屁理屈と違うモノの考えよう
ドイツ語の単位を落とし、3年生になれなかったノーベル化学賞の田中耕一さんは、それから後輩に交じり猛勉強したそうだ。
夏目漱石さんは落第が薬になったと『落第』に記している。
<ごまかしてばかり通って来たら、今頃はどんな者になっていたか知れない>。
人間は考え直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、“今まで少しも分らなかったものも瞭然と分る様になる”のだという。
落第や留年をしたからといって、人生がだめになるわけではない。
一歩一歩をゆっくり、しっかりと歩むことも必要なのであろう。“歩”という字は、足跡の形を組み合わせたものらしい。
地に足を接して歩くことは、土地の霊に接する方法であったとか。
余談であるが、不動産広告の「駅から歩いて○分」の表示には、1分に80メートルという公的な決まりがあるとのこと。
富山市付近の国道には“東京420キロ、大阪420キロ”の表示があるらしい。
なにかで読んだ記憶がある。
地元の人は、東京にも大阪にも遠いことを、こぼしていたかもしれない。
東、西、南から遠く、冬は道路も鉄路も雪の通せん坊に泣かされる。
松本清張さんの名作推理小説『ゼロの焦点』は、北陸という土地の“遠さ”を抜きに成り立たない。昭和30年代に書かれ映画やテレビドラマにもなった。
<君は都会に育ったから、北陸という暗鬱な幻像にあこがれているんだね>。
小説の中にある会話である。
全編が鉛色の空を思わせるイメージとはちがい、山海の幸はおいしく人情に厚いと訊く。
冬は雪の立山連峰が神々しく、夏の渓流は清いことだろう。
昨年、北陸新幹線が金沢まで開業。悲願であったと思われる。
東京~富山が2時間8分、金沢まで2時間28分となれば、『ゼロの焦点』も誕生できていたかどうか。
物理学者・アインシュタイン博士は語ったという。
<第3次世界大戦はどう戦われるのでしょうか。わたしにはわかりません。しかし、第4次大戦ならわかります。石と棒を使って戦われることでしょう>。
まかり間違って核戦争が起きれば文明は破壊し尽くされ、人類は原始時代に戻る、と。
なるほど。思わずうなずいてしまった。
かつて歌舞伎劇場の経営者で、“田村将軍”と異名を取った田村成義さんは、若い頃に弁護士をしていた。
その時期の“馬泥棒の裁判”で披露した珍弁論は語り草であるようだ。
<道に手綱が落ちていた。持ち帰ったところ、思わざりき、手綱の先には一頭の馬がついていた>。ゆえに被告人は手綱の拾得人に過ぎないのだ、と。
アインシュタイン博士や田村さんのような人物が、現在はどれほどいるのだろうか。