日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ウェアラブル端末で温故知新

 

かつて、一億総白痴化と言ったのは、評論家・大宅壮一さんである。
「テレビというメディアは低俗であり、テレビばかり見ていると、想像力や思考力を低下させてしまう」との意味合いである。

また、「かぶりつきの女の子は馬鹿づらばかり・・・」とロカビリー音楽ファンへラジオで毒づいたこともあるが、その会場に映子さん(現・評論家)がいたと知り絶句した、というお話も残っている。真意は定かではないが。

1958年(昭和33年)、鎌倉の川端康成さん宅を訪ねた三島由紀夫さんは、リビングのテレビでロカビリーの番組を一緒に観た。その際、川端さんは「一度劇場で見たい」と、おっしゃっていたそうなのである。

ロカビリーという激しいリズムの音楽は、その年の2月に催された第1回『日劇ウエスタン・カーニバル』で、一世を風靡した。熱狂したファンは紙テープがなくなると、トイレット・ペーパーを舞台に投げたという。

 

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石原裕次郎さん主演の映画「嵐を呼ぶ男」が大ヒットし、長嶋茂雄さんがプロ球界にデビューした昭和33年は、戦前のにおいを持たない若者が時代を闊歩(かつぽ)した年ともいわれる。

その14年前の1944年(昭和19年)、随筆家・内田百閒(ひやっけん)さんは、『餓鬼道肴蔬(こうそ)目録』という風変わりな一文を記した。

<さはら刺身 生姜醤油から始まり、くさや、いひだこ、牛肉網焼、油揚げノ焼キタテ、竹の子ノバタイタメ、すうどん、りんご、南京豆、シユークリーム、汽車弁当・・・>などと食べ物の名前が延々と綴られているのである。

不自由な食生活で、記憶のなかから「ウマイ物食ベタイ物」を探し出したそうなのである。当時の百閒さんは55歳。単語の羅列から、“食”への情念がにおい立つふしぎな迫力を感ずる。

昭和の苦難な時代を生きた人々がその日々振り返るとき、肉親や友人の面影とともに、食べ物の記憶が脳裏によみがえるのであろう。

 

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ふだんの飲み歩きで、新人歌手の営業に出くわすことがある。そのときは店のカラオケで歌うのであるが、どうも味気ない。どうせなら、昔の流しのような弾き語りで歌ってもらえたら、とつい思ってしまう。

飲み始めた頃は、カラオケの台頭で流しとの出会いはほとんどなかった。それでも、たまに運良く流しに出会えて、震えるようなギターの音色に合わせて歌わせてもらうと、なんともいえず良い気分になった。

レコードを置く店も増えているという。温かみのあるアナログ感が見直されているともいう。流しの良さに通じる部分を感じる。

2030年以降、自動運転が定着して、目的地を指定すれば、後は何もする必要がないのだと、自動車業界はいう。

安全性や信頼度はいかほどのものかしらぬが、居眠り運転がなくなり交通事故が減る。そして、移動の時間を有効に使えるらしい。アクセルとブレーキを踏みながら、速度を感じることもないそうだ。

 

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ベテラン工員の手さばきや知識を、新人にそのまま「移植」して即戦力にする。その方法はウェアラブル端末を利用して、熟練の動きを完全コピーするのだという。
新聞におもしろい記事があった。

群馬県大泉町パナソニックの冷蔵ショーケース生産ラインでは、組み立て作業をする女性たちがウェアラブル端末を顔に着けて作業をしているという。

「ビスをクリップ留めして下さい」、「アース線をつなげて下さい」などと、片眼鏡のような端末から音声が流れるそうだ。なんとなく、私のiPadのSiriを連想してしまう。

端末の半透明のモニターに作業の「お手本」が映り、耳元のイヤホンから作業の手順が聞こえる。そして、作業の目標時間と実際の時間も表示される。

ウェアラブル端末に組み込まれてあるお手本は、<ベテラン従業員の頭部に小型のビデオカメラを取り付けて撮ったもの>である。
それまでこのラインでは、複雑な工程を新人に覚えさせるのに苦労していたが、導入後は初心者でも作業スピードが2割上がった。

 

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また富士通も、工場や施設の点検用に端末を開発したとのこと。
機械や配管に貼られたバーコードをカメラで読み取り、点検の必要な場所が矢印や文字で画面上に表示される。

これで点検漏れや不具合の見落としを大幅に減らせるのだという。
「ベテランがぴったり付き添うのと同じような効果がある」と、水処理プラントメーカーの担当者は喜んでいる。

日立製作所も、発電所などの保守点検に使う端末を開発した。頭部につけたカメラ映像をネット中継し、離れたところからベテラン技術者がそれを見て作業の指示をする。2015年度は国内約30社への導入を見込むという。