日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

スローニュースが必要な理由


情報の垂れ流し。それは今さらのことではないが、この頃はとくにそれが激しく感じる。

各メディアのメインニュースはどこも同じで、さんざん騒いでいたと思えば、新たな事件やできごとでコロリと変わる。それは、この2、3ヶ月だけでもすごかった。

新しい情報へ移行したとたん、それまでのニュースがかんたんにクリアされているのである。思えば、もっとも痛切に感じたのは1995年(平成7年)であった。

その年の1月17日に起きた阪神・淡路大震災で、どのメディアでも被災状況を逐一報道し続けていた。しかし、3月20日のオウム真理教地下鉄サリン事件を境に一気に消えてしまい、状況が閉ざされてしまった。

これには驚き、情報提供側の無責任さにあきれかえった。
反面、毎日流れ続けるニュースから、価値のある記事はどれくらいあるか、と考えることも多い。

常に更新される情報にさらされ、読むことに疲れて、何が本当に起こっているのかわからなくなることもある。

 

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“書き手主導”が運営する従来型メディアに対して、書き手はあくまで<会話のキッカケを提供する役目>になり、問いについて読者が<情報を付加して貢献する>。

そのように<ゆっくりと深く、読者と一緒に情報をつくりあげていくスタイル>が、スロージャーナリズムといわれるようだ。2年前に始動したこのプロジェクトは、ヨーロッパ各都市で広がりを見せている。

スローという言葉につきまとうマイナスの印象を変え、新たにプラスの意味を持たせたのが、地域に根ざした作物や伝統料理を守るスローフードの運動だという。

その発祥の地はイタリアであり、30年近く前、ファストフードのマクドナルドのローマ進出に対抗する形で始まったのがきっかけである。そして、食べ物だけではなく、様々な分野で“スロー”に新たな価値を見いだす動きが始まった。

 

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<今何が起こっているのかではなく、それが何を意味するのか?>。
ヨーロッパ各都市で、ニュースを後追いして深く伝える雑誌『Delayed Gratification』が出版されているそうだ。

日々の事件や事故を報道するだけでなく、長期的な視点と深い理解を持ち、自分たちの生活に直接影響する問題を伝え、説明していく。“読者巻き込みジャーナリズム"でもあるこのメディアは、スロージャーナリズムの体現とともに<読者の知識を引き出し、読者とともにニュースを作っていくこと>にも徹底している。

ネットメディアにしても、読者はサイトの情報を消費するだけではなく、コンテンツを作るための参加者にもなれるという。サイト上に情報の交換コーナーを作り、読者との双方向の会話を経て、書き手が原稿を作ってゆく仕組みになっている。
書き手側では、<ただ“会話のきっかけ”を作ればいい!>との視点なのである。

 

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上述の雑誌『Delayed Gratification』は2011年の創刊で、年に4回発行されている季刊誌である。この雑誌のモットーは<一番目であることよりも正しくあることに価値を見いだす>であり、<速報にはこだわらず正しい分析や解説を重視している>のだという。

記事に関しても、(一つ前の)四半期の出来事を改めて取り上げ、その出来事の余韻がおさまり、別のニュースへ関心が移った後で何が起こったのか、を見ていく。
ある年の4月、5月、6月に起きた出来事については、その3か月後の9月発売号で伝えていくのである。

それは、一定の時間を置いた後でじっくりと取材することにより、質が高く、深みのある記事に高まるからなのである。安易に浅薄な見出しを付けるようなことを避け、長期的視点に基づき、掘り下げた記事や事象に対する深い分析を重視する報道にするためだ。

 

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一秒ごとに情報が更新される今、7年もかけて取材を行うジャーナリストがいる。
ジャーナリスト最高の名誉であるピューリッツァー賞を受賞したポール・サロペックさんは、
7年間かけてゆっくり地球を旅して取材を行う。まさに「スロー・ジャーナリズム」を実践しているのである。

彼は、アフリカ大陸からユーラシア、北米大陸を経て南米大陸に至る約3万4000キロを7年かけて歩き、ゆっくりと取材しながら記事を書いていく旅を、2年前から始めた。

<スロージャーナリズムのおかげで、急ぐ旅をしていたら見逃してしまうような隠れたつながりを見いだすことができる>。これが彼の持論なのである。
増え続ける現代の情報量。その伝わるスピードはどんどん速まり、すぐに消え去る。

そんな状況で失われるものを取り戻そうとする動きともいえる。そのことこそが、「スロージャーナリズム」の本質なのであろう。

従来よりも複雑に物事が絡み合うようになった今では、“短い情報”だけでなく、物語に深く入り込んだ<情報が持つ“意味"を理解できるニュース>が必要なのかもしれない。