日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

鏡をのぞけばそこに寅さんが

 

寺山修司さんいわく<駅と書くと列車が中心で、停車場と書くとにんげんが中心という気がする>。

同じ意味の駅と停車場。列車とバスのちがいはあれど、停車場には和気あいあいとした集合風景が浮かんでくる。その中心にいてくれたらいいのが寅さんのような“ひと”だ。

“正月映画”の顔だったフーテンの寅さんが銀幕から消えて20余年。
人情深くて明快な寅さんは、生き方の理想像でもある。

寅さんの仕事はテキヤ(香具師“やし”)だ。正月の神社や夏祭りの夜店で、威勢のいい言葉を繰り出し、商品を売っていた。

それでも雨が降れば雨に泣き、風が吹けば風に泣く。明日をも知れぬ身なのである。
各地の祭礼を訪ね、放浪の旅を続けた彼は一体何者だったのか。そして今、どこを旅しているのだろう。

 

1768

 

初めは落語の「熊五郎」という名前を検討した、というのが原作者の山田洋次監督。
しかし、秀才の兄がいて次男坊だから、威勢のいい“寅”がよかろうと「寅次郎」になった。

姓も「轟(とどろき)」を考えたが、語感が強すぎるため「車」一つに落ち着いた。
それが、「姓は車、名は寅次郎」の誕生秘話である。

テレビ版『男はつらいよの最終回』で、寅さんは旅先の奄美大島でハブにかまれ死んでしまう。<自由奔放な生き方を、管理社会は許さないのだ、と主張したかった>と山田監督は言う。

ところが、テレビ局へ抗議の電話が殺到し、映画になってよみがえった。

山田監督は作家・遠藤周作さんと「晩年の寅さん」について対談したことがあったそうだ。
国民的映画へと人気が定着した頃である。

その際、「幼稚園の用務員はどうだろう」という話になった。

寺の境内で園児らとかくれんぼしているうちにポックリ息を引き取り、本堂の軒下あたりで見つかるというストーリーだ。町の人たちは地蔵を建て、名づけたのは「寅地蔵」。
御利益は、縁結びだったらしい。

 

1769

 

寅さんは鏡の中にいるような気がしてならない。

身近な道具の鏡。「左右が反対に見える」というのは常識であるが、そう見える理由には定説がないらしい。

<光学的には、鏡像は左右反転しない>とのこと。左手に腕時計をして鏡の前に立つと、鏡像の腕時計は自分から見るとやはり「左側」の手にある。自分の鏡像を見る実験では、「左右反転していない」と答える人が3割以上もいたという。

反転していると感じる人の場合、視点が無意識に「鏡の中の自分」へと変わる。「鏡の中の自分」にとっては、腕時計は右手にある。ただ、視点の変わらない人は反転を感じない。

光学的に反転しているのは、左右ではなく「前後や奥行き」(鏡面に垂直な方向)なのだ。北を向いて鏡に正対すると、鏡像は逆の南を向く。自転車が実際に走っている道路の手前側は、鏡では奥に映る。

身近な道具だが、謎めいていて奥深い。寅さんという人物もその謎によく似ているのだ。

寅さんは身近にいる。自分の父親、息子にも寅さんを感じた。自分も寅さんみたいだと言われたり感じたりするが、現実とは別の(鏡の中にいるような)ふしぎな感覚なのである。

だからなのか寅さんは今、鏡の中を旅しているような気がしてならない。