日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

こころの数字化で見えるモノ

 

最近よくストップウォッチを首にぶら下げて使っている。ふだんの生活の中のふつうのペースでの時間を具体的に数字化することで、時間の把握ができそうであるからだ。“だいたい”という感覚では、時間の無駄遣いが増えすぎる。その防止の意味もある。

<かみさま、こどもに おかあさんと おとうさんが ひとりずつ いるっていうのは とてもいいね。それをおもいつくのに、ずいぶんじかんが かかりましたか?>
幼い米国の子どもが、神様に手紙を書いた。(谷川俊太郎さん訳『かみさまへのてがみ』より)。

この文面を見て、またあることの数字化を思い立った。
男女二つの性があるのは、遺伝物質を混ぜ合わせ、親と少し違う子をつくり、種の存続を脅かすウイルスに対抗するためなのだとか。だれにも、父親と母親がいる。そして、この世に産まれた。果たして、自分の血縁ルーツにどれだけの人間が関わっているのか。

 

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ネット検索で「自分の祖先の数」に関する記事がいくつも出てくる。だれでも考えることは同じらしい。

父母2人、祖父母4人、曾祖父母は8人、その上の代が16人、とたどっていけば、10代前で1024人、14代前は1万人を超えて1万6384人となる。20代前では104万8576人、28代前でなんと1億人を突破するという。

祖先の代を遡るほど膨大な血縁数になるが、数字で具体化してみると妙に納得できてしまう。膨大な人数に比べ、遡る年数は驚くほどではないかもしれない。代々の人生をつなぎ合わせるのではなく、“親・子・孫”等の3代以上がダブる“共有の時間”を差し引けば血縁の人数に比べ些細な数字に感じる。

膨大な先祖たちすべてが、自分にとって直系の先祖であり、どこかでだれかが欠けていたら、今の自分が存在できていないということであろう。もっとも、先祖のすべてが自分ひとりにだけ、ということではなく、他のだれかの先祖と重複している、とのこと。

 

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今の日本に比べ、韓流ドラマなどでは家族愛を描かれることが多い。家族という意識には、家への求心力や遠心力の絡みがあるようだ。

<家というものがもつ求心力が衰える時、そこから逃れようとする家出の遠心力も失われる>のだという。(小山内美江子さん著・随筆集『家出』にて)

かつて寺山修司さんが『家出のすすめ』を書いたら、青少年への悪影響を懸念する声があがった。しかし今は、とび出すにも、捨てるべき家屋敷がなければサマにはならず、帰宅しなくとも無断外泊だろうぐらいにしか思われない。家族の絆の稀薄さで、“家出”という言葉の魅力がとぼしいものに変化していることも考えられる。

血縁関係である家族間でのむごいニュースにはこころが痛む。凶行に走る前に<家出ができていたら>そのような出来事もどれだけ減らすことができていたのか。

 

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だいぶ前の新聞記事に「こころの貯蓄」という言葉を見つけた。ゆとりとは“こころの定期預金”のようなものなのだとか。たまれば心はおおらかで寛容になり、減りにくい。しかし、ゆとりが減ると、焦りから人は攻撃的になりキレやすくもなる。どこかでワンクッションおければいいのだろうが。

新聞やネットで好景気などの文字は目にしても、なかなか実感が伴わないままである。実際の「懐のゆとり」にしても、かなり目減りしているかもしれない。カネがすべてではないが、多くの人の財布の中身や、こころの蓄えもすり減らしているようではつらい。

「キレる」は“堪忍袋の緒が切れる”の俗語と思いきや、自分の意思で他人と接触を絶ってしまうとの意味にも通じるとか。

 

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「幸せホルモン」なるものがあるらしい。欧米の調査で、犬や猫を飼う人が病院に通う回数は、飼っていない人に比べて約2割少ないとのこと。ペットとの触れ合いで、脳から“オキシトシン”の分泌が増えてこころが落ち着くのだそうだ。これが俗に幸せホルモンと呼ばれ、豪州で3000億円、ドイツでは年7500億円、の医療費削減の効果があったとの報告がある。

国内で飼われる犬と猫は計2000万匹を超え、15歳未満の子供(1639万人)を上回る。まさにペット好きの多さを物語る数字である。高齢化の進む日本の医療費が年40兆近くに達し、毎年1兆円規模で増える見通し。はたしてこの調査は、社会保障費を少しでも削りたい政府には参考になるだろうか。

幸せホルモンの分泌は、親子や恋人が手をつないでも増えるという。しかし、ペットの効用に期待してしまうのは、人同士の触れ合いが減っているせいだからなのだろうか。