日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

魯山人がお宝とは知らぬが仏

 

フランスの画家・ポール・ゴーギャンタヒチ島の人々から“人間を作る人間”と呼ばれたという。絵筆で人間を作り出す風変わりな人物を見た(画家という職業を知らない)地元民の目には、そのように映ったようだ。

その人が残した作品もまた、奇異な放浪をしたようである。
46年前に英国で盗まれたゴーギャンの静物画が、イタリア南部のシチリアで見つかった。ほかの画家の作品とともに2点の価値は、日本円にして約15億円にもなる。

トリノの工場に勤めていた男性が所蔵しており、(41年前に)盗品と知らず3200円で購入したらしい。作品は退職後に移り住んだシチリアの自宅に飾られていた。

その絵を愛蔵していたその人は、ゴーギャンの名前ではなく、無名人の描いた安物として絵そのものに、ときめきや安らぎの価値を見いだしたことだろう。

 

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かつて、同じ職場で飲み友だちだったU山さんは幼い頃、鎌倉に住んでいた。
<うちの近所に『ろじん』がいて・・>と、あるとき酒席で“ろじん”を連発した。
私は魯迅? と、ふしぎな気持ちで聞いていた。

その“ろじん”なるものは、広い敷地に陶芸の窯を持っていたのだという。
<もしかして魯山人のことではないの?>。ハッと気が付いて私は尋ねた。
<あっ、そうそう。『ろさんじん』だったかも>。
U山さんにとっては、魯迅でも魯山人でも、どちらでもよかったみたいだ。

U山さんの家にもいくつかそのときの食器がありずっと使っているという。
<もしそれが魯山人の作品であったならすごい価値かもしれない>。
冗談半分で私は伝えた。おどろいたU山さんは、職場へ持ってくるからぜひ見てほしい、と言った。

私はその日、家に帰り魯山人についての“にわか勉強”をした。うちの奥さんがその分野に詳しく、魯山人の本を引っ張り出して見せてくれた。インターネットなどなかった時代である。身近の情報や書籍はなによりありがたかった。

 

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翌朝、U山さんが大きな紙袋を抱えて出勤した。陶器が5~6個、無造作に紙袋へ入れられていた。中には、(亡くなったばかりの)U山さんのお父さん愛用の灰皿もあり、煙草の灰のあとが残っていた。

“にわか仕込み”の私は、現物に触れて自分なりに鑑定した。
わが奥さんからの話や本の写真と比べ、見ても触れても魯山人である。

入手経路を確認してみた。U山さんが幼い頃に近所のおばさんたちが、魯山人の所で手伝いの仕事をしていた。魯山人が気に入らず捨てようとした陶器を、好きなだけ貰い受け(それぞれの家で)食器として使用していた。

魯山人はどんどん捨てて、持って行けと渡したらしい。U山さんが持ち込だ陶器は、そのときのお裾分けだった。U山さんの家でも、家族の食器として長年愛用されていた。

気難しいイメージの魯山人だが、気に入った相手には、桁外れな安価で自身の作品を譲渡することもあったとか。

 

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<器は料理の着物>。魯山人が常々言っていた。
実用性の究極にある造形美を追い求める魯山人の陶器は使いやすく、その食器でごはんやおかずがおいしくなる。

料理を盛りつけた時こそ、魯山人の器はその本来の美しさを見せてくれる。そのくせ、ごつくて実用向きで、食器を洗っていて他の陶器とぶつかればそちらが割れる。

私の迷鑑定を受け入れたU山さんは、すぐに鎌倉の陶器店で鑑定してもらった。やはり本物であった。けっこうな評価額だったようである。

<桐の箱に入れたらもっと値が出る>。陶器店からのアドバイスでU山さんは桐の箱をを注文して、長年愛用していた家族の食器を箱に納めた。そして、保管先は銀行の貸金庫である。

その後、いっしょにいた会社もなくなり、U山さんと会う機会もなくなった。
風の便りでは、株で大儲けをしたが、最後は失敗して家もなにも失ったとのこと。
U山さんと楽しく飲んだ日々が今も懐かしく思い出される。

あの魯山人の陶器は、今どこにあるのだろうか。そのことも気になる。