偶然の上に成り立つ当たり前
人通りの少ない森林の中で、太陽や自然を感じていると、いろいろなことが脳裏に浮かんでくる。たとえば、数ヶ月前に観た(テレビの)BS放送の番組のこととか。
宇宙か地球に関する特集だったと思う。月が地球にとって重要な役割をしてくれている、というのがテーマであった。
月が地球の錘(おもり)になってくれているから、地球の存在が成り立っているとのこと。
月がなければ、地球はとっくに太陽に飲み込まれて消滅しているらしい。裏を返せば、月という錘がなければ、地球に生命の誕生もなく、我々も存在していないことになる。
その番組の内容をもっと詳しく調べたくて、ネット検索してみたがうまくヒットしてくれないのが残念。
我々が、異常気象などと騒いでいても、生物が存在できるということ自体が、ものすごい奇跡なのである。また、人間のからだに関しても、60兆の細胞でできているとよくいわれている。元は、精子と卵子のふたつの細胞からの増殖である。このふたつの細胞も、何億分の一ほどの確率での合体であろう。
宇宙規模のものすごい偶然の中で、生きる環境を得られて、計り知れない確率で生を受けていられる。考えてみると、ふだんの当たり前の生活が成り立っている、というその土台には、とてつもなく大きな偶然が不可欠であるといえる。