日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

「運・根・鈍」の3つのうちでは「鈍」を身に付けるのがベストな選択

 

なにかで成功するには、運のよさ、根気、ねばり強さの「運・根・鈍」が必要だといわれている。しかし、「三つ子の魂百までも」といわれるように、持って生まれた性格の矯正や開運を待つだけでは心細い。「運」と「根」を牽引するためにも、まずは「鈍」を身に付ける努力をしてみるのが近道であろう。

 

 

「剃刀(かみそり)よりも鉈(なた)の切れ味」という含蓄ある言葉が私は好きである。鈍い切れ味が鋭い切れ味を上回る、という例えで、公私ともに多くの人間に接してきて、この言葉と重なる場面を何度も見ている。

また、この言葉ですぐに連想するのが、宮本武蔵佐々木小次郎の『巌流島の決闘』である。小次郎の死因は頭部強打による撲殺であった。

小次郎の操る長太刀に敵わぬと悟った武蔵は、剣の対決にこだわらなかった。「物干し竿」と称された小次郎の長太刀に対抗すべく、武蔵は削った櫂(かい)を武器にして、確実性のある破壊力で小次郎の頭にそれを叩き付けた。

 

 

打たれ強い鈍さを持つためには、傷つかないためのこころの鍛え方が必要でもある。私の場合は、営業という仕事で慣らされた。クレーム処理などではとくにそれが鍛えられる。今にして思うと、仕事のおかげで慣れることができたのである。

また、見せ場を作るのも鈍さの積み重ねであろう。「起承転結」の「承」の部分はなにごとでも重要だ。「承」の粘り強さがあればこそ「クライマックス」と「結末」が華やかでおもしろくなる。

私の身の周りで、鈍感力の高い人たちは友だちが多い。鈍感ということだけではなく、もちろんその人たちに人間的な魅力があるのは言うまでもない。実に、飄々(ひょうひょう)として兀兀淡淡(こつこつたんたん)な人たちなのである。

 

 

大きな仕事を成し遂げる人は、適度に鈍感力を持っているようである。何かするにも、いちいちくよくよしないで、物事を前向きに捉えていく。どちらかというと、「子供みたいな奴」といわれるタイプが多いようだ。

本人たちは、それを言われると、ほめられたと思うであろう。「幼児性」のある方がクリエイティブな仕事ができる。規範に縛られた大人では面白味に欠け、どんな仕事でも完全無欠にやろうとするため、ストレスがどんどん増える。

 

 

鈍感であればアレルギー反応も起きないし、こころにとってもからだにとっても素晴らしいことである。周囲からの悪口や、小バカにした態度で接する人に対しても、軽く受け流し、まるで昼行燈のようにも見える。 他人の悪口をまともに受け入れたら「絶対損である」という事を熟知しているからである。