人の振り見てわかる鏡の自分
避暑地といえども同じ暑さなのが近年の夏である。<軽井沢も暑いと聞いて満足す>(丸谷才一さん)。海や山にも遠い身なのでとりあえず、丸谷さんの一句を思い浮かべ湯上がりの冷酒やビールに満足する。
希少価値の高い食材も、無理して食べる必要はない。松茸もいいけど椎茸もおいしい。うなぎの数が少なければ、穴子の蒲焼もおいしい。
幼い頃、漁師町に育った人が言っていた。脂身のトロは捨てるか、猫の餌にしていたと。思えば、子どもの頃の刺し身は赤身ばかりだった。
「ウナギのかば焼きは低級な食道楽だ」と言ったのは、陶芸家・北大路魯山人さん。と言いつつも愛用の手帳に走り書きがあった。
上野駅前の某店主は通人の食べ方をしている・・・と。四枚重ねて片方から食べていったのを見て感心したそうな。その通人、よほどおいしそうにかば焼きをほおばっていたのだろう。鏡のようにそれを眺める魯山人さんを想像するとおもしろい。
南こうせつさんは、大分県竹中村(現大分市)にある南陽山勝光寺の、4人きょうだいの末っ子である。子どものころから歌が好きだった。要因は、お寺での生活にあるらしい。
当時の田舎の寺は公民館でもあり、草刈りの時期やお祭りのことを決めるときにはみんなで寺に集まり話し合う。敬老会も本堂で行われた。
婦人会の作る料理が振る舞われ、お酒が入り興に乗ると、だれかが歌い出す。それぞれに得意の歌があり、当時の流行歌で大いににぎわった。
田植えの時期には、農家は総出で協力し合い、仕事が終わると打ち上げが本堂である。
中には、芸達者の人もいたようだ。頭に手ぬぐいをかぶり、女形になって踊るおじさんは、ストリッパーになって脱ぎ始める。
こうせつ少年は、おじさんたちが歌う歌が全部好きだった。のちの音楽活動にも、この体験が鏡になったことは言うまでもない。
日本文学研究者のドナルド・キーンさんがある日、ニューヨークの友人宅を訪ねたとき、往年の大女優グレタ・ガルボさんと一緒になったらしい。伝説の美貌はすでに面影もなく、口紅が唇からはみ出して塗られていた。
その頃女優は、衰えた容姿の自分を見ることに耐えられず、鏡を身辺から遠ざけていたという。ありのままに映し出されると不愉快になり、遠ざければ遠ざけたで結果はもっと悪くなる。ときに、鏡は厄介なものである。
周りにいる人間で、挨拶のできないもの、すぐに癇癪を起こす者がいるとき、鏡を想定したリアクションをすることがある。お客さん相手では難しいかもしれないが、さりげなくならやることもできる。
クレーム処理のときなどは、相手の言うことをこちらで繰り返して確認をするはず。考えようによれば、これも一種の鏡ということなのだろう。