日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

頭ではなく体で判断する時間

 

日本には二つの時刻制度が併存したという。

明治5年に新橋~横浜間に鉄道が開業してしばらく、鉄道は分単位で運行されたが、当時の人たちはまだ、一時“いっとき”(2時間)とか半時“はんとき”と、時間を数えていたそうだ。そして、日本人による最小単位の時間認識は四半時の15分だった。

鉄道は時間短縮の歴史を必死に刻んできたようだ。
時間感覚が改まり145年になる現在は、(鉄道に限らず)分秒を争うことも珍しくない。

投手の投げた球が捕手のミットに収まるまで平均0.4秒だという。
ずっと以前、イチロー選手の談話で知った。思わずストップウォッチでその時間を確かめた記憶がある。

イチロー選手によると、0.4秒間に「このまま普通に打ってもヒットにはならないぞ」とわかれば、バットのヘッドを遅らせてわざと詰まらせ、ボテボテの内野安打をねらうらしい。
そしてそれは、<頭ではなく体が判断する>ことなのだと・・・。

 

1903

 

<あせって一瞬の火花になるな。根気よく牛になって押しなさい。人間を押すのです。文士を押すのではありません>。

1916年(大正5年)の8月、夏目漱石さんは(若い門下生の)芥川龍之介さんと久米正雄さんに手紙を書いた。「文壇のつき合いに煩わされることなく、一心に人間を見つめなさい」との教えらしい。この手紙は、4か月後に亡くなる漱石さんの遺言のようにも感ずる。

残念ながら師の遺言は守られなかったようだ。
のちに文壇の世話役として重んじた久米さんは文士を押した。人間を押さずに・・・。
芥川さんは牛にならず、火花になることを望んだ。

1927年(昭和2年)7月24日、数々の名作で知られる芥川さんは、<唯(ただ)ぼんやりした不安>と書き残し、35歳で自殺した。この夏で没後90年になる。師である漱石さんが他界されて、10年と7ヶ月後のことである。

 

1904

 

時間とはふしぎなもので、幼い頃の夏休みなど夢中で遊んだ日の記憶は、とても楽しい。なぜそんなに楽しかったのか、さっぱり思い出せないのだが。

ラジオ体操や昆虫採集、プールや海での水泳。お祭りや花火もあったはずだが、今思えば特別に何かをしたわけでもない。それでも楽しかったのである。

あとで考えてもよくわからないほど、自分を忘れて楽しんだということはまちがいないだろう。

このお盆も、(昨年から生まれた)祝日を含め長い休暇となった方も多いだろう。
海、山、実家、海外へと出かけている友人もいる。日常を離れ、羽を伸ばせる日々でありますように。

子供たちの夏休みは、今が折り返し点である。
休みの終わりが近づくと、やり残した宿題も含め憂鬱になるが、9月の最初の登校日には、同じクラスの仲間に一ヶ月ぶりで会える。

どういう形であれ“非常に楽しみでいられる時間”は、(長い人生の中で)とても貴重に思えてくる。きっと、「体で判断できる時間」だからなのかもしれない。