日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

鍋を囲む楽しみはいつの世も

 

“闇汁(闇鍋)”は冬の季語だという。
灯りを消した部屋で、親しい者たちが(隠して)持ち寄った食材を、一斉に鍋へ投じ、煮えたら食べる。箸にかかったものを食べてそれぞれが言い当てる。

1899年(明治32年)、俳誌『ホトトギス』の同人が、東京(根岸)の子規庵で闇汁会を催したと、正岡子規さんの随筆にある。河東碧梧桐(へきごとう)さん、高浜虚子さん、内藤鳴雪さん、が集まった。

「だ、だれだ、大福を入れたのは」と大きな声を上げたのは、碧梧桐さんであった。暗闇のなかで全員が笑いどよめいた。犯人はどうやら、虚子さんだったとか。

気ごころの知れた友人が集まることで闇鍋は盛り上がる。また、そういう趣向を楽める心の余裕も必要になるだろう。私も昔におこなった記憶はあるが、どこでだれとやったのかは定かでない。

 

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作家・泉鏡花さんは異様なほど衛生に神経を使ったという。
くちびるがやけどをするくらいな熱燗の酒を飲み、刺し身は食べない。大根おろしは煮て食べたというから徹底している。

その性格のため、鍋を囲む時は困ったらしい。仲間たちが生煮えの肉を片っ端から食べるため、鏡花さんの口には入らない。
「谷崎君、これは僕が食べるからそのつもりで」と言いつつ、鍋の中に仕切りを置いたという。

手垢(てあか)がつくりだす器物の(くすんだ)光を、“手沢(しゅたく)”と言いながら珍重する谷崎さんのような人もいて、衛生観は人それぞれである。

ダイエーの創業者・中内功さんは、南方戦線で生死の境をさまよったときに、すき焼きを囲む一家団欒の風景が瞼に浮かんだという。<牛肉をもっと身近に>の一念で復員後に事業を起こした。

 

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中年の主人公が<(子供のころに死別した)父母の幽霊と街で出会いひと夏を過ごす>という物語は、山田太一さんの小説『異人たちとの夏』である。
そして、冥界へ両親が戻る最後の日、すき焼きの鍋を囲む。

暑い夏に似合う料理ではないが、山田さんは何としてもすき焼きを食べさせたかったという。家族の特別な日にはすき焼きに限る、とのことである。

「肉も野菜も、どんどん追加するからね」。
すき焼き屋で幽霊の両親に語りかける主人公の台詞である。

雨や雪が降ろうが降るまいが、赤提灯で愚痴を肴に飲むサラリーマンたちは、今も健在だろうか。先月、有楽町のガード下で久しぶりに飲んだときは、静かなような気もしたが。

昔から冬の屋台の定番と言えば“おでん”であろうか。大根、ちくわなどおでん種をつまみながら、日本酒が温まるのを待つ。その楽しみ方も昔の話になるかもしれない。そのような記事をいくつか見かけた。最近は、お酒を注文せず、おでんだけ食べて帰る人が目立つというのだ。おでんが“酒の肴”から“おかず”にと変わりつつあるらしい。

 

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<おでんをほぼ原価で販売している>と屋台の店主は嘆く。
客層は20代から60代の男女と幅が広い。それでも、利益の柱になるはずの酒類の注文が少ないという。

その傾向は、“酒離れ”といわれる若い層だけでなく、年配者にもある。
おでんだけ注文して15分くらいで帰ったり、女性ふたりでおでんとジュースを頼んだり。酒を飲みながらゆっくりと屋台を楽しむ人もいるが、客の半分はノンアルコールビールなのだ。

おでん屋台は珍しいからと、雰囲気だけ味わって帰ろうとする人や、屋台でお金を使いたくないと考えている人もいる。酒の肴ではなく、おでんそのものでお腹を満たすという若者は多い。屋台のおでんにお酒は付き物、という感覚が薄くなっているそうだ。

居酒屋でも同じ現象が起きており、おでん老舗店でおでんだけ食べて帰るお客さんも増えてきている。“お酒が飲めない”、“車で来ている”という理由もあるが、「コンビニのおでん」の影響も十分考えられる、と店主は話す。