日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

Windows10に歴史観

 

私の持つスマホ、iPad、Androidタブレット(Nexus7)では、まったくと言っていいほどカスタマイズをしないが、パソコンになると自分が使いやすいようにと、徹底的にカスタマイズしてしまう。

単機能で軽いフリーやシェアウエアソフトをいくつも組み合わせて、作業や編集に駆使している。そのため、Windows10へのグレードアップに躊躇していたが、実施してみたらすべてうまくいってくれた。

必要不可欠なたくさんのソフトは問題なく作動している。大事なデータもすべて元のままである。

思えば20年前からネットに書き込みをしているが、マイクロソフトの悪口ばかり書いて褒めたことの記憶がない。なんでOSをコロコロと変えるのか。商売だということはよくわかるが、それにしても多すぎる。OSに慣れたと思えば、すぐに新しくなっている。

公私ともに歴代のOSをほとんど使っている。MS-DOSを皮切りに、Windows3.1、95、98、2000、NT、Me、XP、Vista、7・・と。8は仕事の都合でタブレットのものをたまに使うだけであるが、iPadなどに比べてとてもわかりづらい。

Windows10に関しては、7の感覚を引き継いで、サクサク動くし、設定などもタブレットみたいでわかりやすい。期待のできる予感である。

 

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夜中にテレビをみていたら、ホリエモン(堀江貴文)さんといっしょに西和彦さんが出ていた。アスキーの創業者で、“日本パソコンの星”とさえ呼ばれる人である。

アメリカでビル・ゲイツさん、スティーブ・ジョブスさんとくれば、日本では当然のごとく西和彦さんと孫正義さんの名前があがるほどの人である。この西さんがいたからこそ、今のWindowsの存在があるのかもしれない。

1978年大学の図書館でBASICの記事を読んだ西さんは、すぐにマイクロソフトへ国際電話を入れた。半年後、西さんは全米コンピュータ会議でビル・ゲイツさんと会い、意気投合して契約を結んだ。そして、当時7人だったマイクロソフト社で8人目の社員となった。

ビル・ゲイツさんと西和彦さんの出会いは、マイクロソフトアスキーの双方に大きな実りをもたらした。パーソナルコンピュータ産業がすさまじい発展の中で、西さんはマイクロソフトとの提携を大成功させた。

 

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ビル・ゲイツさんは西さんにマイクロソフトの副社長というポジションを提供していたが、給料は支払っていなかった。<資本関係のない2つの企業から給料を受け取っていると、双方の利益が衝突したときに割り切れない>との認識を共有した。

契約内容は、マイクロソフトBASICの東アジアにおける独占販売権を西さんの会社に与えるというもの。弁護士は介在せず、ふたりのあいだだけの血族同士で交わされるような契約だったという。

ある日、IBMからマイクロソフトへひょんな依頼が入った。
当初、IBMはマイクロソフトに対し、BASICなどの言語製品の開発を依頼していた。
そしてOSについても、対応版のCP/Mをマイクロソフトに開発してもらおうとした。

しかし、マイクロソフトはCP/Mのソースの権利を持っていなかったため、ビル・ゲイツさんのアドバイスによりデジタルリサーチ社と交渉することにした。

 

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世紀の“儲け損ないのエピソード”として有名な話であるが、IBMがPCのOS契約を結ぼうとデジタルリサーチ社の社長宅を訪ねたとき、社長は遊び(飛行機乗り)で留守だった。奥さんの対応もそっけなかったため、IBMはまたマイクロソフトへ依頼した。

マイクロソフト社はパソコンのOSを持っていなかった。 IBMのいう納期は1年もないのである。さすがのビル・ゲイツさんも躊躇して断ろうとした。

しかし、これはビッグチャンスそのものである。西さんはソファの上に立ち「絶対やるべきだ」と叫んだ。<IBMがOSを欲しがっているから俺らがつくろうよ!>と。

マイクロソフトはシアトル・コンピュータ・プロダクツ社から、86-DOSを<他の製造者に販売する権利>として25,000 ドルで購入。さらにPCの発売前に、 50,000 ドルで、全ての権利を購入した。その際、IBMが顧客であることは明かさなかった。

 

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西和彦さんは日本とアメリカのビジネス文化の間を楽々と行き来した。ビル・ゲイツさんが来日して、ホテルで西さんと同じ部屋に泊まると、数百万ドルの取引を決める西さんあての電話がひっきりなしにかかり、(ゲイツさんは)度肝を抜かれたという。

当時のマイクロソフト社の売り上げの半分は日本からであり、西さんが稼ぎ出したものであった。 しかし、西さんはマイクロソフト副社長となってからも、アスキーの西さんであり続けたことが、ふたりの間に溝を残した。

西さんは半導体事業に意欲を燃やした。ゲイツさんは、業態をあまりに急激に変化させることをためらった。強烈な個性を持ち、似かよったふたりが手を結び大きな成果を上げ続ける。その裏で、歪みも蓄積されていった。

1986(昭和61)年3月の契約切れを機に、マイクロソフトアスキーとの独占代理店契約の解消に踏み切った。同年2月にマイクロソフト日本法人マイクロソフト株式会社を設立した。

西和彦さんがいなければDOSもWindowsもなかったか?
本人いわく、<それはだれかがやっていたはず。おそらくマイクロソフト以外で>と。