日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

まだ熱い夜はウイスキーでも

 

甘酒は夏の季語だという。点滴同様の栄養分を含むからだそうだ。

<江戸時代の必須アミノ酸強化飲料が甘酒であり、総合ビタミンドリンク剤であった>との説がある。暑い日に熱い甘酒を飲むことで、夏バテ防止につながるというのだ。

ウイスキーの宣伝で知られた開高健さんと山口瞳さんには、酒の名言が多い。

「名酒の名酒ぶりを知りたければ、日頃は安酒を飲んでいなければならない」と開高さん。
山口さんいわく「最初の一杯がいい。そして、最後の一杯も捨てがたい」のだと。
ともに“達人の域”が窺える。

 

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そんな異才2人と組んで仕事をしたのは、画家の柳原良平さんである。

昭和30年代に一世を風靡した“アンクルトリス”のキャラクターは、若き柳原さん作だという。ずんぐりしたはげ頭のおじさんは子どもでも知っていた。
私もテレビで観ていて楽しくなり、子どもごころにウイスキーで酔いたくなった口だ。

誕生した昭和33年にはプロ野球長嶋茂雄さんがデビューし、東京タワーが建った。
NHKのテレビ契約は100万件を超えて、高度成長のエンジンがうなりだした時期だ。

粋でとぼけた味の絵が宣伝コピーを引き立てた。
物質的な豊かさを追い始めた時代の気分をうまく映し出していた。

はげ頭ならぬ「丸坊主」や「丸裸」などと言うときの“丸”は、何かがさっぱりないことの意味に使われたりする。「丸腰」は、といえば事情が少し変わるようだ。

腰に刀などの武器が「さっぱりない」と解せないこともないが、武士が刀を外した腰が丸みを帯びて見えたから、という俗説もあるらしい。

高校球児たちの坊主は高野連の強制ではないそうだ。高野連の”日本学生野球憲章”のどこにも、坊主にしないといけないという文は書いてないという。

 

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旧制高校に野球が広がったのは明治半ばである。その時代には野球用語をめぐる珍話がいろいろある。その中に、審判が走者に塁を与えるときに叫ぶ「テイク・ワンベース」。

当時の見物人にはこれが、「たくあんベース」と聞こえたようだ。それが少年たちの草野球に広がり、少年たちは間違いも気にせず、貪欲に野球を楽しみ学んだ。

“たくあん”は、当時の人たちの野球熱を今に伝える挿話としてうなずける。テレビで甲子園の賑わいを観るたび、その熱がずっと継続されていることを感じる。

今年もあと1時間足らずで、甲子園の決勝戦が始まる。
作新学院(栃木)と北海(南北海道)の雌雄を決する時が迫っているのだ。

1962年以来2回目、栃木勢としても54年ぶりの全国制覇を狙う作新学院と、北海道勢が初参加した1920年にも出場し、全国最多37回出場で初優勝を目指す北海が熱く対戦する。

両チームの戦いぶりを観てきたが、たがいのエースの投球数は限界を超えている。
死力を尽くす投げ合いが予測される。

残念ながら、リアルタイムのテレビ観戦ができないため、録画予約をした。
帰宅の際、ウイスキーを買って帰るつもりだ。少し前、久しぶりのジョニーウォーカーを懐かしく味わった。本日も、夜中の熱い観戦にはウイスキーが欠かせない気分になっている。

 

京都・昭和・ひばりさん・健さん

 

テレビの2時間サスペンスで、京都が一番多く舞台になるという。
人気の観光地であり、古都の優雅なしっとり感と事件との落差が、視聴者を引きつけるからだ。

私だと、京都といえば東映のチャンバラ映画だ。
橋蔵さん、錦之助さんらのお顔も浮かぶが、美空ひばりさん主演のイメージが強い。ひばりさんが出演した映画は165本にもなる。

映画会社は東映以外に、松竹、新東宝東宝に出演しているが、やはり東映の時代劇スターという印象である。歌番組の特集では、映画『東京キッド』の1シーンがよく使われる。松竹作品で、1950年(昭和25年)に封切られた。

母を亡くした靴磨きの少女をひばりさんが演じ、<右のポッケにゃ夢がある/左のポッケにゃチュウインガム/空を見たけりゃビルの屋根/もぐりたくなりゃマンホール・・・>。
同名の主題歌はひばりさんの代表曲になった。

 

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阿久悠さんは著書『愛すべき名歌たち』に、天才少女歌手といった生やさしい存在ではなかった、と書いた。<敗戦の焦土が誕生させた突然変異の生命体で、しかも人を救う使命を帯びていた>のだと。

終戦から71年。左のポッケは豊富な品々で膨らんでいるが、右のポッケにある夢は?

江戸の面影は関東大震災とともに消え、戦前の面影は東京オリンピックを境に消えたといわれる。一つひとつの食べ物に感謝するこころ、父母に対する折り目正しさも、今は遠い戦前の残り香かもしれない。

東映といえば、この方も忘れられない。
高倉健さんである。

“主演・高倉健”と銘打たれた小説がある。芥川賞作家・丸山健二さんの『鉛のバラ』だ。

2003年、丸山さんは「自分の小説の主人公になってもらえないか。そのために写真を撮りたい」と依頼した。健さんは二つ返事で了解し、一人自ら車を運転し、長野県・安曇野にある丸山さんの家に乗り付けた。

 

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二人の出会いは、映画少年だった丸山さんが1983年の高倉健写真集に『それが高倉健という男ではないのか』と題した文を寄せたことだった。

<映画を愛していたからではなく、役者稼業に惚れこんでいたせいでもなく、ただそれが仕事であり、それで飯を食ってきたというだけの理由にすぎない>。

好きで俳優になったのではなく、貿易関係の仕事を目指し、明大・商学部を選んだが、就職難で芸能プロのマネジャー見習いの面接に行ったところ、東映の専務から「俳優にならないか」と言われ、食うためにニューフェイスになった。

<いやいや仕事をしているのではない。好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、やるかやらないかを問題にする。やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげもなく注ぎこみ、奮闘する。それが高倉健ではないのか>。

健さんは、才能のあるなしや、好き嫌いではなく、仕事という習慣を通し、己を鍛え上げた人。一介の役者は“高倉健という仕事”に徹することで、記録と記憶に残る俳優になった。

 

食欲は食べ盛りの昔への郷愁

 

近年は法事が多く、“おい・めいの子どもたち”との初対面が増えている。
おい、めいの子どもは何と呼ぶのか。検索すると、“またおい・まためい”もしくは、“姪孫(てっそん)”というらしい。その子たちからみると、私は“大おじ”になるのか。

核家族の始まりは半世紀以上前。それまで祖父母が共に暮らし、近所には大おじや大おばも住む。そういう時代であった。

出生率の低水準で一人っ子が増え、“姪孫”どころか“おい・めい”の存続さえ危うい。いとこって何? 何十年か先の子どもたちの会話に出てきそうだ。

知人との酒場談義で、幼い頃の食卓の話が出る。盛り上がる料理といえば、やはりカレーだろう。それぞれの家庭の味は、専門店もかなわない。とくに“夕べのカレーの残り”を翌朝に食べるおいしさのくだりで意気投合する。

食欲とは食べ盛りの昔への郷愁だという。そして「おかわり!」の記憶が、のちのちまで食欲を刺激する。

 

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少子化といえども、今の若者たちはすばらしい。オリンピックで世界を舞台に大活躍し、炎天下の甲子園ですばらしいプレーを連発している。

101年前の8月、今の高校野球の第1回大会が開幕する日、大阪朝日新聞は『初めて野球を見る人の為にベースボール早分り』という特集を組んだという。
以前、朝日新聞のコラムにあった。

まず、「野球とは18人の人々が9人ずつ敵と味方に分かれ、球(ボール)や打棒(バット)などという道具を使って互いに攻め合う遊戯である」と、始まる。

守備位置の呼び名などを図入りでこまごま説明するが、とても書き尽くせず、次のように締めくくる。

「むずかしい規則が山ほどあるが、やはり百聞は一見に如かず。我が社の大会を観覧せられんことを希望する」。そして、「野球とは思ったより面白いものだという感じを持たれるに違いない」と。

1世紀を経て、甲子園の夏は今たけなわである。

 

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高校野球第8日(14日)2回戦の東邦(愛知)対八戸学院光星(青森)はものすごい試合であった。おそらく生涯忘れられないほどの大逆転劇である。

7回の八戸学院光星の攻撃が終わった時点での点差は7。東邦は終盤に猛攻、4点差まで追い上げた9回裏、一死後に1点を返したものの、あっけなく二死である。しかし、右前打と左前適時打で2点差。左中間を破る2点二塁打で同点。最後は、左前へとサヨナラ劇の完成であった。

詩人、哲学者の串田孫一さんは、消しゴムを「救主(すくいぬし)」と呼んだ。
軽率や無知から生まれた書き損じを消してくれるのだから、と。
世の中には消しゴムのような職業がある。人は、ささくれた感情の“書き損じ”を歌手の歌声に忘れ、またアイドルの笑顔に紛らし、つかのま消し去りながら日々を生きている。

若者の熱気のさなか、SMAPが解散を発表。熱心なファンはとても多く、彼らも長年にわたり(ファンへ)消しゴムの役割を担っていたのだろう。メンバーもすでに、大人の世代だが、解散を主張したメンバーはあまりにも幼くみえる。もっときちんと、さわやかに、ファンへのお別れメッセージを伝えられなかったのか。

オリンピックや高校野球の選手たちは、職業として活躍しているわけではないが、観客や視聴者を感動させ、ふだんの“書き損じ”もさわやかに消し去ってくれる。

 

とりとめのない話を寄せ集め

 

<ひどい妻 寝ている俺にファブリーズ>。

おもしろい話の断片につい反応してしまう。
おなじみのサラリーマン川柳にあった。

汗をかく季節の真っ最中である。
季節を問わず、“メタボ臭”、“加齢臭”なる言葉もある。

どうやら、においの原因は脂肪らしい。
肌の皮脂腺に脂質が増えすぎると腺が詰まって酸化。
いやなにおいを発する成分がつくられるのだという。

<新鮮なアユはスイカのような爽やかな香りがしますが、お父さんの加齢臭と同じ成分なんですよ>とは、さかなクンの談。

『地球がもし100cmの球だったら』(永井 智哉さん著)によると、海の平均水深は0.3ミリで、海水は全部でビール瓶1本ほどの量しかないそうだ。

世界の海へ年間に数百万トンも流れ込むプラスチックごみ。
波や紫外線で細かく砕け、<海がプラスチックのスープになっている>という。
ビール瓶1本への換算で、その汚染がリアルに思えてしまう。

 

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「逢魔が時」はいつ頃の時間帯かと検索。“薄暗いたそがれ時”だという。
妖怪や魔物が姿を現し、災いを起こす時刻でもあるようだ。

<妖怪とは、人間が人間との関係のなかから立ち現われてくる幻想であり、自分たちの否定的分身>だとの説がある。闇が想像力をかき立て、河童、天狗などの伝説が語り継がれた。

夜が照明で明るくなった現代も、人間関係が心に指す“陰”はある。
妖怪ならぬ、身近に棲息する生物も、人間に思いもよらぬパワーを秘める。

アリは、小さい生きものながら力持ちだ。自重の50倍ほどモノを運ぶ力持ちだという。60キロの人間なら3トンにも及ぶ。重量挙げの世界記録は300キロに満たないらしいから、その怪力ぶりがものすごい。

 

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リオのオリンピック。メダルラッシュの快進撃で、日本中が熱く盛り上がっている。
今から80年前(1936年)の今日、ベルリン五輪の水泳女子2百メートル平泳ぎで、
前畑秀子選手が、日本人女性として初めての金メダルにかがやいた。

その際、ラジオから流れたアナウンサーの名放送は、今も語り継がれる。
河西三省さんによる<前畑がんばれ!!>である。

その数は、“がんばれ”が36回。“前畑勝った、勝った”は15回に及んだ。

NHKの先輩アナウンサーから「勝った、勝った、そればかりでタイムを伝えることさえ忘れた」と苦言を呈されたこともあった。

実況中の河西さんは、興奮のあまり机の上に立ち、ストップウオッチを踏みつぶしていたため、伝えることができなかった。

1929年の早慶戦を実況した松内則三さんの名放送も有名だ。

神宮球場 どんよりした空/白雲、低く垂れた空夕闇迫る神宮球場 カラスが二羽、三羽、四羽戦雲 いよいよ急を告げております>。

80年前のベルリン五輪は日没前の美しい夕映えであったのか。
戦雲は急を告げ、日中戦争がはじまる。4年後に予定の東京五輪は幻で終わった。
そして、血なまぐさい闇が時代を覆っていくことになる。

 

置き菓子と自販機コンビニ

 

置き菓子」のオフィスグリコという会社の業績がいいと訊いた。

場所だけ貸り、お金の回収や商品の補充はすべてグリコが担う。お金の回収の不備や責任も、オフィス側には負わせない。

設置費は無料で、“リフレッシュボックス”という箱をオフィスに配置する。
1箱に10種類、計24個のお菓子が入っていて、菓子1個は税込み100円。ひとつ取ったら、箱にある貯金箱に100円を入れるだけ。

私が幼いころから慣れ親しんだ“富山の置き薬”とまったく同じシステムだ。
日本独自形態の配置販売業は、医薬品の販売業の業態のひとつである。

ボックスの引き出しは3段で、最初の補充時に1段ずつ売れ残った菓子もすべて回収し、これまでと違う新しい種類の商品を入れる。ほかの引き出しは菓子の補充をするだけだ。3週間で全く新しい商品に切り替わる。

グリコの専用スタッフが週1回、お金を回収して菓子を補充する。これがオフィスグリコの仕組みだ。補充の頻度や種類も、オフィスごとに変えているという。

 

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扱う菓子は他社メーカーの商品も加わり、年約150種類。お茶やアイスを入れられる冷凍冷蔵庫タイプもある。

60代までを対象にした独自調査で、菓子を食べる場所の1位は家庭(約70%)、次いでオフィス(約20%)だったという。オフィスには一定の菓子の需要があるようだ。

駅弁スタイルで売り始めてみたところ、よく売れた。ただし、販売できるのはお昼休憩の1時間と就業後のみと限られた。ニーズがあるとわかっても、時間制限では事業にならないと断念した。

配達や納品を理由に、時間を気にせずにオフィスに出入りできる配達業者にヒントを得て生まれたのが置き菓子スタイルだった。

“菓子を取ったらお金を入れてくれる”と顧客側を信頼し、貯金箱に鍵もかけていない。
お金の回収率は約96%。売上高約50億円で単純に比較すると、年2億円も回収できていない計算になる。未回収分は基本的にグリコが穴埋めをしている。

人目につく場所に置き直すことを提案したり、お金が必要だと明記した説明書きを置くようにしたり、と工夫を重ねる。実際にお金を理由とした撤去の事例は、これまで数件にとどまるという。

 

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自動販売機での商品売上額が世界1位の日本。かつて、飲料市場のシェアで約5割を占めていたが、コンビニなどに押され、近年は3割程度での推移だ。

その売上げも持ち直しているとか。
飲料各社では清涼飲料の新サービスを相次いで導入している。

日本コカ・コーラは、グループの自販機にスマートフォンをかざすと、購入本数が記録される専用アプリの提供を始め、15本買うと1本が無料でもらえる。他社も追随して、専用アプリを使うポイントサービスを始めた。

コンビニのファミリーマートも「自販ファミマ」オフィスを展開していて、18年春までに自動販売機での売上倍増をめざしているとか。

“無人コンビニ”として、おむすびやサンドイッチ、弁当など食品やストッキングなどの日用品まで自販機1台で最大60品まで販売し、価格は基本的に店頭と同じ。パスタやサラダ、シュークリームも扱う。商品は1日1回、昼食前に補充する。

主にオフィスや病院などの従業員用スペースや、高速道路のサービスエリアなど関東を中心に1086拠点、1520台設置している。近くにコンビニはあっても、外出するのが面倒な高層ビルでの需要が増えている。無人販売「オフィスファミマ」は、食べた分だけ料金を箱に入れてもらう仕組みだという。

モノが溢れるこの時代、同じ商品の販売も販売形態の差別化で、売れ方がまったくちがってくるのかもしれない。

 

 

自分の人生最後の日を想定

 

美食家で知られたフランスの法律家ブリア・サバランさんは、有名な言葉を残している。<どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるか言い当ててみせよう>。

その妹のジョゼフトさんもなかなかの人だったようだ。98歳の時、食事を終えようとして異変に襲われた。

<死にそうだわ…早くデザートを>。
ふつう医者を呼ぶのが先のはず。美食家という舌の持ち主には頭が下がる。

人生最後の日を想定して生きたのはスティーブ・ジョブズさんである。
33年間、鏡に映る自分に(毎朝)問いかけた。

<もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを、私は本当にやりたいだろうか>と。

何日も“違う”との答えが続くと、そろそろ何かを変える必要があるな、と悟る。
新しいことに挑む気概が、独創的な商品を生み出したのだろう。

 

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2007年に発売したスマートフォン、iPhoneの世界販売台数が10億台突破した。
もし、ジョブズさんが自分との問いかけで、“違う”との答えが浮かんでこなければ、大ヒット商品の誕生はなかったはずだ。

2015年、世界のパソコン出荷台数が前年比10.4%減の2億7621万台となり、過去最大の落ち込み幅になった。

3億台を下回ったのは2008年以来だという。タブレット端末や大きな画面のスマートフォンに消費者が移行していることが主な要因なのは、だれの目にも明らかである。

ジョブズさんはウォークマンに感動しiPodを考案した。そのiPodに電話機能をもたせたらどうだろう、と誕生したのがiPhoneである。

 

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パソコンの基本ソフトであるWindows10は、1年間無料のアップグレードを実施した。マイクロソフト社としては異例なことだ。

スマホタブレットとの互換性が売りだったが、“2018年までに10億台”という目標も思うように進んでいない。1万7600円の有償となれば、ますます敬遠するユーザーが増えそうだ。

近年はパソコンの品質が向上し、買い替えの期間が長くなったことも落ち込みの理由だろう。しかし、“予定調和を破るほどの製品”の現れないことこそが大きな問題点であろう。

アップル社にしてもジョブズさんの没後、ワクワクするような製品は見当たらない。
かつてジョブズさんは、米スタンフォード大卒業式のスピーチをこの言葉で締めた。
<ハングリーであれ、愚か者であれ>。

 

深まる夏には「よもやま話」を

 

電車通勤の頃は本を読んだ。本に飽きると、無意識に乗客を眺め、人間観察を楽しんだ。最近はそれも楽しめない。大部分の人たちがスマホとにらめっこをしているからだ。

そばに知らない人たちがいると、その人たちに対して友好的か、もしくは敵対的に振る舞うべきかどうかを知るため、その一人一人を調べにかかるらしい。それは、人間の本能なのだという。

“沽券(こけん)にかかわる”という言葉は、名誉や評判が傷つけられるような場合に使われる。“沽”は売り買いをすること、“券”は証文で、沽券とは土地の売り渡し証文を意味した。

券面には物件の価額が記載されていたことで、人の値打ちや体面にも用いられるようになった。混み合う車内で、他人をじろじろと観察するのは、やはりマナー違反ということなのか。

 

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寄席にお金を持って来てくれる客のことを“きんちゃん”というらしい。噺家の仲間うちにある隠語だという。つまらないことにも大笑いする客は“あまきん”で、反応がにぶいと“せこきん”と呼ぶとか。

どの客にも感謝の気持ちを込めるのだろうが、その道のプロには誇りもある。高座にいながらにしてお客を選別するようだ。

人の腸内に善玉菌と悪玉菌がいるというのはよく知られている。ほかには日和見菌というのもいる。健康な腸では、善玉菌が20%、悪玉菌が10%で、残りの70%は日和見菌なのだ。

善玉菌が優勢だと良い働きをし、悪玉菌が優勢になると、そっちに加担する。人間の社会によく似ている。

 

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戦後の闇市に全国一斉の取り締まりが行われたのは、1946年(昭和21年)の8月1日。70年前のことである。

映画やドラマのセットで最も高くつくのは何か。
演出家・鴨下信一さんによれば、明治の鹿鳴館や江戸の大奥でもないらしい。

<今や闇市ぐらい撮影に金がかかるものはない>のだという。(著書『誰も「戦後」を覚えていない』より)。

魚の皮の革靴や、鉄兜(かぶと)をつぶした鍋。たばこ巻き器などを撮影用に少数つくれば高価だろうと。都内などでは(焼け跡の小さなバーなど)今も名残りはありそうだが、現在の技術と物量でも再現のむずかしい不思議な場所が闇市だという。

語り継がれるウイスキーの名作コピーがあるそうだ。
<恋は、遠い日の花火ではない>である。
1994年に発表されたこの作品には、どこか哀愁も漂う。

購買層として狙う団塊世代への応援歌のつもりだったが、当初スポンサーは、このコピーを強く反対したという。明るさや元気さに欠ける印象を与えたとか。

作者・小野田隆雄さんが、少年時代の思い出として残る夏の風景なのだという。
“魅力的な寂しさ”があったと回想している。

遠い日の花火も、瞬間の芸術であることに変わりはない。時よ止まれ、の願いは叶わない。興奮の余韻にはかなさが混じり合い、帰路につく。夏の花火は今が佳境である。

 

言葉のニュアンスいろいろと

 

「この魚、先週に私が買ったのと比べると活きが悪いわよ」
「そんなことありませんよ。同じですよ。だって同時に仕入れたんですから」。

こういう話が大好きである。魚屋と客の会話である。(相原茂さん著『笑う中国人』より)

本屋さんでの立ち読みは合法かそれとも?
中身を選び買う権利は客にはあるため、書店が禁止しないかぎり違法ではないらしい。

書店が禁止すれば、訴えることはできるのだろうが、今どきそれをやったら客離れを覚悟しないといけない。体験上、本屋さんに行くと、買うつもりのない本をつい買ってしまう。それが素晴らしい出会いであれば、感謝感激である。

デジタルの限界は<欲しいものしか探せない>ということで、とても便利で助けられるが、検索キーワードの達人でないかぎり、本探しの楽しみや遊び心が失われそうだ。

 

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<交費給社保完昇賞有>。かつての求人広告で見られた漢字の羅列であるが、お見事である。“交通費を支給し、社会保険が完備、昇給や賞与もありますよ”と、たった9文字で伝えられるのだから漢字というのはすごい。

もう何年も使っていない言葉に「おみおつけ」がある。説明するまでもないが“味噌汁”のことだ。さて、おみおつけを漢字にするとどうなるのか。ふと疑問に思った。
耳なじみの言葉にどういう字をあてるべきか悩むのも、また漢字の国ならではなのだろう。

どうやら“おみおつけ”は「御味御付」となるらしい。
おみおつけに関する話で、昔の女房ことばで味噌のことを“おみい”と言い、おみいの“おつけ(汁)”なので、おみおつけになった、とのことだ。

 

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“にぎり”と“おにぎり”は別物であるし、“ひや”を頼めば酒がきて“おひや”を頼めば水がくる。「お」の有無でこれだけ変わるのだから日本語は奥が深い。

<『おビール』と言うのが気に入らない。外来語に『お』をつけるな>。
ケチをつけたのは作家・阿川弘之さんである。

文化庁による「国語に関する世論調査」というのがある
4人に3人が“お菓子”と言い、2人に1人が“お酒”と呼ぶらしい。

少数派として登場する“おビール”は1.6%で、“おくつした”(0.9%)などというのもある。さんざん飲み歩いたわが身として、“おビール”は頻繁に耳にしていたが、“おくつした”は訊いた記憶がない。

同調査では“怒り心頭に達する”(正しくは、発する)と使う人が7割超のようだ。
言葉は時代とともに変化していくもののため、「お」のつけすぎ、慣用句の誤用に限らず
ケチをつけることも大事なのだろう。

それにしても、怒り心頭に発する事件が後を絶たない。

 

ヒート・ストロークにはご注意

 

関東地方の梅雨明けが例年より遅いという。
おかげで30度未満の日が続き、とても過ごしやすい。

しかし、この先に炎天下が続くようになると、しっぺ返しの暑さを感じてしまう予感である。
くれぐれも気をつけたいのは“熱中症”である。

なにかで知ったが、熱中症の英訳は“ヒート・ストローク”になるそうだ。
ストロークは発作などを意味するとか。たしかに熱中症で、発作のような症状になるのを見たことがある。

熱中症は<熱に中(あた)る>から来ているともいう。中るが“当たる”といわれるからだ。

<夏バテ防止三大食べ物の日>と呼ばれる記念日もあるらしい。
ウナギを食べる土用の丑(7月29日)は有名だが、残りの2つは天ぷらの日(7月23日)と焼き肉の日(8月29日)だという。

二十四節気大暑の入りに合わせ、魚介のたんぱく質を脂肪と一緒にたくさん摂取し、
猛暑の続く日々を乗り切ろうとの趣旨らしい。

 

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寿司などは季節を問わないのだろうが、暑い夏でも食欲がわく。
イラストレーター・べつやくれいさん著『ばかごはん』では、握り寿司一人前に旗を立てたらの遊び心が紹介されていた。お子様ランチからの発想らしい。

通常、お子様ランチは山の形を模したケチャップご飯の頂上に旗が立っている。
他の色々な食べ物にも旗を立ててみたらどうなるかと思い立ったとか。
居酒屋の枝豆や焼き鳥に旗では見栄えが地味すぎて、お子様ランチにならないが、寿司なら楽しさと華やかさでちょうどよいとのことだ。

以前、消費者物価指数の調査品目から、お子様ランチが外れる見通しとの記事を見たことがある。各家庭が毎月一定程度支出する品目を調査するらしく、少子化の影響で以前ほど食べられなくなったのか。

 

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5年ごとの品目見直しで、親子どんぶりも外れるとあった。逆に、日本そばとしょうが焼き定食が新たな対象に加わるとか。

全体として外食への支出が伸びる中、何を選ぶか。全国にはいろいろなお店があり、お客さんの嗜好の移り変わりが調査しやすいそうだ。

それでも、大人向けのお子様ランチを出す店もあるらしい。
かつて私も、数名の仲間と飲んだ後みんなでお子様ランチを注文して食べたことがある。
郷愁なのか、酔って急に食べたくなり、意見の一致で洋食屋さんに飛び込んだ。

子供向けのメニューであったが、お願いしたら快く作ってくれた。
子どもが少なければ、大人のリクエスト効果で調査品目に再登場する日がぜひ来てもらいたい気持ちである。

また最近も、絶滅が危惧されるニホンウナギのことを書いた記事を見た。
かつては、<一晩の稼ぎが数十万円以上にも。漁師たちは目の色を変えた>と。
鰻のかわりにナマズへと矛先を変える動きもあるらしい。

ふっくらしたかば焼きに目の色を変え、自然を顧みなかった乱獲という罪。
それは“いつまでもあるだろう”と食べ続けてきた私たちの胃袋にもあるだろう。

 

恐るべき効果のポケモンGO

 

ゲーム音痴の私がポケモンGOにトライしてみた。
職場の前にいたポケモンを発見。通勤の往復で、2匹捕えることができた。
良くできたゲームで、多くの人があれほどハマるのがよくわかる。

ポケットモンスターは、ゲームソフトシリーズの名称で、登場する架空の生物の総称だ。モンスターボールに入るとポケットに入るから、ポケモンというらしい。

かつてテレビにつないで遊んだファミコン。今はあれよりもっと高度なゲームがスマホでかんたんにできてしまうとか。

2年前、近所にある公共施設内の娯楽室でおどろいた。そこはバドミントン1コート、卓球台が3台置けるスペースなのだ。競技に興じる若者や子どもたちが集う場所である。

そのとき、部屋の両壁際や隙間に大勢の子どもが、数名ずつで輪になり座り込んでいるのを見た。施設建設の際、児童公園の敷地を半分使用したため、遊びに来る子どもも受け入れる、というルールになっているそうだ。

 

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円座の子どもたちは、みんな無言で携帯ゲーム機に熱中していた。あとで知ったことだが、通信で同じゲームをしていたのである。それを見て、怪しげな宗教集団を連想してしまった。集まる子どもたちは一様に生気がなく、魂が吸い取られているようにも感じた。

子どもや若者に特有な活気があってもいいのに、元気なのはお年寄りばかりだ。
外が晴天でも、わざわざ屋内に集まり無言の電子ゲーム漬けなのである。

“泥だらけ”で遊んだり、夏には真っ黒に日焼けする子どもたちが、そこにはまったく見当たらない。色白で洋服もきれいなままだ。

ここ数ヶ月では、ゲーム機からカードゲームに好みが様変わりしている。
子どもは優先順位がハッキリしているから、遊びも均一化しているのだろうか。
それでも、屋内にたむろする姿は以前のままだ。

 

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モノのない時代に生まれた子どもが戦後のタイミングで大勢できた。
だから、モノを作れば作るほど流通したし、洋食も食されるようになった。
さんざんありがたがられたモノや食品も、いつしか手の届く所に置かれている。

少子化で生まれてきた子どもたちは、モノにも食べ物にも不感症で、バーチャルな空間へ自らのこころを置き始める。

活字世代からの移行で、ゲームやコンピュータなどデジタル育ちの子どもは、青春時代なしで大人になる、という説もある。子どもと大人の境い目がかなり曖昧なのらしい。

ポケモンGO配信後1日目の昨日のことであった。

例の娯楽室に毎日60~70人もが集まり、カードゲームに熱中していた子どもたちが、ひとりもいなかったのだ。

外で、スマホを見ながらウロウロしている学生や大人を、何人か見かけた。
法事でお世話になる住職さんのお寺の境内では、子どもたちでごった返していたという。

良いのか悪いのかはわからぬが、絶対に外へ出なかった(近所の)子どもたちまで、外で遊び始めたらしいのである。