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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

メディアこそがメッセージでメディアは質ではなく量で発展する

 

<メディア・イズ・メッセージ>とは、カナダの英文学者で文明批評家のマーシャル・マクルーハン(1911年~1980年)が唱えたメディア論である。

話の中身はコミュニケーションのわずか7%のウエイトで、初対面のイメージは7秒で決まる。残りの93%がマクルーハンのいうメディアであると私は解釈している。
どんなにいい話をしようとしても、相手の人は話そのものよりも話し手の表情やしぐさ、そして服装などへ9割以上の関心が向くということなのである。

人は、講演会などに行き、その人の話を聞いているようでも、話の内容の記憶は案外少ない。人はどれを優先して受け止め、話し手の感情や態度を判断するのか。

視覚情報(見た目・表情・しぐさ・視線)55%、聴覚情報(声の質・速さ・大きさ・口調)38%、そして言語情報(言葉そのものの意味内容)が7%という説もある。

 

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音楽でも、歌詞は覚えていないが、メロディーは覚えているという事がよくある。松任谷由美さんは<作詞と作曲で、作詞の方が時間を費やす>とラジオで語っていたが、まったく別々のメディアに<メッセージを込める作業>をしているともいえる。

<メディアは「質」でなく「量」で発展する>。こちらは、ハイパーメディアクリエーターの高城剛さんの言葉である。沢尻エリカさんのご主人だった方だ。

映像メディアの発達で、技術者たちは“色彩の美しさ”や“画像の解像度”といった「質」にこだわるが、一般ユーザーは“受け取ることができる情報量の多さ”と“情報ツールを簡単に持ち運べるか”などとの「量」を求めがちである。

 

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ビデオテープが普及の際、“画像がきれいな”ベータよりも、“長時間録画ができてソフトの多い”VHSをユーザーは選んだ。

音楽を聴くには、ウォークマンからiPodへと、“容量豊か”で“より小さな”方向に
トレンドは向かった。

そして今は、複合的なメディアとしてのスマホで、音楽を聴く人が増えている。
このメディア変遷をみても、高城さんのおっしゃることがよくわかる。

 

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<テレビ事業は売り上げが立っても利益が出ない>、<赤字の大半は大型液晶事業に起因するものである。これを本体から切り出し、経営の安定化を図る>。このようなニュース記事をよく目にした。

<独創的な製品を世に送り出すこともできず、巨額赤字の元凶でもあるテレビにいまなお固執し、「4Kテレビ」「8Kテレビ」と騒ぐ経営者は"無能"の烙印(らくいん)を押され・・>や、<4Kテレビを"救世主"とする愚かさ。家電各社は消費者が本当に4Kテレビを欲している、と考えているのだろうか>との手厳しいご意見もネットでお見受けする。
まさに、“テレビ受難”のご時世である。

問題点は、つい最近ハイビジョンになったばかりのテレビを、一般ユーザーが“質がいいから”という理由だけで 「4K」や「8K」に買い替えるだろうか、ということ。
日本にハイビジョンが普及したのも、“質”の高さをユーザーが評価した、というよりも“地デジ化”という国策に促されて渋々、というニュアンスが強い。

 

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<未来の未来は現在(今)にあり>。これは、上述のマクルーハンが言った。
今をみても、多彩な情報量は“YOUTUBE”や“ニコニコ動画”などの通信系メディアに軍配が上がるのではないか。

以前、柔道家・木村政彦さんの本を読んでいて、1951年(昭和26年)に行われた幻の名勝負『木村政彦vs.エリオ・グレイシー』が観たくてたまらなくなった。
まさか、と思いながらパソコンで“YOUTUBE”にアクセスしたら、かんたんに見つかった。もう大感激であった。他にも同様なことがたくさんある。
まさに、メディアの「量」の発展の典型だと思える。

こういう芸当は今のテレビにはできないであろう。わが家には2台のハイビジョンテレビがあり、どちらにもインターネット配線をしている。それでも、パソコンやタブレットのように自由自在でインターネットを使いこなせていない。せっかくネット接続までできているのに大いなる不満である。

テレビメディアの発展の道筋は、「4K」や「8K」ではなく、<通信との融合>の方こそ優先させるべきではないだろうか。画質は今のままでかまわない。インターネットの膨大な情報を、思い切り大画面で堪能できるように、発展させていただければうれしい。