存在感の薄まるTVメディア
「横浜市史」にあるという。江戸末期に米国のペリー提督ら一行が、黒船で来航した際に横浜で相撲見物をしたそうな。
1854(嘉永7)年、日米和親条約が締結されたときには、幕府の配慮で力士と面会した。米兵は、米俵を軽々とかつぎあげる力士に興味を抱いた。
そして、即興の親善試合で無敵だった大関の小柳が米兵3人を同時に相手にして圧勝。<アメリカ人一同喝采して感嘆し、力士たちの親善の使命は見事にはたされた>とのこと。
NHK朝の連続テレビ小説で『ひよっこ』など3作品を書いている脚本家の岡田惠和さんによると、朝の忙しい時間に放送されるため、画面を見なくとも、聞いているだけでも理解できるように書くという。
目だけの演技などの場面を避けてセリフ中心のドラマを作るのだ。そのため、“みんながよく喋る”。それが朝ドラのにぎやかさと明るさのエッセンスなのかもしれない。
歴代の作品で3世代同居などの大家族が描かれるのもそのためか、“喋る相手”もたくさん用意されている。
高視聴率の大相撲も夏場所が中止ということで、テレビで観ることもできなくなった。朝ドラはどこまで撮りだめされているのかわからぬが、この春スタートの連続ドラマもどんどん途切れていく。
なかには前宣伝だけで初回スタートさえされていない作品もある。テレビというメディアの歴史でこんなことは初めてなのだろう。
近年では若者のテレビ離れなどといわれることもある。一日中テレビをつけっぱなしにする“必要”派と、パソコンで動画投稿サイトのユーチューブや動画配信サービスのAmazonプライム・ビデオ、Netflixを見られれば十分という受信機を持たない“不要”派に分かれるらしい。
私は自室でパソコン作業をしながら、テレビをつけっぱなしというパターンが多い。リアルタイムでの番組はほとんど見ずに録画をしたドラマを編集してまとめて観る。あとはアマゾンの“Fire TV Stick”をテレビのHDMI端子に挿して、ユーチューブや動画配信サービスを楽しんでいる。
ある意味ではテレビ離れ派なのだろうが、パソコンやタブレットよりテレビの大画面で見るのが好きである。
それでも、テレビ番組は視聴者への到達力が圧倒的に高く、ネットでも話題にされやすいのはたしかだった。テレビ番組をネットでも流す“常時同時配信”も、若者のテレビ離れがあるから成り立つのかもしれない。
かつて、放送表現ギリギリの実験的な番組がテレビの歴史を変えてきた。しかし、今の地上波からはなかなか生まれない。コンテンツが氾濫する時代だからこそ、存在感を高める努力をしないといけないのがテレビ局のはずだ。
コロナで自粛中の今でも、テレビの中ではネット内の動画が繰り返し流されているだけ。情報やニュースの内容でも、ネットのアクセスランキングなどが横行している。まるで、素人の作る番組にひれ伏すが如くに・・・である。情けない。