懐かしくふしぎなこころ貯蓄
先日、織田作之助さんと自由軒の名物カレーのことを書いたら、ひょんなことでそのカレーを食べた。大阪に住む、うちの奥さんの友達が、自由軒のレトルトカレーをおみやげに下さったのだ。
レトルトといってもお湯で温めるものではなく、スープ状のカレーをマイ中華鍋でご飯と絡め調理した。
オダサクさんが活躍した時代を想像しながら味わった。オダサクさんが自由軒へ通った時代は、レトルトなどの便利な加工法は広まっていなかった。
いったいどんな時代だったか。戦後の織田さん、太宰治さんとともに「無頼派三羽ガラス」と呼ばれた坂口安吾さんは、随筆にてある作家仲間を評した。
坂口さんのその仲間は、ヒロポン注射が得意で、酒席でにわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ・・・。その行為は<流行の尖端だからひとつは見栄だろう>とのことだ。
ヒロポンは覚醒剤だが1951年(昭和26年)に法ができるまで規制はなく、薬局などで売られていたという。安吾さんは“猫も杓子も”と、世間の乱用ぶりを記した。今では考えられない「ふしぎな世界」である。
“不思議”と“ふしぎ”の使い分けで、ある出版社では『植物の不思議』などの科学本は漢字の方が読者の興味をそそり、『ふしぎの国のアリス』のようにファンタジーなら平仮名がいいとのこと。
私にとって、「無頼派三羽ガラス」が活躍されていた時代は、ファンタジーなのだ。戦後ですべてを失っても、織田さん、安吾さん、太宰さんの文章には、ふしぎなパワーがある。
それは、こころの中の貯蓄が開花したのかもしれない。ゆとりとは“こころの定期預金”のようなもの。たまれば心は寛容でおおらかになり、しかも減りにくい。
今も、イヤな事件が続く。減ると焦りから人は攻撃的になり、キレやすくなる。“キレる”は「堪忍袋の緒が切れる」のことと理解していたが、他人と接触を絶つとの(切ってしまう)意味なのだとか。
「こころの貯蓄」ということでは、今から一年前に放映されたドラマが思い浮かぶ。NHKの連続ドラマ『ツバキ文具店』である。副題に“鎌倉代書屋物語”とあった記憶がある。
鎌倉の寺社や路地など情緒漂う風景の中、代書を依頼する人々の人生のエピソードが美しく描き出されていた。まさに心温まるドラマであった。
代書という作業に珍しさもあったが、主人公が選ぶ筆記用具、インク、紙、字体なども興味を持った。そして、なによりのテーマは「心を表現できる手紙の良さ」である。
毎回主人公に持ち込まれるさまざまな代書の依頼。お悔やみの手紙に離婚の報告。
かつての恋人へのラブレターに借金の断り・・・等。
育てられた祖母の死で、その仕事を継ぐことになった孫娘。ふたりの気持ちが通じ合えない葛藤の中、最後にわかり合えるきっかけも「手紙」であった。
主演の多部未華子さん、倍賞美津子さん、高橋克典さん、江波杏子さん、奥田瑛二さん。「こころの貯蓄」ともいえる演技に感謝である。