日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

わが鑑定眼にまちがいはなし

 

かつて、同じ職場の飲み友だちにUTさんがいた。私より5歳上の独身である。幼い頃、鎌倉に住んでいたということは聞いていた。あるとき、鎌倉の話をしていたら、UTさんは急に思い出したらしく、「そういえばうちの近所に『ろじん』がいてさ・・」と『ろじん』を連発しながら、「広い敷地に窯を持っていて・・・」と話を続けた。

私は、(魯迅?)と、ふしぎな気持ちで聞いていたが、「もしかして魯山人のことではないの?」と問いただした。

「あっ、そうそう。『ろさんじん』だったかも」

とUTさんはあっさり訂正したが、彼にとって、魯迅魯山人のどちらでもよかったようである。

 

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その先の話によると、UTさんの近所の奥さんたちが、魯山人の所で手伝いの仕事をしていたらしい。そして、魯山人が気に入らなかった陶器作品を、好きなだけ貰い受けてきたそうだ。かの魯山人大先生は、どんどん捨てて、みんなに持って行けと渡したらしいのである。そして、手伝いに行っているご近所さんから、UTさんの家にもいくつか頂戴して、長年 家族の食器として愛用しているようであった。

 

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魯山人は気難しいイメージが強い。しかし、気に入った相手に対しては、自身の作品を桁外れな安価で譲渡することもあったようだ。ある作家の手記では、棚にあるすべての陶芸作品を十万円でいいといわれ購入したとか。(昔に読んだ記憶で、山口瞳さんだったと思うが)。

私はUTさんに、「もしそれが魯山人の作品であったなら、すごい価値かもしれない」と伝えた。UTさんはそれを聞くとおどろいた表情で、とりあえず翌日に職場へ持ってくるから見てほしい、と言った。私はその日、家に帰って魯山人についての「にわか勉強」をした。幸い、うちの奥さんがその分野に詳しく、魯山人の本も引っ張り出して見せてくれた。

まだインターネットなどない時代である。書籍や身近の情報はなによりありがたかった。

そして翌朝、UTさんは大きな紙袋を抱えて出勤してきた、紙袋には、家で食器として使用しているままの陶器を5~6個、無造作に入れていた。

 

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その中には、UTさんのお父さん愛用の灰皿もあった。たしか、そのお父さんが亡くなってすぐ後の頃であったと思う。まだ灰皿には、煙草の灰のあとがかすかに残っていた。私はUTさんのご両親とも何度かお会いしてお世話になっていた。そのため、その灰皿は大切な遺品のように感じた。

そして、いよいよ「にわか仕込み」の私が、現物を直接さわって自分なりに鑑定した。

うちの奥さんから聞いた話や、借りた本の写真と比べて、どう見てもどう触れてもこれは魯山人である。

  • 魯山人の陶器は使いやすく、その食器でごはんやおかずがおいしくなる。
  • 実用性の究極にある造形美。
  • 魯山人が常々言っていたこと「器は料理の着物」。
  • 料理を盛りつけた時こそ、魯山人の器はその本来の美しさを見せてくれる。
  • ごつくて実用向きで、食器を洗っていて他の陶器とぶつかればそちらが割れる。

すべての陶器を手にとり、これらの条件にもマッチしていることを実感した。そのことを物知り顔で言ったら、UTさんは舞い上がったように私の迷鑑定を受け入れた。

 

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数日後、UTさんは鎌倉の陶器店で鑑定してもらった。やはり本物であった。

鑑定による額の細かい数字は忘れたが、百万円には届かないものの、数十万円とのけっこうな額だったようである。陶器店の方から、桐の箱に入れたらもっと値が出る、とアドバイスをもらったそうで、UTさんは大急ぎで桐の箱を作って、長年使用していた陶器をそれぞれの箱に納めた。

そして、魯山人の陶器がその先どうなったのか。我々が聞いてもUTさんはなかなか教えなかった。なんとか聞き出したところ、銀行の貸金庫に保管しているとのこと。

UTさんは元々、貯金が趣味でかなり貯め込んでいたようだ。かといって、飲むときなどは気前もよかった。それまでの人生でも、お金の方から寄ってきてくれるみたいでうらやましかった。

それから数年後、いっしょにいた会社もなくなり、UTさんと会う機会もなくなってしまった、風の便りでは、株で大儲けをしたらしいが、最後は失敗して借金をかかえ、家もなにも失ったとのこと。UTさんの携帯に電話を入れたら、まったく別の方が出た。UTさんと楽しく飲んだ日がとても懐かしく思い出される。そして、あのときのあの魯山人の陶器は、今どこにあるのだろうか。

とても気になる。