日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

イマジネーションを自由操作

 

人類の祖先が芸術創造の才能を開花させたのは、(約4万~1万4500年前の)後期旧石器時代で、場所は欧州の洞窟らしい。ランプの薄明かりを頼りに、石器や絵の具にて壁面へ動物や人を描いた。

その洞窟壁画が初めて発見されたのは、1879年のスペイン北部・アルタミラ洞窟で、天井にバイソンの群像が多彩に描かれていた。

豊かな色彩や技法を生かした壁画芸術は、徐々に進化したと考えられていたが、1994年のフランス・ショーベ洞窟の発見で定説は覆された。

約3万6千年前で当時最古とみられた壁画には、色の濃淡で立体感までも表現されたマンモスやライオンなど13種類の動物が描かれていた。

壁画を描いたのはクロマニョン人とされ、現代人と同じ脳の神経構造で、イマジネーションを自由に操作し共有できたと考えられる。

 

1929

 

約3万6千年前、立体感のある動物が描かれたように、芸術は突然に創造されるものだという。最初から完成度の高い美術作品が現れても不思議はないし、爆発的に芸術は発生する。

「一番最初に絵を描いた人は誰なんだろう」と考えることがある。アーティスト・日比野克彦さんは記事に記した。思えば、一番最初に歌い、楽器を奏でた人にも興味が湧く。

日比野さんは20年ほど前、仏・ペッシュメルル洞窟にて、1時間ほど壁画の前に1人でいた。“この絵を描いた人の気持ち”を探るためだった。

洞窟の奥は光が全く届かない完全な暗闇で、闇夜みたいに目が慣れることがない。
見えない頭の中の印象(イメージ)が浮かぶことを悟った、という。

暗闇があるからこそイメージを獲得し、そのイメージがあるから絵を描く理由が生まれた・・・のだと。

祖先は、見えていないのに見えてきたイメージを確かなものにするために絵を描いた。
そして、時空間という物理的なものに縛られず、感覚を他者と共有するものとして芸術が誕生した。

 

1930

 

<「物」は「事」になる。所有でなく利用になる。流れになる。資源を配分することが仕事になる>。ケヴィン・ケリーさんの『<インターネット>の次に来るもの』にあった。

映画、物語、音楽など、事であった芸術も、今まではそれらを“記録した物”として販売されていた。現在これらは事に戻りつつある。芸術家の収入源は実演に、創造性は編集と検索に置き換わる、ともいわれる。

人間は思春期までに身につけた技術に縛られる。三つ子の魂のまま生きるのだと。
同じ本も、電子書籍で読むと心に残るものは少なく、書評を書く必要がある場合などは、紙で再読する必要が生じることもある。それがその人の限界だからなのか。

かつて、古今亭志ん朝さんが脂の乗りきった高座をつとめていたころ、作家・小林信彦さんは書いた。「志ん朝と同時代に生きられるぼくらは、まことに幸せではないか」。

音や映像を記録する機械の普及後も、同じ空間で同じ空気を吸い、磨かれた芸に接することのできる喜びは昔と変わらない。