“マウス”も、他社が不要と放り出したアイデアだ。iPod誕生のきっかけはソニーウォークマンであった。

今、<映画は映画館で公開されるもの>との常識が変わりつつある。オリジナルのドラマやバラエティー番組を多数製作してきた動画配信サービスが、映画製作に関わるケースが増えている。

たとえばネットフリックス(Netflix)は、有名俳優や監督を起用した映像作品を“映画”として配信。原則的に映画館で公開せず、加入者だけが視聴できるのだ。その傾向は他の配信サービスにも広がりつつある。

私にとっても、テレビは夢の箱のままだが、リアルタイムの放送の視聴は減って、ネット配信と録画再生利用が大部分を占めている。

 

伝承されない能力と継続の力


かつて投手王国といわれた阪神タイガース。若きエース江夏豊投手の背番号は「28」。

映画『博士の愛した数式』で、博士に扮する寺尾聰さんのセリフにあったと思う。
<江夏は完全数を背負った選手だった>と。

完全数”とは、己の数を除き、割り切れる数をすべて足し合わせると、自分自身に等しくなる数字のことである。

一番小さい完全数は(1+2+3=)6で、次が(1+2+4+7+14=)28。その次の完全数となるば496だ。

行こう花見(15873)は、7人で行くと(15873×7=)111111になるが、ひとり欠けても増えても1は並ばない。これはテレビで、たけしさんが言っていた。

数字には隠れた秘密がたくさんありそうだ。

そろばんと電気式計算機の対抗試合が、東京・日比谷で催された。といっても、1946年(昭和21年)の11月のことだ。

速くて正確なのはどちらなのか。米軍の機関紙「星条旗」が主催である。

 

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加減乗除に混合算の計5種目を競い、4種目をそろばんが制して軍配が上がった。そろばんの上級者になれば、珠(たま)をはじく指の感覚で計算の間違いに気づくという。

電卓全盛の世を迎えたときも、慣れるとこちらが速いと職場などでそろばんを愛用している方もいたが、さすがに今は見られないかもしれない。

カナダの氷上で猟をするイヌイットは、風た星、海流などの知識をもとにして、自在に移動してきた。21世紀に入ると(人工衛星を使った)GPSに頼り始めたらしい。

便利に思えたが、いつしか深刻な事故を引き起こすことになる。電池の凍結や機器の故障のため、荒野で迷う猟師が相次いだのだ。ときに命を落とす事態に陥った。

その要因は、周囲を見極めて判断する力が伝承されなくなったためとのこと。(ニコラス・G・カー著『オートメーション・バカ』より)。

 

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伝承といえば、ゴールデンバットの歴史は今年で112年。愛煙家に受難な今も、この商品は健在だ。ゴールデンバットというたばこ。かつては両切りタイプで、2016年6月からフィルター付きとなる。

日本国内で販売のたばこでは現役最古の銘柄で、1906年の発売時は10本入りが4銭。私が最初に知ったときは30円であった。それが、2018年4月1日より一箱330円。

昭和の初めは日本で最も名の通ったたばこだった。太宰治さんは『富嶽百景』に、筆が滞るとバットを七箱も八箱も吸うと記している。詩人の中原中也さんは、「七銭でバットを買つて、一銭でマッチを買つて・・・僕は次の峠を越える」と書いた。

ゴールデンバットが日本で世に出たのは1906(明治39)年。日露戦争の戦費に苦しんだ政府がたばこの専売を強めてすぐ、大陸向け商品として生まれた。そのときに、中国で縁起もののコウモリを金色で描いたそうな。

激動の112年を眺め、人々に愛用され続けたバット。たばこの価格が高騰化している現代、比較的な安価で人気を集めるかもしれない。

 

懐かしくふしぎなこころ貯蓄

 

先日、織田作之助さんと自由軒の名物カレーのことを書いたら、ひょんなことでそのカレーを食べた。大阪に住む、うちの奥さんの友達が、自由軒レトルトカレーをおみやげに下さったのだ。

レトルトといってもお湯で温めるものではなく、スープ状のカレーをマイ中華鍋でご飯と絡め調理した。

オダサクさんが活躍した時代を想像しながら味わった。オダサクさんが自由軒へ通った時代は、レトルトなどの便利な加工法は広まっていなかった。

いったいどんな時代だったか。戦後の織田さん、太宰治さんとともに「無頼派三羽ガラス」と呼ばれた坂口安吾さんは、随筆にてある作家仲間を評した。

坂口さんのその仲間は、ヒロポン注射が得意で、酒席でにわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ・・・。その行為は<流行の尖端だからひとつは見栄だろう>とのことだ。

 

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ヒロポン覚醒剤だが1951年(昭和26年)に法ができるまで規制はなく、薬局などで売られていたという。安吾さんは“猫も杓子も”と、世間の乱用ぶりを記した。今では考えられない「ふしぎな世界」である。

“不思議”と“ふしぎ”の使い分けで、ある出版社では『植物の不思議』などの科学本は漢字の方が読者の興味をそそり、『ふしぎの国のアリス』のようにファンタジーなら平仮名がいいとのこと。

私にとって、「無頼派三羽ガラス」が活躍されていた時代は、ファンタジーなのだ。戦後ですべてを失っても、織田さん、安吾さん、太宰さんの文章には、ふしぎなパワーがある。

それは、こころの中の貯蓄が開花したのかもしれない。ゆとりとは“こころの定期預金”のようなもの。たまれば心は寛容でおおらかになり、しかも減りにくい。

今も、イヤな事件が続く。減ると焦りから人は攻撃的になり、キレやすくなる。“キレる”は「堪忍袋の緒が切れる」のことと理解していたが、他人と接触を絶つとの(切ってしまう)意味なのだとか。

 

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「こころの貯蓄」ということでは、今から一年前に放映されたドラマが思い浮かぶ。NHKの連続ドラマ『ツバキ文具店』である。副題に“鎌倉代書屋物語”とあった記憶がある。

鎌倉の寺社や路地など情緒漂う風景の中、代書を依頼する人々の人生のエピソードが美しく描き出されていた。まさに心温まるドラマであった。

代書という作業に珍しさもあったが、主人公が選ぶ筆記用具、インク、紙、字体なども興味を持った。そして、なによりのテーマは「心を表現できる手紙の良さ」である。

毎回主人公に持ち込まれるさまざまな代書の依頼。お悔やみの手紙に離婚の報告。
かつての恋人へのラブレターに借金の断り・・・等。

育てられた祖母の死で、その仕事を継ぐことになった孫娘。ふたりの気持ちが通じ合えない葛藤の中、最後にわかり合えるきっかけも「手紙」であった。

主演の多部未華子さん、倍賞美津子さん、高橋克典さん、江波杏子さん、奥田瑛二さん。「こころの貯蓄」ともいえる演技に感謝である。

 

痛がるからこそ「価値」がある

 

12年前の調査結果なので、今も当てはまるか定かではない。「夫婦の時間」というアンケートををシチズン時計が行った。

<1週間で最も心地よい時間は?>。全国の夫婦200組への問いで、回答の最上位は夫が「土曜の午後9時」、妻が「月曜の午前10時」となった。

夫の側では、自分の姿が消える休み明けが心地よいのか、などとすねる人もいそうだ。しかし、「そんなものだろう。どこの家も一緒だ」と、安心する人は多いはず。

“あうんの呼吸”ならぬ、“あうんのしきたり”のある人間関係は楽しい。

次の演者がまだ現れないとき、高座を務めている落語家は、脱いだ羽織を舞台の隅に投げ、噺をつなぐ。楽屋の前座がその羽織を引けば、次の演者が来た合図なのだ。昔の寄席には、そういうしきたりがあったとか。

 

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最近の将棋ソフトの強さに感心しても感動はない。人を感動させるのはやはり、最善の手を探し求めて命を削る生身の人間棋士である。

人工知能(AI)技術で、人間が見たり想像したりしている物が何かを、脳の活動から推定する方法があるという。ある物体の画像を見た時の脳活動のパターンを、機能的磁気共鳴画像(fMRI)で計測して、そのパターンから(画像認識を行う)人工知能モデルのデータに変換する。

それらのデータをもとにAIが何の画像か類推することで、“学習済み”以外の物体も何を見ているのか分かるようになった。そのことで、頭に思い浮かべただけでも同様に推定できるのだという。

実際の脳と人工知能を対応づけることで、脳情報の解読だけでなく、新たな人工知能の開発にも役立つ可能性がもたらされるらしい。

人間の脳と人工知能が連携することで、その先になにが起きるのか、私の脳では解明できていないのであるが、ぜひとも確かめてみたい。

 

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昨夏、鳥取にある“次世代医療用ロボット研究”の企業が、鳥取大学と手を組みおもしろいロボットを開発したらしい。「オエッ」、「痛っ」と、内視鏡に反応する研修用ロボである。

そのロボットは女性の等身大で、鼻や口から内視鏡を入れると、患者そっくりに反応するという。皮膚や内臓はシリコンゴム製で、鼻や口から食道までの構造は実際の患者の画像を元に3Dプリンターで再現したとのこと。

鼻やのどの奥にはセンサーが取り付けられ、内視鏡が当たる強さに「痛っ」などの声を出し、目を閉じたり口を開けたりするのだ。

従来の研修用マネキンでは、患者の痛みが感覚的にわからなかったため、治療の習熟度を上げるのにとても役立つ。ちなみにお値段は税抜き参考価格で、1体980万円らしい。

余談だが、先日3台目のAIスピーカーを(割引とポイント利用などで)千円台にて購入できた。ロボットもお手軽に買える時代にならないかと、今から手ぐすねを引いて待っているのであるが・・・。

 

心温まる料理に街並み懐かし

 

北から南に向かって吹く風を“北風”と呼び、南から北へ流れる潮のことを“北流”というらしい。方向を示す言葉はややこしい。

松任谷由実さんの名曲のひとつに『冷たい雨』という曲がある。“冷たい雨”は、公式の気象用語なのだという。

熱帯で気温の高い地域では、雲粒が水滴のままストレートに落ちる。しかし、温帯では上空の気温が低いため、氷の状態で雲が浮かび、降下しながら解けて雨粒に変わる。

専門家によると、前者が「暖かい雨」といい、後の方を「冷たい雨」と呼び分けるそうだ。たしかに、少し前まで氷だった雨だから冷たいはずである。

 

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炊飯器で炊いたご飯の、ひときわおいしい部分は表面だとか。表面をすくい取って口にすれば、甘みがとても深い。うまい米は上へ上へと集まる。しゃもじで混ぜるのは、“おいしさを均等にする”ため。

人間の社会でも、おいしい部分は上に集中しているのだろうか。しゃもじで混ぜる役目といえば、“上から目線”の政治家たちか。自分たちがおいしいモノを抱え込んで離さない。昔の政治家に比べて、人情が枯渇しているように感じてならない。

だからなのか、良質な人情ストーリーのドラマや映画に出会うと、どっぷりとハマってしまう。たとえば、『深夜食堂』という作品。私にとってかけがえのない名作である。

“昭和”を思い起こさせる心温まる料理と懐かしい街並み。その店は繁華街の路地裏でひっそりと営業。

「できるもんなら何でも作るよ」

小林薫さん演じるマスターの決めゼリフである。深夜食堂は大都会・新宿の街から一歩外れて、迷い込んだような路地裏にある“ファンタジーな世界”なのである。2009年にドラマの最初のシリーズが放送された。

 

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深夜食堂』のオープニングテーマ曲は、鈴木常吉さんの『思ひで』というすばらしい楽曲と歌声である。夕暮れの都会の街並みに癒やしを与えてくれるような落ち着きがある。
ずっと知らずにいたが、この歌の原曲は『Pretty Maid Milking Her Cow』というアイルランド民謡であった。

静かで物悲しい歌が流れ、小林薫さんのナレーションが重なる。

<一日が終わり、人々が家路へと急ぐ頃、オレの一日が始まる。営業時間は夜12時から朝7時頃まで。人は深夜食堂って言ってるよ。客が来るかって? それがけっこう来るんだよ>。

気のいいマスターがいる店「めしや」は、実在しているような錯覚をしてしまう。その味と居心地の良さ。ワケありの客が訪れては、いくつもの人生模様が繰り広げられる。ドラマ展開になんの誇張もない。

深夜食堂ワールド”は映画でも大ヒット。その人気は国内のみならず、アジア各国でもフィーバーした。台湾は2015年上半期公開の邦画の中で1番の興収をあげ、韓国でも2000年以降の同規模公開作品の中で歴代1位を記録。

私は、映画もドラマもすべて観尽くしてしまったと思っていたが、配信のNetflix(ネットフリックス)制作分があるのを知り、今 夢中で観ている。この配信はさんざん観ていたが、まさに嬉しい“灯台もと暗し”であった。

 

カレーライス・大阪・オダサク


レトルトカレーが世に出回る前、子どもたちは母親の作るカレーが大好きだった。その家庭の味は、専門店もかなわない。<朝食の献立・・・ゆうべのカレーの残り>。向田邦子さんはテレビドラマの台本に書いた。

“おかわり!”の記憶は、のちのちまで食欲を刺激するという。1日寝かせた濃いめのカレーは、(食べ盛りの)昔への郷愁を誘う料理なのだろう。

カレーの話が出ると、オダサクが思い浮かぶ。オダサクとは織田作之助さんの愛称であり、1913年に大阪市に生まれた。『俗臭』、『世相』、『競馬』など、短編を得意にする作家である。

大阪にこだわりを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれている。『夫婦善哉』など市井の人々を活写した小説を数多く発表した。

 

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戦後の織田さんは、坂口安吾さん、太宰治さんとともに「無頼派三羽ガラス」と呼ばれ、人気作家となる。惜しくも1947年、結核により33歳の若さで死去した。

代表作『夫婦善哉』は、映画やドラマでもヒットした。その主人公でグルメの柳吉が、“うまい”と言ったカレーの店が洋食店自由軒」だ。創業1910年の自由軒本店は法善寺から歩いてすぐで、今も昔と同じ場所にある。

織田さん自身も、このカレーをよく食べた。<トラは死んで皮をのこす 織田作死んでカレーライスをのこす>と書かれた額と織田さんの写真が、店内に飾られている。この言葉は、2代目店主が、オダサクに感謝して捧げたものだ。

夫婦善哉』にも登場する自由軒の名物カレーは、ご飯とカレーソースを混ぜ合わせ、その上に生卵をのせる独特のスタイルである、“元祖・混ぜカレー”なのである。カレーのレシピは銀行の貸金庫に預けてあり、今も味は変わらない。

 

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大阪の友人が、幼い頃に自由軒のカレーを食べた、と話してくれた。訊いて興味が湧いた。どんなものかと知りたくて、名物カレーのあれこれを質問した。

オダサクさんが大好きな名物カレーだということは知っていた。自分も食べてみたくなり、自宅でそのカレー作りに挑戦。試行錯誤を重ねているうちに、ネットの自由軒のサイトで、レシピの概要があった。

自己流で、カレーのルーを溶かすのに水を使っていたが、出汁をとるということが判明。食べたことはないが、かなり近づいたような気がした。本家の味を、いつか自分の舌で確認したいと思い続けた。

夢が実現したのは2年前だった。平日でも混み合っている店内に観光客もいた。自由軒でビールを飲みながら待つ。ついに名物カレーが運ばれた。感激で一口目をいただくと、(驚いたことに)私のカレーとまったく同じ味がした。

昨夜、大好きな大阪のことを書きたくてメモ書きしていた。そして今朝、「大阪で大地震発生!」とのニュースが入った。被災された方々には、心からお見舞い申しあげるとともに、復興に尽力されている皆様には安全に留意され、ご活躍されることをお祈りいたします。

 

身近の意外なモノにハマる今

 

先月から週に数回、早朝に短時間の用事ができた。朝食はどうするか。すぐに浮かんだのは納豆とごはん。妻に頼まずとも、このパターンでいける。

家では酔っている時間が長く、ごはんを食べることが少ない。こういうことがなければ好きな納豆を食べられない。

10年以上前テレビの情報番組で、納豆が「頭に良い」とか「ダイエットに効果的」などと紹介され、スーパーから納豆が消えるという異常事態が発生した。

伝統食としておなじみの納豆は、粘って糸を引くのが特徴。糸の正体はアミノ酸の一種で、うま味成分としても知られる。納豆菌が糸に大きな役割を果たし、大豆のたんぱく質を分解してグルタミン酸を作る。

グルタミン酸が1万個程つながった鎖状のポリグルタミン酸(PGA)を数多く作り、体外に放出するという。そのPGAが糸の正体で、かき混ぜることで糸状になる。

 

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PGAは、納豆菌が『食料不足に備えて作り置きしておく非常食』の役割もあるらしい。栄養分がたっぷりある時に作っておき、(利用できる)栄養分の減少で、特殊な酵素が糸を分解し吸収するとのこと。

<糸を出せば出すほど納豆はうまくなる。手間を惜しまず極力練りかえすべき>。芸術家で食通の北大路魯山人さんは、著書に記した。

納豆以外でも、身近にワクワクするものがある。それはQRコードだ。

出不精のため、たまの遠出で困るのが新幹線などチケットのネット予約。数カ月前から乗り物と宿の手配をするが、宿は簡単に決まるのに電車の予約開始時期が遅すぎる。

今は飛行機の利便さに助けられる。ネットの早特割もありがたいし、QRコードの発行だけで余分な手続きがまったくいらない。

出発当日までにQRコードをプリントするか、スマホで見られるようにするだけ。QRコードをかざすだけで搭乗できてしまう。電車予約に比べ、買うのも乗るのも拍子抜けするくらいにかんたんである。

 

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これから、QRコードの活躍の場は増すだろう。

昨年の認知症の行方不明者は1万5863人。5年連続で1万人を超えた。認知症を患う人の数が2025年には700万人に増えるとの推計もある。

行方不明者をどうやって早期に発見し、事故から守るか。大きな課題である。すでに先端技術や、地域住民の力を活用した取り組みが各地で広がっている。

埼玉県入間市は16年11月から、徘徊のおそれがある人に、身元確認のできるQRコード(印字したシール)を無料交付。それは、1センチ四方で指の爪に貼れて、QRコードをスマホで読み取ると、各自の登録番号と入間市役所の電話番号が画面に表示される仕組みだ。

同市で10年以上前から、GPS端末を有料貸出していたが、充電が必要とか不便な点もあり、高齢者も持って出かけるとは限らないのだ。

QRコードのシールは入浴などで濡れても2週間程度 はがれないため、家族からも好評である。我々だって、いつQRコードのお世話になるのかわからないのだから。