やんちゃで勝るビッグデータ
明治になって西洋からどっと入ってきた新しい言葉がある。先人たちは上手く翻訳をして自分のモノにした。今もふつうに使っている“存在”、“哲学”、“自然”なども、19世紀の後半に生まれた新語なのだという。
“社会”をひっくり返して“会社”にしたりと、当時の発想に遊び心を感じてしまう。
現在は、中国や新興国で、新しく考案されたサービスが猛烈な勢いで広がることがある。例えば、中国の自転車シェアリングサービス「モバイク」である。
自転車にはGPS(全地球測位システム)が付いており、どこでも乗り捨て自由。利用者は、スマートフォンで近くの空き自転車を探せるという。近距離の移動データも、使い方次第で新たなビジネス開発につながる貴重な情報源になる。
同様のサービスが日本から生まれても、放置を防ぐなどの規則により、決められた場所へ返却しなければならないため、乗り捨て自由という「モバイク」の魅力が半減してしまう。
日本では、規則が先決と考えて、規則ができるまで待とう、ということになる。中国は、<規則にないものはやってしまえ>との“やんちゃ感”が強い。
社会に大きな“便利と有益”をもたらす事業を考えついたとき、“やんちゃ”に実行できる下地のある国は、(良し悪しは別に)強い国に化ける可能性があるらしい。
ビッグデータの活用次第では、日本にも商機があるはずだ。まずは、データを取って、蓄える習慣をつけることが肝要なのはいうまでもない。
「本日の予定は?」。「4件あります。一つ目は10時の◯◯です」。天気やスポーツ結果の情報などもほとんど、AIスピーカーから得ている。今の気分に合った音楽を流したり、ラジオをかけて居眠りすることもある。
ひとりで車を走らせているときなど、AIスピーカーがあればとても楽になるといつも思う。運転しながら話すだけで何でもしてもらえるからだ。
1年前くらいから話題になった商品だが、日本でどれくらい浸透しているのかはわからない。AIスピーカーを巡る主導権争いは、音声操作の世界標準を巡る争いという側面もあるといわれる。
スピーカーに話した内容を、ビッグデータとして大量に集めれば、利用者の欲しているサービスがよくわかる。また、会話を重ねるたびに、AIが多くの言葉を学んで賢くなり、自然な会話ができるようにもなる。
今後のスキル(アプリ)次第では、友人や恋人などのデータを入れることで人格が備わったり、故人のデータをインプットすれば、AIスピーカーがイタコのようになり会話ができるかもしれない。
家庭のスピーカーだけでなく、自動車やロボットなどにも使える。利便性が上がれば利用者が増え、競争力をさらに高めることになるはずだ。