日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

乗り越えた力の源泉はなに?

 

随筆家・小説家の幸田文さんがかつて、家に来た畳職人の話を書き留めている。畳を扱う仕事は力だけでするものではなく、“こつ”や“なれ”で扱うから年をとってもけっこうやっていける・・・のだと。それでも彼は、老いる前に仕事を切り上げるつもりでいる。

<若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、いい技術を受けついでもらわなくてはいけない>と。以前、親方からこう諭されたからだ。今の時代とはちがい、粋な見栄である。先人のお話はとてもためになる。

イギリスの細菌学者・フレミングは、青カビの周りだけ細菌の生育が止まっているのを見逃さなかった。1928年の夏、旅行から研究室に戻ってみると、ブドウ球菌の培養に使ったシャーレに青カビが生えていた。

どうやら、フレミングは後片付けが苦手だったらしい。普通ならすぐ洗ってしまうところだった。そして、カビがつくる物質を突き止めて、ペニシリンと名付けた。

 

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レミングによって、“奇跡の薬”と呼ばれる抗生物質は偶然から生まれた。フレミングは1945年にノーベル医学・生理学賞を受賞。<偶然は、準備のできていない人を助けない>。フランスの細菌学者・パスツールの名言である。

<今日もまた空(むな)しかりしと橋の上にきて立ちどまり落つる日を見る>。物理学者・湯川秀樹博士にとって、研究生活は焦燥と隣り合わせだったという。

“創造への飛躍”がなかなかやってこない現状で、乗り越えた力の源泉は何か。博士は「未知の世界へのあこがれ」だったと思いを込めている。

偶然は、作品の制作秘話などにも(同様に)関与する。大ヒット曲『贈る言葉』は卒業式の定番として歌われる曲だが、本来は失恋から立ち直るために歌ったという。武田鉄矢さんは、事実がないと歌が作れないそうで、失恋から出来た別れの歌だった。

 

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未練たらたらの武田さんは、ずっとウジウジ泣いていたらしい。そしてお相手から「放してって」と言われ、挙句の果てには「大きい声を出すよ」・・・とまで。

<人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから>。そこから名曲が生まれた。この歌詞の部分は、太宰治さんの言葉を借りたとのこと。太宰さんいわく、「優」という文字の成り立ちで、<人は憂いが心に多いほど、人に優しくできる。だからその人は優れているんだ>と書いた。

武田さんの体験で、女性に振られて泣いていると、落ち着くために必死で本を読むという。曲のタイトルについても<1960年代に芥川賞を受賞した柴田翔さんの作品に『贈る言葉』がある>。「あっ、これだ!いつか使おうと思った」という。

実際に、タイトルを作るためにも本屋を歩きながら言葉を探した、というからすごい。80年代の作品にそれが反映している。まさに、“準備”ができていたからこそ、偶然を引き寄せられた・・・と、いうことだろう。