日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

時間は取捨選択で見える化を

 

昔の新聞の文字は今よりはるかに小さかった。読者の要望により何度か文字を大きくしている。記者側からみると、載せられる記事量が減ることへの抵抗感はあるようだ。

大きくなったときには読みやすく感じても、いつのまにか裸眼では読みにくくなっている。思えば大好きだった読書も今はまったくできていない。文字が小さくて読みにくいのである。文字を拡大して電子書籍を読めるようにと、キンドル等のタブレットを持っていても、モニター内の文字数が少なくなって味気ない。

スマホだと画面が小さすぎて、PCほどにインターネットは使えていない。タブレットがあれば、安くてシンプルな携帯でいいかとも思うが、AIスピーカーやスマートウォッチの設定など、(デバイスとしての)スマホへの依存度は拡大する一方である。

老いも若きも目を酷使している社会であるが、100年後や200年後の人たちは、どんなサイズの文字に囲まれて過ごすのであろうか。

 

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物理的な話ではないが、日々の時間のやりくりが上手にできない。要するに時間管理がよく見えていないのだ。そのためには予定を書き出して“見える化”するのがよさそうだ。普段の一日を可視化することで、自分が何時にどんな時間の使い方をしているかを意識できるとのこと。

メモや付箋に予定をひとつずつ書き出して、並べてみる。本当にその時間でないとだめか検討をしてみるのだ。それらを並べ替えながら効率良く過ごせるか考える。ここがポイントであるらしい。私が好きな「シナリオの箱書き」と同じ方式だから楽しめる。

たしかに、自分の時間が見えていないと困る。毎朝、その日の予定を確認しても、やるべきことを把握しきれず慌てることがよくあるからだ。

やるべきことの取捨選択も大事である。人付き合いでは、その人と関係を築くことがメリットになるのか考えてみる。世間体だけの付き合いなら、削ることも必要であろう。勉強も将来なりたい職業や目的のためなら続けるべきだが、そうでなければやめるのもいい。人生の将来像を描いてみて、そこにつながることを優先してみることだ。

 

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時間は誰にでも平等である。取捨選択で残った“やること”も、予定にすべてを組み込まず、腹八分目にしておく。そうすれば、急用にも対応できるはず。

時代のニーズとして、捨てたくても捨てにくいものがある。携帯電話番号は今や“存在証明”になるようだ。作家・藤原智美さんのコラム記事にあった。

現在、手紙や家庭の固定電話は影が薄くなっている。細々した連絡ばかりか大事なやりとりも、人はみなケータイかスマホを利用する。今や携帯番号は固定電話番号や現住所よりもよく使う、人と人とをつなぐ接点であるのだ。

契約解除で何度か変えたが、現在の番号は20年弱のお付き合いである。今は、電話番号を変えずにすむMNP(電話番号持ち運び)があるので、おそらく生涯使うことになるだろう。