日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

心情に 人それぞれの個性あり

 

<読書をするとき(作者と)“心情”を分かち合う>と言ったのは、カズオ・イシグロさんだ。

米国の大富豪であるジョン・P・モルガンさんに語り継がれる逸話がある。

古い友人が金を借りに来たが、モルガンさんは断った。
そして、「かわりに、君と一緒に道を渡ってやろう」と言った。

ウォール街の道路を二人で横切った。
すぐさま、友人のもとには、金の貸し手が殺到した。

力のある者と親しい。そう思われただけで、世間は友人の側にもなにがしかの力が備わると感じる。権力とは、そういうものだろう。

自身の有り余る金を貸すことより、他人の金で友人に恩を売ったモルガンさんの心情がなんとなくわかる。

 

1958

 

阪急グループの創業者・小林一三さんにもおもしろいエピソードがある。
不況の底にあった昭和初めのこと。経営する百貨店の食堂では、客がご飯だけを注文し、卓上のソースをかけて食べる光景があったという。

無料のソースばかりを減らす客に閉口して、食堂の扉に<ライスだけの客お断り>との張り紙が出た。

それを読んだ小林さんは書き直させたという。<ライスだけの客歓迎>と。

ご飯だけの客はやがて阪急びいきの上客になっていく。
損は儲けの初めなり、との心情であろう。

目先のそろばんをはじく“頭”はあっても、客の身を思いやる“胸(こころ)”のない経営者には真似のできることではない。

かつて、高倉健さんは石垣島を訪ねた際、偶然 目にした光景を随筆『沖縄の運動会』に書いている。

小・中学校の合同で、総勢100人ほどの運動会であった。
おじいさん、おばあさんたちが運動場に出て、「ナワナエ競争」をしているところだった。

 

1957

 

藁をよじり、どちらが長い縄をなえるかを競うゲームである。

真剣な表情のお年寄りたちを、校庭にいる皆が声を張り上げて応援していた。
いつのまにか自分(高倉さん)も手を叩いていた・・・のだと。

帰京後もその感銘が忘れられず、感謝の志として学校に天体望遠鏡を贈った。
懇切な礼状が届いたが、高倉さんは自問したそうだ。

美しい夜空の中、心情もやさしいあの島の子どもたちに、贈り物など必要であったか。
「少し後悔した」と、随筆に記した。それは、現代人が忘れかけた心なのかもしれない。

行きずりの人に<無心で拍手を送ることや、感銘を胸にしまいかねて感謝の形に表すこと。そして、その行為を静かに省みること>。

まさに高倉健さんだという気がしてならない。

映画俳優として、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章している高倉さん。

網走番外地』の橘真一、『昭和残侠伝』の花田秀次郎、『鉄道員(ぽっぽや)』の佐藤乙松などと、数々の人物に観客が魅了されたのも、演じる高倉さんに心の忘れ物を感じたからに相違ない。

受章での言葉に、<志低く、不器用な自分が>とあった。
思わず、寡黙で一本気なスクリーンの主人公の心情がオーバーラップしてしまう。