日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ワンチャンの裏に弛まぬ努力

 

“若者言葉”は昔からあるが、最近はSNS発の言葉が多く登場しているという。入力が面倒とのことで、“いみふ”、“りょ”、“ワンチャン”・・・等の極端な省略が目立つ。そして、登場のサイクルも早くなっているそうな。

“ワンチャン”を検索してみると、ワンチャンス(ONE CHANCE)の略で、<可能性は高くないけど成功するかもしれない>という期待を込めた気持ちを表現する用語らしい。

日本人国際スターの草分けであった早川雪洲さんは、明治の終わりに渡米したが、第2次大戦中にパリで消息不明となった。私生活での混乱などで表舞台から離れていたのだ。

 

 

早川さんがハリウッドに復帰するきっかけを作ったのが、『カサブランカ』で大スターとなったハンフリー・ボガートさんであった。

東京を舞台にした映画『東京ジョー』で、少年時代からあこがれていた雪洲さんとの共演を望んだ。戦後まもなくに発見されていなければ、大作『戦場にかける橋』での名演も見られなかったはずである。

この人も渡米をして成功した人だ。プロ野球・巨人や米大リーグ・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜さん。

<努力できることが才能である>。松井さんが座右の銘とした言葉だという。父親が石川県の画家の言葉に感動し、小学3年の松井さんに墨で書いて手渡した。

これを机の前に貼り、野球に打ち込んだ。当時の巨人監督の長嶋茂雄さんは、連日のマン・ツー・マン特訓で、松井さんの素振りにアドバイスをした。

「私の前で何千、何万、何十万とスイングしたのでしょうが、松井君は一振りたりとも手を抜きませんでした」とのことだ。

 

 

ハリウッドで引っ張りだこだったメークアーティスト・辻一弘さんは、2012年に映画の仕事から離れた。

“君が引き受けてくれなければ出ない”。現代美術家として活動していた辻さんにメールを送ってきたのは、『ウィンストン・チャーチル』でチャーチル英元首相を演じることになった名優・ゲイリー・オールドマンさんであった。

迷いながらも辻さんは引き受けた。そして、アカデミー賞に輝いたのである。雪洲さんが届かなかったオスカー像を手にして、辻さんは主演男優賞のオールドマンさんと喜びを分かち合った。

雪洲さんには『武者修行世界をゆく』と題した自伝がある。そこでは<海外で仕事がしたかったら、自分で方法を見つけて飛び出せ>と語られている。