日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

全体像を知るためには具体論

 

蓮の葉が池に一枚浮いている。その葉は繁殖力がとても旺盛なため、1日で2枚に増える。2日で4枚、3日では8枚にと・・。
計算すると、池は30日で覆い尽くされることがわかった。その場合、池の半分が蓮の葉で埋まるのは何日目になるのか。

地球環境を語るとき、引き合いに出されるクイズの答えだという。それは、「29日目」である。<半分埋まるのに29日もかかったのだから>と悠長に構えていたら、破局の瞬間はすでに翌日へと迫っている。

「まだ、半分残っているさ」などと、たかをくくっているうちに手遅れになるのは、<地球という名の池>も同じだということ。

 

1148

 

前の晩にこしらえた煮汁が寒い台所で凍り、そのなかに煮物の具がとじこめられている。
“にこごり”は、「煮凝り」や「煮凍り」と書くそうだ。
寒天を用いる煮凝りもあるが、<寒気という天然の料理人>にはかなわない。

『心に響く三行ラブレター』なるものがあり、なかなか楽しめる。
「妻よ、誤解するなかれ/愛情は、冷めたのではない/固まったのである」。
だいぶ前に見つけた傑作であるが、メモをしていた。

思わず“煮凝り”を連想した。しかし、<時間をかけると風味ゆたかに固められる>ものばかりかと思えば、そうでもないようだ。

“20年以上の同居期間”を経た夫婦の離婚が2003年には、全体の約16%となり、その20年前の約8%から倍増している。ちなみに2012年は約17.3%であった。
夫婦という煮物の調理法は難しいようで、冷めるのは同じでも、「煮凝り」と「懲り懲り」に出来上がりが分かれるようだ。

 

1149

 

なにかの雑誌で“具体論”について書かれた記事を読んだ。
警察本部長が署長会議で「あらゆる法令を活用して暴力団を壊滅せよ」と指示した。
署長は署に戻り刑事課長に、課長も刑事課員に向かい、「あらゆる法令を活用して暴力団を壊滅せよ」と違(たが)わずに命じた。

その記事の筆者は暴力団担当の警察幹部の方であった。
本部長の指示を聞いた署長や課長は、「まず暴力団の関係企業を攻めよう」などと具体的な指示を出すべきである、と感じた。

暴力団事務所を捜索する際には、「資機材を使った強行立ち入りもやむをえない」とか、「組員は排除し立会人を一人だけ」などと<明確に指示すべき>だ、とも。
そして、<指示があいまいだと部下は忙しい。忙しさを競うことで本質を見失ってはならない>と続けた。

 

1150

 

「市(いち)の風」という言葉を聞いたことがある。「子供は(市の風)にあてねば」などと。
その意は“世間”のことを指すようだ。
行商人が来れば、買い物の場に子供を同席させたりする。それは、(血縁集団以外)まったく見知らぬ世界への目をひらく機会なのだ。戦前の話である。

人は誰でも<時間という医師の助け>を借りて生きている。
時間の風化作用なくして、恥や痛みも、引きずって歩くには重すぎる。
「市の風」を遮断した少年は、心の医師をも自室から閉め出したように思えてくる。

昨年10月に公表された調査で、10歳男子のソフトボール投げの記録が1964年と比べ、6メートルも下がっていたという。
<「風」に触れることのない暮らしぶり>と結びつける気はないが、屋内で数名の子どもたちが円座で携帯ゲームに没頭し、まったく会話を発していない姿をよく見かける。

我々とても同じで、通勤や通学の電車内にて、スマホなどに見入ったまま、知り合いがいても語ることが減っている。もし、「年代別・ソフトボール投げ」の記録が残っているのなら、ぜひ試してみたい。どれだけ記録が落ちているのか、具体的に見られるだろうから

 

1151

 

不世出のエース・稲尾和久さんは新人時代のキャンプで、連日、打撃投手をさせられた。
同期はブルペンで練習しているのに、自分だけが先輩から打ちやすい球を投げろと怒られ続けみじめな思いをした。

しかし、それがよかった。コースを意識して投げるうちに、プロとして必要な制球力がどんどん身についたからだ。
「毎日こんなことをさせやがってと怒っていたらそれで終わっていた」と引退後に述懐していた。

与えられた仕事が不満でせっかく入った会社をすぐに辞める若手もいるだろう。
私もその体験をしている。退社には様々な事情があり、毎日がつまらなくて、自分に向いている職場が他にあると思うこともある。

そこに立ち止まり、退屈に思える仕事に工夫を凝らすのも良いかもしれない。それで力がつき、大きな仕事を任される可能性だってある。先のことはわからないことだらけでも、その中から<具体的に見えたり感じたりできること>があるのならそれは大事にしたい。

あの鉄腕・稲尾さんにも、1勝もできない苦しい年があったそうだ。
「一生は良い事ばかりでなく悪い事ばかりでもない。ピンチを迎えても次にチャンスがあると思えば辛抱できる」。悪い事ばかりだと思っていた新人時代に、打撃投手をしながら徹底的に磨いた制球力が、その後の<エースへと駆け上る「具体的なステップ台」>になってくれたことは言うまでもないだろうが。