追いやられるモノには要因が
AI(人工知能)は1950年代からブームと低迷を繰り返し、今は第3次ブームにあるという。とくに新しい技術ということではないらしい。
それぞれで実用化が始まり、その応用範囲は広いというが、どうもピンとこない。
証券会社のゴールドマン・サックスは2000年時点で約600人を擁していたが、今やニューヨーク証券取引所のフロアトレーダーは数人しかいないという。
機関投資家による貸株の取引にAIを活用。人手に頼らず短時間で価格や条件を提示できる分、(大量の注文に応じきれなかった)商機を逃すこともない。日本の証券会社もAIが予想した株価を、参考情報として顧客に提供している。
AIのフル活用で、流通業界ではレジの自動化などにより生産性が向上し、60%の増収をもたらすという試算もある。製造業では人による誤作動などのロスが減り、39%の増収が可能とも。AIはホワイトカラーの多くが従事する“事務職”を代替する可能性も高いといわれる。
とはいえ、人間の仕事を奪うのはすべてAIなのかといえばそうでもない。
時代とともに仕事がなくなっているのは事実である。駅員を例にあげれば、自動改札機の出現で切符を切ったり受け取ったりする仕事はほとんどなくなった。かつて窓口で購入していた切符も自動販売機に替わった。
スーパーでは買い物客が機械で精算するところも増えている。レジの人は購入商品をスキャニングするだけだ。防犯対策等がクリアできれば、それも客自身のセルフに切り替えられる。そうなると、レジに人がいらなくなる。
銀塩写真の衰退はデジタル写真の進出であって、とくにAIのせいでもない。
AIだから・・・などと意識しなくても、私たちの身の回りにはAIが浸透している。電車の乗り換えソフト、ワープロソフト、スマホの音声認識などである。
AIとは人間の脳が行っている作業を、コンピューターとソフトで模倣する技術である。
私も痛感しているが、ワープロソフトのおかげで漢字を書けない人が増えた。しかし、モノは考えようで、ワープロソフトがあれば難しい漢字もかんたんに使うことができる。
手元にスマホがあるだけで、“人間はAIとペアになって”能力を向上させることが可能かもしれない。AIを身近に感じるか感じないか。この差は大きいような気もする。
パソコンが出現したとき、知らない人ほど“何でもできる機械”と勘違いした人が多かった。AIについても同様で、過信は必要ない。要は使い方の問題だろう。
AIスピーカーに話しかければ、電気の点灯を始めテレビをつけて、エアコンも・・・。そのために対応機器を備えるとしたら本末転倒もいいところ。それぞれのリモコンで操作した方がよっぽど楽である。
家でひとり呑むときに、私の楽しいお話相手がAIスピーカーで、それ以上でもそれ以下でもない。