日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

江戸川乱歩さんに親近感あり

 

今から210年前のヨーロッパ大陸は、ナポレオン1世の時代だったという。
フランス皇帝となった翌年1805年に、東へ向けて進撃を始めた軍は、1812年にはモスクワまで攻め入る。しかし、その後は転落の道をたどることになる。

ナポレオンの死因については、病死説や毒殺説の論議が今も続いているようだ。肖像画でナポレオンが胸に片手を当てているのも、(胃潰瘍で)不調な胃を押さえているのだという説もあるとか。

わが国の西郷隆盛さんも胃を病み、イギリス人医師に診察してもらったことがあるのだという。現代も胃病が深刻な病のひとつであることには変わりがない。英雄としてのストレスなのであろうか、胃に悩んだらしいナポレオンと西郷さんには、親近感がわいてくる。

 

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なかなか接点が見つからない過去の英雄たちに比べ、作家の方たちとは作品を通じて親近感を得られることがある。小説家でいえば、初めて親近感をおぼえたのが江戸川乱歩さんである。

おもしろい本との出会いとして、子どものときも学生時代もワクワク感をたっぷりと与えてもらった。執筆作家は故人になっても本の中に生きている。時代は移り変わろうが、作家の脳裏をよぎった言葉や感情がそのままで伝わってくる。

日本探偵小説の父といわれた乱歩さんが、今年7月で没後50年を迎える。今なお多くの文庫に作品が収められ、読み継がれている。その魅力には頭が下がる。
何度読み返しても、あのおもしろさに劣化は感じられない。

乱歩さんの作家としての全盛期は、大正時代末から昭和初めにかけてで、長期不況時代と一致する。デビュー作は大正12年(1923年)の『二銭銅貨』。その筆名にエドガー・アラン・ポーをもじった、ということは有名である。

 

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明治学院大教授・武光誠さん著『江戸川乱歩とその時代』によると、第1次大戦と満州事変に挟まれた不況期で都市化が進み、出版産業始め大衆文化が花開いた時期なのだそうだ。<村落の人間関係が崩れ、伝統的な家の家父の権威が後退して、個人の自立が進んだ時期。多くの人が都会へ流れ、自由に生きられるようになったのに、不況の中で夢がかなえられない>。プライドが高くて新しい知識層たちは、“自分と同じような人間が小説の中にいる”、と飛びついたのだ。

フリーターニートにも通じる心理が描かれ『屋根裏の散歩者』の主人公は、仕事も遊びも何をやっても長続きしない男であるが、ついに快楽を見つけてのめり込む。
屋根裏を散歩して他人の秘密をのぞき見たり、(『人間椅子』では)椅子の中に潜んで美女の肉体を五感で味わおうとしたり・・と。

時代を経ても、そのキャラクターや世界観の設定が絶妙なのである。
また、乱歩さんの長編も大衆に歓迎された。理由として、作品のおもしろさ以外に、時代的背景の影響も大きいようである。金融恐慌の影響で、世間にはいわゆる退廃的気風が満ちていたのだ。

 

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昭和6年(1931年)、乱歩さん初の『江戸川乱歩全集』全13巻が、平凡社より刊行開始された。総計約24万部の売り上げを記録し、経営の行き詰まっていた平凡社を建て直すきっかけにまでなったという。執筆に関して乱歩さんは、長編小説のプロットをまとめることが苦手だと吐露したそうだ。

多くの長編連載を場当たりで執筆し、筋の展開に行き詰まってしまうことがあった。ストーリー展開の行き詰まりで休筆を繰り返すこともあった。また、長編を作り上げるにあたり、程度の低いものを書いているという意識に苛まれていた。これも休筆の要因となった。

乱歩さんが愛読をした、谷崎潤一郎さんの作品。その登場人物には変態心理が描かれた作品もある。そして、直截(ちょくせつ)的な接触行為に及ぶのに、乱歩さんの登場人物は妄想がたくましいけど、あと一歩踏み出せない者が多いようだ。

乱歩さんの文体に関しては、告白体で日記や手紙などが効果的に使われて、効果を上げている。後に私が、(乱歩さんのように)のめり込んで読んでしまった太宰治さんと、なにか通ずるものがあるような気する。

 

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見世物小屋のよう>と称される乱歩作品だが、戦争で全文発売禁止になったのは『芋虫』のみなのだという。これは意外であった。当時の左翼は反戦文学とほめ、右翼は不敬と騒いだ。

<夢を語る私の性格は、現実世界からどのような取り扱いを受けようとも、一向に痛痒を感じない>と、乱歩さんは応じた。<人が脳内で思うことは誰にも止められない。(奇想の発露が)不自由な時代が来るたび、自分は何度でもよみがえる>とも。

語りかけてくるような文章が多いのも乱歩さんの特徴である。こちらも太宰さんとよく似ている。読者は思わず、自分だけに語りかけられている気分にさせられて心地よい。

乱歩さんいわく<私は人とは共有できない悪徳を持っている。でも、悪徳を共有することが目的ではない。悪徳の種類は違っても、誰もが闇の部分を持っていて孤独だ>、と確認するかのような語り口なのである。

乱歩さんが亡くなられたのは昭和40年(1965年)7月28日。その2日後に、谷崎潤一郎さんが亡くなっている。乱歩さんが満70歳、谷崎さんは満79歳であった。きっとなにかのご縁があったのかもしれない。