日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

言語明瞭なる独り言の時代

 

<行く年や猫うづくまる膝の上>。
師走の作なのであろうか。夏目漱石さんの一句である。

今日は漱石さんが没して100年の命日だという。
また本年は、(『吾輩は猫である』にもその名が登場している)英国のシェークスピアが、没後400年の節目を迎えている。

ご両人による数々の作品は、時間という風雨に古びず、今なお色落ちすることがない。

 

1741

 

10年ほど前、小説や漫画の世界で“死神(しにがみ)”のブームがあったという。
伊坂幸太郎さんの小説『死神の精度』などがよく読まれたそうだ。

かつて、気のすすまない縁談を受け入れようとする童謡詩人・金子みすゞさんに、弟がたずねたらしい。

「ほかに好きな人はいないの?」。
みすゞさんは「いる」と寂しそうに言い、
「黒い着物を着て、長い鎌を持った人なの」、と答えたという。

不幸な結婚生活を経て、26歳でみずから命を絶つ人の短い後半生が思い浮かぶ。

生きていることの手応えや“生”の実感が希薄な時代ゆえ、死の恐怖が造形化された死神に心ひかれたのであろうか。

 

1742

 

独り言なるもの、たいていはボソボソ聞き取りにくいものだが、言語明瞭の場合には“悲喜劇”も生まれる。作曲家・曽根幸明さんの随筆にあった。

勝新太郎さんの事務所に勤めていた方の失敗談である。
徹夜でマージャンをしている勝さんがその方に言った。
「おい、ラーメンを頼んでくれ」。

そして、事務所の人の独り言が全員の耳に届いた。
「こんな早朝に何を言ってやがんでぇ。スープにゴム管でも刻んで食いやがれ」。

お茶目な勝さんはその独り言を聞き流し、翌日にゴム管入りのスープを持参したそうな。
「さあ、食ってみろ」と。

現代人は、聞き取られては困る独り言を言語明瞭に、大音量で発信してしまう時代を生きているのではないだろうか。ネットやSNSでの独り言が大声で拡散して、取り返しのつかない状態に陥ることも多いだろう。

そのせいか、私にはSNSへ近寄り難い思いが強い。いらない独り言をかんたんに口走ってしまいそうだから。

独り言はボイスレコーダーに囁く程度が、ちょうどいいのかもしれない。