日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

アナログに追いつけない性能

 

デジタル時代以前、一般的に映画で使われていた35ミリフィルムの映像の解像度は、4Kに相当するという。フィルムで撮られた名作映画やテレビ番組が、相次いでデジタルリマスターされているのはそのためらしい。

従来のテレビ放送は、その解像度で映せなかったが、4K放送でそれが可能となり、最新技術でやっとオリジナルフィルムの高い性能に、放送の環境が追いついたという。

ただ、2018年12月1日スタートの新4K・8K衛星放送も、視聴比率はまだ低く、自宅に4Kテレビがあっても、4K放送を視聴している人は、まだまだ少数派であるのが実態だとか。

フィルム映画を多くの映画館で当たり前に観ていた世代であるが、アナログの性能に改めて驚く。

美談も、人々のアナログ感覚が刺激されるとすごいパワーだ。一昨年 米国で、車のガソリン切れのため立ち往生した女性は現金がなくて困っていた。近くにいたホームレスの男性がなけなしの20ドルでガソリンを買ってくれたという。

 

 

感激した女性はネットで話を広め、男性への寄付を呼びかけると短期間に約4千万円が集まった。デジタルの拡散力が人情に訴えかけたのだろう。

後日、真っ赤なウソだったことが判明。女性とホームレス役の男性は知り合いで、ガソリン切れも20ドルも全部作り話だった。それは、日本にも昔からあった「泣き売(ばい)」という手口で、人情に付け込み商品を売るものに似ている。

アナログといえばこの人か。サイバーセキュリティ基本法改正案を所管する元五輪相だった桜田氏。一年前の衆院内閣委員会で、担当能力を不安視する声に反論した。

その前の国会答弁では「自分でパソコンを打つことはない」と述べた。

野党議員から担当閣僚としての能力を問われ、<有能な人間の能力を総結集して、ジャッジ(判断)するのが私の仕事だ。私は、判断力は抜群だ>と胸を張った。

米紙ニューヨーク・タイムズは、桜田氏の発言について「コンピューターを使わない人は多い。だが、そのほとんどは国家のサイバーセキュリティー責任者ではない」と論評。

質疑で桜田氏は<世界に私の名前が知られた>と述べたそうな。もはや、アナログをも超越した人なのだろう。

 

 

<鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも>。石川啄木さんの歌である。私にもよくある。酔った自分の姿を街中のショーウインドウに見つけたときなどに。

普段は、ひとの人相に内心あれこれ文句をつけているも、鏡の自分の人相の悪さにドキリとすることがあるのだろうか。

「医師には社会的常識がかなり欠落している人が多い」。首相当時の麻生氏が公式の場で述べたという。不明朗なカネや見識を疑う放言で閣僚が、性懲りもなく入れ替わる昨今、“政治家には・・・”と置き換えた方が説得力は増す。

漢字の読み方や言葉遣いと、首相の仕事が小学生の勉強並みに大変なことだったであろうが、総選挙という有権者の「鏡」に身を映すまで我が身が見えていなかったようだ。

10年前のあの鏡も、その奥の国民にもよく見えないように曇りきっているのかどうか。閣僚たちがやっていることは、なにも変わらないのに・・・。

 

 

今週のお題「紅葉」