日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

脇役の輝きから磨かれる主役

 

音楽と映画・ドラマは同じ時間芸術。だが、受ける感覚はちがう。好きな楽曲なら繰り返し聴くが、映画・ドラマはほとんど一度きり。観返したとしても、音楽よりはるかに少ない。

音楽作品は映画・ドラマより短時間であるが、受け手の脳は異質なメディアと捉え、身構えるのかもしれない。

テレビ録画分がたまったり、レンタルDVDの期限を気にすると、楽しみよりノルマに感じることもある。ネットの(今はなき)某レンタルは無料券をよく発行してくれて、手当たり次第に借りられたが、自分の観たいものは偏った。

今は配信が主で、つまらなければ途中でやめたりと、“つまみ食い”みたいな感覚でお気楽だ。わざわざレンタルをしなかった作品も観やすく、“お宝作品”と出会えることもある。知らない世界に、(自分の)気が付かない好物がいっぱいあることを、あらためて感じている。

 

1959

 

配信視聴のおかげで、鑑賞作品の幅が広がり視聴本数も増えているが、観たいモノの基準は今までと変わることはない。

脇役が主役を喰うような作品が好きで、“主役より脇役を中心に”観たい作品を選別することもある。<名脇役という言葉はあっても名主役という言葉はない>。この言葉に納得なのである。

とはいえ、主役はもちろん、脇役も達者で興味ある役者さんがそろっているのに、脚本でぶち壊してつまらなかった、というケースも最近はある。

<良いシナリオから駄作が生まれることはあるが、悪いシナリオから傑作が生まれることはぜったいにない>。黒澤明監督の(私が大好きな)名言である。

まだ20歳で俳優座養成所に通う無名の仲代達矢さんは、黒沢明監督の『七人の侍』に通行人役で5秒間ほど登場した。

その撮影で、歩いては叱られ、歩いては叱られ、昼食抜きの歩行練習をひとり命じられたのだ。朝9時のテスト開始から午後3時の本番まで歩き続けた。

それでも完成した作品に、仲代さんの名前(テロップ)はなかった。

  

1960

 

7年後の映画『用心棒』で、仲代達矢さんは準主役に起用された。
そして、「監督、ぼくを覚えていますか」と尋ねた。
黒沢監督は答えた。「覚えているから使うんじゃないか」。

黒沢監督は、若き日の仲代さんの中に素質の原石を見て、手荒く磨いてくれたらしい。日本映画の黄金時代は、そういう人々の手で築かれた、と言われる。

光を放つのが何年先であれ、磨く労を惜しまない。名の売れた役者も無名に返り修業する塾という趣旨の俳優養成塾「無名塾」は、塾生の公募を開始して40年になる。

多くの弟子を育てた仲代さんの胸には今も、遠い日の“通行人”の自分がいるのかもしれない。厳しい手に磨かれた原石は宝石となったのちも、自らが手となり新しい原石を磨く。

映画だけでなく、芸術や文化とは、“恩を受けては返す”長い鎖のようなものにちがいない。