日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

境界のないダンディズムとは

 

「躾(しつけ)」という字は日本で生まれたのだという。どなたの創案なのかは不明であるが、“美しい身”と書く以上<しつけはおしゃれにも通ずる>ものなのかもしれない。
男のおしゃれや伊達(だて)に徹する態度のことを、「ダンディズム(dandyism)」といわれる。生活様式、教養などへのこだわりや気取り。人付き合いもきっと粋なのだろう。

<知人とは、金を借りるほどには親しいが、金を貸すほどには親しくない人のこと>。
悪魔の辞典』を書かれたアンブローズ・ビアスさんの名言である。知人と友人の違いだとか。

借りもすれば貸しもする双方向の関係が築かれて、初めて友人と呼べるようだ。安全保障で助けを借りても貸すことがない日本に、友人はいないのか。親が子どもをしつけるが、国家をしつけてくれる者はいない。国際社会にてひとつ恥をかいて、ひとつ利口になり、自習していくしかなさそうだ。

 

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1964年(昭和39年)9月、東京・銀座みゆき通りに<みゆき族に物申す>との挑戦状が張り出されたとか。匿名であった。
「軽佻(けいちょう)浮薄な若者どもよ、私とマラソンで勝負せよ・・・」と書かれ、勝負の日時と“日比谷公園”が明記されていた。

受けて立ったのは30人ほどのみゆき族であり、当日は1500人の観衆でごった返した。
挑戦状の主は理容師、22歳の青年だった。
勝負の結果はわからぬが、半世紀以上前(東京オリンピックのひと月前)の、とても愉快なできごとである。

アイビールックの代名詞「VAN」ブランドの生みの親で、街にたむろする「みゆき族」の仕掛け人でもあるのが石津謙介さんである。10年前に93歳で亡くなられたが、まさに“ダンディズム”の代表のような方であった。

 

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石津謙介さんは高度成長期を代表する顔のひとりとして、高齢になってからも鋭敏な目で世相を見つめ、男性のおしゃれに洗練された美しさを追い求めた人である。

手塩にかけたヴァンジャケットが倒産。無一文になってからも、ダンディズムの灯を胸にかざしつづけた。起業家の世界で拝金主義が幅を利かす昨今、石津さんの人生には、遠いおとぎ話のような香りがする。

同様に、強烈なダンディズムを感じる人では白洲次郎さんがいる。身なりのおしゃれだけではなく、その人ならではの生きざまこそが、ダンディズムそのものなのかもしれない。そういう意味ではイチロー選手もダンディである。彼だけの独特な野球スタイル。
そこへ追随する数多くの語録も楽しませてくれる。

 

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そして、この時代に活躍中である将棋の羽生善治さんにも、ダンディズムを感じてならない。40代半ばの今は、20代、30代の頃と将棋が変わってきているという。

着手を考える際、最初に局面全体の方向性を感覚的にとらえて、そこから細かいところをロジックで詰めていくというプロセスは以前とあまり変わらないが、局面全体をとらえるところへ力を傾ける比率が、以前に比べて上がっているという。

最初から細かいところにこだわって理詰めで追っていくと効率が悪いため、最初の段階である程度「こういう方向性でいこう」とか「とりあえずはこの手で」というのを決め、ポイントを絞ってそこに集中する。

「見切りをつける」ということであるが、これまでの経験の積み重ねがあればこそ、それができるようになったのだという。

 

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「経験知を活かす」といわれるが、それは経験してきたことが「そのまま活かせる」ということではなく、経験から得たさまざまな選択肢の中から、目の前の問題やテーマに対して、何が一番いいアプローチの方法なのかを選んでいくことである。

その際、この場面でこのやり方は通じないとか、この手はあまりよくないだろう、という当たりはつく。経験知が活きるのは、そういう場面での対処ではないのか、とのこと。

<「こうすればうまくいく」というより「これをやったらうまくいかない」ということを、いかにたくさん知っているか>が大切であるそうだ。

<いろいろある選択肢の中から、何を捨てていくか。取捨選択の捨てるほうを見極める目が、経験知で磨かれる>のだともいう。