日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

平凡な手を続ける技術が大切

 

昨年のイギリスでは、移動通信システムが新型コロナウイルスの流行に関係があるのでは? とのうわさが広まったそうな。

また“5Gの電波を通じてウイルスが拡散”などのデマや、携帯電話の電波塔で不審火も相次いだという。

その頃、アメリカではひよこの売れ行きが異様に伸びた。社会が大きく動く時にはこれまでも売れたというが、外出禁止令が出る中にて自宅で飼って癒やしを得ようとするパニック買いだったらしい。

「当事者にとっての問題の重要性×証拠の曖昧さ=うわさの量」という学説もあるとのこと。うわさとは、(誰でも)ウイルスが心配なのによく分からない部分があるからこそ、出回ってしまうものなのか。

人をだましたり、ウソをつくと罰が当たりひどい目にあう。『猿蟹合戦』や『カチカチ山』など、おとぎ話にも教訓は多い。

 

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ただ、少し難解なのは『浦島太郎』か。亀を助けて良いことをしたのに、おじいさんにされてしまう。きっと、竜宮城でもてなされた感謝を忘れ、もっともっといい品がないものか・・・と玉手箱を開けたからなのか。

元来 人というもの、良いことをしたと思ったときほど良い人間でいることは難しいものなのだろう。

さて、「受け」の達人と言われたのは将棋の大山康晴15世名人である。広く局面をとらえ、相手の狙いを予知して防ぐ。

大山名人は不利になっても辛抱強く持ちこたえる。将棋以外でもすべてに用心深く、それでいて決断が速い。酒もたばこもその気になれば即座にやめる。自制心の強さなのだろう。
目的は勝つことのみであり、それを貫徹すれば非凡になる。

「普段の生活がしっかりしている人が強い。最高の技術というものは平凡な手を続けること」と、名人は愚直な努力を生涯怠ることがなかった。

 

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昨年のコロナ禍の日本で、「あなたはルイ16世か」とこき下ろされた御仁もいる。星野源さんの歌をバックに、自宅のソファで愛犬をなで お茶を楽しんでいる。当時の首相・安倍晋三さんが投稿した動画である。「いいね」の反面、厳しい声が多数投稿された。

「家でくつろいでいたら食べていけない」。「休業で仕事を失った」人たちもいる。とてもではないが、あの笑顔で納得できるはずがない。

「店がつぶれそう」、「早く感染確認の検査を受けさせて」・・・と、苦境にあえぎ支援を求める人々からも、その“無神経ぶり”への反発が次々と届くのは当然のこと。

権力を盾に国会では笑いながら118回ものウソを並べ、今もなお新首相を操ろうとしている。嘘に嘘を積み重ね、そのまた嘘もバレないようにと必死なのがとてもよくわかる。
操られる岸田さんも問題であるが、名人とはまったく無縁の“安倍&麻生の最悪コンビ”で濁りきったこの長期政権。

真にクリアできる日のくることを、国民のひとりとして心より待ち続けている。

 

今アビイ・ロードの人影は?

 

「本当にここでやるの?」とリンゴ・スター。そして、『ゲット・バック』の演奏が大音量で始まる。寒風の中で・・・だ。

イギリス・ロンドンの古いビルの屋上で歴史的なライブがスタート。1969年1月のことだった。

タクシーの運転手さんは車から降り、街行く人々も空を見上げ(屋上から響く)ポール・マッカートニーの歌声に驚き、聴き入った。

それは“ルーフトップ・コンサート”と称され、彼らにとっては最後の生演奏だった。

ドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』は今も新鮮だ。スクリーンの中のジョン・レノンのギターの弾き方がすごくカッコいい。

そして、バンド解散へと傾く物悲しさは全編に漂う。

ロンドンには世界で最も有名な横断歩道あり、観光名所になっている。1969年に発表されたビートルズのアルバム『アビイ・ロード』。それを録音したスタジオのそばにあり、メンバー4人がアルバムのジャケット写真で渡っているあの横断歩道だ。

 

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昨春は、世界中からファンが引きも切らず訪れるその横断歩道も、コロナ禍で閑散としていたという。

これまで人が絶えず、改修もできなかった古い横断歩道だった。人影が消えたうち・・・とばかりに塗り直された。そしてネットで見たら、縦横の線は真っ白で真新しく、(あの名所とは別物のように)横断歩道が変身していた。

さて、コロナ禍の影響はアビイ・ロードのみならず、世界中のいたる所に変化をもたらしていることだろう。

人流を減少せよ、飲酒は許さん、しかし抑制させた代償の金は出さん・・・。なんだか意味不明な“ナントカ宣言”が年明けからずっと続いたこの国。しかし、感染者が激増している最中に大金をはたいて五輪・パラを開催。納得できないことだらけである。

明日からは緊急事態宣言も解除とか。急に新規感染者が減ってきているからだろう。ところがなぜこんなに減ったのか、政治家や医師も理解できず明確な説明もないに等しい。

ワクチン効果はあるかもしれないが、有効期限が切れればそれでおしまい。その効果も新種には弱く効きめがどんどん減少するし感染もするという。

 

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季節性コロナウイルス感染症は冬に多いとの説がある。

「季節要因」という言葉をネット検索してみたところ、わかりやすい例え話があった。

卵価は年末に高くなり年明けに落ち込む。そして、春先から初夏で底になるという。一定のリズムの季節変動性を持っているのだ。

卵価が春から夏にかけて安くなる要因は、季候の良くなる春先から一羽あたりの産卵が向上する反面、夏場に向けて腐食しやすいため外食産業や一般家庭の消費が減退する。理由は供給過剰になるからである。

逆に、秋から冬にかけて高くなるのは、鍋物やクリスマスケーキなどの食品の伸びによる需要の増加のためらしい。

物事はわかりやすく説明する必要がある。

政府おかかえの分科会・尾身茂さんなどは、感染者の増減は「神のみぞ知る」と発言したとか。昨秋も感染者が減少して、政府指導でGoToキャンペーンをさんざん煽った。その年末から今に至るまでの動きはいったいどうだったのか。なんの反省もないままだ。

もっともっと頭を使って、解明をしていただきたいものである。

 

笑いは“緊張の緩和”で起きる

 

この人を初めて生(なま)で見たのは、2003年に渋谷のシアターコクーンにての『さあ、殺せ!』という演劇であった。

当時、久世光彦さんの演出で、沢田研二さん主演のお芝居が定期的に行われていたと記憶する。そして、そのときの演劇でゲストとして共演したのが志村けんさんであった。

沢田さんと志村さんの息が合う名コントは、それ以前もテレビ等でたくさん観ていた。もちろん、あのお芝居でもたっぷりと楽しませていただいた。

観客席には作曲家・小林亜星さんもいて、開演前のトイレで偶然お目にかかった。亜星さんといえば、1974年のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』に主演して大ヒットを飛ばした。向田邦子さんの脚本、プロデュースが久世光彦さんというご縁で、当時もつながりがあったようだ。

 

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さて、“テレビっ子”とは物心がついた頃にテレビがあり、その影響を受けて育った子を言うらしい。ネット配信が全盛の今ではその言葉も死語になったようであるが。

テレビっ子の第1世代はクレイジーキャッツ世代でもあるのか、私だと下ネタの入るコミックバンドのドリフターズには距離感が少しあった。とはいえ、同じ渡辺プロの弟分として親近感はあった。

そして、“低俗”とやり玉に挙がりつつも、ドリフターズお笑い番組8時だヨ!全員集合』は、70年代には視聴率50%を超えるお化け番組になった。

メンバーの荒井注さんが抜けたあとに、付き人だった志村けんさんが登場。当初はなかなか受けずに苦労したが、ギャグが大当たりして中心メンバーへと成長。そして、ネタ作りでもその才能を開花していくことになる。

 

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志村さんのネタ作りは独特だったようだ。スタッフと一言も口をきかず何時間も黙考。ネタができたらかんたんに指示をするだけ。そして、「お疲れさん」と去っていく。作り込んでいるのにシナリオがないように見えるのが特徴だったともいわれる。

大人からは下品な悪ふざけに過ぎず、子供の教育上よろしくない・・・と。志村けんさんの芸はそんな風にみられてきたが、とても研究熱心で丁寧に笑いを作っていた。

志村さんは、学究肌で知られる二代目桂枝雀さんの落語を好んで聴いた。おそらく、相通じる部分があったのだろう。

時間があれば朝から晩までネタを考え続け、寝入って見た夢も枕元のメモ帳に書き込んだ。また、自宅にある数千本の映画やドラマのビデオも、音楽の使い方からカメラ割りまで、コントの参考にする絶好の教材となった。

枝雀さんによれば、笑いは“緊張の緩和”で起きるそうな。

古典落語の下げは、聞き手がそんなアホなと突っ込みたくなる「ドンデン」「へん」。また、なるほどとうなってしまう「謎解き」「合わせ」の計4つに分類できるとのことだ。

その奥には、綿密なネタ作りが潜んでいるからこそ楽しくなってくる。

 

テレワークの普及は餌食なり


東京と熱海(静岡)の間に電話回線が設けられのは、約130年前らしい。一般加入者の募集のために、政府は財界人及び著名人を800人ほど招待して実体験を行ったそうな。

その効果は抜群で、離れた場所からの声がはっきりと聞こえる。その宣伝は大成功かと思いきや、思いもよらぬ意見が飛び交った。

「これほどまでにハッキリと通話を媒介するのなら、コレラ菌も広がるはずなので怖い」とだれかが言い出したことで、失敗のきっかけになった。

当時はコレラが流行していたこともあり、結局わずかな申し込みで終わったという。

 

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将棋の実力制第四代名人の升田幸三さんが十四世名人の木村義雄さんと指した際、窮地に立った升田さんは(盤面でなく)木村さんの息遣いに目を凝らした。

息を吐こうとした瞬間、バシッと駒を打つ。すると木村さんはハッとするわけだ・・・と。升田さんはそれを繰り返すうちに木村さんが乱れて、逆転勝ちをした

<息を吸うときは、無意識のうちに全身を緊張させるが、吐くときは逆に弛緩する。その虚をつくと、動揺が大きい>。隙が生まれやすいのは、“吸う”ではなく“吐く”ときらしい。

今や主流ともいえるデルタ株のコロナウイルスは、従来の飛沫感染から空気感染へと大きく変わっている。

気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子と周囲の気体の混合体をエアロゾル(aerosol)と言い、もはやアクリル板も通用しなくなっている。

気体中だとピンとこないが、禁煙中の部屋でだれかがタバコを吸って吐き出す煙を想像すればわかりやすい。タバコを吸う人を陽性者にたとえるなら、どれだけの人が感染するか、という確率がハッキリする。

 

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昨年初めのころまでは“ウイルス”と聞けば、パソコンやスマホの話かと思ったもの。それがいまや、現実空間に浮かぶ目に見えぬあの球体を思い浮かべるようになった。

政府や自治体ではテレワークの普及を促せ続けているが、インターネット上で悪事をたくらむ者にとっては願ってもないチャンスになるかもしれない。

会社のシステムがいかに強靱であろうが、外からつながるパソコンの数が増えれば増えるほどリスクが高まるのは当然。ウイルスに感染させて内部へとさかのぼり、情報を狙うわけだ。

機材も心構えも十分理解できずに、あわてて始める駆け込みのテレワークを、ネットに潜む犯罪者グループたちは手ぐすね引いて待ち構えるはず。それこそがなによりの餌食なのだから。

 

哀れ ねずみ男と子泣きじじい

 

コロナ禍で、猫も杓子も政治家もよく使うエビデンスという言葉。ネットで検索すると、科学的根拠、臨床的な裏づけということらしい。

といっても、このふたりの話からはエビデンスがさっぱり感じられない。現首相の菅氏と政府の分科会の尾身氏である。

デルタ株やラムダ株と、どんどん進化する新種のコロナは空気感染で、“濃厚接触”という枠組みで括れる次元ではなくなっている。ワクチン接種でも感染するし、ワクチンも半年くらいで期限切れだとか。

ネットでは、菅氏が子泣きじじい、尾身氏はねずみ男と呼ばれていた。たしかに、 風貌は似ているが中身は大違いである。私は『ゲゲゲの鬼太郎』で、ねずみ男の大ファンであり、子泣きじじいの優しい目がたまらなく好きだ。

 

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マンガの中のふたりには人情や感情もたくさん感じられる。尾身氏はただの御用学者で、保身には気を遣うが新しい勉強をまったくしていない。

菅氏とくれば腐った魚のような目で、国民への説明もなしに裏でコソコソと腹黒い。学術会議の任命拒否を追求された菅氏は、「説明できることと、できないことがある」と言い放った。説明できないことを権力で勝手に行う首相って・・・国民にとって危険極まりない。

東京のコロナ感染で、自宅の療養者は一ヶ月で14倍だという。あんなに飲食店を締め付けて今のこの結果。感染経路のグラフでも自宅感染が60%に対して、会食での感染は5%だ。それなのに緊急事態宣言ではバカの一つ覚えで変えようという頭がまったくない。

おまけに今度は自宅療養を増やして防ごうという魂胆である。トイレや風呂場が複数あるなどと、完全隔離できる家がいったいどれだけあるのか。家族全員が感染してどんどん増えるということを考えられないのだろうか。

ひとり暮らしならなおさらだ。自治体で食事を配布するところもあるかもしれないが、かろうじて歩ける状態なら必要なモノを求めてコンビニへも行くこともある。

「説明できることとできないことがある」という発想で、なにも学ばないまま国を動かせられたらたまらない。

 

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私はこの数年、自治体のパートタイムをかけ持ちしていて、自民党ファンが多いのはよくわかっている。それにしても、今の政府の顔ぶれを見ると本当にひどすぎる。

政党支持率の推移で時事通信が実施した7月の世論調査では、自民党が21.4%、立憲民主党は4.5%、公明党が2.5%など・・・であったが、「支持政党なし」は63.9%だ。

この秋の衆議院選挙は国民の声を届けるなによりのチャンスのはず。自民党が好きで好きでたまらない人はそのままでいいだろうが、居酒屋と客の不満を票にしてみたり、いやな人の票を減らすための努力で与党以外の人への投票をしたら、きっとなにかが変わる。

野党が弱いからわざわざ投票に行かない・・・という人も、気に入った人に票を入れてみる。結局は人間であり、「支持政党なし」の底力は大きいはず。

野党一党への集中などは無理でも、与党が100議席落ちたらおもしろくなる。今まで投票をしなかった人の票も集まればすごいだろう。

そして、この秋が絶好のチャンスであり、最後かもしれない・・・が。

 

人の口が3つ寄り 評判が立つ

 

黒澤明監督の映画『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)のオープニングシーンは、結婚式で登場人物が一堂に会していた。そこでは、公団の汚職に絡む複雑な人間関係が手際よく説明されていた。

事件の始末を幹部が末端の職員に押しつけ、自殺に追い込んでもみ消しを図ろうとする内容だったと記憶する。

哲学者・梅原猛さんいわく「どうでもよいことはきわめて正しい真実を語り、自己の政治支配を合理化する点においては、きわめてたくみにうそをつく意思がはたらいている」・・・のだと。日本書紀などでも、歴史とはそのときの権力者に都合よく書かれるものなのらしい。

さて、この方もきっとよく眠られていることだろう。安倍前首相である。うその上書きを、現代の官吏が行っていたのが森友問題をめぐる財務省の公文書改ざん騒動である。自殺に追い込まれた人がいても知らん顔のまま。

 

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また、安倍さんは眠ることだけでなくよく笑う。桜を見る会のゴタゴタでは、国会で笑いながら118回も嘘をついた。

「鉄面皮」は鉄のような面の皮のことで、恥を恥と思わないさまをいうそうな。厚くて硬い皮一枚は防具にもなる。そしてその皮の上に笑みを浮かべるのだから、理解しがたい神経だ。守ろうとしたのは国のトップの立場か、わが身か。おそらくその両方だったのであろうが。

日本はニホンとニッポンのどちら? この議論のテーマは昔からのもの。どちらでもOKというのが正解だという。2009年に政府が「いずれも広く通用しており、統一する必要はない」と閣議決定している。

国の名の読み方なのに、おおらかでありあいまいさも感じられる。ニホンと口にすればやさしく聴こえ、美しいニホンの景色や季節の移ろいも連想される。ニッポンだと力強く、経済が元気だった時代に海外で活躍するチャレンジャーだったニッポン人の姿が浮かぶ。

 

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だから「がんばれ!」とくれば、続くのはやはりニッポンなのだろう。そんな声援あふれるはずの東京五輪も、相次ぐトラブルと新型コロナ禍でゴタゴタのままに開催。

人が3人寄れば社会が生まれ、人の口が3つ寄れば評判が立つ。「品」という字はよくできている。「しな」と読んでいろいろな物を、「ひん」と読んで物の等級や人柄を表す。物の値打ちも人柄の尊卑も決めるのは他人の口、つまり評判である。

それにしても品のない与党の政治家たちが目につく。「反日が五輪反対」とほざいていた安倍前首相は、雲行きが怪しくなればサッサと五輪の開会式の出席ををキャンセル。それも前日の鞍替え発表だった。

飲食店いじめに強硬な態度を示した西村大臣も、影で糸を引く菅首相にあっさりとしらを切られ、持ち前のチャラさが露呈した。その強行ぶりを見て見ぬ振りしていたのが麻生氏。この人って副首相だったと思うけど。もはや品がないとかの次元ではなく、無知な者たちの集まりになってきた。

 

なにかの実験なのか東京五輪


米国での奇想天外な実験を集めた文庫本に『狂気の科学者たち』がある。記憶のテストでは、あなたが5歳のときショッピングセンターで迷子になったことを覚えていますか? 
24人中7人が「もちろん」と答えたという。誰も迷子の経験などないのに・・・だ。

困った能力が人間にはあるようだ。ありもしないことなのに、そんなことも(言われてみれば)あったね、と冗舌に話し出す。

思えば、大ヒットの商品名も消費者になじみが深くなりすぎて、それが一般名詞と思い込んでしまう。

電子オルガンのことをエレクトーンと思い込み、ツナ缶がシーチキン、ラップはサランラップ等に、固有の商標が品物の名にすり替わる。

 

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“朱肉つきはんこ”のシャチハタもメーカーの名前であり、銀行や役所などで「シャチハタでもかまいません」などと普通に使われている。

余談だが、正式な企業名はシヤチハタだという。また、カメラやレンズでお馴染みのCanonもキヤノンと書く。

さて昨年から、シヤチハタのアイデア商品が、新型コロナウイルス対策になると話題になった。ばい菌キャラの描かれたスタンプを、帰宅した子どもの手に押すものである。

その手を消えるまで洗うと、コロナ対策で推奨される20秒以上になるという。害にならないものにて手を汚すことで、丁寧な手洗いをうながす逆転の発想なのだ。

また、シヤチハタは“はんこの不要論”の対応で、電子印鑑をテレビのCMで流していたが、こちらの反響はいかがなものか。ずっと以前からフリーの電子印鑑ソフトがあったり、エクセルなどでも作成をしてかんたんに使えている。私には必要ない商品だが、市場のニーズがどれくらいあるのかを見てみたい。

 

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古代五輪の発祥地・オリンピアでの競技会は真夏に開かれており、見物する側にとってもかなりの苦労だったという。観戦しながら日に焼かれることは、当時の重労働であった粉ひきよりもつらい罰になる・・・などの記述もあったとか。

酷暑の中での開催といえば東京五輪パラリンピックもそうだ。2013年に開催が決まったが、なぜ猛暑の中でやらなければならないのか? そのニーズがまったくわからず、当時からずっと反対であった。

日本の夏は、熱中症という言葉のない時代に比べて、明らかに暑さの質が違っている。近年はとくに、熱中症で命を落とす人が急増。

統計史上で初めて、2010年に年間1千人を超えてから、19年までには計4回、1千人超の死者が出ている。そして、19年までの10年間の死者数は、それ以前の10年間に比べほぼ倍増だ。

“それどころじゃない”という言葉は人を強く引っ張ってしまう。自らは右往左往の“右往でやめて判断”で、情報を見極める冷静な対応が必要になる。

反面、どれだけ“それどころじゃない”非常時なのかわかっていないのが、国の責任者たち。少人数の来日外国選手に対したコロナ対策でも、すでにボロを出している。これから万単位の外国人が入国したら、いったい何が起こるのか。

もし、大量の熱中症患者や感染の拡大が起きたら、誰が責任を持ち、どのように対応するのか。その概要が、国民にはまったく伝わらない。

もしかして、神風が吹くとでも思っているのだろうか。

 

1時間は50万年に相当する

 

10進法は人間の心理を縛るものらしい。元陸上選手の為末大さんは著書『限界の正体』にて述べた。たとえば100メートル走で目標を10秒に設定した場合など、キリのいい数字を意識することでプレッシャーや力みが生じ、本来の能力を発揮できなくなる恐れがある・・・のだと。

地球誕生から現在までの歴史を、1年365日に換算したお馴染みの地球カレンダーによれば、1日は1300万年、1時間は50万年に相当する。人間や動物の一生なんて、1秒もたたないうちに終わってしまう。反面、100メートル走では百分の1秒短縮を人類の歴史の中で競っている。

地球カレンダーにおいて、ホモ・エレクトスの一部がアフリカで進化した現生人類(新人=ホモ・サピエンス)の誕生は12月31日の午後11時37分だという。最後発の生物である人間とは、なんと態度のデカイ動物なのか。

 

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文芸評論家・ドナルド・キーンさんが、奈良の吉野山にて日本で初めて花見をしたのは1950年代後半だという。そして、その光景には大いに幻滅を感じたらしい。

酔っぱらいが多く、弁当の重箱がうずたかく積まれていた。桜の幹に拡声器を付けて音楽まで流している。騒々しい花見が気に召さなかったという。「人がいなかったらどんなによいだろうに」と。

それから70年近く経た今も、同様な光景をテレビで見る。コロナ禍のナントカ宣言による東京の公園での飲酒風景もさることながら、京都の鴨川の河原でも驚いた。

散々飲み食いしたあとのゴミの山。時折、注意にくる巡回の人を意識したのか、飲食後のゴミを川に流す(酔った)若者たち。

どんなに時が移ろいでも人間の本性は変わらないのだろう。

 

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浜田省吾さんの『愛の世代の前に』という楽曲は、30年くらい前に(私が)初の生ステージで聴いたオープニング曲だった。横浜アリーナでこの曲のイントロが流れると、思わず踊りながら場内で大合唱をしていた。

昨年、YouTubeでこの曲を歌う浜田さんを観ておどろいた。どこかのステージのライブシーンであった。そのバックの大スクリーンに流れる、戦争兵器の数々。命を失う人々もさることながら、巨大な建物や地球という星も様変わりするような衝撃力を感じた。当然、今の兵器はプロペラ戦闘機で戦った太平洋戦争とは比較にもならない。

向田邦子さんの小文らしい。<戦争中だからといって笑い声がなかったかといえば、決してそんなことはなかった。校長先生が渡り廊下の“すのこ”につまずいて転んだというだけで、明日の命もしれないときに心から笑った>と。

今もどこかで続いている戦争では、笑うことも(自分が)なぜ死んだのかもわからず、“姿かたち”が消滅してしまうのか。

人間は太陽系の惑星のごく表層に生きる小さな小さな存在だ。直径10センチのりんごを地球にたとえれば、地球上で人が到達できる範囲を(最も高い所で)エベレストと考え9千メートルとする。それをりんごの皮の厚さにしてみれば、わずか0.07ミリメートルだという。薄すぎて、皮をむくどころではない。それなのにそれなのに人間って・・・。

 

真実味が増す言葉かもしれぬ

 

厳島の戦いにて戦国武将・毛利元就は、数千の軍勢で2万の大軍を率いる陶晴賢(すえはるかた)を破ったという。その際、元就は将兵に3日分の糧食しか持たせなかったとのこと。

人間は、期間が区切られてこそ頑張れる。それを知っていたがゆえの真価といえそうだ。
元来、日本刀と日本語は切っても切れない仲らしい。「切羽詰まる」、「さや当て」などは今も使われる。

「しのぎを削る」では、刃と背側の峰との中間で厚くなっている部分を指す“しのぎ”が削れるほど激しく争う様子を表す。また「反りが合わない」だと、曲がり具合が合わず日本刀をさやに収めることができない状態に進捗するらしい。

 

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在りし日の映画界では、太陽を直接的に撮ることはタブーとされていた。レンズを通してフィルム上に光が焦点を結び、焼ける危険があると考えられていたためだ。

黒澤明監督の『羅生門』ではその常識を破った。森の中の光と影を基調に人間心理の不可解さを描くため、監督が強くこだわった。

私の記憶に間違いがなければ、抜き身の刀からもたっぷりの太陽光が反射したシーンがあったようにも思う。

その映像効果は抜群で、ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞。世界のモノクロ映画の撮影の一つの傑作とも称された。

黒澤監督は「宮川君の傑作」とも語った。映画史に残る名カメラマン宮川一夫さんのことで、撮影に鏡を用いるなどして巨匠の理想を見事に映像化してみせた。

 

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<陛下、鉄砲でなんでもできますが、ただ一つできないことがございます。その上に座ることでございます>。軍事の才能を駆使して天下を取ったナポレオンに、臣下のタレーランが言ったと伝えられる言葉である。

武力で権力をつかむことはできても、武力で権力を保ち続けることはできない。皇帝のその後を思えば、真実味が増す言葉のようだ。

現代にも例外の国がいくつもあるようで、とてもキナ臭い。ネット等の発達でいくつものうわさがかんたんに飛び交う時代でもある。

人のうわさも75日。なぜ75日かといえば...春夏秋冬に土用を加えて五季とし、365日を5で割ると73日なのだという。

つまり、一つの季節ほどしかもたない、という解釈などもあるらしい。内容によっては75日も続いたらたまらないうわさもあるだろう。

開幕まで50日を切ったという東京五輪パラリンピックの開催判断については、説明がないままでいろいろな憶測が出ている。数日前の参院決算委員会では、菅義偉首相が「私は主催者ではない」と発言。この人いったい何???

 

言葉に触れる時間を足せば?

 

「ホンマでっか!?」とくれば明石家さんまさんを連想してしまうが、この関西弁を漢字にすれば「本真」なのだという。意味は、“本当である”ことや“真実である”ことで、文字通りだ。ただ、漢字を頭に浮かべて口に出してみると、響きが重くなるような気がしてくる。

大阪の市井を描く織田作之助さんの短編小説『螢』には奇妙な詐欺の手口が登場する。

「中身は絶対に見るな」。旅館などで風呂敷包みを預ける男が言い放つ。数日後、受け取りに来た男は「中を見たな」と騒ぐ。

包みを解くと中にあった人形が「見たな」と口を開いた。男いわく、とある大名に贈る品であったが、不徳な目で見られてはそれもできない。どうしてくれる、と金を要求。

「見た人形」というやり口らしく、人形がしゃべるのはからくり仕掛けと腹話術だ。時代によって詐欺の手口も変化していくものらしい。

 

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さて、人がしゃべる過程では、家族の会話やラジオを聞いたりと、いろいろな情報が耳を通して心や脳に入っていくことになる。言葉に触れている時間を足すと、1日で何時間ぐらいになるのだろうか。

英語圏の調査結果では、5歳くらいまでで約1万7千時間になるという。言語のシャワーをそれくらい浴びると、会話が一通りできるようになるらしい。

聞いたものをそのまま覚える子どもは“無意識の学習”であり、大人では意識的に学ぶことができる。その目的意識があれば身につくのも早いとのこと。

やる気さえあれば、外国語の習得時間大幅短縮も可能になってくるようだ。

 

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人がしゃべる言葉から得られることはとても多い。

<勝ち続けるためにどうすればいい? ちょっと手を伸ばせば届くぐらいの目標を立てる。それを達成したら次の目標をつくり、それを繰り返すとより強くなれるのだ>。箱根駅伝で何度も優勝した青山学院大の原晋監督が著書で述べていた。

<勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし>。負けには必ず理由があり、失敗から学ぶことが大事といった趣旨だ。あの野村克也さんの名言の一つであるが、江戸時代の剣術の達人・松浦静山の剣術書からの引用だという。

こちらは縫い物から生まれた言葉だという。“つじ”は縫い目が十文字になる所、“つま”は着物の裾の両端で、「つじつま」が合わなければ形を成さず、無理があるということ。
まるでコロナ禍の政府のようだ。“ナントカ宣言”だけは出して延長。その具体策はまったく示せない。多くの店や国民に我慢を強いていながら、国民が反対多数のオリンピックを開催、などと目論んでいる。そのことになんの意味があるのかもハッキリ言わない。