日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

常に一期一会であること・・・

 

千利休の茶道の筆頭の心得だという。<あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものである。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう>。そのことが“一期一会”なのであろう。

少し掘り下げてみれば、<これから何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれない>という覚悟で人には接しなさい、との気持ちにつながる。

一期一会はぜったい“今”にある。ふだんの中にある“あたりまえ”にこそ、気が付かないモノが多く含まれるからだ。

 

 

親と過ごす瞬間、子どもと過ごす瞬間。これも一期一会だと感じる。かつて、子どもや孫でにぎわった家庭も、今はひっそりとしている。この数年はとくに、夫婦だけとか、ひとりでの生活を余儀なくされている方たちも増えている。

それぞれの地方では、駅前の商店街がシャッター街に変貌していたりもする。かつてのにぎやかさは、つい昨日のようだった。

バブル景気で浮かれているとき、人手不足のためよく働きそれ以上によく遊んだ。あのにぎやかだった“今”も長くは続かなかった。

 

 

人生は“今日”の“今”の連続である。だれもが、その中に身を置きながら“今”しか生きられない。産声をあげたときや息を引き取るときも、そのときの“今日”の“今”である。“今”のこの瞬間のドット(小さな点)がつながって線になる。それが人生なのだろう。

人との出会いだけではなく、今の自分と出会うこともなによりの一期一会といえそうだ。

売れっ子だった芸能人や歌手の人たちは、頂点の時期を回想してみて、まったく憶えていないということがよくある。まるでそのときは、自分自身がコントロールできていなかったかのようにである。

自分の顔を肉眼で見られないのと同じに、他人の時間は見えても自分の時間が見えにくい。<人の振り見て我が振り直せ>。この言葉も時間軸でみれば、一期一会にたどり着くのかもしれない。